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 華家の長男、華鳥には婚約者がいる。

 家主である華漣の父と仲がよい隣の小家の娘で、昔から頻繁に華家に出入りしていた。自然と両家の家主が結婚を考えるようになり、遂に一年前、婚約式を済ませた。正式な結婚はおそらく、一年か二年先になる事であろう。

 弟である華鳥の婚約が決まってからというもの、父の華漣に対する関心が前にも増していっそう強大なものとなってしまった。次から次へと婚約話を持ってきてはロイ大臣に薦めさせるが、未だに一回も成功していない為にこうして今、華漣には婚約者がいない。華鳥の正室が、仲が良いとはいえ小家の姫君であった事も相成って、野心家の父は、心強い味方を求めて積極的に華漣の縁談に尽力している。

 父が持ってくる縁談はその為、中家やら富豪やら、巨額の富と安定した地位を誇る男ばかりで、酷いものになると中年の親爺までいた。うら若き将来明るい華漣に、見るからに助平そうな親爺を添わせようという父が理解できない。当然、猛反発の末に却下である。何不自由なく欲しいものは全て手に入れてきた華漣は、当然結婚相手にもそれ相応のものを求める。適齢期が来れば観念してそれなりの男と結婚するつもりではいるが、やはり理想は高いに限る。正室である事、華漣の我が儘を聞いてくれる事、そして顔。鬱陶しい中年はもううんざり、清潔感のある優しげな若い男性がいい。長年寄り添うのだから、やはり顔は重要だ。

 今日も、性懲りもなく父が見合い話を持ってきた。実際に相手の解説を行うのは大臣のロイ、彼を見ているだけで話を聞く気が失せてくるのだから、よっぽどの相手でないと聞く耳持てない。

「今回の縁談話は凄いですぞ、姫君!!」

 毎回それだ。だが、今日はいつにも増して大臣の鼻息が荒い。興奮気味に身を乗り出し、顎鬚をさすりながら紅潮させた頬を近づけてくる。華漣は身を引いて、袖で顔を隠した。

「中家の一人息子で、正室に子が生まれない為に側室を捜しているそうなんですよ」

 いきなり不合格だ。正室と側室では正室の立場が上。いがみ合い、一歩引かなければならないなんて考えただけで腹が立つ。

「正室ではないから、と思われますな姫君!子が成せない為に探している側室ですぞ、先に子を産めば立場は逆転!!いいですか、それにですよ、武中家は鵡大家を治める鵡一族と同系統の種族で、長い歴史と伝統を誇る力ある種族です。その一人息子、なんとまだ二十二歳!どうです、姫様の条件にも合うではありませんか。鵡大家の御子息は御存知ですね?この前反乱が起こった側室の夫で、次男坊ですが、それは美しい顔立ちの男だと聞いたことありませんか?ありますな?武中家の主子も、それは美しい顔立ちをした青年と噂に名高いですぞ。同族なのですから当然ですな。その地位を取り合って今、既に娘を持つ中家や小家が手だてを講じ始めているのです。これを逃す手はありませんぞ!?姫君も参加なさらねば」

 久々にこの男の話を真面目に聞いたが、相変わらず話が長い。華漣ははしたなくも頭を掻きながら、暇そうに立っているであろう蓮に目を向けた。部屋の隅に立ち、常に華漣の側に控えている彼には当然全ての話が筒抜けになる。勿論下がらせる事も出来るが、そんな気は毛頭無かった。聞かれて困ることなどない。むしろ、華漣にもきちんと婚約話が来ているのだと示しておきたかったという目論みもある。ここで婚約を受ける発言をしてみたら、蓮はどんな反応をするだろうか。少し、気になる。

 視線を送ると、意外にも目が合った。何かを言いたそうな顔をして、真顔でこちらを見ている。驚きを孕んだ、何とも言えない顔。彼は、何にそんなに驚いているのだろうか。

「どうかしたの、蓮。武中家の長男の事、知ってるの?」

 話題を振られて、蓮は我に返った。

「あ、いえ」

「こんな小僧に面識がある訳がないでしょう」

 ロイが鼻白んだ顔付きで蓮を睨むが、華漣はそれを無視する。

「面識があるとは言っていないわ、蓮なら何か知っているのではなくて?話してごらん」

「はい。鵡大家の家主様の妹君の御子息が今の武中家の主子様でございます。それ故、鵡大家の二人の御子息とは従兄弟同士という事になります。鵡の乱があったとはいえ、名門のお家柄だと存じます」

