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 何が起こっているのか、理解するには華漣の脳は幼すぎた。

 迎えの第一声を発する筈の大臣も硬直し、本来ならばフォローをしなければならない華鳥も身を硬くしたまま動かなかった。

 開門とともに姿を見せたのは、兵士達であった。武中家の家紋を縫った旗を高々と掲げ、横一列に並んで行進して来る彼らの後方から、その男は現れた。ただ真っ直ぐに歩いて来るだけなのに、その洗練された身のこなしが彼を主人たらしめる。煌めく金の刺繍でさえも本人の前では霞んでしまう。決して派手ではない控えめな飾りが馴染んでいた。

 幾人もの共を従えた男は紛れもなく、一官吏などではありえなかった。

 だが。

「よ、よよ・・・ようこそ、いらっしゃいました」

 我に返った大臣が声を絞り出す。

 その類い希なる美しさは噂に違わず、本来ならば見とれているであろう場面だ。だが、この華家には彼の美しさに酔う者はいない。誰もが息をのみ、何と言葉を発するべきかを考え倦ねていた。華漣もその中の一人、ぽかんと口を開けたまま男の顔から目を離すことが出来なかった。

 流石に年長組は立ち直りも早かった。家主は誰よりも先に男の前に進み出て、真っ向から彼に向き合った。深々と一礼をして、言葉をかける。

「ようこそお越し下さいました。武中家がご長男主子様とお見受け致します」

 普通は自分の自己紹介が続く筈だが、華漣の父は言葉を切った。相手の反応を伺うように、上目遣いに男を見上げる。その間の長さに、父の次の言葉を待っていた男が口を開く。

「如何にも、私が武中家の第一主子ですが」

「は、はい。失礼致しました。私はこの華家の当主でございます」

 立場上身分の低い父が言葉を選ぶ。目の前の男が本当に武中家の長男なのかと周りの反応を伺ったが、本人の認知と彼の言葉を受けた時の兵士達の当然を装った無表情に、それが真実である事が知らされる。この男は紛れもなく、武中家の血を引く男。

「そちらが、華家の姫君ですか?」

「はい」

 男と、目が合った。心臓が大きく揺れ、意識が遠くなってくる。

「華漣、こちらに来て御挨拶を」

 父に手招きをされ、無意識のままにふらふらと前進する。男の前に立ち、その顔を見上げた。美しい瞳も色の白い肌も髪の色も、何をとっても瓜二つ。見上げた時の角度から身長もおそらく変わらない。ただ、知っている肩よりは少し広い肩幅、短く切りそろえられた髪、女にはとても見えない凄みのある眼を見ていると、彼と結びつけるには短慮だと脳が訴えかけてくる。瞬き一つせず、冷たい瞳で華漣を見返してくる目の前の男に、誰もが尋ねたくて堪らないであろう一言を口にした。気が付くと、口にしていた。

「・・・蓮?」

 男は表情一つ変えずに言う。

「誰です、それは」

 違う。別人だ。それは分かっているつもりなのに、この男は華漣の知る男にあまりにも似ていた。護衛武官の蓮、体格や風貌こそ違えど、この男は蓮に似すぎている。蓮を知る全ての者がそう思っている事は、本当に武の長男かを確かめた父然り、言葉を失っていた大臣然り、今尚硬直している華鳥を見れば日の目を見るよりも明らかだった。

「失礼致しました。華家が長女、華漣でございます。ようこそお越し下さいました」

 華漣は丁寧に頭を下げる。

 違う、この男は蓮ではない。冷たい瞳には蓮のような暖かみはなく、優しさというものが感じられない。ただ、別人だとしてもその存在を全くの無関係とするにはあまりにも早計な気がした。兄弟と考えるのが無難だろう。鵡と武は同じ一族であり、城を継げない弟が同族の元で職に就くというのは十分に考えられる。だが、確か目の前の男には兄弟などいない筈だ。一人っ子だとすると兄弟ではあり得ず、従兄弟の可能性が浮上する。雰囲気や顔立ちの似ている従兄弟は多いと聞く。鵡族の王が治める国での失策の末の逃亡とあらば、同族の元には戻れないのもまた必然、そう考えると辻褄も合う。

 大臣と父が先導し、応接間へと案内される武中家の長男の背中を見ながら、横を歩く華鳥に小声で声を掛ける。

「ねえ、似すぎていると思わない?」

 そう言って視線を送った先では、華鳥が青い顔をして俯いていた。

「どうしたの、体調が悪い?」

「華漣姉様。蓮の正体が分かったよ」

 華漣は表情を明るくした。弟も、同じ可能性に行き着いたのだと、そう思ったからだ。

「私も見当は付いているのよ。あの男の従兄弟か何かだと思わない?」

 しかし華漣の考えとは裏腹に、華鳥は小さく首を振った。神妙な眼を向け、言う。

「双子だ。姉様の婚約者の方の、双子の弟だよ」

 双子。

 その言葉が脳内を駆け巡った時、一つの可能性に行き当たった。蓮が昨日どうして急に双子の話を持ち出してきたのかと甚だ不思議だったが、今日蓮と瓜二つの顔をしたあの男に出会うと知っていた事を考えれば、容易に想像が付く。これ程までに似ているのだから、誰かが蓮の正体に気付くのは必至、その推察を肯定する為に、蓮は敢えて双子の話を華漣に残したのだ。  

