逢瀬と旅立ち
『義妹と俺の仲を勘違いするなんて、止めて欲しい。
フィーネを妹以上に思うことなんて、たとえこの身が1万回業火に焼かれて生まれ変わったとしても有り得ない』
それは「恋プリ」の中でフィーネとの仲を誤解して走っていくヒロインちゃんを追いかけて捕まえ、エルファンス兄様がきっぱりと言い放った台詞である。
今思うと「そこまで言うか!」って感じだけど
とにかく1万回どころか、たった1回生まれ変わっただけで妹以上になれたんだから……。
ある意味、シ、シナリオに勝った?
「この隠し扉がこんなに役に立つとは」
「お兄様……」
深夜、隠し通路を通って寝室にしのんで来た私を迎え入れる、お兄様の目は熱っぽく、優しい。
後ろ手に扉を閉じると、さっそくその温かい胸に飛び込んでいく。
愛しのエルファンス兄様は公爵家に養子入りするとともに、帝国の最重要軍事機関である魔導省に仕官していた。
ガウス帝国が大陸一の強大国になれたのも、他国の追随を許さない魔導技術の高さと、それを戦争に持ち込んだおかげなのだ。
ゆえに魔導省の入省できるのは貴族の身分だけではなく、優れた能力の持ち主。エリート中のエリートのみ。
そこに14歳という異例の若さで入ることができたなんて、さすが私のエルファンス兄様!
とにかくお兄様は基本的に勤務している昼から夕方過ぎまでは屋敷にいないので、二人でゆっくり過ごせるの夜遅くの時間帯だけだった。
私達はあの誕生日以来、こうして一日も欠かさず逢瀬を重ねてきた。
しかし、二人で過ごせるのもいよいよ今夜が最後。
明日はとうとう神殿へ旅立つ日。
切れ長の吸い込まれそうに深い青い瞳を見つめながら、私は少しでもお兄様の姿を脳裏に焼きつけようとして、美しい顔の輪郭を何度も指でなぞってみた。
そしてできるだけその温もりや感触を憶えていたくて、銀髪に触れたり、身体に抱きついたりした。
「やっぱりもう抱いてしまおうか……」
そんな私に対し、エルファンス兄様は時折、冗談とも本気ともつかずにそんなことを言う。
でも今では知っている。
お兄様は決して私が本気で嫌がる事はしないことを……。
「……私はもう……お兄様のものです……」
胸の内を言葉で伝えと、私を膝に乗せ、優しく髪を指ですくように梳かしてくれていたお兄様も、
「フィーネ……愛してる……」
と、想いを込めるように返してくれた。
思えば、愛してる、とはっきり言われたのは、これが初めてのような気がする。
「ついこの前までは自分がこんな気持ちになるとは想像だにしていなかった。いくら見目麗しかろうともお前は毒のようで、侵されてしまうのが怖かった……。
でも今は外面も内面も、お前のなにもかもがたまらなく愛しい」
「お兄様……」
それは何よりもの私への褒め言葉だった。
「私も愛してます! とても、とてもお兄様のこと!」
たまらず目の前の胸に顔を埋め、自分も同じ気持ちであることを訴える。
エルファンス兄様それを受け止めるように、きつく私の身体を抱き締めてくれた。
「いよいよ明日か……」
「……うん……」
遠い瞳をして呟くお兄様の腕をぎゅっと掴む。
こんなに身を千切られるような別れがあるなんて、人との関わりが薄かった前世の私は知らなかった。
「フィーネ、約束しろ」
急に鋭く硬い声で言われ、私はお兄様の顔を見上げる。
「……何を?」
エルファンス兄様は大きな手で私の頬を両側から包み込むと、まるで言い聞かせるように一つ一つの言葉をゆっくりと口にした。
「決して俺以外の男にはこの身体を触れさせるな」
「……は、はい」
「心を許すのも駄目だ。
出来るだけ俺以外の男と話すな顔も見るな見せるな」
神殿だからそもそも異性と会う機会はほとんどないと思うけど。
「分かりました、お兄様!」
どんな無茶を言われてもイコール愛情だと感じられて嬉しくて、素直に頷く。
「お前は……?」
「え?」
「お前は俺に何も言わないのか?」
「私は……」
問われて考える。
私は運命を知っているから、そんな事は言えないな……と。
エルファンス兄様の愛しい顔を見つめながら、言葉ではなく、心の中で語りかける。
ねえ、お兄様知ってた?
あなたはこれから運命の女性に出会うんだよ?
