運命と直感
「島田さんとは、スカッシュクラブで一緒なんですよ。それ以来ちょくちょく来てるんです」
倭子は心臓の高鳴りを抑えることができない。これまで手伝いたいと言っても言葉を濁して曖昧にする夕来に、「自分から変わらなきゃ」と一念発起して短期アルバイトに申し込んだ途端にコレだ。
配置された受付で、何と温真と再会してしまった。姿を認めたときにはまさか、という気持ちと、運命という言葉がごちゃ混ぜになって混乱してきた。
「あれ、何してるの?」
温真の反応は、知り合いという温度を超えない平凡さで、倭子は自分の方がアガっていることに恥ずかしさを覚える。
「ええ、ちょっと手伝いに・・・」
口の中で言葉を選び兼ねていると、隣からスタッフの女性がテキパキと案内を始めた。ちらりと温真を確認すると、ごく自然に案内に聞き入り、「じゃあ」と倭子に短く挨拶をして会場に入っていく。
「お知り合いの方ですか」
スタッフの女性、確か「つぶらいまどか」という珍しい苗字の、がそっと聞いてくる。
「ええ、あの同僚の友達の旦那さん、ん、違いますね。えっと、友達の旦那さんの、同僚です」
混乱した頭が言葉を制御する。途切れたセリフが白々しく宙に浮かんでいるようだ。
「そうなんですね、素敵な方ですね」
「奥さんとはよく喧嘩するみたいですけど」
何を言っているのだ自分は。混乱する頭から発射される言葉は、まるで他人のようだ。
「そう言えば、渚井さんって桑田さんの恋人なんですよね」
「え、ええ。はい」
「すごい、恋人の職場視察っていうやつですか」
「そんなつもりじゃ」
そうか、そんな風に見えてしまうのか。自分が思いつめて起こした行動の重さを感じる。
「もしかして迷ってる、とか?桑田さんとこのままでいいのかな、他に気になる人がいる、とか」
倭子は唖然として円花を見る。この人は何者なのだろう。はっと思い起こすと、自分が温真と接していた時に、何かボロを出していたのかと心臓が跳ねた。
「ごめんなさい。別に桑田さんに妙なこと吹き込んだりしないから心配しないで。私、ちょっと敏感すぎて困るの。時々」
そう言ったきり、受付業務が忙しくなって、倭子は余計なことを考えられなくなった。目の前のことに集中し、必死でさばいているうちに、すっと客足が引いた。
「開演して15分経ってるし、もう落ち着くでしょ。よかったら講義、聴いてきてもいいですよ」
と円花が手でどうぞと促してきた。これ以上何か言われたら困ると思った倭子はそそくさとその場を後にし、会場の扉をそっと開いて中に体を滑り込ませた。並べられた椅子の中、一番後ろに、温真のスーツの背中が見える。その肩口や首筋を眺めていると、あの日のことが勝手に浮かんできた。あれからメッセージのやり取りは一切していないし、偶然スーパーで会うこともない。ただ、ありもしない偶然を様々に期待している自分に嫌気がさしている日々だった。
ただこんな偶然は望んではいない。後ろめたさが同居する状態を楽しめるほどは図太くないけれど、倭子の中で温真の温もりはまだくすぶっていた。
「誰だって正しい選択ばかりが出来るわけではありません。けれど、違うと思う感度は常に磨いていなければ、錆びるだけです」
壇上の上では、夕来が心酔している島田の言葉が響く。
ふわっと思考が浮かんで、倭子は頭上から今の状況を眺めてみる。夕来を求めて変わろうとしていたはずなのに、さらに逆へ行っている気がしてならない。ただゆらゆら揺れる気持ちは自分ではどうしようもなくて、だらしなく原型を失っていた。
「間違い、なんて怖くない。何もしないこと以上に残酷なことはこの世にはありませんよ」
時には優しく、時には強い口調を自在に扱う島田には、それなりの魅力があった。このリーダーに心惹かれる人が多くいるのはわかる。吸引力があり、その顔には成功した証がちゃんと刻まれている。飄々とした佇まいと、その中にある信念。何度でも触りたくなる、バランス感覚が備わっていた。
講演は拍手喝采の一体感に包まれているうちに終了する。壇上から島田が去っていくと、ふと夕来が客席の後方に近寄ってくる。そして何と、温真に近寄って何か耳打ちしているではないか。倭子は我を忘れてその様子をじっと伺った。