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16-2

 華漣どころか、華鳥、家主と華族全員の信任厚い蓮は、比較的自由に城内を歩く権限がある。護衛武官という任を終えた蓮が夜分に妻の部屋を訪れようと、誰も文句は言わない。客人としては破格の扱いである事を、城に長年仕えてきた蓮は知っている。

 大切な姫君が水に濡れた酷い姿で帰ってきた時には、光輝を始めとする女官達にこっぴどく叱られたが、機嫌の頗る良い華漣の采配によって通常通りの勤務時間で解放され、蓮は自らの体を清めた。他に服がないので公服に着替えて、貸りた服を干す。髪が乾くのを待って、蓮は直ぐに妻の元を訪ねた。

 薄暗い廊下には相変わらず兵士が見回りをしているが、そんな城内の光景にも見慣れている。薄闇にも気後れすることなく軽い足取りで歩を進め、妻の部屋の前で足を止める。余所者というだけで睨まれるというのに、姫君の護衛武官の座をあっさりと奪っていった蓮に風当たりが良い筈もなく、妻の部屋を守っている兵士二人が軽く睨め付けてくる。それを軽く流して扉をノックし、返答が得られると共に滑るように部屋に入った。好奇の目を浴びるのは好きではない。

 部屋の中には特に目に付くものは何もない。生ける宝石である蓮の妻以外に、目に入れる必要があるものもない。彼女は体を起こした体勢で蓮を迎え入れた。ベッドの周りに灯された明かりが煌々と光り、彼女を照らし出す。自らの手で天蓋を開く訳にもいかず、蓮は側に立って一礼をした。

「夜分に失礼します。お加減は如何ですか」

「ありがとう、随分いいわ」

 彼女に椅子を勧められ、蓮はそれに腰を下ろす。寝着姿の彼女を直視しないよう、少しだけ視線を反らした。

「今日は楽しい一日だった?蓮」

「一日で定着しましたね、その名前」

 彼女はくすくすと可愛らしい笑みを溢す。

「貴方は今、ライの護衛武官ではなく私の夫だもの」

「その件に関しましては、誠に申し訳なく」

「元来堅苦しいのよね、貴方って。貴方は今から蓮なのだから、もっと楽に接してくれればいいのに。私も言葉遣いを改めるよう、努力する」

「・・・平民になると仰るのですか?鵡家の目を盗み、冰家に向かいましょうと申し上げたではありませんか」

「兄様にご迷惑をお掛けするつもりは毛頭無いわ。私が招いてしまった事は、私が責任を持って処理する。鵡家の状況は何か分かった?」

 蓮は俯く。

「言い難い事でも、遠慮無く言って頂戴。私にはもう貴方しかいないのよ、蓮。頼りにしているのに秘密を持たれちゃ、辛くて仕方ないわ」

「は、はあ・・・」

「ねえ、お願いよ。私を貴方の妻だと思って、普通に話して」

 そうは言われても、困る。何年も見てきながら、数える程しか言葉を交わした事がない彼女に、今更容易く言葉をかける事など難しい。反射的に頭が下がってしまうのも、よほど注意していなければ直らないだろう。

 元来、ただお側に控えて黙々と立っているだけの仕事をしてきた蓮は寡黙で、人と相まみえることすら少ない生活をしてきた。彼が言葉を交わすのは鵡大家家主、仕えていた鵡大家次男主子のみ。同僚といえど、一度も目を合わせた事がない者の方が多い。当然人と接する時間は皆無に等しく、必然的に笑うこともなくなった。ただ周囲に気を配り、最悪の事態を想定して準備する。それだけで過ぎ去っていく日々を嫌悪するどころか、蓮には過ぎた日々だったと思っている。美しく尊敬に値する君主の成長を、誰よりも近くで見守ってきた自らの仕事を悲観する気など毛頭ない。

「ねえ、蓮」

 美しい仮の妻は、悪戯を絵に描いたような子供のような瞳で蓮の脇腹を擽る。蓮はあまりの事に反射的に彼女を振り払い、両手で身を守った。

「な、何をなさるんです!?」

「また小難しい事を考えているんでしょう。何も考えられなくしてあげようと思って」

「慎みある姫君は、容易に夫以外の男に触れません」

「姫君じゃないもの。妻が夫に触れて何が悪いっての」

 何とも順応力のある元姫君は、直ぐに言葉遣いが崩れ始めた。美しい言葉しか教わらず、華麗な言葉を操る術しか知らない筈の姫君が、何故斯くも簡単に言葉使いを変えられるのか甚だ不思議だ。だが、この姫はそういう姫なのだ。蓮の君主が心から愛した唯一の女性。

