姉と女友達が自分に内緒で付き合っていた話
クリスマス、私みたいな独り者にはそれほど関係のないイベントだけど、プレゼント替わりにお金がもらえるから聖人様の恩恵にはあやかっている。ま、ほとんどの日本人がそんなもんだろう。
現に食卓を見てみれば、うちみたいなずぼらなほんのり仏教徒でさえチキンにスパゲティとお祭りみたいな食事が並んでいる。やや楽しそうな母親に、いつも通り新聞を読んでいる父に……。
「あれ、姉ちゃんは」
「夕飯までには帰るって言ってたけど、出かけるとも言ってたね。恋人とか?」
冗談めかして言う母に、父は面白くなさそうな顔で新聞をめくっているが、私はちっと舌打ちをして、すぐ心当たった。
姉、高倉梨子と私の友達であるはずの氷川神楽がなんかやたらと仲良くなっている。
神楽とは中学からの腐れ縁だが、高校に入学してから鞍替えしたと言わんばかりの振舞いをしている。姉ちゃんと出かけて姉ちゃんの部屋で遊んで、こないだなんて姉ちゃんの大学に一緒に行ったとか。
私としてはすごく面白くない。姉ちゃんにとって自分が一番だし、教室でぼけっとしてる神楽にとっても私が一番の友達だと思ってたからだ。
まあ、あいつは一人でいても平気そうなやつだったし、私もそれほど孤独が苦にならないタイプだ。先に声をかけに来たのはあいつだったが、ぼんやり一緒にいても仲が深まるような感じではなかったが。
そんなあいつが率先して私の姉ちゃんと仲良くなろうとしてたんだもんな……徹底的に邪魔してやるけど。
「迎えに行ってくる!」
どうせ遊ぶなら三人でいいじゃん、と何度も言っているのだが、奴は聞く耳持たないらしい。姉ちゃんも姉ちゃんだ、妹が可愛くないのか。
十二月二十五日の夜、パジャマに上着を羽織っただけの恰好ではだいぶ凍えるが、駅までそれほど遠くないし、神楽の家も遠くない。方向も同じだから迎えに行くならしばらく歩けばいい。顔見たら文句を延々と言ってやろうと決めたところで、ちょうど二人を発見した。
「このやろ……」
なんて九割でかかっていた声が、冷たい空気と一緒に飲み込んだ。
背丈は、やや神楽の方が高いくらいだけど、首を上向けた姉ちゃんの唇が目をつぶった神楽の唇に押し当てられている。何秒経ったのか、完全に二人の世界で、私は思わず隠れてしまった。
(なっなっ、なんでっ!?)
ちらちらと顔だけ覗かせて二人の様子を見守る。数秒という短いようで長い口づけが終わったかと思えば、二人は言葉は交わさず視線を交えたままで、繋いでいた手を名残惜しそうにゆっくりと絡めていた指の一本一本を外してから、手を振って別れを惜しんでいた。
(ガ……ガ、ガチのやつだ……)
生まれてこの方姉ちゃんのあんな顔は見たことがないし、神楽のあんな顔も見たことがないのであった。
「ということがあったわけ」
「あら、バレたか」
「バレたかじゃねーよテメェなに人の姉ちゃんを……人の姉ちゃんを……たぶらかしてんだぁ!」
二人の逢引きを覗いたことはバレないように隠れて、後日、普段通り神楽を家に呼んで私は早速詰問した。十二月二十六日のことである。
「じゃ改めて、高倉梨子さんとお付き合いさせていただいています。きっと幸せにします」
「うるせーよ! うるせーーーーよ!! うるうるうるうるうるせえええええよっ!」
「いや梨音がうるさいけど」
「私がどんな気持ちで一日過ごしたと思ってんだ! サンタさんだのクリスマスどころじゃねえよ! っていうかそんな大事なこと隠すなよ!!!」
「いや梨音、なんか腹立てると思って……」
「そりゃだって……わかるだろ人の気持ち」
と言いつつ、自分でもまだ整理がついていない点が多々ある。
しかしそれを点にして結ぶにはまだ早い。まだ全く落ち着いてないから全部を怒りにしてこいつにぶつける。
「そもそもお前何考えてるかわからんし!」
きゃあきゃあと押し倒して馬乗りになってほっぺを弄りまくる。叩くのは流石に良くないが、頬をむにる力は優しくない。
「おおうおうおいうーー」
