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華家は、幾つかの村を束ね統治する、一城を有する小家である。
国は王を筆頭に、家主と呼ばれる城を持つ城主達が分割された領土を統治していた。村を束ねるのが小家、小家を幾つか監視しているのが中家、複数の中家を統治しているのが大家、その全てを統べるのが王都を治める国王である。
華家は家主の中では最も力ない小家を名乗る、所謂小国であった。それでも、国に帰属する公認の城である事には変わりなく、国のために日夜政務に努めている。華漣はその華家の長女であった。兄弟は弟が一人だけ、彼がこの華家を継ぐことになる。
華家の城は変わっている。凹凸一つ無い直方体型をしており、窓が一直線に並んでいる。平坦な造りの上に色がくすんだ裏葉柳色。監獄城と囁かれるのも無理はなかった。
その城のイメージを少しでも払拭したいが為に、華家では造形に力を入れていた。木を植え、花を生け、噴水を設置し、とにかく自然の美を追求した。結果、城下町だけを見れば、美しい並木道で有名になる程、手入れの行き届いた清潔感溢れる街になった。今時憩いの場と称して、何もない野原を幾つも所有し、手入れに費用をかけている街などそうそうあるまい。ただ、これが街の者達の誇りであることに変わりはない。
華漣の部屋は六階建ての監獄城の一番上階の右奥、万が一の進入者に備えて、最も入り口から遠い部屋を宛がわれた。逃げ遅れるという欠点がある気がするが、窓から眺める景色が気に入っているので文句はない。幸い、攻め込まれるような謂われもない。
「ねえ、光輝。例のわたくしが助けた二人はどうなりまして?」
先の一件以来、城から出して貰えない華漣は、ぼんやりと外を眺めながら付き人の光輝に声を掛けた。花を生け替えていた彼女は、作業を止めて華漣に向き直る。
「男性は順調に回復に向かっていると聞いておりますが、女性はまだ予断を許さぬ状況にあると」
「見舞いに行くわ。お前も付いておいで」
「姫、彼らは身分証を持っていません。本来特赦もなく彼らを国には入れられないものを、城にまであげて介抱などと、ばれたら華家存亡の危機になりかねません」
「もうあげてしまったものを、今更とやかく言わないでちょうだい。身分証がないなら、作ればいいでしょう。誰か適当に獣でも狩って、傭兵の身分証をとってらっしゃい」
本来、狩猟区から国に入るには、身分証がいる。それを持たない者を勝手に国に入れることは、重大な違反行為となる。
中家の家主ともなると、特赦という形で入国許可をおろすことが出来るのだが、華家は小家だ。家主でもその権限はない。
その他の方法としては、獣を狩って、その首と引き換えに傭兵の身分証を取得する他ないが、怪我人の彼らに、獣を狩る力があるはずもない。
「こう申し上げては失礼ですが、女性は奴隷だと伺っております。そこまで姫が手を尽くす必要も、姫が足をお運びになる事もないかと」
「奴隷ですって?奴隷制度は、現国王様が王位に就かれた際に廃止になったはずでしょう?」
「ですが、背に奴隷烙印が」
「もうよい。先に男の方を見舞います。お前は来なくてもいいわよ」
華漣は光輝を置き去りに、さっさと自室を後にした。だが、渋々であれ、彼女が自分の後を付いてくる事は分かっていた。案の定、閉めた筈の扉が再び開き、光輝が部屋を出てきたのが気配で分かる。
敢えて確かめる事もなく、華漣はさっさと自らが助けた男の部屋に向かった。一般人が城の最上階などに通される事など、万に一つも有り得ない話であるが、狩猟区で拾った男女はそれぞれ六階に一室設けられていた。
華漣がたびたび見舞うので、あまり城内を彷徨かせない為にと父が彼らを六階に移したのだ。余程この前の脱走劇は父親の堪忍袋を刺激してしまったようである。
無駄に何人もの兵士が見張りに立つ廊下を颯爽と歩き抜け、同階の中央右手、華漣の部屋から数えて五つ先の部屋をノックすることなく押し開く。
中では、華漣お付きの医者が彼を診察している最中であった。男の服の胸元がはだけているのを見て、慌てて視線を反らす。
「・・・失礼、お邪魔だったかしら」
「これは姫。とんでもない」
主治医は直ぐに席を立ち、華漣に譲ってくれた。天蓋をめくり上げると、助けた男の顔が視界に飛び込んでくる。
泥を拭き取った時の男の顔を見た時は、あまりの事に声が出なかった。女性と見間違う程の均整取れた優しい顔に華奢な身体、一瞬背負われていた方の女性かと勘違いをした程だ。その美しい寝顔に、今日も目を奪われる。
「それで、調子はどう?」
「こちらの方は疲労と衰弱が原因ですね。あちらこちら骨折しているようですが、近いうちに目を覚ますでしょう。問題はお連れの女性ですな。酷い怪我だ」
「獣に襲われたものですの?」
「いえ・・・鞭と焼き鏝の跡が」
「奴隷。こちらの男性は?」
主治医は小さく頭を振ることでそれを否定した。華漣は考える。女の方も何度か見舞いに行ったが、この男同様、一般人とは思えないほど美しい顔立ちをしていた。
