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嘘と再会と別れ

「……ああっ」


 恐怖で喉が張りつき、心臓が早鐘を打ち、冷たい汗が全身に噴出してくる。

 逃げなくてはいけない、そう思うのに、刺すような眼光に射抜かれて身動きも出来ない。

 蛇に睨まれた蛙と表現したお兄様の感覚が、今リアルに体感出来る。


「戦争が始まる来月は目の前だとというのに、フィーネ、お前を探しに行き、見つけておきながら、エルファンスはなぜ帰ってこない?

 死んだふりをして帝国から逃げた身のお前ゆえにか?」


 言動からお兄様の実の父親である事は確定しているのに――皺一つ無い美しい肌をした彼の見た目は20代からどう多めに見積もっても30代前半までにしか見えなかった。


 問いかけに答える事も出来ずに固まったまま見返し、緊張と恐怖で苦しい呼吸を吐き出す私の胸元に彼の手が伸びる。

 びくっと身構えた時、乱暴にペンダントの鎖を引きちぎられる音がして、笛がむしり取られた。


「……きゃっ!?」


「ふん、この笛はベルファンドのものだな。

 どうも気配に覚えがあると思えば、お前はレメルディアーナの偽者ではないか」


 瞬間、自分を捉えていた彼の視線が笛に移るのをきっかけに、やっと金縛りが解けるように身体の緊張が緩む。


 逃げなくては――!?


 そう思い、とっさに突き飛ばすように身を離し、走りだそうとうした私は――わずか一歩目にして右腕がダンテに掴まえられる。

 ぎりっと腕をひねりあげられ、痛さに口から悲鳴がでる。


「……痛っ!? 離してっ!?」


「――どこへ行く? お前は私と一緒に来るんだ。

 私の息子なだけあり、エルファンスは素直に言う事を聞くような性格じゃないからな。

 しかし、幸いにもあいつには俺の気配が分かるから、このままお前を帝国へ連れて行けば、じきに追って帰ってくるだろう」


「――!?」


 つまりこの人は私を餌にエルファンス兄様を帝国へ呼び戻すつもりなんだ!

 だからお兄様を迎えに来たと言いながらも私の前に姿を現したのかもしれない。

 連れ戻す理由は、来月から始まるという戦争にお兄様を参加させる為だろう。


 そんなの絶対に嫌っ!

 このままガウス帝国へ浚われ、連れて行かれる訳にはいかない!


 そう思っても、非力な私にこの腕を振りほどくのは不可能。

 魔法でどうにかしようにも杖を部屋に置いてきている状態では、抵抗出来る程の術を繰り出す自信が無い。


 どうすればこの腕から逃れられるの?


 焦りながらも頭を巡らし――思い出したのは、いつかアーウィンが神殿へ侵入した時、セイレム様が手を振って杖を呼んでいた光景だった。


 目を瞑り心の中で念じる。


(お願い、杖よ来て!)


 手をバッと振りかざす――と、手中に杖の感触がして――握りこむ。

 杖がやってくれば、あとは術を唱えるだけ――私が使える攻撃要素がある魔法はたった一つだけだった――


「浄化の光!」


 全力で叫ぶ。


「くっ!」


 杖の珠が発光し、目を焼かんばかりの真白き光にダンテが呻いて顔を抑え、拍子に腕が自由になった。 

 その隙に急いで廊下を走りだす。


「お兄様助けて!!」


「待て、フィーネ!」


 背後から物凄い勢いでダンテが追ってくる気配がして、恐怖に足がもつれかけ、なかなか早く走れない。

 瞬く間に追いつかれ、髪の束をぐいっと掴まれ、引き寄せられる。


「きゃあああっ!?」


「くそ忌々しい、小娘だ」


 杖を奪われないよう必死に握り締め、もう一度呪文を叫ぼうとしたところで、身体を思い切りドンッと床に突き飛ばされる。


「きゃっ!?」


 冷たい石の床にうつ伏せに倒れ、腕と膝を打ちつけたはずみに、握っていた杖が手から離れ、前方の床に転がり落ちた。


「抵抗した罰だ。半殺しにしてから連れ帰ってやる」


 残忍な言葉の響きに――ガバッと床から顔を上げ振り返る。

 恐怖で見開いた瞳に映ったダンテの手の動きは――間違いなく、ラファエルも得意としている、闇の刃のモーションだった!


「光の壁!」


 杖を拾うのが間に合わずに、自力のみで出現させた光のガードだから、たぶん、彼の攻撃を防ぎきれず、私の全身は切り裂かれる!

