13
間も無く完全なる暗が来る。
その前に、華鳥を解放してあげなければならない。
「鵡の乱に関係する女だとすれば、処刑された次男の側室よね」
華鳥が薄く笑む。
「まさか、その側室だとでも?」
「処刑されたように見せかけ、何者かに生かされたのかも知れないわ」
「暴虐武人で民に嫌われていた姫を、一体誰が?」
「そうね・・・側室の姫は確か冰大家の一人娘。冰大家の者が手を回したのかも。すると、蓮は冰大家の回し者って可能性が出てくるわ。有り得なくはないんじゃない?」
「蓮は冰大家の官吏、か・・・・確かに有り得なくはないですね。渦中の、しかも死んだとされる女性なんて突飛な考えですけど、それなら確かに説明は付きます。名を隠さねばならないのはむしろ女性の方、という訳ですか」
処刑された筈の女、深傷を負っているのは当たり前だ。冰大家にすれば女は家主のたった一人の娘。忠誠を誓う官吏なら、命を賭けてその身を守り抜くのもまた自然な事。蓮が女に敬語を使う理由も、名を隠す理由も、兼ね揃えられたその教養も、全て説明が付く。
「でも、もしそれが真実なら、大事ですよ」
急に、華鳥の言葉が重くなった。気のせいか、少し顔色が悪い。
「もしもあの女性が鵡大家を怒らせ、これ程までの大反乱の引き金となった女性なら、命を助けたどころか甲斐甲斐しく世話をしたとあっては、鵡大家に睨まれるのは必至」
鵡大家は権力ある一族。小国である華家が鵡を敵に回せる筈もない。
「何を言ってるの、あの人達は名乗らなかったのだから分かりようがないじゃないの」
「知らなかったでは済まされないのですよ。華漣姉様の婚約者の方も、鵡一族の方。縁談が立ち消えになる事だってあり得るのです」
それは願ってもない話だが、話はそう簡単なものではない。一族の存亡がかかっていることくらい、華漣でも分かる。
「・・・・憶測よ。そんな筈が無いじゃない。女の背には奴隷烙印が押されていたのよ?冰大家の姫君で、仮にも鵡大家の側室にまでなったヒトの背に、烙印がある筈がないわ」
自分で叩きだした推測を、今度は否定する事に躍起になる。容易に口にしてしまったこの憶測が真実なら、華漣達の未来は闇に包まれ暗く淀んだ水の底へと誘われる事になる。
「処刑されそうになった者です。烙印が押されてもおかしくはないでしょう」
華鳥は冷静に言う。不思議なことに、一番あってはならない筈の憶測が、華漣の中で、妙にしっくりと腑に落ちる。
女は名を捨てて蓮の妻になったとそう言った。つまり、名を捨てる前は蓮の妻ではなかったという事にならないか。それもその筈、彼女は鵡大家次男の側室であったのだから。
蓮は極力女には触れないようにしていた。それはもしかすると、本来なら触れることの叶わない高貴な女性であったからではないだろうか。仕えるべき主であるから、命を賭けて守る。抱きついてきた妻を抱き留めようとしなかった事も、妻に対して敬語を使用した事も、これで全て説明が付くではないか。
女の丁寧な言葉遣いと礼儀正しい振る舞いが脳裏に描き出される。一朝一夕で身に付くものではない。優雅な身のこなしと美しい言葉、品性の伴った高貴な者にしか与えられない神の祝福。
「・・・・調べる必要がありそうね。鵡大家次男の側室が本当に死んだのか、冰大家に昨今退職及び転勤、将亦行方不明になった官吏がいないかどうか」
「世間的には側室は処刑台で殺された事になっています。もし生きていたのなら鵡大家が探さない筈がないし、それにあの反乱軍の中を突破できる筈もない」
そう、そうだ。
