芽吹く想い
幸いセイさんは私が毛虫と会話していたことには一切触れなかった。
「隣の学習室で今後の基本生活についてお話します」
速やかに続きの間の扉を開き、移動するように促す。
そこは四方の壁を本棚で埋められ、中央に大きな机が一つ置かれている、いかにも学習専用の部屋だった。
私は相談室に呼ばれた生徒のような心境で、セイさんと机を挟んだ対面に着席する。
「そんなに固くならないで下さい」
そう言われてもこの慣れない状況では無理だった。
ふっとセイさんは長い睫毛を伏せて微笑むと、本題に入る。
「まず最初に神殿では規則正しい生活が基本です。
起床時間と食事の時間、就寝時間は毎日決められています。
午前中は座学、午後からは実習および実技で、授業は全て私が担当します。
もちろん休憩や自由時間もありますからご安心下さい。
あと一番大切なことですが、あなたが行動出来るエリアは限られています。そこから決して出ないように気をつけて下さい。
ここまでで何か質問はありますか?」
「は、はい!」
私の関心はただ一つ。お兄様に会えるチャンスがあるかということだけだ。
「行動エリアが決まっているということですが、許可を取ったら神殿の外に出られますか?」
「出来ません」
即答だった。
「では、当然、里帰りなんかも?」
「無理です」
まるで取りつく島もない感じだ。
「家族の面会は?」
「それは許されます」
初めて得られた良い返事に私は瞳を輝かせた――が、
「ただし正式な聖女になってからです。
何よりも修行して一人前になることが優先されますので、家族との手紙のやり取りが可能になるのもそれからになります」
続けて言われた台詞にがっくりする。
し、しかも手紙まで制限されるとか!
だいたいなってからって、なれるかどうかもわからないのに……!
――神殿から出ていく日の方が先だったりして……。
「そう気落ちしないで下さい。まじめに勉強して修行すれば、あなたならすぐに聖女になれますよ」
セイさんが低く優しい声で励ますように言った。
私は『すぐに』という単語に反応する。
「本当ですか?」
「ええ……私を信じて下さい」
それが本当なら、私は近いうちにお兄様と面会できちゃう。
おまけ回復術とかも使えるようになって、将来役立つスキルまで手に入れられちゃうんだ!
「私、修行頑張ります!」
力を込めて宣言すると、セイさんは美しい口元をほころばせた。
「あなたは相当素直な性格なんですね。それにすぐ感情が顔に出て可愛いですね」
「そ、そうですか?」
そんなに感情が駄々漏れだったんだろうか。
私は思わず恥ずかしさに顔を熱くする。
「ええ、私が聞いていたあなたの評判とずいぶん違って驚いています」
って、どんな評判だったんだろう?
……だいたい想像がつくけど……。
セイさんはそこでおもむろに立ち上がった。
「……さて、それではいったん、昼食が終わるまで休憩にしましょう。
午後からは神殿内部を案内します。
それが終わったら自由時間にしましょう。
それと、忘れないうちにこれを渡しておきますね」
スッとセイさんがペンダントを差し出してくる。
あ、これ見覚えがある。
私は受け取ってすぐに気がつく。
見る角度によって色を変える丸い綺麗な石がついている――
「セシリア様がいつも身につけていらっしゃるものと同じものですよね」
私が指摘すると、セイさんは一瞬その美麗な顔をぴくっとさせた。
「皇妃様もつけていらっしゃいましたか。これは、ミルズの守りという宝玉のついたペンダントです」
「ミルズの守り?」
「ええ、これをつけていれば、強力なミルズ神のご加護によりつねに身を守られます。
ですので片時も身から離さず、寝る時も必ず枕元などに置いておいて下さい」
そんな凄いペンダントだったのか。
これがあったら、斬首刑もまぬがれちゃったりしないかな。
「わかりました!」
期待を込めてさっそく首にかけてみる。
「では、休憩に入りましょう」
休憩と昼食を済ませた午後。
