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 華漣にとっては大事でも、他人にとっては所詮他人事でしかない。

 瞬く間に広まった、漸くの婚約話に官達は色めき、噂に花を咲かせているという。華漣の腹心の供である光輝もまた、その中の一人であった。彼女に聞くところでは、この婚約話は羨ましいの一言に尽きるとか。勿論、華漣にとってはそうではない。

 中家という広大な敷地を誇る家のご長男夫人。側室とはいえ鵡族はこの国の中でも有数の伝統と歴史ある名家であり、それ故当然誇る権力も他家とは桁が違う。その長男であるという事は、いずれは跡を継ぐ跡取り息子、うまく行けば第一主子の母として君臨できるのである。しかも噂に名高い美しい顔立ちとくれば、誰もが羨む理由としては十分だ。

 贅沢なのだろうか、と思う。誰もが羨む縁談は気乗りせず、未だに見苦しくも破談の方法はないものかと悩む華漣は、恵まれているからこその我儘を言っているのかも知れない。

 側室になる事をも羨む彼女達は、権力と名声、金に惹かれているに違いない。華漣から見れば、ただ一人との妻の間で愛を育む一般人の方が麗しい。だが、貧乏人に嫁ぐつもりは毛頭無い。結局は自分にないものを、ただ羨んでいるだけなのだろう。全てを兼ね揃えた男などいるはずもない。幼い少女のような夢を見るには、年をとりすぎた。

 華漣は寝台に腰を下ろし、その日あった事を反芻した。父に宣告された婚約話が、随分前の事のように感じる。それよりも蓮の姿が浮かぶ自分が浅ましい。

 妻たる女が目覚めた後の蓮は、平素と変わらぬ仕事ぶりだったが、華漣には違って見えた。体全体から滲み出るオーラは幸せに満ちあふれ、無表情を装っても瞳がきらきらと輝きを放つ事は止められない。仕事を終えた彼は、おそらくその足で妻の元へと向かったのであろう。確かめる勇気はない。

 不意に、静寂の中にノック音が響いた。待ち人来たり、ゆっくりと音もなく開かれた扉の向こうに明かりがぼんやりと陰影に浮かび上がり、闇の中から少年が姿を見せる。華漣の最愛の弟、華鳥である。燭を預かって一人で室内に入ってきた弟は、真っ新な笑顔で華漣に挨拶をした。

「こんばんは、華漣姉様」

「よく来たわね。どうぞ」

 控えさせていた光輝に直ぐに飲み物を用意させ、それと同時に彼女を一日の職務から解放した。テーブルの中央に置かれた灯がゆらゆらと揺らめき、華鳥の顔が見づらい。元より置かれていた燭台にも火を灯し、漸くお互いの姿がはっきりと見えるようになった。

 寝着の華漣と違い、華鳥はきっちりとした公服を着ていた。おそらくまだ仕事が残っているのだろう、少し疲れた顔をしている。

「悪いわね、忙しいのに」

「婚約の決まった姉を直ぐに祝えなかった弟をお許し下さい。改めて、おめでとうございます、華漣姉様」

 華漣は笑む。弟が忙しい身であることは重々承知しているが、この荒んだ心を満たしてくれるのは、彼しかいないと思っていた。案の定、彼の屈託のない笑顔を見て心が洗われる思いがした。

 華漣は弟の祝辞に礼を述べて、用件を切り出した。あまり引き留めては申し訳がない。

「明日、蓮と一緒に外出するつもりなの。明日は剣の稽古を約束していたから、延期にしてもらおうと思って」

「外出の許可がおりたのですね。どちらへ?」

「あてがある訳ではないの。どこか良い所はないかしら」

「蓮に任せてみては?彼は本当に色んな事を知っていますから」

 飲み物を口元へと運ぶ華鳥を眺めつつ、華漣は言う。

「・・・ねえ。華鳥は蓮の事どう思う?何者なのかしら」

「余程の教育を受けた者ですね。主子、官吏、或いは傭兵」

「傭兵?」

 華漣には思いあたらなかった言葉だ。

「ええ。最近は傭兵業が盛んになっています。傭兵は仕事さえあればあらゆる土地へと足を運ぶ為、自然と知識の量が増えます。また、腕によっては国の機密まで耳に出来る程、裏情報にも詳しくなる。蓮には一般人にはありえない官吏としての教養と礼儀、更には普通に生活していては決して知ることのない各地の情報をも持っています。蓮が官吏だとするならば、逃げる理由が分からない。名を隠してまで逃亡を図る程の者なら、自然と情報が入ってきますから。所謂お尋ね者ですね。だが、そんな話は聞かない」

