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 蓮はどこに行くでもなく、華漣を城下町に連れ出した。家々の並ぶ中央通りを練り歩いて何が楽しいのかと思っていたが、青い空の下を何を考えるでもなくただ歩く事は、意外にも穏やかで心落ち着く時間だった。そこに生活する者達の表情を観察していると、各々違っていて頗る面白い。そういえば、華漣は城下町の者達の生活を見たことがなかった。毎日をどのように生き、何を感じ、何を考えているのか、考えた事もなかった。花に水を遣る老婆の穏やかな瞳、子供をあやす女性の幸せそうな笑顔。力仕事に勤しむ男性の額に滲む汗、談笑に花を咲かせる主婦達。華漣のような豪奢な生活も装飾品もないが、誰もが晴れやかな笑顔を振りまいて幸せそうに見えた。

「見て下さい、あの髪飾り」

 蓮は道に敷かれた布の上に並ぶ商品を指さした。幼い子供が母親と一緒に店番をしている。

「あんなのを見るの?」

「立派な店じゃないですか。屋根はないですけど」

 屋根どころか壁もない。道ばたに布を敷いているだけでは、店と呼ぶにはあまりにお粗末だ。商品は所狭しと並んでいるが、どう見ても安物で華漣の目に止まる物があるとは思えなかった。そんな華漣の手を引き、蓮は髪飾りに近づく。

「いらっしゃい」

 母親が歓迎の言葉を寄越すと、子供が鸚鵡返しに繰り返した。

「手作りなんですか?可愛いですね」

 蓮が母親らしき女性に話しかけている間も、気が乗らず彼の後ろでそっぽを向いていた華漣を見遣り、女性が蓮に言う。

「奥様ですか?美しい方ですね」

「あはは、そう見えます?」

「そんなに仲睦まじく手を繋いでらっしゃるんだもの。奥様にお一つ、如何です?」

 奥様。それはもしかすると、自分の事だろうか。

「お、奥方に見えますの?」

「ええ」

 女性は微笑む。顔の力が緩んで、不思議と笑みが漏れた。顔が元に戻らない。

「彼女にはどれが似合うと思います?あ、これ可愛いと思わない?」

 蓮の言葉の後半部が華漣に向けられたものだと悟るのに時間がかかった。敬語ではない、対等な立場の言葉。城を出て姫ではなくなった華漣に向けられた、初めての対等な言葉。

「え、ええ・・・」

「ほら、色違いもある。買ってあげるけど、いる?」

「買って、くれるの?」

 蓮が微笑む。華漣は身を乗り出した。数ある商品の中から、蓮が可愛いと言ったものに目を向ける。さっきまでは無数の中の一つだった物が、急に輝きを帯びた。拙い手作りの、華漣にしてみれば価値のない一品。

「蓮は、どれが似合うと思って?」

「そうだな、これは?こっちの形も綺麗だね」

 言われた物がどれも光り出すから不思議だ。金銭的価値は皆無だというのに、華漣の中で価値が上がっていく。

「全部欲しいわ、蓮」

 華漣が笑うと、蓮はそっぽを向いた。

「だめだめ、一つだけだから価値があるんだよ。考えて考えて選んだ物にこそ、愛着も沸くってものでしょ?」

「お金はあるのに」

「お金じゃないの、こういうのは。仕方ないなぁ」

 蓮は商品に目を落とした。真顔で女物の髪飾りを選ぶ蓮の表情が幼くて笑ってしまう。

「これ、これ下さい」

 蓮の顔に見とれていた華漣は我に返った。いつの間にか商品が選ばれ、お金が払われている。店主と子供に愛想良く笑顔で別れの挨拶を述べ、さっさと歩き出す蓮の背を慌てて追う。

「ちょっと、蓮」

「はい、これ」

 渡された髪飾りを両手で受け止め、華漣はそれを眺める。黄色の大きな花弁を持った花型の髪飾りが、きらりと光った。

「これ、わたくしに?」

「一つだと、大事にしようと思うでしょう?」

 華漣は無意識のうちに頷いていた。たった一つ、代わりのない髪飾り。蓮が華漣の為に選んでくれた、唯一の物。

「あ、ありがとう」

「全部を手に入れるのではなくて、我慢して一つを選ぶ過程も楽しいものですよ」

 世界の全てを楽しむように、注意深く辺りを見回しながら進む蓮の背を見ながら、華漣は考えた。欲しい物の全てを買わないのは、お金がないからだと思っていた。だがそれは違った。選りすぐるからこそ価値が上がり、大切に出来る。