建物内を案内されながら説明されたのは、私が一人で行動出来るのは寝室と続き間とベランダのみ。
想像以上に狭い範囲ということだった。
ただしセイさんに付き添われてなら、敷地内の大半の場所に行くことは可能で、庭などにも出られるとのこと。
「私にも他の仕事があって外せない時がありますので、そのような時は自習したり、部屋に閉じこもっていて下さい」
つまりセイさんが忙しい時の私は引きこもり状態……。
なんだかこれってまるで籠の鳥みたい。
いくら公爵令嬢で大聖女様候補だからって、ここまで行動を制限される理由はない気がするんだけど……。
凄く疑問だし、不満だった。
あくる日は、いよいよ聖女見習いの勉強&修行一日目。
「フィーネ様、違います!」
「今説明したばかりですよね?」
「こんな初歩も出来ないんですか?」
初日からさっそく私のあまりの駄目駄目ぶりにセイさんが鬼教官化する。
午前中はもちろん、午後の実習でもかなり絞られることとなった。
思い返せば前世の私は真面目に勉強していた割に成績は下のほうだった。
つまり地頭がかなり悪いのだ。
しかもすべてに及んで要領も飲み込みも悪いうえ、運動神経も下の下だったし……。
あ、なんだか自分の無能さに物凄ーく落ち込んで来たかも……。
「はぁ……フィーネ様は優秀な方だとうかがっていたのですが……雷に打たれたせいでしょうか……?」
白く繊細な指を顎に絡ませ、セイさんが真剣に悩みだした。
すいません。フィーネの脳みそに私の低脳と無能さを上書きしちゃって……!
不甲斐なさに私がうなだれていると、
「今日はもうお終いにして、散歩でもしましょうか」
気を取り直すようにセイさんが嬉しい提案をしてくれた。
私は待ってましたとばかりに顔を上げる。
や、やっと修行から解放される!
「どうします。気晴らしに外でも歩いてみますか?」
「はい!」
二つ返事でセイさんに連れられて中庭へ向かうと、そこには色取りどりの花が咲き乱れ、豪華な造りの噴水がキラキラと高く水を噴き上げていた。
わ、この風景、確か「恋プリ」の背景で見たおぼえがある!
セイレム様ルートが大好きだった私は、嬉しくて無駄にきょろきょろしてしまう。
そんな無邪気な子供みたいな私をセイさんが生温かい目で見守っていた。
現時点では残念ながら「滅多に人前に姿を現さない」という大神官セイレム様に出会える要素は見つからないけど。
すべてのENDを回収し、スチルを集めきったあとも、35周するぐらいセイレム様好きだった私なのだ。
実物に会ったら感激し過ぎてどうにかなってしまいそうだったから、むしろそのほうが良かったかも。
たしか屋上で二人で抱き合うスチルもあったんだよね。
なんて思いつつ建物の上方を見上げていると、
「屋上にも登ってみますか?」
私の視線の先を追ったらしいセイさんが尋ねてきた。
「いいんですか?」
思わぬ展開に心が弾む。
「はい、では、着いてきて下さい」
「うわーーー、すごーい」
運動不足の私にとって長い階段は苦行だったけど、登りきったあとの景色がその疲労を吹き飛ばしてくれた。
「神殿自体が丘の上にあるので、とても見晴らしがいいでしょう?」
セイさんの言うように屋上からは首都を囲む城壁は当然のこと、遥か遠くの森林や湖、草原や山々まで見通せた。
何より強い風が気持ちのいい。
やが風景を眺める私の瞳は自然に公爵家の屋敷がある方角へと吸い寄せられる。
エルファンス兄様は元気にしているかな……。
と、ついしんみりしかけていたとき、
「私もここから見える景色が好きでたまに来るんです。
飛べなくても高いところに立てば、同じ景色が見えるでしょう?」
白髪を風に踊らせたセイさんが長身をかがめ、いたずらっぽく微笑みかけてきた。
「え?」
「羨ましいと言っていたので……」
言葉の意味を理解するとともに私は顔が発火しそうになる。
もう話題にされないだろうと油断してところに、今さら毛虫との会話を持ち出すとか!
