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19-2

 華家の現当主は、華漣に言わせれば無口で何を考えているのか分からないただの親爺だが、世間的評価は高い。趣味の悪い監獄に似せて城を改築した先代の家主に成り代わり、造形に力を入れて城下町を発展させてきた。生憎と予算の関係で城の更なる改築にまでは手が及ばないが、それを除けば近隣で一、二位を争う程の観光名所として名を馳せている。これらは全て家主である彼の功績と言える。

 娘の教育には難儀していると専らの噂であったが、その娘にもとうとう最高の婿を用意した。この国では上位を争う古い伝統と格式を持つ鵡族縁の主子を射止めたとあって、家主の評判は鰻登りだ。

 そんな華家の家主は、最近娘に護衛武官を付けた。それも、男の護衛武官である。本来ならば認めるべきではないが、直接面接をしてそれを快諾したというから、官吏達は一目家主のお眼鏡に叶った男を見ようと機会を伺っていた。謹慎中の長女の護衛というだけあって滅多に姿を見せることもなく、官吏達をやきもきさせたものだが、つい一週間ほど前から頻繁に城下町へと下りていくようになった。そこにきて、漸く彼らは蓮と呼ばれる護衛武官に出会う事になる。その容姿と身のこなしから、良からぬ噂も当然たった。華漣姫の意中の男は、蓮であるに違いない、と。もともと華漣はあまり人を寄せ付けない姫であった為、拾ってきた男を護衛にしたというだけで想像するには易かった。

 その蓮が、今日は姫の側を離れて一人で階段を下りてきた。不審に思った官達の視線を集めつつ、彼は家主の執務室の前で歩を止め、扉を三度ほど叩いた。返答の後に扉の中に消えていく。単身で家主に目通り叶う身分を手に入れた男を、ある者は妬ましく、ある者は尊敬の眼差しで以て見ていた。

「よく来た、掛けたまえ」

 蓮は一礼をして薦められた席に腰を下ろした。家主の執務室というものは本来名ばかりのものである事が多いが、ここの家主は仕事に余念がないらしく、机には書類が散乱していた。名うての大臣の部屋を見ているようで、余計な物が一切無い。自室ではない事もあり、箪笥類の家具もなく、書類を整理する為の棚が並んでいる程度である。家主の護衛武官が窓際に立っているのを尻目に、蓮は真っ直ぐに家主と向き合った。

「奥方の容態は如何だね」

「お陰様で、順調なる回復をみているようでございます」

「それは結構。ところで今日君を呼んだのは他でもない。約束の情報を聞かせて貰おうか」

 書類を置き、鋭い眼光を蓮に向ける。そんな家主と、蓮はある約束をした。それは蓮の意識が戻った初日の事、華漣の護衛武官の座を得る為に家主の説得に向かい、その場である条件を提示された。それをこなす事を約束し、見事にその座を得たのである。切れ者の家主が、身分証も持たない見知らぬ男を簡単に護衛武官に任命する筈がない。

 蓮は、メアリの怪我を直して貰う為に必至だった。直る目処が立つまではせめて、何をしてでもこの城に留まりたかったのだ。その為の契約。

「ご報告致します」

 蓮は契約を交わしたその日から、華漣の護衛の任が解放されると直ぐに城を抜け出していた。目的はただ一つ、家主と交わした契約を実行する為である。明るいうちは姫の護衛、暗くなると諜報活動。お陰でこの城に来てからあまり寝ていない。だが元々似たような仕事をしていた彼にとって、睡眠時間が短い事は苦にはならなかった。

「確かに家主様の御察しの通り、界隈で奴隷売買が行われた形跡があります」

「やはりそうか。国王が奴隷制度を廃止して久しいというのに、愚かな」

「この華家領土内では確認できておりませんが、隣家では確認をとりました」

「この短期間で、一体どれだけの件数を確認した?」

「七件です。売られてきた奴隷の身元は不明、買い手も上手く隠しているようですが大抵が商人か官吏ですね。あと、城を調べていて気になった事があります」

「申せ」

 家主は肘をついて組んだ両手に顎を乗せ、じっと蓮を見ている。

「鵡の乱の影響か、傭兵を雇う城が急激に増えました。一城の持てる兵士の数は制限されていますが、おそらくは定員を超えているものと思われます」

「戦争になった時の事を考えているのだろう。先の鵡の乱では我が城も多くの兵士を失った。兵士が国によって補強されるまでの間を繋ぐためでもあろうな。ところで、奴隷の売人はどんな者達なのだ?」

「誰もが身分証のない闇の売人かと思われます。一定の居住地を持たず、各地を転々としながら商売をしているようで足取りを掴みきれませんでしたが、それを束ねている者がいるようです。彼らが何者にせよ、かなり大掛かりな組織です」