騒ぎの原因たる側室が逃げたなら、鵡大家は血眼になって探す筈だ。蓮達は確かに名を隠してまで何かから逃げようとしているが、鵡大家が大がかりな探索を行っているという話は聞かない。側室が逃げおおせた事を隠す理由もない。むしろ、大家の名誉と反乱軍の沈静の為に総力を挙げてでも探すべきだ。それなのにそんな兆しはない。また、城下町はおろか、付近の街をも巻き込んだ反乱軍の中を、そう易々と逃れられる筈がない。もしも奇跡的に逃げることが出来たとしても、反乱軍達は側室が逃げた事を知っている事になる。彼女は処刑されなかった事になるのだから。側室が生きているという噂が立たない筈もない。
だが、女が逃げたから反乱が長引いたと考える事も出来る。反乱軍が、側室が一命を取り留めたと悟ったとするならば、以後四日も続いた反乱も、長男が制圧の為に命を投げ出した事も納得がいく。
華漣は小さく頭を振った。
やはりそれはおかしい。逃げるならば冰大家に向かって逃げるのが自然だ。だが、蓮はこの華家の領土へやってきた。方向としては間逆、どうせ狩猟区を抜けるなら真っ直ぐに冰大家に逃げ込んだ方が確実に命の保証がなされる。どう考えても不自然だ。
「蓮達は、一体何から逃げているのかしら」
「鵡大家か反乱軍としか考えられませんね」
「どちらにせよ、鵡大家は捜索するはずよ。やはり考えすぎだわ。反乱軍の首謀者といった方が、まだ現実味のある話ではなくて?」
「そうかも知れませんね」
華鳥は納得はしていないが、そう願いたいと言わんばかりに無理に笑顔を作った。それきり、蓮の妻が鵡大家の側室だと考えないように努めた。だが、華漣の心にある蟠りは決して消えることなく、むしろ強くなっていった。反乱軍の首謀者の妻では説明がつかないのだ、あの女の態度は。夫に敬語を使わせる事も、洗練された身のこなしも、全てが大家の姫君だと言われた方がしっくり来る。生き存えたなら、全国のお尋ね者とならない筈がない。隠れてひっそりと行方を追う必要など、鵡大家にも反乱軍にもないのだから。
「華漣姉様」
名を呼ばれ、視線だけで応じる。
「蓮と彼の奥方が鵡の乱に絡んでいる事はほぼ間違いないとは思うけど、カマをかけてみる方法があるよ」
「え?」
「これはあまり知られていない話なんだけど、処刑された女性は側室なのだから、当然鵡大家の次男主子には正室がいたことになるね?」
頷かなくとも、視線を動かさないことでそれを肯定する。
「この家でもきっと僕しか知らない事だと思うんだけど、その正室、ついこの前鵡大家に入城したらしいんだよ」
「・・・?意味が分からないわ」
「つまりね、普通、一人目に結婚する女性が正室で、二人目以降の女性が側室でしょう?だが、鵡大家の次男主子は先に今回処刑された側室を娶り、その後で正室たる女性を迎えているんだよ。それも、ちょうど反乱が起こった直ぐ後に正室を迎えたと聞く」
反乱が起こって直ぐに正室を迎えるなど聞いたこともない。戦後処理に忙しく、妻を捜している暇もなければ準備も整えられないはずだ。それなのに、隠れるようにひっそりと正室を迎えるなど、解せない話だ。
「鵡大家の次男が妻を娶った話は聞いたわ。それが一年前、彼女が正室ではないのね?」
「そう。一年前に迎えられたのは今回処刑された側室。正式な発表はなかったから、一年前に妻を娶られた時に僕達は自然に、彼女が次男主子の正室なのだと思い込んだ。でも、彼女は側室だったんだ。そしてその側室が騒ぎの種となると、慌てて正室を迎え入れた。実に不自然だとは思わない?」
「なんでそんな事知ってるの?」
「誰でも知ってる。でも、誰もが口にしないんだ。あまりに不自然で、鵡大家に何か含みがあるように思ってしまうから。それは、鵡大家に背を向ける事に等しい」
