強い女、弱い女
「夕来って、マゾでしょ?」
粒来円花にそう言われた時、夕来はドキリとしながらも「違う」と否定した。それは呆れるほどに早く。
島田祐の長年の愛人、というのがこの粒来円花で、数人いるアシスタントのリーダーを勤めていた。本人がどう考えているのかはわからないけれど、円花が島田の愛人であることは周知の事実で、でも面と向かってそのことについて聞く、勇気ある部下はこの中にはいない。夕来と入れ違いで辞めていったアシスタントは「アンタッチャブルだからね、そこんとこのデリケートな問題は」とやたらカタカナを使い、「彼女には恋バナも振れないし、気を使うの何のって」とため息をついて去って行った。
島田は人たらしだ。女が相手だとそこは顕著に表れるのだけれど、それが仕事の成功に直結していると言えた。飄々とした優しさは天性のもので、真似してできるものではない。
円花は、ロングの巻き毛が似合うほっそりとした長身だ。決して美人という顔立ちではないのだけれど、色気のある口元や笑うと途端に親しみやすくなる小さなタレ目が愛らしさを醸し出していた。
こんな風に仕事で成功し、愛人を公然と自分のアシスタントにしてしまう。島田という男の貪欲さにはほとほと感心する。
夕来は入った時から円花に気に入られ、2人で仕事をすることも多かった。ランチもよくご馳走してくれるのだけれど、円花はその華奢な体からは想像できないほど、よく食べるのに最初は驚いた。
「代謝良すぎて、すぐお腹空くの」
島田の愛人と知っているからか、夕来はあっちの方もタフそうだなと下品な想像をしてしまったぐらいだ。その気配を察するように、
「島田が元気だからねー」
と悪戯っぽい視線を投げてくるので固まっていると、わはっと息を吐いて、
「おかしー!いいオトナの男が困る姿って可愛い!」
とお腹を抱えた。
「みんな気を使ってくるんだよねぇ。お前愛人だからリーダーなんだよ、女使って仕事しやがってとか腹の中で思ってるくせに」
笑顔のままそういう円花に、夕来はやっぱり困ってしまう。
「思ってないですよ」
「わかりやすい嘘つくな、夕来」
呼び捨てにされてドキリとする。
「いや、本当に思ってないです」と言ってから「僕は」と付け加えると、
「あんたって馬鹿正直なんだね」
「そんなことないですよ」
「馬鹿正直って言ったの、馬鹿がついてんだから褒めてない。それって人を傷つけることもあるから気をつけたほうがいいよ」
そう言ってにっこり笑うと、円花はメニューを開いて「デザート食べちゃおう」と吟味し始めた。夕来はそのおでこを観察しながら、もしかしてこの人も迷いながら生きているのかもしれないな、とひっそり思った。
「その人いくつぐらい?」
倭子が、バジルとトマトのピザを口に含みながら聞いてくる。
「んー、30歳って言ってたかな」
「ふうん、割り切っちゃってるのかな、もう」
夕来は何となく雲行きが怪しくなってきている予感がした。あくまでも島田の恋愛遍歴について話していたつもりだったけれど、フォーカスが30歳で愛人という立場に甘んじなければならない円花に合ってきている。
「島田さん、優しいし、お金もあるし、話がうまいし、モテると思うよ、それは」
「向こうに離婚する気がないんなら、さっさと別れちゃえばいいのにね」
考えるような目つきになっているのが、夕来の心をざわつかせる。
結婚という二文字がこんなにも重いものだとは昔の自分は知らなかった。乃梨子との生活に疲弊し、経済的にも決して恵まれていない現状がさらに二の足を踏ませる。絶対に結婚したくないわけではないけれど、結婚は必ずしも男女の先にある必須ゴールではないはずだ。夕来はこれ以上の人生を背負う勇気がまだ持てない。
「ワインおかわりしようかな」
やけに酒の進む倭子は首筋から胸元まですでにピンク色に染まっていて、やけに艶っぽく見える。
こんなに色っぽい女だったかな。
夕来は一転して、未だに体を重ねるときには恥ずかしそうに目を閉じる倭子の姿が浮かんだ。
「ぶっちゃけ、夕来ってマゾでしょ?強い女大好きって顔に描いてある」
ボンと脳裏に円花の言葉が蘇る。この僕が?確かに乃梨子は強い女だったけれど、それだけでマゾと決めつけられたらかなわない。




