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 蓮は予想以上に素晴らしい才能を秘めていた。

 華漣は、毎日自室で剣の稽古を付けて貰ったが、幾ら部屋が広いとはいえ、流石に室内で剣を振り回すのは無理だと悟った。すると蓮は、後ろから襲われた時の対処法だと言って、簡単な武術を教えてくれた。複数の敵に襲われた時の対処法、武器を持っていない時、建物の中、狭い路地裏、天候。時と場合によって無限のパターンがあり、その悉く対処法が異なる。医学のようだと思った。一つ一つ、新しい事を学ぶのは面白くて、間違えても優しく指導してくれる蓮が、この上もなく頼もしく見えた。

 時々、華鳥が剣の稽古にと蓮を連れ出す事もあった。そういう時は決まって、華漣の自室からも見えるようにと、道場ではなく庭の一角で稽古をしてくれる。女性のような体つきをしているかと思っていたら、戦い方も流れるようで、しなやかだった。力で対峙するのではなく、受け止めたかと思えば軽く流して隙を突く。小さい頃から稽古を付けられて腕は立つ方であるのに、華鳥はいつも負けていた。彼も、何故かそれが嬉しそうだった。おそらく、彼にしてみても兄が出来たような感覚だったのだろう。蓮を取り合うように、いつしか側にいる事が当たり前になっていた。

 蓮が華漣の護衛武官になって一週間が過ぎた頃。光輝が、人手が足りないからと厨房に呼ばれて行き、蓮と二人きりになった。

 彼はいつも、華漣が自室にいる時は部屋の片隅に立っていたが、この日は二人きりになった事を良いことに、華漣が椅子に腰を下ろすようにと命令を下した。彼は従順だった。優しい微笑みを浮かべながら、いつでも華漣の言うとおりにしてくれる。それに味を占めてしまった自分に、気付かない振りをしていた。彼は契約に則って素直に命令を聞いているだけだというのに、自分にだけ優しくしてくれるのだと勘違いをしてしまった。従順なる、華漣だけの玩具。決して逆らわない、華漣だけのペット。

「ねえ、蓮」

「はい?」

 蓮は不思議そうに首を傾げ、華漣を見る。真っ直ぐに視線を絡めてくる彼の純粋な目が、華漣の二の句を継がせない。

「いえ・・・蓮の連れの女性、目覚めないわね」

「こればかりは、天のみが知る事ですから。桔医師のお陰で順調に回復しているようですし」

「そう言えば、ね。結局聞くのを忘れていたんだけど」

 蓮は首を反対方向に傾けて微笑む事で、話を聞いていると華漣に示した。華漣は当惑気味に俯き、自分でも何を躊躇っているのか分からないままに時間だけが経過した。それを、蓮は文句一つ言わずに待っていてくれる。

「そう言えば、蓮の連れの女性って結局、蓮の何だったのかなって思っただけよ」

「・・・ああ、その事ですか」

 蓮は突然の華漣の問いに困惑しているようだった。答えは一つしかない筈なのに、答えを渋るという事は、付く嘘を考えているか、余程答えにくいかの二つしかない。

 開け放った窓から風が舞い込み、カーテンを揺らす。思わずクシャミを漏らした華漣の為に、蓮が窓を閉めてくれた。ふわりと舞い上がったカーテンが降りると同時に、蓮の髪も踊るのを止めた。

「姫様の考えておられる通りです」

 華漣は以前、蓮に尋ねた事がある。あの時は肯定しなかったが、確かに今、彼は認めた。彼女は蓮の妻であり、お腹の子供は自分の子である、と。

 不意に、胸に激痛が走った。

「姫様?大丈夫ですか?」

「え、ええ。大丈夫よ。風邪かしら、少し身震いしただけ」

「食事は止めておかれますか?」

 首を振る事で、それを否定する。心配そうに自分を覗き込んで来る蓮。胸の痛みは一瞬だけ、後には早い動悸だけが残った。蓮は華漣の言葉を受けて、ベッド脇の椅子に掛けられていた上着をそっと掛けてくれる。初めは冷たかったのに、直ぐに温かくなった。