 蓮は、こうも言っていた。

 双子は忌み嫌われる傾向にあり、生まれた子供を双子と知られない為に、後から生まれた子供をこっそりと里子に出すのだと。そうして蓮は鵡大家の主子の護衛武官として武中家から離れた地で育てられた。お互いに顔を合わせる事がないよう、離れた土地で。

「でも、同族に育てられたのでは互いに顔を合わせる可能性は高いのじゃなくて?」

「華漣姉様の婚約者の方の母君は、鵡大家主の妹君であられる。つまり、従兄の護衛武官として預けられた事になるんです。我が子を心配する母親なら当然の采配でしょう?それに、大家ともなれば予め約束をして会いに行くのが当然だから、会わせないようにするのはそんなに難しいことじゃない」

 蓮が、中家の息子。

 自分の拾った玩具は、途轍もなく大きな価値を持つ玩具だった。夫になろうとする者の弟という事は、結婚すれば華漣の義弟にもなる。世間は狭いというが、これ程までに狭い人間関係の為す偶然に、感謝と興奮を覚えた事はない。

「嬉しそうに笑っている場合じゃないよ、華漣姉様。これがどういう事か分かっているの?」

「?蓮と姉弟になるという事でしょう?」

 華鳥は溜息を付く。

「それは確かにそうかも知れないけど、双子はそう簡単なものじゃない。武中家の主子はただ一人で兄弟はいないと公式に発表されている。これがどういう事か分かります?蓮は、存在そのものを抹消されているんだ。おそらくは、兄であるあの方でさえ存在を知らない」

 華鳥の示す先には、颯爽と歩く男の姿。

「蓮は自分が双子だって知っているのだろうか」

 弟の呟きに、華漣が即座に反応する。

「知っているわ。間違いない、蓮は気付いてる」

「それなら事は更に重大ですよ。蓮は配慮の出来るヒトだから」

 それ以上言われなくても、分かった。

 華漣に武中家との婚約話が来たとき、蓮の様子が少しおかしかったのを覚えている。自分の兄との婚約が決まれば、彼がこの華家を訪問するのは必至。蓮は、別々に育てられた双子は、互いの存在を知らないものだと言っていた。それはおそらく、兄が自分の存在を知らない事を仄めかした言葉。だとすれば、自らの存在が武中家にとって害になる事を知っている蓮が、城内で対面する可能性がある危険を考慮していない筈がない。

 それ、即ち。

「華漣姉様、早くお席に」

 華鳥の声に我に返る。見ると、婚約者が椅子を引いて華漣が来るのを待っていた。慌てて自らの席に向かい、一礼をして腰を下ろす。その向かいに、男が座る。

 双子だと意識して見ると、先程よりも更に蓮に似ているような気がしてきた。ただの無表情でも、蓮の方が優しく見えるのはやはり目元のせいだろう。婚約者は、笑うこと自体を知らないような冷たい目をして父と話している。表情が読めない。

 愛想笑いを浮かべながら飲み物に手を運んだ男が目を伏せた時が、一番蓮に似ていると感じた瞬間であった。冷たい瞳が見えなければ、頗る似ている。一瞬ときめいてしまった事にも否定はしない。

 華漣はそっと辺りを覗った。側に控えている筈の光輝の姿がない。見知らぬ女官が背後に控えているものの、今この場には光輝がいて然るべきだというのに、用を申しつけた覚えのない彼女の不在。言いしれぬ不安の波が、高く弧を描きながら胸の中で荒れた。

「先の鵡の乱ではこちらにもご迷惑を掛けたそうで、同族がご面倒をおかけしました」

「とんでもない。大事に至らず、何よりです」

 大臣が声高らかに笑っているが、それは上の者達に限った事で全体的に見ると被害は尋常ではなかった筈だ。十分大事に至っていると華漣などは思うが、当然口にはしない。

 ふと弟に視線を送ってみると、華鳥は先程と同様に青い顔をして華漣を見ていた。視線が、絡み合う。何が言いたいのか理解しかねるが、華漣と後方に控えている女官を交互に見比べているところから察するに、彼もこの場に控えている筈の女官が入れ替わっている事に不審を抱いているのだろう。

 控えに蓮を当てようと言った時、光輝は確かに自分が付くと言っていた。つまり、光輝も今この場にいるつもりでいたことになる。その光輝がこの場にいない理由を察する事は易い。華漣以外の誰かが光輝に命令を下したのだ。そしてその誰かは、華鳥でもない。

