⑤
自分の見たものに確信が持てないでいるうちに、蓮はいつもの優しい目に戻って、光輝に話しかけている。
「これは美味しそうですね」
「何ていう料理か知ってる?」
「ええ、ケマルの肉を煮込んで果物で味付けをしたヒッシュですよね。味付けは、ライチですか?」
光輝が目を丸くした。途端に先程までの棘が消え、馴れ馴れしく蓮に話しかける。彼女は料理の話が出来る相手となると見境がない。狩猟区に住む獣ケマルの肉の柔らかい部位だけを選り分けて煮込み、果物で味付けをした上、四口ほどで食べきれるサイズにカットして盛ったヒッシュという名の料理は、狩猟区に近いこの華家ならではの郷土料理である。お客様がいらした際には必ずと言っていいほどメニューに加えられるが、これを知っているとなるとかなりの料理通だ。
嬉しそうな光輝に、微笑みを絶やすことなく付き合う蓮の表情に曇りはない。先程の冷ややかな目は、きっと華漣の見間違いだろう。華鳥が料理を口に運んだのを見守ってから、華漣もヒッシュにナイフを入れた。親指ほどのサイズに切り分けて、口へ運ぶ。匂いからは分からないが、確かに蓮の言う通りライチの味がした。
「蓮、一つ聞いてもいいかな?」
華鳥がナプキンで口元を押さえながら蓮に問う。彼は食事の手を止め、弟の言葉を待つ体勢に入ってから小さく、どうぞ、と言葉を足した。
「鵡家の反乱で、鵡家主の次男の側室が処刑されたと言ったね。彼女は冰という名の大家から嫁いできた身だと聞くが、冰大家は今、白花の都とまで称される繁栄を極める大家だ。今後、冰大家はどう動くと思う?一人娘を隣国に嫁がせて一年足らずでのこの処刑、見過ごすとは思えないのだが」
「冰大家の家主のお人柄にもよりますが。最も賢い選択をなさる事が出来たなら、報復は避けるでしょう」
「何故?」
「大家だからです。大家は、王都の次に大きな領土を預かるいわば一つの国家。大家同士が争えば、今回の反乱とは比べものにならない程の被害が出ます。それに、大家ともなれば横の繋がりも浅くはなく、応援が入るのは明らか。下手をすれば全土を巻き込んだ戦乱の世になってしまいます。冰大家の家主は、何らかの見返りを要求する程度に、怒りを抑えるべきでしょう」
「だが、今回の場合、反乱の原因を起こしたのはその側室だと聞く。旦那である鵡家次男を刺し、彼の方は今も重体で寝込んでおられるとか」
蓮は伏し目がちに言う。彼が目を伏せると、憂き雰囲気が漂うので華漣はあまり好きではない。それに、美しい瞳が見えなくなってしまう。
「本来、良家の姫は男性に嫁いだ時点で実家との縁は切れる。冰大家の家主様が品性をお持ちで短慮な方でさえなければ、何の見返りも要求せず、ただひっそりと姫君の死を受け入れられるのでしょうね。彼の方のお人柄は、私には分かり兼ねますが」
「だが、素晴らしいことに鵡大家では冰大家への礼を尽くしたそうだ」
「え?」
華漣はヒッシュを平らげ、次に運ばれてきた料理に最初に手を付けた。男の政治の話とは、何故にこんなに長いのであろうか。彼らを待っていたら折角の料理が冷めてしまう。口を挟む余裕もなく、華漣は一人、蓮と華鳥を見比べながら黙々と食を進めた。
「鵡家のご長男が、御自らの首を差し出されたそうだ」
「・・・なっ!?そんな馬鹿な!!」
蓮が身を動かした振動で、皿に乗っていた彼のナイフが音を立てて床に落ちた。場が、一瞬静まりかえる。蒼白な顔をしていた蓮が、ナイフの転がった音で瞬時に我に返った。
「あ、いえ・・・失礼致しました。お話を伺っている限りでは、悪いのは姫君。鵡家を継がれる方が、何故」
「よほど冰家の方々の気が収まらなかったのでしょうね。そうでもしなければ、それこそ戦争になっていたんでしょう。それを危惧したご長男が、先手を取って御自らの命と引き替えに戦争を避けた」
「では、彼の方は遙か遠い、冰という大家でお亡くなりになったと?」
「さあ、そこまでは。おそらくそうなのでしょう」
少し冷めたヒッシュの二口目を漸く口にした華鳥と違い、蓮は青い顔をしたまま手を口元に当て、何やら考え耽っている。
華漣は考えた。蓮のこの異常な取り乱しようは、何かある。もしかすると、鵡家に関係があるのかも知れない。気分が悪そうな蓮を見かねて下がっても良いと声を掛けたが、そんな無礼は出来ないからと、先の笑顔に戻って華鳥と他愛もない武芸の話などをしていたが、華漣には無理をしているようにしか見えなかった。頭の良い男なのだ。頭の中では別の事を考えながら、口先ではしっかりと話題に付いていく。意見を聞かれれば答え、笑いながら少しだけ知識を披露する。博識の彼を華鳥もすっかり気に入ったらしく、また会いに行くと約束まで交わしていた。だが、蓮だけを見ていた華漣には分かる。彼は何か別の事を考えて、しかもその笑顔の向こうに悲痛な苦しみを押し隠している。それはきっ と、鵡家に関係する事に違いない。