「そのことは忘れて下さい」
恥ずかしがる私の様子がよほどおかしかったのか、セイさんは初めて声をたてて笑う。
「あはは、あなたは本当に面白い人ですね。
表情が豊かで、見ていて飽きないし、一緒にいると楽しい」
「え?」
面白い?
一緒にいると楽しい?
意外な発言に私は驚く。
自慢じゃないけど、前世の私は興味や趣味の範囲がごく狭く、他人と共通する話題が乏しかった。
周りの会話についていけないことが多く、たまに話しかけられても上手く受け答えできない。
我ながら他人にとってつまらない人間だったと思う。
そのおかげで、生まれてこのかたただの一人も友達がいたことがない。
アパートで一人暮らししていたので、職場でも家でもつねにぼっち。
趣味や妄想で時間をつぶすだけの孤独な毎日を送っていた。
そんな私なので、当然ながら一緒にいて楽しいと言われたのは生まれて初めてだった。
思わず嬉しさで胸を熱くしていると、
「あそこに見える湖がとても綺麗だと思いませんか?」
一方を指さしてセイさんが訊いてきた。
私はすぐに目を向ける。
「はい、見たこともないぐらい鮮やかな青緑色で、夢みたいに美しいかと」
私の答えにセイさんが「ええ」と頷き、ふわりと笑いかけきた。
あ、なんだろうこの胸が満たされる感覚……。
一緒に美しいものを見て感想を言い合う、ただそれだけのことがこんなに幸せだなんて知らなかった……。
思えば私は生まれ変わってからも孤独だった。
他人の気持ちなんかに興味はなく、ひたすら自分勝手に生きていたから。
つまり35年間+12年間も生きていたのに、まともに他人と交流したことがない。
――生きていた――それは果たして本当の意味で生きていたと言えるのだろうか。
前世の私はただ息をして「死ななかった」だけ。
今世の私はもっと悪く「死を望むように」破滅の道をつき進んでいた。
誰かと見る世界はこんなにも鮮やかで美しかったんだ……。
そう実感した瞬間、私の瞳からは自然に涙が溢れだしていた。
「フィーネ様、どうかしましたか」
「いいえ、私も……私も……楽しいなと……思って……綺麗だと……」
喉が詰まって続きの言葉が出なくなり、ただ涙をこぼしている私に、セイさんはそれ以上何も訊かなかった。
代わりに無言でスッと手を伸ばし、慰めるように肩を抱き寄せてくれる。
「ここが気にいったなら、たびたび来ましょう」
そう言うと身を寄せたまま、しばらく無言で並んで風景を眺め続けた。
見た目は凄く冷たい感じなのに、セイさんって実は優しい人なんだ……。
部屋へと戻る道すがら、セイさんの整った横顔を盗見しながら私が考えていると、
「私の顔に何かついていますか?」
すぐに見てるのがバレてしまった。
「い、いえ……ただセイさんって思ったよりいい人なんだなって思って……」
焦って馬鹿みたいに思っていたことをそのまま口に出してしまう。
「あ、失礼な言い方をしてごめんなさい!」
「いいんです。よく、冷たい顔立ちだと言われますし。
小さい頃から、人形のように人間味の欠けた表情と容姿で、何を考えているのか分からないと言われて育ってきましたから……」
「そんなっ、酷い……!」
口ではそう言いつつも、正直言うと先刻まで私もそう思っていた。
「私も、顔ではいつも誤解されてきました……」
前世の私は肉の割れ目のように細くて釣り上がった目のせいで、よく睨んでいると勘違いされた。
「見た目で誤解されるのって辛いですよね……」
かつての自分を思い浮かべ私が共感の気持ちを伝えると、
「ええ、まったくその通りです……」
セイさんもしみじみ同意する。
