3話 入水
あれ……俺、どうしたんだろう。笑えない。表情が作れない。なんのやる気も起きない……。
置き去りにされてからしばらく気を失っていたみたいだが、俺は目覚めたことを後悔していた。あっちこっちから湧き出てくる心身の痛みによって、今までのことが現実だと改めて思い知らされる。あれが夢だったならどんなによかっただろう。でも夢じゃない。足元に転がる番号が刻まれた札をぼんやりと見やる。これは紛れもない現実だ……。
「……」
もう、いっそ死んでしまおうか。幸いにして俺にはもう大切な人なんて誰もいない。両親には毛嫌いされてるし、故郷にも戻れない。これからも誰も愛せやしないし、愛されることもないだろう……。
「……ヨーク……ラシム……」
きっと……きっと俺が悪かったんだ。俺が言いすぎたんだ。今からでも遅くない。あいつらに謝らないと……。
「……う、あ……?」
俺はそこで我に返る。謝ってどうするんだよ。それで自分の無能が治るのか? 何もかもが元通りになるとでもいうのか……? いや、違う。さらに現実を思い知らされて惨めになるだけなのは明白だ。
「……畜生、畜生……」
涙が込み上げてきて前がまともに見えなくなる。でもそれが今の状況では逆にありがたくて、俺は悲しみの海の中に浸っているかのようだった。もういっそこのまま沈んでしまいたい。深くて遠い、光さえも届かない場所に行きたい。
俺は気付けばふらふらと海のほうに向かっていた。昔、ヨークとラシムを連れて行った海岸沿いが見えてくる。あの頃は楽しかった。砂浜でみんなと遊びながらよく夢を語り合ったっけ。
『僕、いつかカレル兄さんみたいに強くなってダンジョンで活躍するよ!』
『あたしはカレルとヨークを支援できるような人になるからね!』
『ラシムは僕に支援するの忘れそう……』
『そ、そんなわけないよぉ、もー! ……そりゃー、カレルが一番だけどっ!』
『あーあ、妬けるなー』
『おいおい、それくらいでいじけるなって……』
いつの間にか、俺の体は半分以上海水に浸っていた。みんな、そこにいたんだな。もうすぐだ。もうすぐみんなのところへ行ける。あの頃のような幸せの世界へ旅立つことができるんだ……。
「――何をしてるんですか!? それ以上進んだらダメです!」
「……」
幻聴まで聞こえてきた。もうそろそろこの世ともお別れみたいだ。
……ん、なんだ? フワッとした感触が背中を包み込んだ。水の中にいるのに、非現実的すぎる。いよいよか……。
「――……う……?」
目を開けると、どこまでも続くような青空が広がっていた。あれ……? 俺、入水して溺れ死んだはずじゃ……?
「起きたんですね、よかったです……」
「……え?」
重い上体を無理矢理起こすと、俺のすぐ側に透き通るような銀色の翼と控えめな長さの髪が印象的な、ボロを纏った少女がいた。獣人……いや、翼を除けば人間の姿だから亜人か。鳥人間……?
「服を着たまま水の中に入っていくのを見て、寝ぼけてると思ってなんとか助けようと……」
「……余計なことをしないでくれ」
「……ええっ?」
「余計なことをするなって言ってるんだよ!」
「……ど、どうして……」
「俺は……俺は入水して死のうとしてたんだよ! もうこの世に未練なんてないから……」
「……そ、そんな……ごめんなさい……。でも、死ぬなんてそんなの嫌です。お願いですから死なないでください……」
「……」
俺は亜人の少女の縋るような悲しそうな顔を見てはっとした。俺、命がけで助けてくれた子になんてことを言ってるんだ……。
「折角助けてくれたのに、怒鳴ってごめんな……。でも……もうどうしようもないんだ、俺は……。俺にはもう何もないから……」
「私がいます」
「……」
うずくまった俺の耳に届く少女の声はとても小さかったが、跳ねるような力強さがあった。