私、たった今階段を踏みはずしましたの
「あっ、やばっ、足がすべっ……!? あっ、あっ、あぁぁぁーっ!?」
私は今、お屋敷の無駄に長くて大きな階段を、転げ落ちている。
誰かに突き落とされたとか、失恋の果てに自死を選んだとか、そんなドラマチックな原因はない。単純に、足を踏みはずしたのだ。高い身長を、さらに高く見せようとして履いているハイヒールが、よくなかったのだろう。
一段、二段、三段と落ちるたび、何かの冗談のように体が跳ね、頭部が大理石の階段に打ちつけられる。目の前にチカチカと火花が飛び散り、一瞬だが、赤い血しぶきが舞うのが見えた。
やばい。
やばい。
これ、命にかかわるタイプの怪我だ。
う、嘘でしょ……この私が……高貴なる公爵令嬢ミリアム・ローゼンが、まさか、こんなくだらないことで、死ぬっていうの……!?
そこで、私の意識は完全に消失した。
・
・
・
「うー……ぁ……ううぅ……あ……私……生きてる……?」
目を覚ました私は、ズキズキと痛む頭に、そっと手をやる。
次の瞬間、不思議なことが起こった。
頭の中に、何かがギュンギュン流れ込んでくる。
その何かは、時に映像として。
その何かは、時に文章として。
その何かは、時にリアルな体験として。
私は、たった今階段から落ちて、酷い怪我をしていることも忘れ、続々と頭の中に流れ込んでくる情報に見入っていた。
……これは、記憶?
誰かの、記憶なの?
違う……『誰かの』記憶じゃない。
これ、『私の』記憶だ。
そして私は、思い出した。
自分が『転生者』であることを。
私は、日本のどこかの町の、平均的な家庭で育ち、これまた平均的な学力で入れる高校に通い、ごく普通の学生生活を謳歌していた。
とびぬけて幸せだったわけでもないが、決して不幸でもなかった私だが、ある日突然、不慮の事故により死亡。
天に召され、神様の前に連れていかれ、あれやこれやと死後のイベントをこなすうち、どういうわけか、乙女ゲーム『聖王国の幻想曲』の世界に転生するようにと命じられた。
……正直、それ自体は、そこそこ喜ばしいことだった。
乙女ゲーム『聖王国の幻想曲』は、私がプレイした中で一番ハマった作品であり、特に、メインの攻略対象『聖騎士アルバート様』が、最高にかっこいいの。
大人しいけど心の優しい主人公『フェリス』に感情移入し、何度も何度も再プレイして、一途な私はそのたびに、アルバート様と恋に落ちたものよ。
……なのにさぁ。
……なんでさぁ。
転生したのが、最低最悪の悪役令嬢、『ミリアム・ローゼン』なのよ!?
ミリアムは、控えめに言って、史上最低のクソ女である。
私の『ゲームのキャラクターに抱いた嫌悪感ランキング』で、堂々のナンバーワンだ。
貧しい生まれながらも、清廉で前向きな主人公フェリスを、一言目には『下民』、二言目には『卑しい血』と侮辱し、登場するたびにヘイトスピーチをかましてくるので、ハッキリ言って、ミリアムの甲高い声を聴くだけで、私は虫唾が走る。
いや、ヘイトをかましてくるだけなら、まだいい。
ミリアムは、嫌がらせが生きがいのような性根の曲がった女で、肉体的にも、精神的にも、『そこまでやるか?』と思うような悪行の数々で、フェリスを徹底的に追い詰めていくのだ。
そのあまりの悪辣ぶりを誰かと語り合いたいと思った私は、ネットの匿名掲示板にて、【『聖王国の幻想曲』の悪役令嬢『ミリアム・ローゼン』について語ろう】というスレッドを立てたのだが、ただ一言、『クソ女のスレ立てんな、今すぐ消せ』という冷たいレスしかつかなかったことを、ハッキリと覚えている。
……ただ、そんなミリアムも、最後は哀れなもので、先程述べた聖騎士アルバート様に婚約破棄されてからは、取り巻き連中にも見捨てられ、坂を転げ落ちるように凋落。
あげくの果ては、ミリアムが心から見下していた『下民』の男たちになぶり殺しにされるという、シナリオライターの品性をちょっと疑いたくなるような末路を辿るのである。
……大嫌いなキャラクターとはいえ、いくらなんでも、あんな最後はないわよねぇ。
って、他人事みたいに言っとる場合か!