 痛みに耐えるため、身を縮め、目を瞑った――まさに絶対絶命のその時だった。


「フィーネ!」


 誰かの身体が私を庇うように覆いかぶさり、抱きしめてきた。

 直後、衝撃に全身が揺さぶられたが、痛みは襲って来ない。


「お兄様…!?」


 目を開くと、周りは光に覆われ、一たん、身体が沈み込んで空を舞う感覚から、私を腕に抱えた誰かが跳躍するのが分かった。


 光が引いて戻った視界に、月明かりに照らされた草地が映る。

 城の廊下の窓から庭へと飛び降りたのだ。


「くっ!?」


 同時に私の目の前に現れたのは、引きつった女性のように美しい顔と、光沢のあるローブ、サラサラとこぼれて垂れ下がる長い長い髪だった。


「えっ?」


「光の壁!」


 いつの間にか彼の手中には床に落ちていた筈の杖が握られていて、短い詠唱で分厚い光の壁を出現させる。


 ――そうして大好きな懐かしいその人は、痛みにか、再会の喜びにか、繊細な造りの顔を少し泣きそうな感じに歪ませ、こちらを見た。


「無事ですかフィーネ?」


 瞬時に胸と目頭が熱くなり、信じられない、有りえない思いで、混乱して叫ぶ。


「セイレム様っ、なぜここに?」


 彼は答えず、震える手を私の方へ差し出し、一枚の羽を差し出す。


「フィーネ、これを!」


「この羽は……」


 見覚えのあるその羽は、私が荒野まで飛ぶときに使った、聖遺物の神の羽だった。


「――これを使って早く逃げるのです。私の作った光の壁が消える前に……!?」


 とまどって見つめていると、駆けつけてきたエルファンス兄様の叫び声とそれに応じるダンテの声が響いてきた。


「ダンテ! 貴様、フィーに何をした?」


「やっと、現れたかエルファンス!」


 黒いマントが広がり、光の障壁越しにエルファンス兄様が庭へ飛び降り、私達を庇う位置に背を向けて立つのが見える。

 その向こう側には追って来たダンテの姿があった。


「フィー、大丈夫か?」


「わ、私は大丈夫!」


 大丈夫じゃないのは私を庇ったセイレム様だった。ローブの至る所が裂け、酷い怪我をしている。

 やはり私の光の壁では攻撃を防ぎ切れ無かったんだ!?

 慌てて念じながら「癒やしの光」と呪文を唱えて、光らせた手を傷口にかざす。


「逃げろ、フィー」


 叫びながら、エルファンス兄様は魔導武器を構え、正面に向けて炎の範囲攻撃を放った。

 ぶわっと青白い炎が爆発するように広がり、ダンテの姿が見えなくなる。


「さあ、早く、行けっ!」


 お兄様が再度叫び、セイレム様も私の手に羽を押付けるようにして言った。


「エルファンスの言う通り、逃げるんです……さあ!」


 二人に急き立てられ、焦りつつも、私の目は改めてセイレム様の怪我の状態を捉える。

 傷口は全身に渡って複数有り、特に深い背中や腕の肉はえぐれ、赤黒く肉が裂けた箇所から血が噴出すように流れている。

 今癒している一番大きな背中の傷でさえ塞ぎ切るにはもう少し時間がかかる。

 なのに、他の傷口からも絶えず血が流れ、見る間に白いローブを血で染めあげていっている。


 この状態で治療を止めて血を失い続けたら、セイレム様は確実に失血死する。

 一刻も早く傷口を塞がなければ命を失う状況で、逃げる事など、彼から離れる事など死んでも出来ない!


 勿論、可能なら別の場所へ移動したい。

 戦闘が気になって完全に治療に意識を集中出来無いという点も大きいけど、光の壁には持続時間があるし、壊される可能性もある。

 そうなると、いつ飛んでくるか分からないダンテの攻撃の前で無防備状態になる。


 どこかに安全な場所に退避して回復に専念するのが一番いいのに、悲しいかな、セイレム様を運ぶような力も術も私は持ち合わせていない。


「ああっ、早く、早くっ……塞がって!?」


 追い詰められ、気が焦るばかりで傷口が塞がる速度は焦れるぐらい遅かった。


「フィー……お願いですから……逃げて下さい……!」


「こんな怪我をしているセイレム様を置いて行ける訳が無いでしょ!」


 泣きながら叫ぶ。


「それでも行くのです……この怪我では……もう……そんなに意識を保っていられそうにない……。

 私が気絶すれば……この光の壁も消えてしまう……この傷の状態では……私はもう手遅れです……無駄な事は止めて……早く逃げるのです!?」


 訴えながら、青い炎の光を写した冬空のように澄んだ瞳が私の前で揺れている――セイレム様は自分の死を承知で私に行けと言っているのだ。


「無駄なんて言わないで! 私が術を覚えたのは、こういういざという時にセイレム様を助ける為でもあったんだから!」


 涙をこぼし、歯を食いしばりながらも、私は絶対にセイレム様の命を諦めるつもりなんて無かった。


「……フィー……聞いて下さい……私はあなたに嘘をつき……騙していた……!

 羽は複数あり、名前を書き換えたのではなく……杖の珠に魂を込め――私はずっと見ていた……苦しかった。

 ……生きている限り……あなたを諦められない……辛いんです……だから……お願いだ、フィーネ……もう楽になりたい……終わらせたい……それが私の最期の望みだ……!」


「――!?」


 セイレム様の口から吐かれた言葉は、昨夜まさにお兄様に言った自分の言葉が跳ね返ってきたものだった。

 お兄様に叶わない恋の苦しさを訴え、かつての冷たさを責めていた私こそが、セイレム様に対し最も残酷で酷い事をしてきたのだ。

 散々愛を期待させてから逃げる方が、冷たく突き放し続けるよりずっと性質が悪い――彼が死にたくなるのも当然だ!