「鵡家の乱を調べたのね?」

 弟は神妙に頷く。

「ええ。鵡家で探している官吏はいないようですね。勿論、鵡家の主子ではない」

 華鳥は首を傾げる。この弟も華漣同様、蓮に関しては少なからず関心を抱いている。自らの手で調べて結論を出そうとするあたり、華漣よりも実践力がある。否、傭兵にまで考えが及んでいるあたり華漣よりも頭もいい。

「そうすると華鳥は、蓮は傭兵だと思っているの?」

「少し引っ掛かる部分もあるんです。傭兵は普通、何らかの戦術に優れています。それは体術であったり剣術であったりと様々ですが、自らの得意とする分野を極めるのは自然な流れ。ですが蓮は、その全てを一通り習ったような節がある」

「習う?」

「そうです、体得する事と習得する事では全く違います。普通傭兵とは、腕に自信のある者がなるもの。逆に言えばそれしか道がない者がなる職業です。腕っ節に自信があるのならば、官吏になろうとする方が自然ですから。そういう者達は、とにかく敵を倒す術に長けていれば良い訳ですから、一つの道を究めた方がより良いという事です。官吏と傭兵の違いはここにあります。武術の部で官吏として任用された者は、一通りの戦術は全て習います。どんな事態にも対応できるように、です。蓮はどちらかと言えば、後者に近い」

「官吏のように武術を習い、主子のような教育を受け、傭兵さながらの知識を持つ。・・・一体何者なの?」

「華漣姉様には思い当たる事はないのですか?」

 華漣は昨晩まで考えていた自分の推理を披露した。順を追って、蓮が鵡の乱の反乱軍の首謀者ではないかという見解を説明する。弟は真剣な瞳に炎の揺らめきを映しながら、一言も口を挟まずに華漣の話を聞いていたが、やがて話が終わると共に、漸く重い口を開いた。

「有り得ない話ではないですね。元官吏が家主を裏切って反乱を起こす。鵡大家としても、自らの家の落ち度を世間的に公表する筈はありませんから」

「それと、引っ掛かっている事があるの。蓮と、彼の奥方の事よ」

「ああ、目覚めたそうですね」

 華漣はそれに頷くことで応え、更に続ける。

「敬語を使っていたのよ、蓮」

「はい?」

「奥方が蓮に敬語を使うのではなく、蓮が彼女に敬語を使っていたのよ。どう見ても、立場は奥方に利があるように見えたわ。おかしいとは思わない?女は奴隷上がり、女にしてみれば蓮は過ぎた旦那だわ。いくら感謝してもしたりないくらいだって言うのに、蓮が遜った態度を見せたのがどうしても解せないわ」

「なるほど・・・確かにそれは妙ですね」

 しばし、沈黙が流れた。華鳥はなにやら考えているらしく、目を泳がせて小さく頭を掻く。決して頭の良いとは言えなかった弟が頼もしく見えた。いつの間にか、城を継ぐ者としての教育が実を結んでいたらしく、考え方も理に叶っている。

「こういう考え方はどうでしょう。我々は今まで、蓮に気を取られすぎていたのでは?」

「どういう事?」

 つまり、と華鳥は肘をテーブルに付き、身を乗り出した。その瞳に華漣の顔が映っているのが分かる。

「蓮から正体を探るのではなく、奥方の方から考えてみるのですよ。蓮よりも立場が上の者だとしたら、彼女から探った方が正しい道に辿り着けるのでは?」

 要するに、考え方を一転させるという訳だ。悪くない。一癖も二癖もある蓮の崇拝するあの女にこそ、彼らの正体を探る手掛かりがあるのかも知れない。

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