始まりの音
ああ……私は何処で間違えたんだろう……
前世みたいな失敗はしないって誓ってここまでやってきた。
みんなに愛されるために頑張って頑張って頑張って頑張って……
気が付いたら私の周りにいるのは人形だけになった。
私を見てくれるのはもう貴方しかいない。
最早世界のほとんどが私の手中に収まってしまった今になっては、真っすぐに見つめてくるその憎しみの籠った眼すら愛おしい。
だから、躊躇わないでください。この時のためだけに私は貴方を追い詰めたのですから……
「愛してますわ。勇者様」
「地獄に堕ちろ。外道売女」
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「マイちゃん……マイちゃん!!」
友達に肩を揺さぶられてようやく少女は目を覚ました。と言っても寝ていたわけではなく、夢中になっていた状態から正気に戻ったというべきだろうか。
少女の名前は皆坂舞歌。
メガネをかけていることと少し特技を持つことを除けばこれといった特徴もない高校生だ。
彼女が食い入るように見ていた光の花はもう消え去り、微かな煙と静かな海と夜空だけが残されていたのがグラグラする視界の中でかろうじて確認できた。
彼女が揺れ続ける視界を横に向けると今にも泣きそうな顔で少女の肩を揺さぶる何処か小動物的な雰囲気を持つ女の子と、彼女の後ろで密かに笑いをかみ殺す女がいた。
二人の名前は三千院香苗と穂並乙女。なお、小柄でおどおどした雰囲気を纏っている女の子の方が香苗で、すらっとした黒髪ストレートの美人の方が乙女である。
二人は舞歌の親友で、今日は花火大会を前に興奮していた舞歌を心配してついてきていた。
三人共同じデザインの制服を着ているので同じ学校の生徒だとは分かるが、見た目が幼い香苗と歳不相応なほど女性らしい乙女ではそれぞれ真逆の方向性で制服が似合っていなかった。
「ちょっと……やめぇ……もう、分かったから……!?」
「マイちゃん!マイちゃん!!マイちゃん!!!」
「待って……酔うから…!よく、分からな……けど、落ち着い、て……!」
制止の言葉を聞かずに必死に揺さぶり続ける手を振り払って何とか手を摑まえる。
それだけでボロボロと香苗の瞳から涙が流れ落ちた。
「だって……マイちゃんがハシ=ビロコウの呪いにかかってるって!」
「えー?おとちゃんまた?」
愛華の口から出たのはどういう理由でそうなったのかすら分からない突飛な言葉。しかし、少女には心当たりがあったようで直ぐに後ろの方で口元を隠して肩を震わせるもう一人の乙女へと目を向けた。それをみた愛華も目を見開き、舞歌の目線を追って乙女へと目を向けた。
すると、乙女は笑っているのを隠すのをやめて、ニヤリと笑みを浮かべた。
「フフフ……本当に香苗さんは面白いわね。あんな冗談を本気にしちゃうなんて」
「乙女ちゃん!!」
顔を真っ赤にして愛華は飛び掛かるが乙女はそのリアクションが解っていたかのように横にかわす。そして、逃げた乙女にまた香苗が飛び掛かる。
そんなことを数回繰り返した後、香苗は肩で息を切らせて立ち止まりながらも女をじーっとを睨んで威嚇する。そうやっている姿の湊も小動物的な雰囲気に満ちているせいで迫力は全くなく、むしろ可愛らしいと表現されてもおかしくはないほどだった。
そんな二人の様子を見届けてようやく舞歌は乙女の肩を叩く。
「おとちゃん駄目だよ。みなちゃんにそんなこと言うと本気にしちゃうの分かってるでしょ?」
「ごめんなさい。でも、こうも反応が可愛くてついついからかいたくなっちゃう香苗さんにも問題があると思うの」
「私のせい!?」
「確かにかなちゃんは可愛いけど、そんなことばっかりしてるとかなちゃんが拗ねちゃうよ?」
「そういう問題なの!?」
「ふむ……確かにそれは問題だな。これからは少し抑えるように努力するとしよう」
「……二人ともなんなの!私のことなんだと思ってるの!!」
「友達だよ?」「友人だが?」
「舞歌ちゃん、乙女ちゃんごめんなさい!」
少し目に涙を浮かべながら二人に疑いの眼差しを向けていた香苗は、自分が間違っていたと言わんばかりに大げさにリアクションしながら抱き着いた。
しかし、彼女は気付かない。大人びた乙女の方は抱き着かれている間に黒い笑みを浮かべていることに。
隣で同じように抱き着かれている舞歌はそれに気が付いて少し呆れた顔になった後、苦笑い小さくため息を吐く。これは三人の中で今まで何度も繰り返されてきたお約束だ。たとえ注意したところではぐらかされる。それに乙女の吐く嘘は直ぐに訂正されるし、悪質な嘘はつかないようにしていることも知っている。
