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 華家の家主には二人の子供がいる。

 姉であり長女である華漣は今年で十八になった。弟であり、いずれこの華家を継ぐことになるであろう長男の名は華鳥。二人とも正妻から生まれた、正真正銘、完全に血の繋がった姉弟である。側室に子はなし、所謂お家騒動が起こる原因もない。

 華鳥は決して頭が良い子供ではなかったが、次期当主という自覚を持ち、勉学に勤しむ極めて模範的な子供だった。ない才能を努力で埋めようと、日夜専任の先生方にみっちり扱かれている。それに文句一つ漏らさないあたり、華漣などよりはよっぽど人間が出来ていると思う。彼は今年で十四になった。

「あ、華漣姉様」

 昔はしょっちゅう一緒に居たものだが、彼が真剣に勉学と向き合い始めた頃から華漣も父との折り合いが悪くなり、めっきり会う時間が減っていた。こうした廊下での遭遇が、一週間ぶりに弟と顔を合わしたという事も珍しくない。

「華鳥。元気にやっている?」

「ええ、姉様は最近、怪我人をお助けになったとか。偉いなぁ」

 含むところなく満面の笑顔を向けてくれるこの弟を、華漣は気に入っている。

「華鳥も頑張っているみたいじゃない。どう、剣の腕は上がったかしら?」

「いえ、剣の方は相変わらずです」

 少し照れた顔もまた可愛い。十四にしては背が高く、いつの間にか華漣の身長に追いついてしまったが、まだまだ幼さの残るあどけない顔をしている。あの父から、どうやったらこんな可愛い弟が生まれるのかしらと、よく不思議に思う。母に深く感謝する瞬間である。

「華漣姉様。僕、今から休憩を頂けるんだけど、御一緒にお食事でも如何ですか?」

「いいわね、わたくしもこれから食べるところなのよ」

「偶には華漣姉様のお部屋にお邪魔しても?」

「光輝に準備させるわ。着替えたらすぐにいらっしゃい」

 華鳥は嬉しそうな笑顔で快諾し、直ぐに自室へと戻っていった。する事もなくまた見舞いにでも行こうかと思っていた所だったが、偶には弟との団欒もいい。

「・・・そうだわ、蓮も一緒に誘いましょう」

「はい?」

 料理の準備に向かおうとしていた光輝が振り返る。その訝し気に歪んだ眉根を見ながら、華漣は物怖じすることなく笑顔を送る。

「蓮も連れてきて頂戴ね」

「いいですか、姫様。御自ら下賤の者の元へ御足をお運びになる事こそ百歩譲って我慢して参りましたが、姫様のお部屋に招待するなどとんでもない事です!家主様にばれたら、私達の首が飛びます」

「平気よ、わたくしが守ってあげます。さあ、早く呼んで来て」

 光輝はまだまだ言いたいことがあると言わんばかりに口を大きく開いたが、結局何を言っても無駄だと分かっている彼女は、文句の言葉を飲み込んで蓮の部屋へと渋々歩き出した。頼まれたって光輝を手放すつもりはない。自分の我が儘に付き合ってくれるのは、結局のところ彼女と桔医師しかいない。残りの者は、主命とあらば華漣よりも父をとるだろう。

 華漣は自室で二人の客を待った。光輝が暇だと言わんばかりに華漣が散らかした物を直ぐに片付けてしまうお陰で、急な来訪があっても困らない程度に部屋は綺麗だ。お客様用の飲み物やカップの準備が出来ていないが、その辺りは光輝が上手く取り計らってくれる筈である。華漣はただ円卓の最も上座の席に腰掛けて、待っていればいいのだ。

 真っ赤なクロスの裾を指先で弄んでいると、光輝が戻ってきた。ふて腐れた彼女の後ろから、何故自分が招かれたのか心底分からないと言った顔付きの蓮が姿を見せた。気負っている風ではなく、相変わらず背筋は伸びている。一日で随分病状が落ち着いたらしく、頬に赤みがあった。奥方の無事を確認して心安くあるのかも知れない。