「蓮、奥様とはどこでどうやって出会ったの?」

「は?」

 蓮は目を大きく見開く。目を伏せるかと思っていたが、視線を泳がせただけで俯くことはなかった。少し紅潮した頬を隠すようにそっぽを向いてしまう。

「ほら、ここに座ってちゃんとお答えなさい」

「は、はあ・・・奥方様との出会いですね」

「貴方、自分の妻の事、奥方様って言うの?」

 今度は華漣の目が丸くなる。一般人は、そうなのだろうか。

「あ、いえ。つ、妻との出会いですね。ええっと、・・・・何故そんな事をお聞きに?」

「蓮の困った顔が見たいだけよ」

 きっぱりと言い放つと、蓮は本当に戸惑いの表情を浮かべた。蓮との関係は、これが一番面白い。華漣が優位に立って、蓮を困らせて遊ぶ。そう、自分が優位に立つことが大切だ。困った顔をした蓮を見ると、嬉しくなる。頬を紅潮させて時には俯いたり、時には目を反らせたり、自分よりも年上であろう蓮が、子供のように見える時に華漣は自分の立場が上であると痛感する。それでこそ、この玩具で遊べるというものだ。

「妻、とは・・・初めて出会ったのはまだ幼い頃でした。十二、三の頃でしょうか、偶々、知り合いに連れられて行った街で出会いました」

「十二、三で幼いって、貴方今幾つなの?」

「もうすぐ二十二になりますね」

「四つも年上だったの!?」

 これには面食らった。黙っていれば大人びた様相、豊富な知識、おそらく年上だろうとは思っていたが、蓋を開けると性格は純粋そのもの。時折見せる冷たい瞳や無口な一面を除けば、まるで子供だ。下手をすれば同じ年かも、などと期待していたが、四つも年上だったとは意外だった。

「そんなに幼く見えます?」

「そりゃ、直ぐに赤くなったり、都合が悪くなると目を反らしたり・・・」

「以後気をつけてみます」

 蓮は自分の欠点を、まるで他人事のように笑いながら受け入れた。その屈託のない笑顔は、やはり子供以外の何物でもない。

「そ、それで?それから交際を始めたわけ?まさか、一目惚れ?」

「ええ。一目惚れでした。何年も付きまとって、口説いて、八年をかけてやっと手に入れたんですよ」

 ずきん。

 また、心臓が痛い。

「恋というのは不思議なものですね。八年経っても、夢から覚めない」

 蓮は、時々自分事にも関わらず他人事のように話すことがある。心から幸せそうに笑っているのに、どこか寂しそうに見えるのは当の本人である彼の妻が未だに目を覚まさないからだろうか。

「姫様には、お慕いされる方はいらっしゃらないのですか?」

 珍しく蓮が話題を発展させようとしてくれたようだが、内容が宜しくなかった。華漣はあまりの事に戸惑い、慌てた。

「え、わ、わたくし?」

「ええ。私と四つ違いという事は、十八におなりでしょう?もう婚約されている方などいらっしゃるのでは?」

「一般的には、十八の女性ってどうなの?蓮。もう結婚しているものかしら」

「種族によって適齢期は異なりますよ。早い女性は十五、六で子を成しますね。逆に、四十を過ぎても結婚しなくて良い種族とてありますよ。慕う相手が見つかれば結婚するのが通例ですから、親の意志など関係ないのです」

 勿論、例外も多いですけど、と蓮は最後に付け足した。そういう蓮は、二十そこいらで結婚した計算になる。

「蓮はどう思う?自分は、結婚するのは早かった方だと感じる?」

「そうですね・・・恋愛期間が長かったもので早かったとは思いませんが、年齢的には早婚だったのではないでしょうか」

 華漣にはまだ婚約者がない。政略婚を目論む父が幾人も婚約者を用立てたが、その悉くが破談になった。一重に、華漣の努力の賜物である。いずれは父の決めた相手と婚約、そして結婚するものだと覚悟はしているが、どうも気が乗らない。それなりの地位があって、それなりの顔立ちの男なら、華漣に苦労が及ぶことはあるまい。美しく着飾り、人形のように清ました顔でただ座って生活することがこの上ない幸せなのだと信じて疑わなかったが、今でさえ暇を持て余す華漣が、これ以上不自由を強いられる生活に馴染めるとは思えない。唯一の心の安らぎである、弟の華鳥も、信頼できる桔医師にも会うことが叶わなくなくなってしまう。女は結婚するとお付きの女官まで夫の実家に用意される。実家 から同行を許されるのは、護衛武官と側近、華漣で言えば蓮と光輝のみである。だが、これも強く要求した場合であって、一般的には夫が用意するのが普通だ。まして、男の護衛武官は認められないことが多い。高い確率で蓮とも離ればなれになる事になるだろう。