しばらく香苗を宥めた後、舞歌が香苗を引きはがす。
「じゃあ、帰ろっか。花火大会も終わったし、お母さんに怒られる前に家に着かないと」
「うん! 帰ろ!」
「それもそうね。香苗さん、荷物を忘れないように気を付けてね」
「分かってるよ! もー、あんまり子ども扱いしないでよね?」
文句を言いながらもぱたぱたと荷物の方へと走っていく香苗の後を追うように舞歌も自分の荷物へと近づく。既に自分の荷物を持っていた乙女は二人が走っていくのを静かに眺めていた。
二人が鞄を取って道路の方へと戻ってくると三人は改めて人気のない道路を歩き始める。
海岸沿いの道にはポツポツと立っている電灯が黒いアスファルトを照らすばかりで薄暗く、周りには木が生い茂るばかりで民家もない。車も花火大会が始まって終わるまで音沙汰ない程度の頻度でしか通らない。周囲から発せられる音もほとんどなく、波が防波堤に打ち寄せる音が辺りの静けさを浮き彫りにしているようだった。
そんな何処か不気味な雰囲気に耐えられなかったのだろう。香苗はキョロキョロとせわしなく周りを見回しながら、恐々と二人の後ろを歩いていた。そのことに気が付いた舞歌が手を差し伸べる。しかし、普段とは違って香苗はその手をじーっと見つめるばかりで手を取ろうとしない。
「かなちゃん?」
「あ、うん……その、本当にマイちゃん大丈夫かなって」
「?大丈夫だよ?」
突然体調の心配をされて舞歌はキョトンとした顔で見返した。そんな様子を見て焦れたような顔をする香苗。
そんな二人の様子を見かねたのか大人びた少女が二人の間に割って入る。
「ねぇ……さっきまで花火見てただしょう?その時の舞歌さんの様子……というより雰囲気がいつもと違っていたの。なんか目を離すと何処かへ行ってしまいそうで」
「そうだよ!そうでもなければ私だって騙されないもん!ほんとだよ!!」
弁明しようとした途端二人に生暖かい視線を投げかけられるが、それでも湊は違うと声を張る。
それを見た乙女はやれやれと言わんばかりにため息を吐き、舞歌は困ったような笑顔で答える。流石にここまでわかりやすいと二人が信じてくれてないの理解できるらしく、香苗は少し目に涙を浮かべてもう一度叫んだ。
「違うからね!?」
「心配させてごめんね。少しぐらい話しといたほうが良かったかな」
「どうしてあんな風になったの?」
「実は私は花火が好きなの」
「本当かしら。さっきも言ったように普段の貴方とは何だか違ったのだけど」
「うーん……そういわれてもなぁ……花火綺麗だからしかたないよね」
「そうですか……それならそういう風にしておきましょうか」
「違うからね!!」
「はいはい、香苗さんは怖がりじゃないですよね」
「むー……」
会話を無視して必死に言い張り続ける愛華の頭を乙女が優しく撫でてなだめる。
分かりやすく口をとがらせて不満をしめしてはいるけど、香苗の雰囲気は一気に和らいだ。香苗に尻尾が生えているとしたら全力で振っているだろうことが容易に想像できる程度には分かりやすい。
いつも通りの二人の様子に少し笑いながら舞歌は言葉を探す。彼女にしてみれば当然のようなことだったので改めて何故かといわれてもそういうものだからとしか言いようがなかったからだ。
「そういわれてもなぁ……アイドルのファンっているよね?熱狂的な人なんかはいっぱいお金を使う人もいるじゃん?あれみたいな感じだよ」
「うん、たまにテレビなんかに出てるよね」
「へぇ……つまり、あくまで好きすぎて動くのも忘れちゃったってことかしら?」
「うん、そういうこと。お父さんもお母さんも私が花火してるときは立ったまま気絶してるみたいってよく言ってたし」
「……確かにさっきはそういった風だったわね。そういうことは最初に言ってもらえないかしら。私も何かの風邪じゃないか慌てたのよ?」
「ごめんごめん」
「じゃあ、マイちゃんは病気とかじゃなかったんだね」
「うん。ごめんね、心配させて」
「ううん、マイちゃんが病気じゃなくてよかったよ」
「ある意味病気ともいえるかもしれないわね」
「ええっ!?」
「オトちゃん、蒸し返さないの。早く帰るよ」
舞歌はそんな風に笑いながらまだびくびくとしている香苗に手を差し伸べる。愛華はその手を今度はおっかなびっくりといった風ではあるが手に取り、話すまいと言わんばかりにしっかりと握りしめた。
「ほーら、早く帰らないと怒られるわよ」
「わっ!?ちょっとオトちゃん!?」
そんな二人の様子を見た乙女は笑いながら香苗の背を押す。そんな乙女に咎めるような声を上げるもののあまり抵抗せず、押されながら歩いていく。