「よく来ました。さあ、どうぞ」

「お招きに預かり、光栄に存じます」

 そう言って、丁寧に頭を下げる。新人の官吏をここまで礼儀正しく育てるのに何年かかるだろう。華漣の姫としての勘が告げる。蓮は、所謂一般人では有り得ない。よほど高名な金持ちの子息か官吏、これで決まりだ。

「弟も来るのよ。悪いけど、一番下座にお願いできる?」

 言われなくとも蓮はそうしたであろうが、とりあえず部屋の主として席を勧める次いでに言葉を足しておく。蓮は光輝を憚り、小さく一礼をした後に颯爽と席に着いた。招かれたからには、おどおどした態度を取って困って見せないあたり潔くて好ましい。

「私が招かれたのには、何か訳があるのでしょうか?」

「あら、疑り深いのね。ただ食事を御一緒したかっただけよ」

「失礼ですが、私のような下賤の者を食事に招いて下さる姫など・・・」

 言葉尻が、萎むように消えていく。居る筈がない、と彼はおそらく言いたかったのであろうが、蓮はその全てを口にしなかった。代わりに何を思ったか、薄く微笑んだ。過去を懐古する遠く優しい目を見るだけで、今彼の頭にあるものが悪しきものではない事は容易に想像付く。

「どうかして?」

「いえ、何でもありません」

 蓮は微笑みだけを残して、それ以上自分が食事に誘われた理由を追及する事を止めた。それが少し不愉快に感じた事は認める。華漣を目の前にして、他の事に思いを馳せられるのが少し勘に障ったに違いない。

「蓮は、今後どうするおつもり?」

 連れが目覚めていないのだから、置いていける筈がない事は分かっていた。

「連れが目覚めるまで彼女をこちらで診て頂きたい」

 媚びへつらうかと思えば、彼は友人に話しかけるようにごく自然にその言葉を紡ぎ出した。是非にと頼み込まれると思っていた華漣は、少なからず面食らった。こちらに意見を問うのでも、判断を委ねるのでもない、だからといって決して上から見下す事のない言葉。そうはっきりと言われては、逆に対応が難しい。断れば、あまりにも誠意に欠ける事になる。

「・・・ええ、それはもう。それで、貴方は?」

「彼女の命を救って頂いた恩を返したいのは山々なのですが、生憎と差し上げる物もなく」

 華漣は困ったようにどう恩を返そうかと真剣に考えている蓮を眺め、我知らず微笑んだ。

「お金が無いなら、体で払うのが通例ではなくて?」

「姫様!!」

 光輝が飛び上がる。自然と口元が緩んでしまう華漣と違い、蓮も困ったように苦笑いを漏らしていた。蓮に関しては、華漣の言葉を言葉の通りには受け取っていないようであったが、光輝はそのままの意味で受け止めてしまったらしい。顔を真っ赤にして肩を振るわせている。

「ひ、ひ、姫様!?」

「光輝の言いたい事は分かるけど、ちょっと黙っておいて頂戴。交渉中なのよ」

「お役に立てるような事があれば良いのですが」

 蓮は肩を竦め、自分に長所たりうる面がない事を示唆する。だが、華漣には彼の長所が見えていた。医療の知識から頭脳はさることながら、戦闘の腕前も少なからず期待できる。全く動けない重傷人を背負い、狩猟区を抜けてきたのだから、むしろこちらの方が確実だと言えるだろう。

「わたくしの剣の師になって頂けません?」

「剣、ですか?」

 蓮は面食らったように目を見開いたが、光輝のように一言目には反対しなかった。

「そう、剣です。心得がおありでない?」

「・・・いえ、ですが姫様にお教えできる程達観している訳では」

「全く心得のないわたくしには丁度良いわ。教えて頂けるなら、貴方のお連れの方の治療も続けますし、貴方もこの城に留まって彼女の様子を見守って頂くことも可能よ。いかが?」

