反発と焦燥
「急にどうしたんですか。仕事手伝いたいとか、彼女さん」
円花の言葉に、夕来は「こっちこそ聞きたいですよ」と返す。
「桑田夕来さんの紹介ですとか言うから誰かと思ったら、彼女でびっくり」
島田の講演やワークショップには毎回かなりの人数が集まるようになり、毎回一時期的なアルバイトを募集する。今回も1日限りの手伝いを募集したところ、何とそこに倭子が応募してきたというのだ。
これまで、度々「私も夕来の手伝いできるようになりたいから、一度連れて行って欲しい」と口にしていたけれど、適当に受け流していた。何となく自分の職場に介入してくることに抵抗があっただけなのだけれど、こうやっていざ一緒になるとわかった途端、島田と比べて自分の未熟さを感じる場所に倭子を連れて来たくなかっただけだと気づく。
「でも、楽しみ。どんな人か見てみたかったから、夕来の彼女」
「ちょっと、彼女の前でその呼び方・・・」
「そうね、何もないのに変な誤解生むね。いっそ誤解されるようなことしとけば良かったかな」
意味ありげな笑みを口元に乗せる円花を見ながら、肝が冷える。完全に遊ばれてるな。
今回は、三百人を超える講義になるため、複合ビルのレンタルホールで開催することになる。受付から案内係の一人に倭子は配置されることになって、その責任者は円花だ。
最近は島田から「あれこれ難しく考えないで、とりあえず小規模なワークショップとかチャットとか立ち上げればいいんだよ。様子見て集客する方法考えればいいんだし」と言われ、「しばらくこっちと両立して、自分の方が忙しくなったら抜けてもいいんだし」とまで言ってもらえた。言う通り、とにかく始めなければダメなのだろうけれど。
「あなたは平均的に普通にできちゃうのが一番ダメなところね。できる人の気持ちも、できない人の気持ちもわからない」
そんなこと言われなくてもわかってる、夕来は乃梨子の言葉に反発する。乃梨子はとりあえず推薦するためのコラムを一つ送れとしつこかった。
「せっかく推薦したんだから、何もせずに逃げるなんて許さないわよ」
「逃げてないだろ、別に。こっちが頼んだわけじゃないんだし」
「自信ないんでしょう、ハッタリでも何でもいいから、あなたの実力見せてよ」
乃梨子がヒートアップしてくるのがわかった。この女はとにかく人を説き伏せにくる。自分が正しいと、何とでも認めさせたいのだ。
「あのさ、養育費払うような余裕はないことは確かだけどさ、もしそっちが切羽詰まってないんだったらアテにしないでしばらくほっといてよ」
すると、はあ、とわかりやすくため息を吐いて、乃梨子は続けた。
「アテにしないで、なんてよく言えるわよ。お願いだから父親としてちゃんとしてよね。娘にとってはいいお父さんでいて欲しいの。離れてるからこそね」
円花の言葉を不意に思い出す。案外わかってるもんだから、子供は。まだ幼い彼女たちにも父親の姿は正確に伝わっているのだろうか。
「あなたは夫としては物足りないけど、古い知り合いとしてだったら頑張れって言えるのよ」
こう続けた乃梨子の言葉を思い返すと、途端にままならない現実が迫ってくる。焦る気持ちと、反発心、いつもその間で揺れる。
「詰まらない人生、退屈な今日、そんなゴミはキレイに捨て去って、はて、何が残ったのかちゃんと見るのです。嫌々勤めている会社、無理して付き合っている友達、好きでもないのに関係している恋人、いっそ丸めて捨てましょう。何てことないでしょう?」
島田が高らかに宣言した。場内のシンとした緊張感が全て島田に向けられている。そのパワーにいつも圧倒されるのだ。
壇上から降りるとき、席後方に目を向けた島田が親しみのある視線を投げていた。あれが後で楽屋に呼べと言っていた知人だろうか。
夕来は島田から渡されたメモを再度確認し、島田の目線に答えていた男にそっと近づいた。
「お客様は伊勢温真様でしょうか。島田が講演終了後控え室に来て欲しいとのことです」
この男と島田とはどういう関係なのか。夕来は上質そうなスーツに身を包んだ伊勢温真という男をそっと観察した。年下の、キチンとした身なりのサラリーマンは特に目に痛い。
「わかりました。場所はわかりますので、自分で行きます」
そつなく答える男からは、嫌味な香水の香りがした。劣等感を含め、夕来の苦手なタイプだ。