「うむ、中々良いことを言ったぞ、蓮。どうです姫君。貴方の護衛武官も薦めていますよ」

 華漣はロイを睨み付けた。一々勘に障る。

「結構よ、お断りするわ」

「何故です!?これ以上のお相手はおりませんぞ!!」

「貴方の主観で決めて欲しくはないわね。どうなの、蓮。貴方はわたくしにその武中家の長男と結婚した方が良いと思っているの?」

「私は護衛武官ですから。姫君の最も良いと思われるお相手を、私が決めることは出来ません」

「殊勝な事ね」

 気にくわない。優面のこの男は、日に日に護衛武官としては立派になっていく。ただ、それは同時に華漣の遊び相手としては面白みに欠けていく事を意味していた。華漣と二人きりになると偶に見せる笑顔も、武官としての職にあるうちは何を考えているのか分からない無表情を貫いている。早くロイなど帰ってしまえば良いのに。

 蓮は、華漣に優しい男だった。妻の面倒を見て貰っているという負い目から来る献身なのであろうが、それでも偽りない無償の笑顔を見るたびに荒んだ心が癒えていくのを感じる。だが、華漣は思う。蓮の本当の顔は別にあるような、そんな感じ。華漣の当てにならない第六感が、本当の蓮を見てみたいと囁きかけてくる。蓮はその名が偽物であるのと同じように、自らの姿を隠している。だが、華漣に本物の蓮を知る術は思い当たらなかった。

「もういいわ、ロイ大臣。わたくしは受けるつもりはありませんから父上にそうお伝えなさい。今度は正室のおられない方を連れていらして」

 華漣は有無を言わさないよう悠然と微笑んで見せ、窓外に視線をずらした。こうなった華漣がこれ以上話を聞かない事を知っているロイは、目に見えて落胆した様子で、溜息を残しながら退出していく。完全にロイの気配が消えたのを確認して、華漣は蓮へと向き直った。

「こちらにいらっしゃいよ、蓮」

「職務中ですので」

 やんわりと断る蓮にも、有無を言わせるつもりはない。

「わたくしは貴方の意見など聞いていません。命令です、お座りなさい」

 蓮は数秒間、じっとその場に立っていたが、観念したのか直ぐに席に着いた。

「どんな要求でも、わたくしの言葉は全てお守りなさい。一切の躊躇いも許しません」

「分かりました」

 彼を、変えてしまったのは自分かも知れない。どう足掻こうとも手に入らない玩具を側に置いておく為には、有利な立場を利用して命令を下すしかない。華漣は今、それが出来る立場にある。だからつい、何でも言うことを聞いてくれる蓮に甘えて、立場に甘えて、押さえつけようとしてしまう。結果彼は意志を失って、自由をなくした完全な玩具になってしまった。それは護衛武官になっていく事であり、彼を見付けた時の自然な蓮ではなくなっていく証でもある。それに気付いていても、もう止められない。

「蓮には、婚約話はなかったの?」

「そのような身分ではありませんから」

「奴隷の女を娶ると言ったら、ご両親は反対されたでしょう?」

 蓮は手に持っていた剣を机の縁に預け、空いた両手を膝の上で組んだ。

「反対にあった上での、漸くの結婚でした」

「我慢強い事ね。蓮にそこまでさせた彼女の魅力について、是非伺いたいわ」

 魅力ですか、と蓮は喉の奥で低く呟き、少し考える素振りを見せた。護衛武官としての制服が板に付き、伸びた背筋が一層彼を際だたせて見せる。

「彼女には、ヒトを引きつける魅力があります。私に限らず、彼女と触れあった者は誰もが彼女の魅力に包まれ、幸せになれる」

「随分ね。貴方と知り合う前は一体何をしていたのか、気にならなくて?何処で何をしていたのか、きっとろくな事はしていないと思うわよ」

「今の彼女が私の知る彼女なら、あまり過去は気になりませんね」

 話せば話す程、気分が沈んでいく。奴隷女の欠点の一つでも探してやろうと思っているのに、分かる事は蓮がどれだけ彼女に心酔しきっているかという明確な事実だけ。華漣は、それほどまでに誰かを想った事がない。勝っている筈の自分に劣等感を抱かせる女が、羨ましくもあり妬ましくもある。