今は私が、その『ミリアム・ローゼン』なんだから。
許嫁である聖騎士アルバート様から婚約破棄を告げられる『破滅の日』は、ミリアム……いや、私が18歳になる誕生日だったはずよね。
よしっ。
ミリアムは昨日16歳の誕生日を迎えたばかりなので、まだ丸々二年も猶予がある。
……記憶が戻ったのが、17歳10ヶ月とか、17歳11ヶ月じゃなくて、本当に良かった。いくらなんでも、ひと月やふた月じゃ、破滅の運命を変えられるとは思えないもんね。
でも、二年あればなんとかなる! たぶん!
石の上にも三年って言うしね!(一年足りない)
今日からすぐに行動を変えて、ちょっとずつ皆に愛されるような人間になっていけば、少なくとも、ゲームのような惨たらしい死に方はせずに済むはずだわ!
「見てなさいよ! 誰からも愛される理想の公爵令嬢になって、二年後、絶対生き残ってやるんだから!」
そう大声で宣言したショックで、階段を転げ落ちた際に裂けた頭部の傷がさらに開き、私の顔面は真っ赤になった。でも、そんなこと気にしてはいられないわ。何事も、思い立ったが吉日、鉄は熱いうちに打て! である。
私は、日頃から手入れに余念のない、ふわふわの金髪が血で染まっていくのも構わず、メイドたちの控え室に向かった。
「邪魔するわよ!」
流血でテンションが妙な方向に上がっているせいか、自然と叫ぶような言い方になり、勢いよくドアを開けてしまう。
控え室の中で談笑していた三人のメイドは、血濡れたお嬢様の闖入に驚き、数瞬フリーズするが、すぐに我に返り、私の元へ駆け寄って来た。
「ミリアム様、そのお怪我は!?」
「なんておいたわしい……今すぐお手当てを!」
「さあ、医務室に参りましょう!」
三人はそう言って、慌てて私の体を抱えようとするが、私は片手をあげ、彼女たちを制止した。
「手当ては後でいいわ。それより、半年前に私がクビにした『メイド長』を、呼び戻してちょうだい!」
三人のメイドの一人、鼻の頭にそばかすのある女の子『ドリー』が、尋常ではない私の剣幕にビクビクしながら、ご機嫌を伺うように、ゆっくりと口を開く。
「よ、呼び戻せと言われましても、『メイド長』ヒルデガード様は、ミリアム様に『二度と顔を見せるな、都からも出て行け』と申し付けられたので、もう恐らく、都内にはいらっしゃらないと思います……」
「ぐっ、そりゃそうよね。ミリアムが……いや、私が、そう命じたんですものね。ああ、なんて馬鹿なことを、ヒルデガードだけは、この館の中でただ一人、私に物怖じせず、『悪いことは悪い』と、きちんとした『しつけ』をしてくれる人だったのに」
みんなに愛される人間になる第一歩として、まずは『メイド長』ヒルデガードを再び雇用し、これまでの非礼を詫びよう。決意を込めるように、私は拳をぎゅっと握り締め、三人のメイドのうちの一人、眼鏡をかけた女の子『セラ』に、尋ねる。
「それで、ヒルデガードの現在の居場所は、わかる?」
「え、えっとぉ……推測でしか答えられないんですけどぉ……」
「それでいいわ。あなたの考えを聞かせて」
「きっと、実家のある北の辺境『アリセン』に戻られたのではないかと……」
「なるほど。仕事がなくなり、この辺りにも住めないとなれば、普通は一旦実家に戻るわよね。理にかなってるわ」
私はうんうんと頷き、それから、三人のメイドのうちの一人、赤毛の女の子『エッダ』に、ハッキリと指示を出した。
「よし、馬車を出すわよ! 今から『アリセン』に直行するわ! まだお昼だから、夕暮れまでには到着できるわよね?」
「えぇっ!? で、でも、『アリセン』はかなり遠いですから、最高の馬車を使っても、三時間近くかかりますよ? 今日の午後は確か、尊い身分であらせられるお友達の皆さまと、パーティーを開かれるのでは……?」
「そんなもん、また今度やりゃあいいのよ! だいたい、エンディングで私が落ちぶれたら、すぐに離れて行っちゃうような連中だもん、友達でも何でもないわよ、あんなの!」
「エ、エンディング……?」
「あ、なんでもない。こっちの話。さあ、話してる時間がもったいないわ、行こ行こ!」
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