 華漣は上座で、娘の婿と話す父を見た。光輝が華漣の命令よりも優先する人物と言えば、父しかいない。大臣のロイや華鳥とて、華漣のお付き女官である光輝を自由に動かす権限はない。父は何故、光輝を追い出して顔もよく覚えていない女官を控えさせたのだろう。しかも、彼が心から待ち望み、失敗の許されない筈の娘の婚約者訪問の日に。

 彼の表情から推察するに、華鳥は理由を察知しているのかも知れない。

「華漣姫は、何かご趣味でも?」

 不意に話を振られ、華漣が視点を武の主子で止める。照準が合ってくると同時に、質問の意味を頭が理解し始めた。

「そうですね」

 華漣は考える。ダンスも手習いも一通りは教え込まれているが、趣味とは言えない。外に憧れ焦がれた華漣にとって、城内で趣味など持てる筈もなかった。

「主子様は何か、ご趣味がおありなのですか?」

 考える時間を作ろうと、質問を投げ返してみる。この未来の夫の趣味を聞いておきたかったというのも、一つの理由だ。

「私は乗馬などを」

 単純で、短い返答。それ以上何も答える気がないと言わんばかりに口を噤んだ男に、華漣は仕方が無く在り来たりの返事をする。

「左様ですか。わたくしは生憎嗜んだ事がありませんもので」

「そうでしょうね。普通の姫君は乗馬などなさらない」

 男が、何かを思い出したように小さく笑んだ。嫌味な笑みではなく、懐古に浸る優しい微笑みに、その出来事が良い思い出である事を知る。

「どうかなさいました?」

 華漣は尋ねる。この無表情な男が、これ程までに優しく微笑む理由を是非にも知りたかった。その笑顔が蓮に似ていて、少し胸が高鳴る。

「いえ。昔、乗馬を嗜む姫君に出会った事があるもので」

「乗馬を?」

 羨ましい、とは口にしなかった。目の前の男が、それを柔軟な頭で良いように捉えているのか、蔑みの意味を孕んでいるのかが判断できない限り、安易な事は言わぬが良い。

「ええ。それは見事な腕前で、お恥ずかしながら一度試合って負けた事があるのです。それから、乗馬の練習が日課となり、いつしか趣味に」

「主子様より腕の立つ姫君がいようとは、何とも破天荒な姫君ですな」

 ロイ大臣がかっ、かっ、と高らかに笑う。

「全ての者を虜にする力を持つ姫君でした」

 男は恥ずかし気もなくそう言った。この男は、その姫君のことを密かに想っていたのだと、直感的にそう思った。

 全ての者を虜にする姫君。

 どこかで聞いたことがある台詞だと、華漣は不意に思った。小さく首を傾げ、反芻する。

――彼女には、ヒトを引きつける魅力があります。

 華漣は目を見開く。そう、確かにそう言った。

――私に限らず、彼女と触れあった者は誰もが彼女の魅力に包まれ、幸せになれる。

 頭の中を、蓮の幸せそうな笑顔と女の顔が駆け巡る。あの時はただ静かに眠っていた女性を目の前にして、自らの妻を目の前にして蓮は、確かにそう言った。

 ヒトを虜にする女。

「あの、その方は?」

 武の主子は視線を反らす。言いたくないらしく、咳払いで話を誤魔化そうとする男に食い下がる。

「もしや、黄銅のウェーブがかった髪をした、美しい女性では?」

 華鳥が、父が、何を言うのかと言わんばかりの不審を露わにした表情を作った。他の者は小さく首を傾げてみせたが、武の主子は違った。泳がせていた視線を止め、大きく目を見開いたまま、ゆっくりと華漣を見た。驚愕を孕んだ表情で、瞬き一つせずに華漣を見ているその顔は、答えるまでもなく肯定を示している。

 あの、女。

 蓮の妻を名乗った、あの女だ。間違いない。

 晴れやかな笑顔、品のある出で立ち、流れるような身のこなしと教養ある話し方。美しい容姿、思わず手を差し伸べたくなるような華奢な身体を持った、あの女。

 華漣は血の気が引いていくのを感じていた。

 目の前の男の大きく見開かれた瞳が華漣を責めているようで、背筋がすうっと寒くなる。間違いなく、あの女の事を言っている。これはどういう事か。

 蓮は、鵡大家次男主子の護衛武官だった。目の前の男は、鵡大家次男主子の従弟。二人に繋がっていく姫君と言えば、ただの一人しかいない。

 鵡大家次男主子の妻。

 正室を迎え入れる前に次男主子の寵愛を受けていた、鵡の乱を引き起こす要因となった側室。それが、彼女の正体。

 華鳥と話し合った事は間違いではなかった。最悪の事態は、こうして現実に起こり得る。

 あの女は鵡の乱を起こした張本人でありながら、夫の護衛武官に助けられて命からがら逃げ遂せた罪人。そりゃあ怪我もしているだろう。狩猟区をこそこそと逃げなければならないだろう。罪人なのだ。

 目眩がする。罪人を助けた事を言及される恐怖、それに対する制裁への畏れもさる事ながら、華漣の心にはどす黒い感情が渦を巻き始めていた。

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