 自分が雷に打たれて死を望むぐらい辛かった癖に、同じどころかより深い苦しみをセイレム様に与え、心を引き裂いたのだ。


「……大きな珠だから……魂をこめてもほぼ透明に見え……あなたは気がつかないのが……分かっていた……。

 あなたが弱り……危機に陥った時……駆けつけ……エルファンスを出し抜こうと……。

 あの谷で……ワイバーンに……あなたが飲み込まれそうになった時も……エルファンスが来なければ……私が……あなたを……」


 苦しそうな息の下、言葉を吐くセイレム様の顔がどんどん血の気を失い、瞳が光を失っていく。


「セイレム様、駄目、しっかりして……!?」


「ただ……傍に……もう一度……。

 ……フィー……愛している……」


 『愛している』という言葉を耳にした瞬間、涙と一緒に彼への愛情が籍を切ったように胸から溢れ出す。

 光の壁が消えかかり、セイレム様が意識を失いかけている。

 このままでは私のせいでセイレム様が死んでしまう!


「ああっ、嫌っ、セイレム様!」


「……私の……心……臓……」


 かすかな呟きとともにセイレム様の瞼が閉じて、がっくりと身体から力が抜け落ち、光の障壁がすーっと消失した。


 嫌だっ! 私を置いていかないで!

 本人が死を望んでいようと、自分のエゴでも何でも、あなたが死ぬのは耐えられ無い!

 私がセイレム様を逝かせない!


 杖を掴んで私は自分のありったけの力を注ぎ込み、増幅した癒しの光でセイレム様の全身を包み込む。


「私も愛してます! だから死なないで!」


 絶叫するように大声で叫び、生命を呼び戻すようにセイレム様の唇に自分の唇を重ね、一気に生気を送り込む。

 その時、この命を全て注ぎ込んでもいいとさえ思った。


 いつかも言われて否定出来ずに認めたように、私は4年間セイレム様と共に神殿で暮らし、惜しみなく与えられた愛情の分だけ彼を愛してしまったのだ。

 エルファンス兄様を裏切りたくなくて、自ら命を断った瞬間でさえ、心は抑えがたいセイレム様への愛を叫んでいた。

 神殿から屋敷へ戻るために別れた時だってそうだ――まるで自分の半身をもがれるようだった。


 この胸に根ざす、セイレム様への愛情はどうやっても消せないぐらい深く強い、掛けがえのない自分の心の大切な一部なのだ。

 エルファンス兄様が愛する者を失ったら正気でいられないと言っていたが、私だってそうだ、こんなに愛しているこの人を失ったら正気でなんていられない。


 このまま見捨てて一人で逃げる事など考えられない。

 だから、行くなら――羽で飛ぶなら二人一緒だ!


 さっと私は、燃え立つ青い炎を見てから、セイレム様に視線を戻す。

 いつの間にかお兄様が私達をガードする為に張った炎の壁に塞がれ、戦闘状況は全く見えなかった。

 けれど、ダンテは息子であるお兄様を必要としている様子だから、決して命までは奪わないだろう。

 治療する為だけでは無く、私がここにいる限りお兄様はこの場所から、戦闘から離脱出来無いのだ。


 追って来れない程度の距離、安全なところに退避するだけ――そう自分に言い聞かせてから、ごくりと唾を飲みこみ、決然と声をかける。


「行きましょう、セイレム様!」


「……」


 エルファンス兄様が近くで戦っているのに――ここから離れるのは辛く耐え難い事だった。

 しかし、どうしても、このままセイレム様を見殺しになんて出来無い――私にとって、自分の命と同じぐらい、大切な人なのだから。


「私一人だけでは飛べません! さあ、一緒に念じてください!」


「……」


 セイレム様の瞳が薄く開き、青ざめた唇が小さく震えるように動いた。

 その手を掴んで羽を握らせてから、上から自分の手を重ね、祈りの言葉をなぞっていく。


「ミルズ神よ……今一度あなたの羽に宿りし聖なる力によって、私達の身を別の場所へと導き給え…….」


 呪文に応えるように手中の羽がサーッと発光してきて――じょじょにまばゆい光が私とセイレム様の全身を巻いてゆく――

 念じたのはこの場から安全な場所に逃れる事、ただそれだけだった――


 意識が光に飲み込まれていく感覚とともに――抱きしめているセイレム様の身体と一緒に、自分の身がどこかへ強く引っ張られいくのが分かる。


 飛び去っていく一瞬、光の中にエルファンス兄様の顔が見えた気がして――懸命に手を差し伸ばした。

 愛しいお兄様と離れなければいけない事が、身を引き裂かれるように辛くて堪らなく、零れた涙が粒になり弾けていく。


 伸ばした指先は届かず、全ては光の中へ消失してゆき――どこへ行くとも知れずに、いつかのように私は跳んでいった――エルファンス兄様から隔たった、ここでは無い、別の場所へと――




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