美しい二人の男女、しかも片方は奴隷。否、奴隷制度が廃止された今となっては奴隷上がりと言った方が正しいだろうか、どちらにせよ奇妙な組み合わせだ。狩猟区から出てきた事を考えても、訳ありに違いない。人の住むことが出来ない獣蔓延る森林帯、狩猟区。そこに生きる人間は国を追われた者と相場は決まっている。
身体検査を行っては見たが、身分の分かりそうな物は持っていなかった。唯一判断できたのは、女性の着ていた服だ。服は原型を留めていない程破れ、男物の上着を羽織っていたが、一番中に着ていた布地は明らかに上質な、一般人が易々と着られるような代物ではなかった。大商人のご令嬢という可能性もあるが、もしかすると華漣と似たような身分であった可能性もある。
何にせよ、怪しい二人組だと言うわけだ。中々面白い拾いものをした。つまらない城での生活が、少しでも面白みのあるものになればそれでいい。
早く目覚めたらいいのに。我知れず、華漣の口元に笑みが漏れた。
男が目覚めたのは、彼らを拾ってから二日後の早朝だった。
光輝の報告を受けて、華漣は意気揚々と男の部屋を訪れた。婚姻前の姫君が見知らぬ男の部屋を訪ねるとは大きな問題だが、そんな事は華漣の知った事ではない。
青緑色の絨毯の上を滑るように歩いて、燭台に灯ったままの火を横目に見ながら、五つ先の部屋の前で足を止める。
男が起きている事を配慮し、一応今回はノックをした。前回のように胸元でもはだけていようものなら居心地が悪い。中から聞き覚えのある返答があり、主治医もいる事を察知する。光輝が開けた扉を先に抜け、華漣は目を見開いた。
男は上体を起こした格好でベッドの上に座っていた。凭れる事なく正した姿勢に苦はなく、ぴんと伸ばされた背筋に違和感がない。常に姿勢正しくある証拠。男は少し疲れたような顔をしていたが、華漣を見て直ぐに立ち上がろうとした。それを片手で制する。
「怪我人は怪我人らしく寝ていらっしゃれば結構よ。それで、お加減はいかが?」
主治医が男の耳に口を寄せて、何事かを告げた。おそらく華漣の身分を男に伝えたのだろう、彼は座ったままとはいえ、非常に美しい礼をした。
「この度は、危ないところを助けて頂いたそうで、感謝の言葉もございません」
想像通りの、やや高めの声。低音過ぎず高音過ぎず、耳障りが良い。
それにしても。寝顔を見た瞬間から分かっていた事だが、男は大層美しかった。化粧を施し、体型の目立たないドレスでも宛がえばさぞ美しい姫君になるのであろうが、だからと言って女性らしいわけでもなく、憂いを帯びた瞳に男の色気を感じた。そう、見ようによって男にも女にも見える、そんな中性的な印象を受けた。
華漣は、光輝と主治医を下がらせた。目で合図を送っただけで、彼らはそれを理解するだけの気配りが出来る。二人とも、華漣との付き合いは長い。男と二人きりになるのを憚ってか、光輝が不満そうな視線を投げて寄越したが、軽く流した。彼らと見張りの兵士さえ黙っていれば、父親にこの事実が伝わる事はない。
二人が渋々退散したのを確かめ、華漣はベッド脇の椅子に腰を下ろした。
「わたくしの事は御存知?」
「華家の御長女であらせられると伺いました」
伏し目がちに言う男の髪が、水のように軽やかに流れた。顔を隠してしまう髪を掻き上げると、男は狼狽気味に身を引いた。
「貴方はわたくしが拾ったのです。ここにいる間はわたくしのものよ」
「と、仰いますと?」
小首を傾げながら不思議そうにこちらを見ている男に、微笑みを返す。
「貴方、名前は?」
「お好きに呼んで下されば結構です」
「あら、何故?」
「名は捨てて参りましたので」
何やら事情があるようだが、最初からあまり不快な思いをさせるのも機嫌を損ねてはいけないと思い、華漣はそれ以上の追求を止めた。この男には、暫く華漣の遊び相手になってもらわなければ困る。
「よろしい。では、蓮と呼びましょう」
「れん?」
「ええ。わたくしの名前の一部をとったの。それで、蓮。身体の調子はもういいのね?」
男、蓮は小さく頷く。どうもその表情が浮かない事が、気にくわない。傷を癒し、過分すぎる程の部屋を与え、こうして華漣自ら面会しているというのに笑顔一つ溢さない。
「どうしたの、名が気に入らなかったのかしら?」
「いいえ、とんでもございません。有り難く頂戴致します」
「それならば何。言ってご覧なさい」
蓮は暫く視線を泳がせていたが、直ぐに意を決したように顔を上げた。真っ直ぐにこちらを射抜く視線に、少したじろぐ。
「お言葉に甘えて申し上げます。あの、私の連れに会わせて下さい」
「連れ?ああ、あの女性ね。どういう関係なの?」
蓮は黙り込む。これ以上ない程怪しさを振りまいておきながら、今更隠す事もないと華漣などは思うのだが、体調もまだ優れぬ者を詰問するのも後味が悪い。
「あの方、随分と酷い怪我をされていたわね。まだ意識が戻っていないわよ」
「ええ、先程のお医者様から伺いました」
「そりゃ、会わさない理由はないけれど。病状はお聞きになって?」
蓮は小さく首を横に振った。
「では、貴方の連れを診ている医者も同行させましょう。と言っても、先程の医者だけれど」
「有り難うございます」
華漣は目を見開く。礼を述べた男は、安堵からか、そこで初めて笑顔を見せた。
その顔は、男でも女でもない、母親を見付けた時の子供の笑顔に似ていた。