 華漣は先を行く蓮の上着を掴んだ。無理矢理足を止めさせられた蓮が振り返る。

「城下町では、手を放してはならないのでしょう?」

 蓮は吹き出すように笑って、優しく手を差し伸べた。

「そうでした」

「敬語よりも、さっきの言葉遣いの方が良かったわ。そうして頂戴」

「人前ではそうしますよ」

「ずっとよ。いつでも、わたくしと対等に話して頂戴」

 蓮は目を丸くする。表情がくるくると変わって、忙しい。だが、最終的に彼が辿り着くのは笑顔の他ない。

「ご命令とあらば、そうしましょう」

「今は姫ではないもの。命令ではなく、お願いよ。蓮」

 それは、自分の口から出たとは思えない言葉だった。命令をすることでヒトを縛り付けて思い通りに動かしてきた華漣にとって、謙った「お願い」という言葉を使うのは初めてだ。受け入れるか否かを相手の意志に任せる、お願い。諾という答えが決まっている命令と違って、受け入れて貰えない否という返答があり得る。その返事を待つ事が、これほどまでに怖いことだとは知らなかった。沈黙が、不安にさせる。

「分かりました。・・・それじゃあ、次は河原に行ってみない?」

「!!・・・ええ!」

 楽しい、楽しい、楽しい。

 平民に顔を晒しながら、服が汚れるのもお構いなく走る。はしたなく声を立てて笑い、立ち食いをする。礼儀を捨てた不作法な振る舞いが、華漣の心を弾ませる。時間が止まってしまえば良いと思うほど自由で、制限のない世界。何をしても口うるさく叱る者はいない。相手の目を見て話す事の面白さ、自由という道に溢れる光。何を見ても珍しく、何を聞いても心が揺れる。密閉された城内にはない風の匂い、冷たく優しい空気、その全てが愛おしい。

「蓮、水に入ってみない?」

「服の替えはないから、靴を脱いで・・・・」

 華漣はスカートを捲り上げ、膝の上あたりで括った。靴を投げ捨て、浅い川の中に足を浸す。蓮は苦く笑ってこちらを見ていた。

「そんなに足出して、大丈夫なんですか?」

「平気よ、蓮しかいないもの」

 城下町を抜けて、家々が遠くに見えている。広がる草原と花、街に向かって流れる川。華家にはこうした開けた遊地が幾つもある。街からかなり離れた事もあって、風と戯れる子供の姿はなかった。遠くの方に肩を寄せ合った男女が数組見えるが、誰も華漣など見てはいないだろう。

「姫様、知ってます?」

「言葉遣い」

「ああ、そうでした。難しいな」

 華漣が注意すると、蓮は直ぐに自分の間違いを改めた。

「姫様、知ってる?この草をこうして折ると、音が鳴るんだよ」

「草が?」

「草笛と言って、ある種族では男性が女性に求婚する際にこれで楽を奏でて送るそうです」

「素敵。蓮、何か吹ける?」

 蓮はどうも誰かに見られていないと言葉遣いを改める事が難しいらしく、注意はしているのだろうが敬語が抜けない。あまり堅苦しい話し方ではないので、多少の事は大目にみる。

「そうだな」

 蓮は、草を口に押し当てた。草の両端を持ち、目を閉じる。そして刹那の後に紡ぎ出された音は、それは美しいものだった。風に乗ってどこまでも響く、高く柔らかい音。求婚に使う種族がいる事も頷ける、うっとりするような綺麗な音が心に染みた。

 蓮の奏でた楽も見事なものだった。決して五月蠅くはなく、優しい旋律。緩やかで、まるで全身を水に浮かべて漂っているかのような気分にさせられる。華漣は岸に腰を下ろし、足を水に浸したまま楽を聞いた。瞼の裏で夢を見る。蒼に輝く満天の空の下で、絶望を知らずに希望を追い求める姿を。果てしなく続く道をただ当てもなく放浪し、黄昏迫る紅色をした緑の中で眠る。有りったけの富を捨てて、満たされぬ無一文を気取る。