「わ、分かりましたから。もうお止め下さい」

「蓮を私好みの夫にするにはまだまだ時間がかかりそうねぇ」

「は・・・努力します」

 姫君は国を追い出された身の上で、それを感じさせない晴れやかな笑顔で言う。

「無理に変えるものではないわ。私が変えてみせるから普通にしていらっしゃい」

 蓮は恐縮して肩を竦める。そんな蓮の様子を見て、この姫君は楽しんでいるとしか思えない笑顔で布団と天蓋を同時にはね除けた。寝着の下から白い足が現れる。慌てて目を反らしてみても、姫君は全く気にしていないらしく隠そうともしない。

「それで、鵡に何が起こってるって?ライはどうしたの」

 元姫君であり、今は仮にも蓮の妻を名乗るこの女性の名はメアリ。冰大家の長女にして鵡大家次男主子ライに嫁いだ生粋の姫君である。可愛らしい顔と小悪魔的笑顔で蓮の主、ライの心を虜にした彼女は、人の心を掴む天性の魅力を持っていた。彼女が笑うと誰もが振り返る程可憐で、彼女が転ぶと誰もが手を貸したくなる程細く頼りない女性らしい一面を持つというのに、彼女の瞳に映る闘志に誰もが膝をつく程逞しく力強い一面も持ち合わせた。伝統ある鵡大家の家主が、破天荒で誰にも流されないこの姫君の所業をお気に召す筈もなく、彼女はあらぬ罪を被せられて国を追われた。背を奴隷烙印に汚されて。

「正妻を、娶られたそうです」

 メアリは予想していたのか、あまりショックを受けた様子もなく落ち着いた表情で薄く笑む。ベッドの縁に腰を下ろし直して、蓮の正面に座った。

「鵡の家主様の考えそうな事よね。では、私は側室という扱いにされたのね?」

「誠に遺憾ながら」

「別に怒っちゃいないわ。家主様が私に憤慨なされた事は事実だし、私が良い嫁になりきれなかった事も事実だもの。追い出された事に文句を言うつもりはないの。ただ、私の為に立ち上がってくれた民には申し訳がない」

 鵡大家に仕えていた蓮には口が裂けても言えないが、鵡大家はメアリ姫が嫁いできた時、落ちるところまで墜ちていた。職を失い食べ物もろくに購入できない民の心は荒み、希望は失われて彼らには生きる活路がなかった。そこに舞い降りたのが、冰という華やかな大家から送られた純白に心を濡らした天使のようなこのメアリ姫だった。彼らは希望という言葉を思い出し、心から彼女を慕った。そうして、それが鵡大家の家主の怒りに触れてしまったのもまた事実、処刑台に送られた姫を助けようと蜂起した民が起こした反乱こそ、鵡の乱。その規模の大きさはメアリへの民の思いの強さを示し、彼女は命を救われた。

 蓮は、そんなメアリを助けた。反乱軍に紛れ、鵡大家の地を二度と踏めない事も覚悟の上で、彼女の命を助ける事に尽力した。全てはメアリを心から愛した君主の為であり、彼女に奴隷烙印という傷を負わせてしまった事への償いである。

「本来正室の姫が側室となられただけではなく、反乱の切っ掛けも姫への憤懣を明らかにした民が起こしたものと真実が改竄されています。ライ様を手に掛けたのも姫ということになっており、それを契機に反乱に発展したと」

「うまく考えたわね。つまり私は全ての罪を背負わされた罪人か。それで、私が生きている事を鵡の方々は気付いているのかしら?」

「おそらくは気付いていないかと。あれから月日も経ちましたし、気付いていればもっとなんらかの動きがあるかと思われますので。あの騒ぎでしたし、残念ながらあの場に居合わせた殆どの者は死んでしまった筈。死体の状況も口にし難く、姫の生死を判断する手掛かりもありませんから。一応、姫が死んだと見せかける工作は施しておきましたし、今気付かれていないならば、おそらくもう気付かれる事はないと思います」

