42歳男、39歳女
【ポーリー】恋愛関係を1人に限定せず、お互いが理解した上で数人との親密な関係を同時期に進行させる人の略
「デートにスッピンってどういうこと?お前何様のつもり?」
渚井倭子はこの言葉を今も時々思い出す。
あんただって人のこと言える顔か。
当時付き合っていた彼氏にそう吐き捨てる自分は妄想の中にしかいない。残業の多い会社に勤めていて、”忙しい俺”が何よりも自慢の男だった。デートがキャンセルになるのなんていつもの事、その日も「悪い、仕事終わらない」とメールを送ってきたから風呂にも入り、すっかりくつろいでいたのに、突然「思ったより早く終わったから」と夜の十時過ぎに電話をかけてきて「会いたい」と甘い声を出すので、取るものもとりあえず出かけた。挙句が、先のセリフだ。
「彼氏が仕事で疲れてんのにさぁ、彼女が化粧もしてこないってどうよ。信じらんない」
自分も働いているし、疲れている。倭子は内心反論する。確かに彼の方が仕事にはるかに膨大な時間を費やしていた。それに対して自分はほぼ定時に終われるけれど、だからと言って楽なわけではない。
けれど当時の彼はとかく「彼女とは女とはこういうもの」という理想を押し付けてきた。
倭子は相手と気まずくなるのは嫌なので敢えて反論しなかったけれど、今思えばそこに本当に愛があったのかは疑問だ。
「やっぱさ、髪型はロングだよな。ふわっとした毛先にグッとくるよ」
「ワンピース似合う人っていいよな」
「休日にはご飯作ってよ。だからキッチンがちゃんとしてるアパートにしたんだよね」
無断で髪を切ると不機嫌になり、パンツスタイルには難色を示す。手作りが一番だと言うくせに、出した料理で一番感激したのは、こっそり買ったデパ地下の惣菜だった。
顔が好みで、キスの仕方も好きだったけれど、段々と表情が無機質に感じられ、デートの誘いの断り文句を考え始めたところで別れを切り出した。
意外にも彼は大泣きをして、何度も復縁を切望してきたけれど、倭子の中ではすっかり決まっていたのだ。結論が覆ることはなかった。
本当は結婚したかった。付き合った期間も年齢もちょうど適齢期で、2人をしばらく楽しんだ上で子供は2人欲しいね、そんな話もしていたというのに。
倭子は結婚という大きな目標に挫折して、この先1人もいいかなと思い始めた時にふと桑田夕来と出会ったのだ。
「君って首の形が綺麗だからショートボブでも似合うんじゃない」
「もっと明るい色を着た方が、魅力的になるよ」
「この前ふと、たい焼き食べたくなってさ、どこか美味しい店知らない?」
会話の何もかもが新鮮で、オシャレな外見と無駄のない体つき、日焼けした肌に綺麗に整えられたヒゲ、一気に気持ちが揺さぶられ、心臓が高鳴って収まりがつかない。これまでにない情熱が湧き上がり、飛び出そうな気持ちを何とか堪えて静かに接近した。出会うきっかけになった友達に協力してもらって、何度か飲み会で会うようにセッティングしてもらい、常に隣をキープして話を聞いた。
「ショートボブ、すごく似合うよ」
「桑田さんにアドバイスいただいたから、思い切って。すごく軽くて気に入ってます」
「アドバイスなんて言われると照れるなぁ」
ねぇそれと。敬語やめない?
そう言って微笑んできた夕来の瞳に吸い込まれ、倭子は心に決めた。
この人と付き合いたい、結婚したい。
そうして始まった恋は今年で4年目になる。倭子は来年40歳だ。
夕来はいろんなことを知っているけれど、偉そうにそれをひけらかすようなことはしないし、女に優しい。その中でも倭子には特上の優しさをいつも向けてくれるし、一日に一度は必ずメッセージをくれる。倭子はこの人に出会えてよかった、と心底思う。
ただ、これまでの4年間で彼から結婚の二文字が出たことはない。「バツイチで離れて暮らす娘が2人いる」と聞かされた時にはショックを受けたけれど、これまで付き合ったどの男よりも誠実さを感じた。
けれど今思えば、「結婚はこりごりなんだ」と言う、夕来の意思表示だったのだろうか。
ただ、倭子は焦っている女などと思われたくない一心で、結婚の二文字をいつも飲み込んでしまう。今となっては本音を聞く方が怖い。
倭子は年齢を重ねるごとに窮屈になってくる恋愛に、不公平を感じずにはいられない。
どうして女だけ、こんな思いをしながら悶々と過さなければならないのか。
42歳の男と、39歳の女。圧倒的に女の方が不利だ。