「蓮。貴方、わたくしをどう思う?」

「どう、とは?」

 華漣は頬杖を付き、真横に掲げられた鏡に映る自分の顔を眺めた。

「誰もがわたくしを美しいと言うわ。でも、わたくしは外の世界を知らないから、自分の容姿が優れているのかすら分からない。現に、外から来た蓮や貴方の奥さんの方が綺麗だもの。世の中はわたくしが知らないだけで、きっと、もっと美しいもので溢れているのでしょうね」

「姫様は、十分に美しい顔立ちをしておられると思いますよ。ただ、ご自分に自信が持てないとおっしゃるなら、それは心の問題でしょう。ヒトの魅力とは、内面からくるものですから。それに、世界は美しいものばかりではありませんよ。私と妻の現状を見て頂ければお分かりになれるのでは?」

「わたくしの内面が荒んでいると言えるのは貴方だけよ、蓮」

 そう茶化すと、蓮は苦笑いを漏らした。華漣は、蓮のこの苦笑いが好きだ。華漣には蓮を心の底から笑わせる事がどうしても出来ないからかも知れない。苦笑いでも、蓮が笑っている事には変わりない。

 蓮、と彼に言葉をかけようとした華漣の耳に、慌ただしい足音が飛び込んできた。それは扉の前で止み、続いてノック音が響き渡る。

「姫様、光輝でございます」

「お入りなさい」

 華漣は言おうとしていた言葉を飲み込んで、溜息を付いた。蓮と二人きりになると、いつもこうして邪魔が入る。普段は何事も起こらず暇を提供するくせに、肝心な時に訪問客が多い。入室した光輝は、頬が紅潮して髪乱れていた。よほど慌てて来たと見える。

「どうしたの、そんなに慌てて」

 光輝は一呼吸だけ置いて、息も絶え絶えに言葉を発する。

「蓮の、・・・蓮の奥方が目を覚ましました!!」

 蓮が、間髪入れずに立ち上がった。それを目で追いながら、光輝の言った言葉を頭の中で反芻する。何を言われたのか、俄には理解し難かった。桔医師は大丈夫だろうと言っていたが、心のどこかでもう目が覚めないに違いないと思っていた。このままずっと、穏やかな顔で眠っているのだと思っていた眠り姫が、何の兆候もなくいきなり目覚めた。動いている女の姿が想像できなくて、華漣は戸惑った。

 蓮が、一歩を扉に向かって踏み出し、我に返ったかのように華漣を振り返った。今すぐにでも彼女の元に駆けつけたいけれど、武官として華漣の許可を得なければならないと思い至ったのだろう。お強請りをする子供のような瞳が愛らしく、願いを叶えてやりたいと思う反面、彼女の元に行かせたくないという思いも確かにあった。行かせない理由も思いつかなくて、結局自らも立ち上がった。

「行ってみましょうか、蓮」

 蓮が見せた満面の笑顔が、いつも見たいと願っている笑顔であるはずなのに、華漣を酷く感傷的な気持ちにさせた。二人きりにさせる事だけは避けようと目論む華漣に文句一つ言わず、本分を全うして華漣の後ろから付いてくる蓮の足取りが軽いような気がする。走りたいだろうに、いつもよりも足取り重くゆっくりと歩く華漣の背後にぴったりとくっついている。不憫でもあるが、今の華漣に蓮を気遣う余裕などなかった。

 女が目覚めた。華漣にとって、それは死人が生き返ったのと同様の衝撃だった。目覚めるはずのない者が、息を吹き返したと聞かされたような驚愕と恐れ、その中に喜びの二文字は決してない。蓮を虜にした女、謎と魅力に包まれた奴隷上がり、美しい肢体を持つ蓮の妻。眠っていてくれている間は良かったのだ。蓮と楽しそうに話す姿も、女によってもたらされるであろう蓮の笑顔も、見なくて済んだのだから。

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