「死人に口なし。私が死んだと思っているからこそ通じる反乱動機の工作よね。それなら尚、早くこの城を出て行く必要があるわね」

「ですが姫の体調も・・・」

 蓮の言葉は続かない。メアリが蓮の口に指先を当て、言葉を遮ったからだ。

「姫はやめて。折角助かったのに、ばれてしまうじゃないの」

「失礼しました。では、何とお呼びすれば?」

「そうね、メアリは流石にまずいわよね。ライ、ライにしましょうか」

 メアリは楽しそうに夫の名を口にした。

「それは、流石に。男性の名です」

「じゃあ、ライラにしましょう。私はこれから蓮の妻、ライラよ」

 これから先長く付き合って行くことになるであろう名を、いともあっさり決めてしまうこの潔さは嫌いではない。

「それで、ここでは私はどういう者という事になってるの?蓮の事だからもう設定は考えてあるのでしょう?」

「私はライ様の元護衛武官という事になっています」

「あら、正直に言っちゃったの?」

「あまり工作する時間もありませんでしたから、流石にばれてしまいまして。姫・・・ライラ様の事は私の妻で、教育を受けている身の上ということで旧家のご令嬢という事になっています。出会いは八年前、私の一目惚れです」

「それってライの事?」

「咄嗟に思い浮かばず」

 蓮が苦笑すると、メアリ、もといライラは可笑しそうに腹を抱えた。八年前、彼女に一目惚れをしたのは紛れもなく蓮の主、ライだ。気の長い交際申し込みの末、一年前にとうとう結婚承諾を得た、彼にしてみれば正に奇跡の末に手にした宝物である。彼女を失った彼の事を考えると気が滅入る。

「あの姫君、貴方に気があるみたいね?蓮」

「こちらの姫君は一週間後に武中家の主子と婚約なさいます」

「それって、ライの従弟の?」

 蓮は小さく頷く。

「そう。顔を合わせたらさぞ驚くことでしょうね。では、一週間以内にここを起たなければならないわね。この城を抜け出す事は出来そう?」

「問題ありません。こちらの家主様からも、一週間以内にこちらを出るように申しつけられていますから。婚約式の当日までにお暇出来るよう、話しておきます」

「婚約の決まった娘の気がある男に、いつまでも居てもらっちゃ迷惑よね」

 蓮は苦く笑うだけで、深く言及はしない。

「綺麗な顔して意外と凶悪よね、蓮って。ここではどういう仮面を被っていたの?」

 蓮は視線を反らす。

「温厚で時に悪戯心を起こす、穏やかな青年の仮面を」

「貴方は自分の魅力を知った方がいいわね。顔は綺麗だし、腕が立つ上に知識もあるの。その気がないなら、冷酷な仮面を被っていた方がましよ」

「ですが、取り入らなければ置いて貰えないでしょう?」

「それはそうなのだけれど。でも、気をつけて。貴方の笑顔、可愛いんだもの」

 言葉に詰まる。メアリ姫は人差し指を立て、蓮の右頬を突いた。あまりに近い距離、女の君主と仕える男の距離ではない。その瞳が悪戯に光るたび、彼女に心を奪われてしまった主に同情する。意識せずに人の心を虜にする力を持つ彼女に、凶悪だなどと言われたくはない。蓮は、仕事とあらば何でもする。自我を捨てて、その者が望む姿となって信頼を得る。そうして欲しい情報を頂戴する、そう、これは仕事だ。

「そのお言葉、そっくりそのままお返しします」

「赤くなっちゃって、可愛い」

 この無表情で愛想の欠片もない本来の自分を可愛いと言ってのけるのはこの姫君だけだ。同じ年であるはずなのに、彼女の前に立つとどうして、取り繕う事のない素の顔が出る。一国の民を虜にした女神に対抗しようとする事自体が間違っているのだろう。

「私は貴方に笑っていて欲しいから、いずれ同じ目線で話が出来るようになってみせる」

「努力はしますが、貴女様は私の主の奥方様。正直、自信はありません」

「ライの事は、忘れる」

 メアリは、目を伏せた。いつも明るい姫が笑顔を引っ込めると、急に不安になる。

「何故です?」

「あのヒトは、私を心から愛してくれたから。きっと、泣いてるわ」

 固く閉じられたメアリの目から、一筋の涙がこぼれ落ちた。

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