「何言ってるかわからん」
むにる手を放すと、神楽は頬をさすりながら私を見上げる。
「本当に愛してる」
「知るかよそんなこと……」
無駄に良い顔だった。普段からこんなこと言う奴じゃないから、こいつなりにマジな気はするんだけど、相手も女だし。というか私の姉だし、適当で付き合うような人間じゃないだろうし。
だが、そもそも氷川神楽とかいう人間自体、そこまで信用できない気がする。何を考えているかわからんやつなのだ。
いや、そりゃ神楽が誰と付き合おうと、姉ちゃんが誰と付き合おうと、私に口出しする権利はないのかもしれないが、それでも、流石に。
「いつから好きだった?」
「たぶん、一目惚れ。中学の時から気になってた」
「……じゃあ、私のうちに来るのとかって姉ちゃん目当てか?」
「いや? 高校から普通に梨子とだけ遊ぶ時もあるじゃん。梨音と遊ぶ時は……」
「ちょちょちょ待ってなにナチュラルに人の姉を呼び捨ててんの……」
「それは梨子から言ってきたし」
「はぁ~~~~~? いやちょっと待って、休憩タイム」
さては姉ちゃん満更でもないな。と納得しつつ、とりあえず神楽の上は居心地が悪いからどいて元のパソコン前の椅子に座り直す。
結局のところ、二人はいい感じのお付き合いをしている。
というだけの、話。
「よし、わかった。これ以上突っ込むのは無粋だな」
「たぶんね。じゃあ梨音はこれから義妹として見るから……」
「そうはさせんっての!」
結局、またベッドの上でくんずほぐれつ。
女子高生、これでももうすぐ二年生になります。
「っていうことがあったんですよお姉様」
「…………」
そこまで含めてもまとめて梨子姉ちゃんに話してみたけど、案の定気まずそうに目を反らしていた。
妹の友達と恋仲になったのみならず、自分を呼び捨てで呼ばせて、挙句路チューの暴挙! 婦女子にあるまじき行為!
「どうなん? 年下の女の子と付き合っちゃって」
「その、父さんと母さんには内緒に……」
「言えないってそんなこと。でもほら前言ったじゃん私、あいつどうせ下心があるって。下品なやつだって」
「下品って……神楽はそんな人じゃないよ」
「お……あ……姉ちゃん、もう私より神楽に詳しいぶってるのか」
「ぶってるって……、神楽は真面目で優しくて、リードしてくれて」
「もういい! わかったわかった、わかったから気持ち悪いのろけ話はやめて。ただののろけ話ならともかく友達のそういう話はえぐみが凄いから」
「……っ、でも、梨音にも神楽の話……」
「聞きたくないよバーカ!」
とりあえず、腹癒せにまた姉ちゃんの胸を引っ掴んでから部屋を出た。相変わらず、傷は癒えない。
感情が振り切れた、というのが率直な感想だった。
神楽と姉ちゃんが仲良くしてる時、寂しいような置いて行かれたような寂寥感が日々私の中に募っていた。一年近くあった心の隙間のような感覚は、そこに怒りのような感情が埋まることで終わったのだ。
いや、もう、勝手にしろというか、どうでもいいというか、馬鹿馬鹿しいというか、割り込む隙間もないというか。
人の恋路を邪魔する奴はなんとやら、というが、ああいうのには触れる気にもならないのであった。
怒りはやがて醒めるものであった。
新年から時間を共に過ごす二人の一番はお互いになり、彼女らの恋愛というものは存外に上手く行ったらしかった。
それは喜ぶべきことであるのかもしれないが、私の目からは『二人の恋愛はうまくいった』なんて概観して冷静に見れるわけもなく。
例えばそう、二人がどう思っているにせよ、二人は会話している私のことさえ考えず、恋人のことを考えているのではないだろうか、なんて被害妄想めいたことまで考えたりした。
全く持って馬鹿馬鹿しい、ただ恋愛で馬鹿になったのは二人ではなく私のようであった。
それは二年になったある日のことで。
「姉ちゃん」
「なに?」