「楽しいかも知れないわね」

 蓮が、顔を上げた。唇から離れた草笛は音を奏でるのを止め、辺りに風の囁きが舞い戻る。

「何か言った?」

「いいえ、良い曲ね。何という曲なの?」

「昔仕えていた方の御友人がよく歌っていたんだ。曲名は生憎知らない」

 華漣は太腿に頬杖を付いたまま目を丸くした。咄嗟に言葉が浮かばず、沈黙を風が浚う。

「もう気付いているんでしょ?私が普通の者でない事くらい」

「それじゃあ、蓮は官だったというのね?」

 蓮は草笛を指先で弄んだ。折った順に解き、元の草の形に戻しながら蓮は言う。

「詮索されるのはあまり気分がいいものじゃないから。姫のご想像通り、私は官だった」

「鵡の?それとも冰?」

「流石に察しがいい。私が心からお仕えたのは生涯でただ一つ、鵡大家のみ」

 風が蓮の髪を浚い、表情を隠してしまう。手に持っていた草を手放すと、鳥のように空に舞い上がり、弧を描きながら自由な空へと羽ばたいた。

「どうする?私を突き出すなら今しかない」

 他人事のように言う。彼は今、笑っているのだろうか。

「あの女性は、貴方の妻ではないのでしょう?」

 蓮は一瞬の間の後、小さく頭を振った。川の流れよりも、時間が流れるのが遅い。

「いいえ。彼女は紛れもなく私の妻です。夫のしでかした過ちに、付き合わされる憐れな女性です。私のせいで消えない傷と苦しみを負ってしまった・・・憐れな」

 言葉が途切れた。泣いてはいないようだが、おそらく蓮の心情は限りなくそれに近いだろう。嘘が下手な男だ。言葉遣いが、元に戻っていることに彼は気付いているのだろうか。

「嘘を仰い。では何故、妻に敬語を?あの奴隷烙印は何?」

「私の過ちにお怒りになったさる方が妻に奴隷烙印を。彼女は元々私などの手が触れることなど叶わないような女性でしたから、妻となった今でも敬語が抜けない」

「どこかの姫君だったのではなくて?」

「姫君とまではいきませんが、良い家柄の娘さんです」

 華漣は立ち上がった。川を渡り、蓮の側に改めて腰を下ろした。濡れた足が風に冷たい。

「貴方の罪って何?」

「鵡の乱が起きたでしょう?」

 華漣は頷く。間近で見る蓮の瞳は、華漣には見えないような遙か遠くに視点を置いていた。その先には空しかない筈なのに、彼の瞳にはきっと別のものが映っている。

「姫様は御存知でしょうか、この乱の直接の引き金となったのは、鵡大家次男主子の怪我が原因でした。次男主子の側室であった姫の殺傷未遂事件」

 次男が側室の姫に刺された事はあまり知られていない。姫の粗暴な振る舞いに業を煮やした民が起こした反乱と言われているだけで、鵡大家としてもあまり吹聴できる事柄ではないだけに公にはされていない情報だ。

「その際、側に控えていたにも関わらず主子様を守れなかった罪を問われたのです」

 それは、つまり―――。

 華漣は目を白黒させる。

「蓮は、鵡大家次男主子の護衛武官だった、と?」

「おそらくは名を抹消され、新たな護衛武官が任命されていることでしょうね。身内の失策は、隠すものですから」

 大家の主子の護衛武官となると、官吏としては花形の地位だ。思っていたよりも遙か高みの存在、身分としては華漣よりも上だ。真面目に勉強をしてこなかった華漣には分かりかねるが、下手をすれば父よりも身分が上の可能性だってある。武術部門で採用された官吏の中では地位を極めた、憧れと羨望を一身に集める身だ。

「益々、敬語は使って欲しくないわね」

「もう昔の話です」

「そんな貴方が身分違いの女性だというからには、王女とでも言われなければ納得出来ないわね」

 蓮は苦く笑う。品のある顔立ち、穏やかな瞳。その全てはまやかしではなく、高等の教育を受け、誇りと力を持った本物の貴公子。

 急に、触れられない壁を感じた。

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