アルマにお任せあれ
早朝から日課のランニングを済ませて、シャワーを借りた俺は食堂に続く廊下を歩いていた。
「おはようさん」
「カインさん、おはようございます」
「昨日は挨拶ができなくて悪かったな。帰ってきてすぐ爆睡してたわ」
シャルのお兄さんと廊下で出くわした俺は、眠たげに欠伸をする彼と一緒に食堂へ歩く。
「さん付けなんて寂しいじゃねえか。昔みたいに兄貴って呼んでくれないのか?」
「俺だって今年で十八です、礼節は弁えますよ」
「それなら尚更、義兄さんだろ。なあ、妹よ?」
カインさんの視線の先にいるのは、食堂の扉からこちらを覗くシャルの角。それに気づいた俺にアルマが震えた声で喋り出す。
(ねえ、私っていつかあのヤンデレ娘に殺されない?)
(ヤンデレって何だよ)
(包丁持って迫ってくる女の子……)
(お前はそんな知識をどこから拾ってきてんだろうな)
カインさんの冷やかしに「雪山と火山どっちがいい?」と冷たい目を返すが、クラウディアさんっぽい手が伸びてきて彼女を引っ込めた。
「ははは、俺は転移魔法が使えないから勘弁してくれ。空を飛んで帰るのが大変なんだ」
自分が妹に劣ると取れる発言を平然とするカインに、ジークはどうしても聞きたいことが浮かぶ。
「カインさんはどう思ったんですか」
「――魔王に成れなかったことか?」
「はい」
カインさんと俺は似てる。弟が勇者になった兄と、妹が魔王になった兄。
「……悔しいよりすまないだな」
シャルに聞こえないようにと結界を張って、カインさんは立ち止まる。
「魔王ってのは重たいんだよ。俺の仕事は親父が出張るまでもねえ、魔大陸の各地の魔物を討伐するってのは知ってるな」
俺はカインさんに聞かれて首を縦に振る。魔王と勇者の仕事はそれぞれの勢力圏で現れた、現地戦力で手に負えない魔物を討伐する事だ。他にも雑務はあるが、何より優先される仕事がそれだ。
「それで現地の住民に言われるんだ、『魔王の息子が来たからもう大丈夫だ』ってな。魔王の息子ってだけでもプレッシャーだってのに、魔王本人になったら俺には想像もできないな。……だからシャルの事を頼むぞ」
グラムさんと同じ場所をカイトさんも叩く。筋肉ダルマではなく、こちらもクラウディアさんの遺伝を継いだ優男なカイトさんの手はグラムさんよりずっと重く痛かった。
「シャルがそれを望むなら」
「焦れったいな! さっさと告白でもなんでもしやがれよ」
「ははは」
さっさとくっついてしまえとカイトさんは急かすが、俺は笑って誤魔化す。もし告白するなら、俺がシャルの隣に立てると胸を張って言えるようになった時だ。
(相変わらず意地っ張り。シャルも大変だね)
(俺が妥協して流されるままにシャルと一緒になると思ったか?)
(ぜーんぜん。私がいつからジークを見守ってたと思ってるの)
くすくすと誇らしげに笑うアルマに、俺は強くなろうと改めて心に誓う。
「それじゃあ、昨日の続きを始めましょう」
昨日は体からマナを放出し、体へ纏う事に終始した。今まで抑える事ばかりしてた癖を矯正するためだ。
実際に体を強化するのは今日が初めてだ。肉体を内から活性化させる普通の強化魔法とは違って、魔纏衣は簡単に自傷するリスクがある。
「ああ、まずは体の一部を強化することからだな」
初めから全身を強化するのは難しい。慣れない魔力操作で全体のバランスを取らなくてはならない。ただ一部分の強化なら多少大雑把でも、反動で自傷しなければいい。
「――というわけで治療担当にお母さまをお呼びしました」
訓練場の端で紹介されたクラウディアさんが手を振って、俺を応援する。シャルも治癒魔法は使えるが、彼女の母の方がその分野では上だからだ。
俺は右腕から訓練を始める。魔力の調整は後から考えるとして、まずは魔力で右腕を覆ってゆっくりと動かそうとする。
「なんだこれ」
「魔力が力の流れを阻害しあって、包帯で雁字搦めになってるみたいね」
「どうすりゃいいんだ」
「さあ?」
シャルもこの魔法をきちんと扱えるわけではない。デコピン程度の小さな動きはできても、腕全体を動かすだけの大きな動きはできないらしい。
