選択の結果
大陸の北の果て? 果てとは一体どれぐらい果てなのだろう?
少しの間、頭の中でぐるぐると考えた末、素直にセイレム様に質問する。
「あの……セイレム様、大陸の北の果てというと、ロイズ王国からどれぐらい離れているんでしょうか?」
「国を五つほど挟んでいます」
「い、五つ!?」
驚きのあまり思わず声が裏返る。
「ええ、ただし、ガウス帝国を経由して陸から最短で行った場合は、ですが」
「て、帝国を経由しないと、ロイズには着けないっ? ど、どうしてそんな遠くに……!?」
「どうしてって――そうですねぇ、死に瀕し、あなたと二人、出来るだけ遠くへ行きたいという願望が現れたとしか言いようがないですね」
出来るだけ遠くへ――って!?
衝撃の事実に、頭から血の気がサーッと引く。
どっ、どうしようっ!?
私、二度とエルファンス兄様と離れないどころか、かつて無いほどに遠く離れてしまった……!?
「……いっ、一体……どれぐらい……ロイズに帰るのにかかるんでしょうか?」
問いかける声が動揺でぶるぶる震えてしまう。
「さあ、私も帝国からここまで遠く離れたのは初めてですし、旅に関しても初心者なので明言は出来ませんが」
「はい」
「……少なく見積もっても4、5ヶ月、たぶん半年程度はかかるでしょうね」
――し、し、4、5ヶ月から半年っ!?
想像以上の現実にショックを受け、めまいをおぼえて倒れかけたところを、すんででセイレム様の腕に支えられる。
「フィー、大丈夫ですか? さあ、少し横になって」
いたわるように優しく身体を抱きおろされ、セイレム様に膝枕されて床に横たわる。
我ながら精神が脆いというか……これでは昨日どちらが死にかけたか分からない……。
ああっ……それにしても、どうしようっ!?
一刻も早くエルファンス兄様の無事を確認して、傍に行って安心させてあげたいのに――下手したら半年も会えないなんて……!?
羽で飛んだ時はただセイレム様を助けたい一心で、こんなことになるとは夢にも思わなかった。
改めて昨夜の状況を思い浮かべ、私はそこで重要な点に気がつく。
「そういえばセイレム様!
たしか羽は複数あるって言ってましたよね?」
もしも他の羽があれば一気にロイズ城へ帰還できる!
そう思って、期待を込めて水色の瞳を見上げると、
「残念ながら貴重な聖遺物なので、持ち出したのは行きと帰りの2枚のみです。
その2枚もすでに貴方の元へ駆けつけるのと、ここへ飛んでくるので使い切ってしまいました」
即ガッカリな返事を受け、一気に脱力してしまう。
まるで昨夜から急に悪夢の中に落ち込んでしまったみたい。
たった十数時間前まではエルファンス兄様の腕に抱かれていたのに――今では果てしなく遠く隔たってしまった。
生死すら確認できない状態で、最低でも再会に4ヶ月かかるなんて……!?
あまりに最悪な状況に、胸に不安と悲しみがどっと押し寄せてきて、唇が震え、止めどなく涙が流れた。
両手で顔を覆い、嗚咽を漏らす私の頭をセイレム様が優しく撫でながら、申し訳なさそうに謝ってくる。
「私のせいでこんなことになってすみません」
「いいえ、……セイレム様の……せいではありません……!」
ずっと私を見守り続け、危機に駆けつけて身をていして守ってくれた、この人の責任なんてことが絶対にある訳がない。
ふうっと、セイレム様は切なげな溜め息をつくと、
「……相変わらず優しいですね、フィーは。
こんな身勝手な想いを抱き続ける私をいつも責めない……」
自嘲するように笑って言った。
その言葉を耳にして、愛情の篭った冬空のような瞳を見返した刹那――私の心の一部が愛に震え、かつて見た夢の断片が蘇ってくる。
『あなたはずっと私と一緒にいるんです。死ぬまで離しません……』
『ここにあなたを生涯閉じ込めておけば、もう二度と、その瞳が、他の男性を映すことはない。
私の瞳に映るのも、あなただけ――誰にも邪魔されない、二人だけの世界で永遠に暮らすのです』
『私はあなたさえいれば、他の何もいらない。あなたが私の全てであるように、あなたの全ても私だけであるべきだ』
閉じられた空間の中、狂おしいほどの永遠の愛に閉じこめられる。
二人だけしかいないなら、互いの心も変わることはない――
理想の楽園の住人になる夢を見て、自分への激しい執着と愛に満ちた彼の台詞に酔いしれた。
――ただし、それを言ったのは、今目の前にいるセイレム様ではなくゲームの中の彼で、聞いていたのも、今の私ではない――
白井智子――つまり前世の私。
最奥殿という永遠の愛の檻に死ぬまで2人で閉じこもる――
そんな『身勝手』な『偏執的』なセイレム様の愛は、生まれ変わる前の私が憧れていた『理想の愛』そのものなのだ。
そして前世の記憶を思い出してからの4年間、セイレム様とは一番長い時を過ごしてきた。
それらの影響で、今生の私、フィーネ・マーリン・ジルドアの意識は、幼い頃から恋慕って来た、エルファンス兄様だけを愛し求めているのに。
前世の私、白井智子としての意識は、初めて愛を教えてくれたエルファンス兄様に恋する一方――理想の男性であり、生まれ直したような日々を一緒に過ごし、惜しみない愛を与え『愛情に飢えていた心』を満たしてくれた――セイレム様をお兄様と同じぐらい愛し、大切に思っているのだ。