打ち寄せる波の音は一定のリズムを刻み。薄暗い道も月の灯りに照らされて明るくなろうとしていた。
三人の周りには片田舎の穏やかな風景が広がり、退屈なくらい平和な人生が続く……
……筈だった
『ギチリ』
突然、人知を超えるような何かの音が辺りに響き渡った。
少女たちの背筋が跳ねる。
自分たちの根底を揺るがすような、その振動だけで体が震えるようなすさまじく大きな音がした。身に覚えも、聞いたことのないその音はまるで途方もなく重くて巨大な扉が無理やりこじ開けられているようでもあった。
「え!?何?」
「ひっ……!?」
「これは……」
彼女たちはその音に対して三者三様の反応を見せる。
女の子は驚いて耳を塞いでしゃがみ込み、少女は背を跳ねさせた後周りを注意深く見回して、女は顔を真っ青に染めながら何やら考え込む
周囲には変わった物はなく、ただ静かな夜の帳が下りた海沿いの道路があるばかり。そのことが聞こえている異音の異常さを際立たせているようでもあった。
そうしている間にも巨大な音は止むことはなく、徐々にその音量を上げながら辺りに鳴り響き続けている。
どうしようもなく現実離れした異音によって、恐慌に呑まれた三人の中で最初に立ち直ったのは先ほどまで舞歌だった。
「アイちゃん!おとちゃん!何かわからないけど逃げないと!」
「……あ、ああ……それもそうだな」
舞歌の呼びかけで乙女の方は何とか持ち直すが、女の子は蹲ったまま目を見開いてうわ言を呟くばかりでなんの反応もない。
友人の異常に気付いた香苗は香苗の体を必死に揺さぶって、声をかけるがそれでも香苗は蹲ったまま動かない。
「かなちゃん!かなちゃん!しっかりして!」
「どうした!?」
「かなちゃんが全然返事しないの!」
そうしている間にも音はますます大きくなっていく。
事態が悪化していることを本能的に感じ取り、舞歌の焦燥はより一層掻き立てられる。
今や声をかけるというより、耳元で叫ぶといった方が舞歌の様子を正しく表していると言えるほど切羽詰まっている。鬼気迫る様子の舞歌を乙女は無理やり引きはがした正面に向き直った。
「おとちゃん離して!あいちゃんが「聞け!愛華を担いで逃げるぞ!」……!うん!」
乙女の手を振り払い、なおも声をかけ続けようとする舞歌に乙女が声を上げる。それで少し冷静さを取り戻した舞歌は目を丸くして一瞬固まり、すぐに彼女がやろうとしていることに考えが及んで頷きながら乙女を追うように行動に移る。
二人は香苗を挟むような位置へと移動するとしゃがんでいる女の子を抱き着くように抱えてその体を持ち上げようとする。しかし、特に好んで運動をするわけでもない二人の女子高生には小柄な女の子の体と言えど十分に重く。また、抱え方のせいでどうしても力が入りづらい。
それでも何とか力を合わせて、足をふらつかせながらも持ち上げたところで状況は大きく変わった。それも、決定的に悪い方向へと。
『バギャリ』
それは致命的な何かがずれてしまった音のようだった。
その音が聞こえると共に二人が手に抱えていたものの重さを感じなくなった。いや、それどころか自らの体の重さすらも感じられない。踏みしめようとした足は力を入れるまでもなく空を切り、先ほどまで自分たちのいた道路の景色が刻一刻と上へと昇っていき視界が黒に染まっていく。妙に時間が長く感じられる中でバクバクと心臓が早鐘を打つかのよう音を立てるのが妙に少女の耳に響いた。
程なくして視界は黒に染まり切り、少女たちは闇の中へと落ちていく。
欠片も理解の及ばない状況のせいで力が緩んでいたのだろう。気付いた時に既に腕の中には香苗はおらず、乙女の姿も見当たらない。それに気づくや否や舞歌はほとんど反射的に二人の名前を読んだ。
「おとちゃん!あいちゃん!」
「きゃぁぁぁぁぁ……」
声を上げようとしても強烈な風にかき消され、もはやどちらが上かもわからない中、遠くの方で乙女の悲鳴が微かに聞こえた。
その声に少女は安堵と悲しみがごちゃ混ぜになったような複雑な気持ちが胸に沸き上がってきた。
かといってもう彼女にはどうしようもなかった。張り上げ続けた声は枯れて喉が痛み、現状を変えようと懸命にもがこうともむなしく空を掻くばかり。一筋の灯りすらも見えない中で少女が思い浮かべるのは今までの日々。それはどんどん進んでいき、最終的に脳裏に浮かび上がったのは先ほど見たばかりの花火だった。
「二人ともごめんね……花火……見に来なければよかったかな……」
掠れた声で残された深い後悔に満ちた呟きは、共にこぼれた一筋の涙と同じように何処にも届かず、少女の意識と同じように闇の中へと飲み込まれた。