つまり、誰もが知っていながら誰もが保身に回って情報が外に漏れないわけだ。確かに鵡大家には何かある、と政治的素人の華漣でもそう考えてしまう。鵡大家にしてみれば避けたい話題の筈だ。だが何故、慌てて正室を娶ったのだろう。否、それは説明が付く。側室が騒ぎを起こしてしまったのだから、彼女は切り捨てて早急に正式な妻を娶るべきだ。そうすれば鵡大家としての面子も立つし、側室の攪乱というだけで話がつく。説明が付かないのは何故最初に側室を迎え入れたのかということだ。まるで彼女が騒ぎを起こすのを知っていたかのような、そんな采配だ。側室を先に向かえてしまっては、側室が先に子をなすのは自然。正室の座を約束されていたとしても、納得できる話ではないはずだ。
鵡大家には、何かある。
「この話はおいといて、蓮の話に戻りますけど」
華鳥は茶を濁した。あまり長く口にしたくない話題のようだ。
「反乱が起こった直後に迎えられた正室だから、彼女が迎えられた事を蓮は知らないと思うんです。だから、鎌を掛けてみればいい。“まさか一年前の花嫁が側室だとは思わなかった。先日娶られた正室の方は、どこの姫君だろう”と」
「反応を見るわけね」
「そう。花嫁の素性や、先に側室を娶った謎、他にも必要以上の事を知っていたなら、黒」
気は、進まない。蓮が鵡の乱に関わっていた事実が明らかになればなる程、華漣達は自らの首を絞めていく事になる。もしも、本当にあの女性が次男の妻だった身で、反乱を招いた者だと判明してしまえば、この華家は破滅だ。言い逃れが出来ない。本人を匿っている事になるのだから。
だが、ここまできて無視も出来ない。何より、華漣は本当の事を知りたかった。あの女が鵡大家の側室である事に間違いがなければ、蓮との夫婦関係は完全に否定される。お腹の子供も、蓮の子供でない可能性が極めて高い。女を鵡大家に突き出して蓮の命乞いをしてもいい。彼は、直接反乱には関係がないのだから。
本当は、蓮があの女を愛していないという証拠が欲しいだけなのかも知れない。あの女の腹の子供が、蓮とは無関係であると思いたいだけなのかも知れない。そうして二人の関係を否定する事で、蓮を独り占めにしたいだけなのかも知れない。自分で自分の気持ちが分からないけれど、蓮を手放したくないというこの思いだけは確か。
「分かったわ、わたくしが明日聞いてみます。だから華鳥は、側室の女が生きている可能性があるのかどうかを探ってみて頂戴」
「分かりました」
華鳥は残った飲み物を飲み干し、退出していった。彼が燭台を持って行くと、急に辺りが暗くなる。その闇の中で、華漣は考えていた。
調べなければならない。何も、悪いことばかりではないのだ。あの女は華漣にとって脅威ともなりえるが、逆に強みにもなり得る。彼女の正体を武器に、蓮を拘束することだって出来る。何も命を助けたからといって鵡大家に恨まれる謂われもない。むしろ、恩を売ることだって可能だ。武中家に嫁ぐ身としては、悪い話ではない。
華漣は暗がりで薄く笑む。もしかすると、これは本当に良い玩具を拾ったのかも知れない。人生を変えるような、大きな拾い者。退屈を握り潰し、暇を消滅させてくれる愉快な玩具は、華漣の手の中にある。生かすも殺すも華漣次第、国を揺るがす程のジョーカーを、今華漣は手にしている。その快感、その興奮。
身の毛がよだつ。手に入らないものなど何もない。真っ直ぐな心で清く生きようなどとは思わない。ただ、暇を感じない幸せを手にするために欲しいものは全て手に入れるだけ。