現に昨夜、セイレム様が死にかけた時、自分の命と引き換えでもいいから助けたいと強く願った――
失ったら生きていけないほど、この人を愛していると思ったのだ。
――エルファンス兄様という生涯の愛を誓った存在がいるにも関わらず――
そんな自分の心の罪深さに苦悩する私を、セイレム様は心配そうな瞳で見つめる。
「大丈夫ですか、フィー? 顔色が紙のように白い……。
この様子では貴方を置いて、ひとまず私が一人で町へ降りた方がいいようですね……」
決然と告げるセイレム様の言葉を聞いて私ははっとする。
そうだ、今は、自己嫌悪や罪悪感で落ち込んでいる場合じゃない。
こんな何もない空間で、堅い床に寝て、食事も暖もロクに取れない状況では、2人とも体力が回復するどころか、ますます弱ってしまう。
崩れている壁の間から見える海と町並の景色から、この建物はかなり高台にあるみたいだ。
セイレム様の言うように、夜を徹して看病をしていた私は寝不足と疲労感が酷く、歩いて町に下りられるような状態ではない。
比べて一時は大量の血を失って死にかけたとはいえ、現在は起き上がっていられるセイレム様の方が明らかに体力がありそうだ。
「……セイレム様は、体調は大丈夫なんですか?」
「ええ、あなたからかなり生気を分けて貰ったので大丈夫です」
言われてみると、昨日、全力でセイレム様に生気を注ぎ込んだ気がする。
そうか、だからここまでめまいが酷くて力が出ないんだ……。
逆にセイレム様は昨日の痛々しい姿と打って変わり、あらわになっている上半身には傷一つ無い。
昨夜の私は傷を塞いだだけだったから、自分で傷痕を消したんだ。
「……良かった……」
「まだ力は全然戻りませんが、私一人だけなら、転移術で町へ降りることが出来るでしょう」
セイレム様の顔が近づいてきて、額にしっとりとした唇の感触がした。
「……あっ……」
「積もる話は後にして、この場では体力回復もままならないし、とりあえず行って来ますね」
セイレム様はそう言うと、私の頭を敷物代わりの服の上に下ろしてガウンを掛け、杖を掴んで立ち上がった。
「きゃっ!」
一糸纏わぬ彫刻のようなセイレム様の全裸姿が現れて、私は慌てて目元を手で覆う。
うろたえる私の様子にセイレム様はクスリと笑ってから、杖を握りなおして呪文を唱え始めた。
すると、青銀の長髪がじょじょに短くなり、白髪と灰色の瞳のローブ姿のセイさんの姿に変化していく。
「凄い……! 魔法で服まで作れるんですね」感心して言うと、
「これは光で作った衣なので維持している間、魔力を消費します。
なので本物の服を買ってきます」
セイレム様が説明して、私は素朴な疑問をおぼえる。
「買ってくるって……お金はどうするんですか?」
「このような時の為という訳ではないですが、私の首から下がっているこのネックレスがあるでしょう?
この珠は貴重な宝石でして、この腕輪にはまっている宝石も本物のサフャイアやルビーです。
ルイドはそれなりの規模の町だから、宝石店がある筈なので売ってお金を作ります」
貴重だというネックレスの珠は一粒一粒がとても大きかった。
なるほどと思って見上げていると「それでは行って来ますね――良い子で待っていて下さい」セイレム様が杖を振り上げ、一瞬で姿が掻き消える――
――独りになったとたんに心が寂しさで覆われていく。
「早く帰って来て、セイレム様……」
無意識に呟いて、それがかつての神殿に居た頃、外出したセイさんの帰りを待ち侘びて口にした自分の台詞と同じだと気がつき――早くもセイレム様へと引き戻されている自分の心に大きな危機感を抱く。
動揺を誤魔化すように、首だけ回し、神殿内の様子を眺めてみれば――
崩れた天井から差し込む陽差しに廃墟内は明るく照らされていて、自分がいるのが祭壇のような高い場所で、目の前に倒れているのが剣を掲げた巨大な乙女像だと分かる。
壁に刻まれているレリーフは物語仕立てになっているようで、赤ん坊をあやす天使の姿、少し育った少女が剣を振り回している姿、ドラゴンに乗った乙女が剣を奮う姿などが描かれていた。
ルイドという地は神話に出てきた神の娘の生誕の地だったっけ……。
――本当に、ずいぶん遠いところへ来てしまった――
心からそう実感した瞬間。
なんだか無性に恐ろしくなって、身体がガタガタと震え出して止まらなくなった。
こうしてエルファンス兄様と遠く離れた私にとって、今、何よりも恐ろしいことは、セイレム様に惹かれて止まない魂を持つことなのだと、気がついてしまったから……。
かつてはその気持ちに抗うために、自ら舌を噛み切り、心臓を止める必要まであった。
これから数ヶ月間セイレム様と旅をして、無事にエルファンス兄様の元へ辿りつけたとして――果たしてその時の私の心は、今の私と同じものなのだろうか?
不吉な予感に胸を苦しくさせながら考えているうちに――だんだんと視界が渦をまくように回転していき――
ほどなく私の意識は真っ暗な闇の中へと飲み込まれていった――
同時連載中「蝿の女王」もよろしくお願いします!
第三章終了してキリが良いところなのでこの機会にぜひ。