その夜、華漣は華家の大臣であるロイを呼び出した。顎髭をたっぷりと蓄え、口を開けばやれ淑やかにしろと口癖のように繰り返す嫌味な男だが、悔しい事に知識だけはこの華家で誰よりも持っている。大きな巨体に脂肪をたっぷりと蓄えた彼が腰を下ろすと、椅子がぎしぎしと鳴いた。
「姫からのご連絡を頂けるとは、些か人並み外れた時間ではありますが、結構なことです。して、何をお知りになりたいというのです?」
光輝が運んできた飲み物を注いでやりながら、問う。
「鵡家の乱について知りたいの。鵡家と言えば、伝統と格式を重んじる、数ある大家の中でも歴史の古い大家だわ。そんな大家に反乱が起こるなんて、今後この華家も気をつけなければならないでしょう?ですから、どうしてそんな事態に陥ったのか、知りたいのよ」
「姫様からそのようなお言葉が聞けるとは、感激の至り。よろしい、お答え致しましょう。鵡家は現在の家主に代替わりしてから税額が増え、民が不信感を募らせていたと聞いております。その頃、繁栄を極めていた隣接する大家、冰家との婚礼話を纏めた。ま、おそらくは金銭的な理由でしょうな。冰家の姫は粗暴で我が儘、婚約はこじつけたものの結婚までの時間が掛かったのは姫の性格に因るのでしょうな、とにかく次男の側室として迎えられたのが丁度一年前の事です」
少し、引っかかりを覚えたのは、自らも政略結婚に利用される身である華漣だからこそに違いない。大家の姫君ともあろう者が、何故側室に迎えられる事を承諾したのだろうか。否、その辺りが結婚が長引いた理由であり、姫の我が儘であったのかも知れない。正室でなければ嫌だという、我が儘。それならば話は通る。
「それから一年、姫の横暴を見限った民が反乱を起こしたのです。城に押しかけ、近隣の村々をも巻き込んだ大反乱となった。その課程で姫は民の手によって処刑台へ、結果、露と消えたという話です」
「鵡家のご長男が亡くなられたと聞いたわ」
「その辺りの詳しい事は分かりませんが、何でも冰家との関係を維持するためだとか」
華鳥が言っていた事と同じだ。特に怪しい所もなく、それが真実だと言われれば、そうなのだろう。そうすると、どういう事になる。
蓮はこの鵡家の反乱と一体どのような関わりがあるのだろう。主な登場人物は、鵡家の家主、長男、次男、その側室と正室。あとは冰家と言ったところか。否、そんな上層部に絡んでいるとは限らない。そう言えば、蓮は料理に詳しかった。鵡家の厨房に勤めていたと考えてみるとどうだろう。反乱に巻き込まれて逃げてきた。だが、それではあの女の辻褄が合わない。いや、彼女が妻であるなら、女が何者であろうとも関係がない。妻を連れて逃げるのは、不思議でも何でもない。
ただの城仕えの官吏。反乱に巻き込まれて大怪我をした妻を連れ、命からがら狩猟区に逃げ込む。シナリオは筋が通っているような気もするが、何となく腑に落ちない。
華漣は思い起こす。蓮は、もっと彼の身分を示すような言葉を口にしなかっただろうか。
「・・・・名を、捨てた」
そう、彼は名を捨てたと言っていた。華漣の頭が過去に例を見ない程活発に稼働する。名を捨てなければならない程、彼はこの鵡の乱に関わっていたとなると。ただの厨房仕えの官吏が名を捨てる必要はない。
この反乱で、今最も怒りを覚えているのは誰か。それを考える必要がある。主体は次男の側室。彼女を打倒する為に起こった反乱軍を、鵡家が押さえ込む。
「・・・?反乱は、何日続いたの?」
「五日ですね」
「それで、その側室の女性が殺されたのは?」
「初日と、聞いていますが?」
それはおかしい。反乱の目的が側室の女性にあったなら、彼女を葬った時点で反乱は終わっても良さそうなものである。それが更に四日も長引いたとなると、反乱軍の視野には側室のみならず、鵡大家そのものも含まれていた事になる。押さえ込まれ、結局鎮圧された。怒っているのは民。
そうなると、蓮が名を捨てたのは民に見つからない為と考えるべきである。民に見つかる事を恐れる身となると、鵡家の人間という事にならないか。
「鵡家の者で、反乱の後にいなくなった者はいないの?」
「死んだ長男と側室を除いて、血縁者は誰も」
誰だ。本人でなくては名を隠す必要などない。側室の側に控えていた護衛武官だったとしても、名を隠す必要はないのだ。隠す以上、民に名を知られる程度に表舞台を歩んでいた事になる。
「・・・・考えたい事があるの。また、明日同じ時間に話を伺っても?」
「かしこまりました」
大臣は嬉しそうに勉学について語り出したが、華漣の耳には全く届いていなかった。