(――筋肉です。普段体を動かすときの筋肉の動きを思い出してください。魔力を筋肉のように体中を覆って、それ以外は鎧として割り切って使うのです)
(サンキュー)
俺は滅多に無いアルマの助言を聞いて、一度魔力の放出を止める。
「どうしたの?」
「アルマが――筋肉をイメージしろだってさ」
「そうアルマが……どんな心境の変化かな」
走ったりジャンプしてみたり、訓練用の剣で素振りをして筋肉の動きのイメージを固めていく。
その間に俺の話を聞いたクラウディアさんがシャルを連れて館の小さな図書室に転移し、一冊の本を持って戻ってきた。
「治癒魔法の勉強に使う人体解剖学の本よ。参考にならないかしら?」
「ありがとうございます! とても参考になりますよ」
俺は渡された分厚い本を受け取る。お金が掛かっていそうな精密に書かれた絵を、俺とシャルは夢中で読み込む。シャルも一緒に読んでいるのは、治癒魔法を後回しにしていから、まだ読んでいなかったらしい。
(……私が助言するので、筋肉の張り方を覚えて魔力を纏ってください。あの魔法は勇者と魔王のスキルによる加護があって初めてコントロールできる魔法なので、改良する必要があります)
(聞いてないんだが?)
(昨日言ったじゃないですか。『勇者と魔王にのみ許された魔法』だって)
(――魔力量的な意味じゃなかったのか)
勇者と同等の魔力を持つ俺なら、訓練してれば使えると思ったが僅かな希望もなくなったか……。
(落ち込まないでよ。私が助言するって言ったじゃない)
(俺に使えるのか?)
(難易度が上がるけど、改良版を作ってしまえばいいんです。天の声にお任せあれ)
何かを諦めたアルマは、やけっぱちになっている。なぜかこいつは俺が強くなることに反対的だったのに。
(やけに協力的じゃないか?)
アルマが訓練にここまで積極に協力してくれるのは珍しい。俺が次期勇者から外されたのが影響されてるのか?
(知りません、私の協力は必要ありませんか?)
(お願いします、頼りになる女神様)
(ふふっ、任せてください)
やる気になったアルマは、的確に魔力の張り巡らせ方を教授する。その内容はシャルも教授をお願いするほどだ。
(これも異世界の知識のおかげだね)
(お前の知識の出処はこの世界じゃなかったのか)
時々、「強化外骨格のほうがよかったかな、でも強化スーツの方が――」なんて呟いていたのは異世界の知識だったのか。
(これでも異世界の方々と交流があるもので)
(お前はどういう生態をしてるんだろうな)
俺のスキルは勇者と魔王スキルにある、神託から派生したユニークスキルのはずだ。そう思って父上や弟と神託について話し合ったことがあるのだが、滅多に女神から神託が降る事はないらしい。
だから頻繁に無駄話をしてくるこいつが、女神ってことはないだろう。女神の眷属がいい所じゃないか?
(さあ、どうなんでしょう。気になるのでしたら、いつか私の元に来てくださいね)
(行ける場所ならな)
(――はい)
俺がアルマと頭の中で話しながら魔法の訓練をしていたら、肩が外れた。
やばい、アルマが積極的に手伝ってくれるのが嬉しくて浮かれてた。
「何してるのよ?」
「――悪い、集中できてなかった」
痛みで地面に座り込み、俺はじっとクラウディアさんが来るのを待つ。
この魔法は油断すれば簡単に自滅するな。
「はいはい、ジーク君も痛いなら喋らなくていいから。シャルも喋らせないの。――肩を嵌めるから動かないでね」
クラウディアさんが慣れた手付きで、外れた肩を嵌める。肩が正常な位置に戻ったか触診して、最後に治癒魔法をかけて俺の肩は治った。
「肩の脱臼は癖になるから、自分で治そうとしたらだめよ?」
「お世話になります、クラディアさん」
シャルは自分も魔法をモノにするため、さっきの本を読んでいる。そんな自分の事に集中してるシャルの目を盗んで、クラウディアさんが「お義母さんでもいいのよ?」と耳元でささやく。
(この半年は貞操にも気を付けた方が良いんじゃない?)
(実力行使で来られたら、どうにもならないんですが)
(がんばれ)
俺が「いずれ」と答えると、クラウディアさんはうふふと満足気に離れていった。