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投影と達観

 島田の葬式は盛大に行われた。遺影には、これまでの講演中の写真で本人が一番気に入っているという一枚が使われた。島田はそれを大事にしまっていたのだと言う。


「あの人はいつも自分の大事なものはここだからって、書斎の机の引き出しを見せていたんです。そこから見つけました。この写真。ネガに汚い字で「遺影」って。そんなところまで用意周到でなくていいのに」

 島田妻の喪服姿は余るほどに美しく、周囲を魅了する。ただ、円花(マドカ)は結局焼香には姿を見せず、気づくと遠くから見つめるほっそりとした喪服姿の女が視界の隅に認められた。

 いよいよ火葬場に向かうというときに、その人影は楚々と人垣の中に入り込んできて、しっかりと手を合わせて担ぎ込まれる棺を見つめていた。

 島田の妻はゆっくりと視線を巡らせ、円花の姿にピタリと止まり、凛とした表情でマイクを取る。

「生前の島田は皆様に支えられて、実に充実した仕事人生を歩んで参りました。家庭に帰ればわたくしの夫ではありましたが、島田は常に仕事のことが頭にあったのだとしみじみと感じております。今世の中に出回っているあの人の言葉、思想が今後も皆様の人生を明るく照らしていくことを祈って、わたくしから最後にお礼を申し上げます。本日は本当にありがとうございました」

 深々とお辞儀をする島田妻の目の前に、気づけば円花が移動していた。ひやりとして夕来(ユウキ)が慌てて駆け寄るけれど、追いつけない。

 島田妻を前にすると、はるかに円花の方が背が高く、見下ろす形になった。

「何でしょうか。もう出ますので」

 妻が毅然と見返す。ふっと鼻から息を吐いた円花は、すっと出した右手の人差し指を妻の胸にある遺影に突き出し、


「この写真、私が撮ったんです。いい写真でしょう」


 とだけ言い残して、踵を返すとカツカツとヒールを鳴らして出て行った。

 ゆらり、と島田妻の体が揺れ、隣にいた父親らしき男性が抱きとめると、「わぁぁぁぁぁぁ」と叫んでその場に座り込んだ。


 夕来は震える。島田が遺したものは一体何なのだろう。

「島田は誰か他の人の気持ちなんてまともに考えたことがない。でもああいう人がたくさんの人生を救う。こぼれていくものを切れる人が」

 円花はこう言っていた。だからこそ、彼女にもそれが伝染している。あんな風に復讐したからって、自分は空虚になるだけだろうに。

 夕来は、隣にいる倭子の手を握った。

「かわいそう、奥さん」

 つぶやくその言葉には何の抑揚もないけれど、それだけにショックがより伝わってきた。



 倭子(ワコ)は体が震えた。夕来が手を握ってくれなければ、倭子もその場に座り込んでいたかもしれない。あんな風に自分を晒して、それでも妻として生きていけるだろうか。

 温真(ハルマ)を思い出す。倭子の中にしつこく居座る彼の面影は、魅力ばかりではないけれど、倭子にざらついた気持ちを思い起こさせるツールであることは間違いない。自分もあそこにいた。一時はそうなりたいと願ってしまった。そこには罪の意識というよりは、正当化できる自分しかいなかったのだ。確固たる地位など、外側の人間からしたら取るに足らないものだけれど、それに頼って生きていくことは、案外骨が折れる仕事なのかもしれない。他人の中に入って、文句ばかりを垂れ流している方がよほどか楽だ。

 夕来を見ると、その横顔は青ざめていて、それがショックなのか恐怖なのかよくわからない。

「火葬場まで行く?」

 倭子はそっとその横顔に囁く。その声が自分のものなのにどこか空々しくて、倭子は夕来と自分は全く別の生き物だ、と改めて感じた。

「帰ろうか」

 倭子は夕来の手をしっかり握ったまま、黒塗りの車に乗り込む島田の妻のほっそりとした首筋を見た。たおやかに、しなやかに生きて行くことはさほど難しくないだろうに、選んだ人生によっては簡単にその中心を歪められてしまう。

 ふと夕来が空いている方の手でスマートフォンを確認していた。

「参ったな。締め切りちょっと待ってって言ったのに、ちょっとの感覚が違うんだよなぁ」

 元妻からの連絡だろう。弱ったようにこちらを伺う。

「帰って急いで仕上げなきゃ」

 このままでもいいのかな、とふと倭子は思う。この人が抱えているもの全てに責任が取れるほど自分はできていないし、この人の抱えているものに自分の入る隙間などないだろう。

 見上げた空に飛行機雲がくっきりと分かれの線を引く。いつまでも消えないその跡が、妙に潔くて決意とはこういうものだと倭子は改めて思った。(了)


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