「そんな、剣をお教えするだけで私まで」

「構いません」

 華漣は蓮の言葉を遮って、きっぱりと言い放った。蓮を側に控えさせておくことが出来るなら、剣だろうと武術だろうと何でも良かった。とにかく今、彼を手放すのは惜しい。知れば知るほど深みの出てくる謎めいた青年を、自ら手放すなど馬鹿げている。潤いも楽しみもないこの城での生活。親の与えた婚約者の元に嫁ぐまで、籠の中で如何に暇を潰すか、それだけを考えていれば良い、退屈への抗体を身につける為だけに設けられた時間。十八年の限りを尽くして退屈と戦ってきたが、最早それも限界。新しい玩具がなければこの先の暇は潰せない。

「それで良いと、姫が仰るのなら」

「わたくし、女の供はこの光輝がいますが、男の側近はおりませんの。貴方を任命するわ」

「姫様、家主様にご相談もなく・・・」

「構いません。お父様など放っておけば良いのです。蓮。受けるの、受けないの?」

 蓮は僅かの時間悩んだ後、彼なりの答えを出した。家式に脳を支配された頑なな意見ではなく、柔軟に、華漣にとっても光輝にとっても納得のいく方法を導き出す。

「では、私が自ら家主様にお目通り願い、姫様の側近の地位を頂いて参ります」

「あ、貴方、家主様が貴方のような者にお会いになるとでも!?」

 下賤の者が家主に会う事など許されてはいない。簡単に目通りすると言われて、忠君である光輝が怒るのも分からないではない。だが、蓮は物怖じする事無く、未曾有の無神経で以てにっこりと微笑んで見せた。

「お目通り叶うと思っていますよ。姫様自らお助けになり、姫様のお部屋で食事を頂くような男ですから。きっと家主様は今この瞬間にも、私を呼び出したいと思っていらっしゃるでしょうね」

 苦虫を噛みつぶしたような顔をしたのは光輝である。ぐうの音も出ない彼女を見て、明らかに蓮に軍配が上がったのを確認し、華漣は吹き出した。当の本人はけろっとした顔でにこにこと微笑んでいる。光輝の怒りを静めるかのように、丁度よいところで華鳥が到着した。先程は武術の稽古の後だったのだろう、乱れた格好をしていたものだが、今はきちんと髪に櫛を通し、衿鍔のある青磁色の正装をしている。腰元で緩くベルトを締め、膝までのブーツが足を長く見せた。

「遅れて申し訳ありません、華漣姉様」

「いいのよ。紹介するわね、彼はわたくしの弟。主子様とお呼びなさい。華鳥、こちらはわたくしの護衛も兼ねた側近になる予定の蓮よ。この前助けたの」

「ああ、お噂はかねがね。って、側近になさるおつもりで?」

 華鳥は気さくに蓮に笑いかけながら、空いている席に腰を下ろした。同時に、料理が運び込まれてくる。例にもよって蓮は、華鳥が座った後に自らも着席した。

「そうなの。面白いのよ。華鳥も何か話題を振ってごらん。きっと何でも知っているわよ。頭がいいの」

「華漣姉様にそこまで言わせるとは、中々の猛者でいらっしゃる。そうだなぁ、何か時勢に合った話題はないかな?」

 話題の提供を求められると、蓮は即座に対応した。一呼吸置いて、口を開く。

「おそれながら申し上げます。つい先日、鵡という大家で戦乱が起こったと聞き及んでおります」

 これには間髪入れずに華鳥が応じた。

「ああ、北方の大家・鵡だね。確かに鵡家次男の側室が処刑されるという事件が起こったと聞く。一応、乱は治まったようだけど」

 食事が運ばれてきた。忙しなく動く光輝、しゃべりながら一瞬料理に気を取られた華鳥。だが、華漣は見た。蓮が一瞬、今までにない程冷ややかな目を華鳥に向けたのを。あまりに一瞬の事だったので確信はない。彼は直ぐに目を伏せ、再びその美しい瞳を晒した時には既に穏やかな表情に戻っていた。

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