 華漣は、いつの間にか抱えていた頭を持ち上げた。目の前では蓮がのんびりと、緩慢な動作で華漣の為に飲み物を注ぎ足している。目が合うと、彼は愛想良く小さく微笑んだ。それが何故か酷く後ろめたくて、華漣は視線を反らした。

 蓮と離ればなれになるのは当然の事である。

 彼は妻の体調さえ良くなれば、華漣に礼を述べてこの城を去っていくだろう。そして、二度と会うことはない。初めからそのつもりで助けたのであり、見返りを求めない代わりに蓮を護衛武官として働かせている。関わりを持つ理由が、なくなる。

「蓮、貴方、奥方の怪我が完治した後はどうするつもりなの?」

「お許し頂けるならば、早急にお暇しようと思っています」

 意外にも、蓮は初めからそう決めていたとでも言わんばかりに、間髪入れずに返答を寄越した。一瞬足りとも迷うことなく、華漣の護衛武官を捨てて妻との生活を選んだ――そう思った時、無性に腹が立ってきて、気が付くと華漣は立ち上がっていた。

「姫様?」

「貴方、この護衛武官という仕事を分かっているの?」

「ええ、家主及び城の用心、御子息をお守りするために武官の中から選りすぐって選出された者が就くことが出来る職。ですから、私には過分です」

 華漣の二の句が継げないように、蓮は先に自分が相応しくない事を前提にした。これほどの職を捨ててまで去る必要があるのかと言いたかった。武官の誰もが最初に憧れる、護衛武官の職。なれる者はたったの一握りしかいない高給にして名誉ある職を蹴ってまで、華漣の元を離れる必要があるのかと、そう罵りたかった。だけど、そう言われてしまっては職の価値を引き合いに出す事は出来ない。

「・・・・何も、出て行く必要はないのでは?奥方と、この城下町に住む事だって出来るのよ」

「いいえ。私も妻も身分証を持っていません。それを持たない者に戸籍はない」

「再発行の手続きを取れば良いだけでしょう。紛失を申し出れば、手続きはして貰える筈よ」

 蓮は小さく首を振る。

「申し上げた筈です。私だけでなく、妻も名を捨てた身。身分証は、故意に捨てたのです。再発行の手続きを取るつもりはありません」

 こうと決めたら譲らない。決して口を挟めないような、確固たる決意を蓮は持っている。きっと何を言ったところで蓮は意志を曲げないだろう。華漣は、身分と金以外で他人を説得する術を知らない。どう足掻いても、蓮は去っていくだろう。

 蓮が去る。ただ側に控えているだけ、偶にこうして話し相手になってくれるだけの、ただの護衛武官。それなのに、失ってしまう事がこの上なく惜しい。

 どうすれば蓮を止められるのか。

 決まっている。彼の妻が目覚めなければいい。このまま眠り続けていてくれさえすれば、いつまででも契約は更新され、蓮は華漣の側に居続ける。

 華漣はそこまで考えて、大きく頭を振った。流石に、他人の命を左右するような行動まではとる気になれない。仮に、医療知識の全くない華漣が彼女の治療に手を加えたとして、もしも万が一、命を落とすような結果になれば、蓮の信用を失うばかりか結局彼はここを去ってしまう。それも、憎まれて。

 不意に、蓮が立ち上がった。礼を禁じた華漣の命令を忠実に守り、失礼、と一言だけ残して華漣に背を向ける蓮に、また心臓が大きく高鳴った。背中。華漣の側から離れて行く時にだけ、見えるもの。

 離れていく。手を伸ばしても届かない所へ、行ってしまう。

「れ、蓮!!」

 呼び止められた事を不審に思ったのか、蓮は不可解そうに振り返った。小さく首を傾げて、華漣の次の言葉を待っている。

「ど、どこに行くの?」

「はい?いえ、食事の用意が出来たようなので扉を開けようと」

 注意してみると、扉の向こう側には確かに人の気配がある。刹那の後、扉がノックされる。

「ね?」

 優麗に微笑んで見せた蓮の顔を見つめ、華漣は急に物悲しくなったのを認める。今にも失われる、刹那の笑顔。遠い昔、自分で植えた花が開花した時、飽くことなく自分の花が儚く散りゆくのを見守った。長く手を掛けても、一瞬で散ってしまった花に激怒し、二度と花は植えていない。今の複雑な心境は、あの時知った、失われていく事への切なさに似ていた。

「そう、それならいいの」

 華漣はそれに気付かないふりを決め込んで、微笑みを浮かべて見せた。

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