甘い蜂蜜色の髪に、ミルク色の肌をした、宝石のような緑色の瞳をした少女に……。
彼女に出会ったあなたこそが、私との約束をたがえてしまうかもしれない。
むしろ悲しいけどその可能性は凄く高い――
それでも私だけは忘れない。
誰かが言っていた。
全ての事象は移ろいゆく。
美しさも幸せも一生は続かない。
時は一瞬の積み重ねで、瞬間にこそに真実が、永遠があるのだと……。
だからいつか気持ちが変わってしまっても、あなたがくれた愛や気持ちがまがい物になるわけじゃない。
こうして二人の想いが重なりあった幸せな瞬間の記憶は残るから……。
私はこの先どんな未来が待ち受けていたとしても、あなたから受け取った温もりや言葉、思い出を、いつまでも宝物のようにずっと胸に抱いて生きていくからね。
大好きなエルファンス兄様。
私に最初に人から愛される喜びをくれた人――
「私はお兄様を信じてます」
それだけ言うと、精一杯の笑顔を向けて、初めて自分からエルファンス兄様の唇に唇を重ねる。
「フィーネ……」
お兄様が切なげに私の名を呼んで抱き締める腕に力を込め、長い、長い口づけを交わし合う。
二人でいられる残り時間はあとわずか。刻一刻と別れの時が近づいている。
時間を惜しむように私達は、その夜、一晩中抱きしめ合っていた。
――そうして、ついに夜は明け、別れの日の朝がやってきた。
「神殿には馬車ではなく、俺が馬で送っていってもいいですか?」
すでに荷物は全て神殿へ送り終えており、あとはこの身一つで向かうのみだった。
だからこそ出来たエルファンス兄様からの提案だ。
「私からもお願い」
重ねて私からも言うと、お父様は寂しそうに頷いた。
「フィーネが望むなら仕方がない。エルファンスなら必ず無事にお前を神殿へ送り届けてくれるだろうしね……」
そう言って別れを惜しむように抱擁する。
「神殿生活で癒されたらまた元の無邪気で元気な小鳥のようなお前になって、飛んでこの屋敷へ戻って来ておくれ……。
お父さんは、いつでも、いつまでだって、大喜びでお前を迎えるから……私の可愛い天使」
「お父様……分かったわ……」
愛情溢れるその言葉を私は痛ましい思いで受け止める。
お父様の愛したその無邪気な小鳥のようなフィーネはもう永遠に戻らない。
ごめんなさい、ごめんなさい。
「手紙を書きます」
なんとかそう伝え、私はお父様から身を離した。
「では行って来ます……」
神殿へと向かう道すがら、馬上の私とお兄様はお互い言葉少なくなっていた。
私は別れの悲しみに胸がいっぱいで、口を開くたびに、号泣してしまいそうになるから……。
さらに顔を見るたびに涙がこぼれてしまうから、背後にぴったりとくっついて馬を操作しているお兄様を振り返ることもできなかった。
「このままお前をさらって、どこかへ連れて行こうか……」
後ろで小さく呟く声がした。
返すべき言葉がない私は聞こえないフリをした。
あえてゆっくり馬を進めていたので、早めに出たのに予定時間よりやや遅れての到着になった。
とうに神殿の門の前には出迎えの女官達が並んでいる。
エルファンス兄様は馬を止めると先に降り、下から私を抱きとめてくれた。
そうして向かい合って立っての、別れの挨拶を交わす段になった。
「エルファンス兄様……」
愛しいお兄様の顔を見上げたとたん、とうとう私は堪えきれなくなり、両目から大量の涙を溢れさせてしまった。
「フィーネ……」
大きく温かなエルファンス兄様の手が私の両手をしっかりと握りこむ。
「待っている」
一言だけ言って、お兄様は私を引き寄せ、いかにも別れがたいというように、強く、長く抱きしめ続けてくれた。
私も離れたくない想いを込めて、号泣しながらその身体にしがみつく。
しかし、いよいよ女官達にうながされ、仕方なくお互いの身を離す。
そこからは私一人。
まさに身を引き裂かれるような気分で歩き出す。
縞大理石でできた門の先は、一般の者が入れない領域。
ついにその境界を越え、門をくぐったあとも、未練がましく何度も振り返らずにはいられなかった。
エルファンス兄様はいつまでもいつまでもそこに立って私を見送り続けてくれていた。
その姿を見るたびに、新しい涙を溢れさせながら、私は心に誓った。
(……待っててね……必ずお兄様の元へ戻ってくるから……)
もしかしたら、この先ヒロインと出会ったエルファンス兄様の気持ちは変わってしまうかもしれない。
私のことなんてもういらないと言うかもしれない。
それでもいい。
私だけは交わした誓いを、約束を、絶対に絶対に忘れない。
私の全てはもう、すでにエルファンス兄様のものなのだから……。