 家主は唸る。彼の心中を、蓮が言葉にした。

「思っているより、事態は深刻ですよ。いずれ国をも騒がせる事態へと発展するやも」

「こんな短期でよく調べた。売人の正体をも探れと命じたいところだが、別れの時が来たようだ。暇を願ったのは、明日だったな?」

 蓮は小さく頷く。

「こちらとしても華漣の婚約者にはお前の存在を知られたくはない。男の護衛武官を付けていた事実は隠させて貰うつもりだ。婚約者殿が来られる前に、裏門から退出せよ」

「そのように致します。妻に代わり、深く御礼申し上げます。お世話になりました」

 深々と頭を下げた蓮に、家主は実に淡々と最後の言葉を掛けた。

「明日は挨拶に来る必要はない。華漣にばれぬようにいつも通りに振る舞い、静かに去ってこの城で過ごした事は忘れろ。誰の手当もしていないし、華漣には護衛武官などいなかった。意味が分かるな?」

「はい」

「恩を感じる事はない。私もお前達の事は忘れる」

 蓮は深々ともう一度頭を下げ、退出した。自分の存在は抹消される。蓮の今の立場からすると願ってもない事だが、自分が生きた事を否定されているようで少し淋しくもあった。嫁ぎ先から舅によって存在を消されたメアリの事を思うと、いたたまれなくなる。

 蓮は階段を上る。華漣の護衛の任も明日で終わり、この華家での全てが終わる。そう考えると今までの疲れが一挙に押し寄せてきた。肩が重く、手足が怠い。鵡大家を離れてから緊張し続けていた身が、限界だと訴えかけてくる。だが、蓮に休息の暇はない。

 その足でメアリの部屋を訪ねた。彼女は相変わらずベッドに腰を下ろした状態で蓮を迎えたが、一つだけ違っていたのは天蓋を外していた事だ。部屋に入った瞬間から彼女の表情がよく見えた。

「とうとう明日ね、蓮。お姫様にお別れはして来たの?」

「まだ明日も会いますから。姫のご容態は如何ですか?」

「痛いと言っても始まらないわ。まだ上手く歩けないと思うから、肩を貸して頂戴ね」

 血色も良く、大分彼女も落ち着いた。背と足以外の些細な傷は癒え、服を着ていれば大きな怪我をしたようには見えない。城に拾われた事は、彼女にとってはこの上ない幸運であっただろう。精の付く食事に腕の良い医師、清潔な部屋を提供してくれ、世話をしてくれる女官までいたこの環境が彼女をここまで回復させたと言っていい。どれだけ感謝をしてもしたり無いくらいだ。

「予定通り、取り敢えず狩猟区に逃げ込みましょう。なにを成すにせよ、怪我が治ってからという事で宜しいですよね?」

「無茶は言わないわ。折角助かった命ですものね」

 彼女の怪我が完全に治るまでは、狩猟区でひっそりと身を潜め、それでも獣と対峙しなければならない。危険な区域にさえ行かなければ、人間よりは安全な存在である。

「ライ様のお怪我も、順調に回復しているそうですよ。つい先日まで意識も戻らなかったそうですが」

「お義父様がそう易々とライを見殺しにする筈がないものね」

「鵡大家には大官長様のご指導が入ったとか。ご安心下さい」

 メアリは薄く笑った。

「嫌だわ、蓮。そんなに鵡大家の事を気にしているように見える?」

「いいえ。ですが、姫は気になさっていると思いまして」

 メアリ姫は空を仰ぐ。闇に浮かぶ天上には何もない。

「ありがとう、蓮。思えば不思議なものね。貴方はライの側に控えていつも私を見てくれていたから、私の事をさぞ良く知っているのでしょうけど、私は貴方の事を何も知らないわ。あまり言葉も交わしたことがなかったのに、今はこうして一番頼りにしてる。不思議ね」

「勿体ないお言葉です」

 この姫が、どれだけ幸せに暮らしてきたかを蓮は知っている。冰大家で両親と殊更二人の兄に愛され、慈しまれ、闇を知らない真っ直ぐな心のままで笑顔を絶やすことなく生きてきた。恵まれた環境にあって姫らしく、それでいて破天荒な性格で人々を振り回して虜にし、鵡大家も彼女という嵐に召され、笑顔のある大家になった。その変化を鵡家主はお気に召さなかったが、蓮は良い変化だと思っていた。なにより、主であるライが、メアリ姫が来たその日から毎日楽しそうに笑って過ごしていたから。それだけで良かったというのに。

 人間の人生とは分からないものだ。

「もう休んで、蓮。貴方にも休息は必要よ。今日だけでも、ゆっくり休んで頂戴」

「・・・では、お言葉に甘えて」

 疲れた顔をしていただろうか。本当に疲れていたので、蓮は言葉を受け入れて直ぐに退出した。柔らかなベッドに身を沈めると、すぐに睡魔に襲われる。一日の平均睡眠時間三時間というハードな生活を送ってきた蓮はこの日、死んだように十時間の眠りに墜ちた。


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