なんだか思ったより彼とは気が合うし、仲良くやっていけそうな予感がした。
そう思ってから二週間ほど経過した、新生活に慣れてきたある日。
並んで書庫に向かう途中、エルノア様がセイさんを呼び止めた。
「少しここで待っていてください」
私に断ってセイさんが離れてゆき、会話が聞こえない距離をとって二人は会話し始める。
その様子をぼーっと立って眺めていた私は、突然誰かに背後から腕を掴まれた。
「フィーネ様、ちょっとこちらへ」
はっとして見るとロザリー様だった。
そのまま腕を引かれるままに角を曲がり、セイさん達から見て死角の位置へ移動してからロザリー様が口を開く。
「なかなかあなたに話しかける機会がなくて、心配で気をもんでいました」
「心配ですか?」
「ええ、当初あなたの指導は私が担当する予定でしたから……。それが聖女見習いの指導は聖女があたるという慣例を破り、今回のみこのようになってしまって……」
「……特例だそうですね……」
「いいえ、これは特例どころの話ではありません。本来、聖女見習いの生活はもっと自由なものなのです……。
滅多な事は言えませんが……あのセイという神官の方も、大神官様の直属であるという以外は謎が多いのです。
エルノア様は何か事情をご存じかもしれませんが……とにかく、用心して下さい。嫌な予感がします」
そのしっかりと握られた手の温もりと真摯な眼差しから、ロザリー様が本気で心配してくれているのが伝わった。
セイさんを信頼しかけていた私は考え過ぎだとは思ったけれど、純粋に気にかけてくれていたことが嬉しくて、
「わかりました。用心します」
と素直に頷いた。
「ごめんなさいね。不安にさせるような事を言ってしまって……あなたにミルズ神のご加護がありますように」
最後にお祈りの言葉を口にすると、ロザリー様は素早くその場を去って行った。
「フィーネ様、ここにいたんですね」
そこに入れ違うようにセイさんが姿を現す。
「セイさん」
「ロザリー様と話していたのですか?」
回廊の先を見据えてセイさんが尋ねる。
「はい、少しご挨拶を」
「そうですか……」
セイさんは繊細な指を顎に絡めて、少し考え込むような仕草をしたのち、
「午後の勉強がありますから、行きましょうか」
柔らかく微笑み、私の手を取って歩き始めた。
それからの神殿生活はひたすら平穏に過ぎ、ロザリーの様の心配は杞憂だったと思えた。
元々引きこもり体質で他人が苦手な私は、最初は抵抗があった行動制限にも、毎日セイさんと世話係の女官にしか会えない状況にもじきに慣れた。
とはいえ家族と面会どころか一切連絡も取れないことだけは辛く、エルファンス兄様恋しさに枕を濡らす夜も多かった。
でもそのたびに「聖女になればお兄様と面会できる」と自分を励まし耐えしのんだ。
しかし、情けなくも悲しいことに、劣等生の私はいつまで経っても聖女見習いのまま……。
唯一の救いといえば、見放さず根気よく指導し続けてくれるセイさんの存在だけ。
穏やかで気がきくセイさんは、授業の合間に私を息抜きに外に連れ出したり、寂しくないように頻繁に話しかけてくれた。
そんなつねに誰かと一緒に過ごす毎日は、ずっと一人ぼっちだった私には新鮮なものだった。
やがて新しい日々を積み重ねていくうちに、自然にセイさんは私にとって師匠以上の保護者。家族のような大切な存在になっていった。
おかげですっかり繰り返される日常にも慣れ切ってしまい、エルファンス兄様と会えない以外は、それなりに幸せな毎日を送っている間に――あっという間に二年の歳月が経過していた。
――そうして14歳になった私は、思わぬ人物との再会とともに、大切な人を失うことになる――