なに、と問われれば口から出なくなる言葉も、たまりにたまって限界になっていた。なにと言われればなんでもないと答えて終わる。昔、姉ちゃんと仲良くなる前の神楽が、しょっちゅうそんな受け答えしていたのを思い出した。奥ゆかしく姉ちゃんへの感情を隠していたのは、私が呆れて姉ちゃんに直接言えと怒っていたくらいだ、そんなことを思い出した。もしかしたら神楽もそんな風に姉ちゃんへの気持ちをずっと押し隠して、それでついに耐えきれなくなったのかもしれない。
本当は、できれば、なに、なんて素っ気ない言葉じゃなくて、姉ちゃんは何でもわかってるから、安心しなさい、みたいに言ってほしいんだけど、そうしてくれたら助かるし、私が不安がることもないけど。
けれどそれは人間には不可能なのだろうと思った。
人には不可避の恐怖がいくらかある。それは死であったり孤独であったり、勉強してない時のテストであったりするけれど。
「……一緒に寝ていい?」
「どうしたの?」
どうしたの、っていうのはなに、と同義語だ。たった一言、言えばどうにかなる、という言葉が世の中にはある。姉ちゃんはキスのようなものを大したことがないと言いながら、小説ではたったそのワンシーンで劇的に何かが変わると言ってて、私はそんなの馬鹿らしいなんて思ったけれど。
たったの一言なんかで何かが変わるなんて漫画だけだと思っていたけれど。
今の私は確信していた。そんな一言が存在すると。
「……………………さみしくて」
たった一言、言った直後に涙が溢れ出てくる。いやきっと、言うだろうと思っていたから体は泣く準備に入っていたのだろうけど。そして姉ちゃんは私が泣きだしそうな顔をしているのを見て心配していたのだろうけど。
「私、友達がいなくて、孤独が平気なんじゃなかった。姉ちゃんがいてくれたから平気なだけだった。だけど姉ちゃんが、姉ちゃんの一番が神楽になって、神楽もいっぺんにいなくなったみたいで無理になったの! 寂しいから……っ!」
まあ、それだけなんだけど。
孤独で寂しい、だけなんだけど。
たったそれだけのことが私にはどうしようもないほど死ぬほど恥ずかしくて誰かに相談することもできず一番言いたくないような相手に言わなければならないほど切羽詰まった事態にまでなっていて、そしてそれが今弾けた。
姉ちゃんは何も言わず、ただ泣きそうな顔をして私をそっと布団の中に迎えてくれた。
「……一番じゃなくていいから」
「妹でしょ。梨音は我が家で一番だよ」
そんな風に優しくされるとまた涙が出て、姉ちゃんの胸で泣いているうちに、眠っていた。
「ということがあったわけさ」
「……」
そんなことまで、学校でなんとか茶化しながら神楽に話してみた。神楽は少し普段より目が開いているような気がするけど、平常運転っぽい。
「……まあ、その、なんつーか……」
だから姉ちゃんばかりじゃなくて私にも構え、なんて言うと、まさしく自分勝手に人の恋路を邪魔する奴だし、友達だからこそ神楽に心配させたくはないのだが、それでも耐えられなかったという話はどうせ姉ちゃんからも聞かされるだろうし先手を打った。
茫然としているのか眠たがっているのかもわからない神楽は、突然私を抱きしめた。
「おーよしよし、流石カワイイ。私の妹」
「ばっ! ちげーし!」
「だね、親友」
にぃ、と不敵、としか言いようのない笑顔で神楽は笑う。
「梨音は自分で自由にしてるけど他人に甘えるのが下手なんだよ。もうちょっと迷惑かけられる人作った方が良いよ」
「んだよ知った口利いて……」
「ま、腐れ縁ですし」
「やっぱ腹立つな」
頬を掴むのも、むにむにと動かされるのも、神楽は決して抵抗しない。痛いと言ったり嫌がる素振りは見せるけれど。
「……神楽って本当に姉ちゃんと、最後まで行くの?」
「そのつもりだけど」
「……ま、今なら前よりは応援できるかもなー」
「お姉ちゃんが欲しくなったか」
「馬鹿。私の姉ちゃんは一人だよ」
神楽の頬をぽんぽんと叩いて、私の胸にすとんと何かが収まった。
姉ちゃんは一人しかいないけど――まあ、嫉妬するようなことじゃない。
妹の私も一人だから。
なんか長続きしちゃったけど続きはもうないですね