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天に祈った願い

「フィー、あなた以前、雷に打たれたと言っていたわね?」


 ハッとしたような顔をしたコーデリア姫に問われ、私は頷いた。


「……う、うん」


「地獄の闇って何だ?」


 カークが尋ねると、ラファエルが美しい七色の瞳を瞬かせ、低く澄んだ声で語り始めた。


「――死後、人の魂は一度、地上と地獄の狭間ある深淵へと飲み込まれ、魂の比重により、浮上して地上で生まれ変わるか、沈んで地獄へ墜ちていくのかが決まる。

 その際、稀に魂は天国からさしてくる光の祝福、あるいは地獄から染み出す闇の呪いを受ける事がある。

 光の祝福を受けた魂が生まれ変われば神に愛された恵まれた一生を――逆に、闇の呪いを受けた魂は、血と邪悪さに満ちた生涯を送る事になる。


 とは言え、先ほども言ったがこの地上は神の意志が支配する世界。救いを求め一心に天に向かって祈りを捧げれば、すなわちそれが神へと届き慈悲が雷と成り下り、魂が清められるであろう。

 ところが、地獄の闇に染んだ魂の者の精神は神への祈りからは最も遠く隔たったもの。大抵は地獄へと堕ちゆく運命なのだ」


「雷……そうか、だから、フィーは性格が変わったのか……」


 エルファンス兄様は深く考え込む様子で、酒入りの杯を見つめ重々しく呟いた。


「正しく言うと性格が変わったのでは無い。地獄の影響を受けていた魂が本来の質に戻り、元々の性格に戻ったのだ」


 ラファエルが向かいの席から訂正してくる。

 ミルズ神の御使いであった彼の言葉は真のものだろう。


 今までずっと単純に雷に打たれた以降、自分の性格が劇的に変わったのは、35年間の前世の記憶の影響が強過ぎるせいだからだと思い込んでいた。

 思考停止する悪い癖がある私は、これまでなぜ前世の記憶を思い出しただけであれほど自分の内側を侵食していた毒まで抜け切ったか、なぜ今生の人格までもが絶ち消えになってしまったのかという大きな謎について、考えてみる事すらしなかったのだ。


 さらに東屋でエルファンス兄様を見送ってから雷に打たれるまでの記憶も、曖昧なまま放置していた。


(地獄の闇に染まっていただけで、元々の私、フィーネもこういう性格だった?

 私はあの日、神に祈って、魂が浄化された? )


 今、初めてラファエルの言葉により真実を知り、考えさせられ、あの日の記憶を遡ってみる。

 雷に打たれた瞬間、自分は何を思い、どう感じていたのか――心の奥底を探るように記憶を辿っていくと――しだいに脳裏に雨模様の景色が浮かびあがってきて、耳の奥にサーッという雨音が響いてきた。


 ――そうだ――曇天の下、冷たい涙雨が降りしきる中、たしかに私は天を仰ぎ、祈っていた。

 けれど、あの時私が祈っていたのは、ラファエルが言うような種類の「救い」では無い。

 思い出すと同時に、その時の感情が鮮明に蘇ってきて、胸がかきむしられるように痛くなり、苦しくなる。


 蓋をしていた心の栓が外れ、気がつくと、魂の底から溢れ出てくるような涙が、止め処なく両目から零れ落ち頬を伝っていた。


「フィー、あなた泣いているの?」


 コーデリア姫に指摘され、エルファンス兄様があわてたように肩を抱き寄せ、顔を覗き込んでくる。


「フィー……どうした? 大丈夫か?」


「……うっ……っく……!?」


 悲しみと涙が止まらず、眼鏡の中がたちまち洪水となり、視界が曇っていく。

 その様子に、とうとうエルファンス兄様が背中と膝の下に腕を回して、私の身体を抱き上げ、立ち上がる。


「すまないが、フィーの気分が悪いみたいなので、先に部屋へ帰らせて貰う」


「そうね……その方が良さそうね」


「うん、ゆっくり休んだ方がいい」


 コーデリア姫の同意の言葉と、キルアスの優しい言葉に見送られ、私はお兄様に横抱きに運ばれ、食堂を後にした――



 部屋へ戻ると、お兄様は私を優しくベッドの上におろし、まずは眼鏡を外してから、服を脱がせて下着姿にした。

 それから自分も服を脱いで、一緒にベッドに横になる。


「可愛そうに……雷に打たれたことを思い出して、怖くなったんだな……」


 左腕を私の背中に回し、右手で髪をそっと撫でながら、お兄様が慰めるように目尻や頬、唇に口づけをしてくる。

 私はしゃくりあげながら、お兄様の硬い胸板に顔をうずめ、かぶりを振った。


「……怖いんじゃない……悲しいの……」


「悲しい……?」


 口に出すと余計に当時の気持ちが胸に蘇り、涙が溢れてきた。


「……お兄様は……いつも私に……冷たかった……。

 私がどんなに愛しても……欠片すら……返してくれなかった……」


 恨み言を言いたいというよりも、ただ自分がどれほど悲しかったか、お兄様にも分かって欲しかった。


「フィー……!?」


 勿論、愛されなかったのはお兄様のせいではなく、自分の性格や行いのせいであり、自業自得だった。

 そう分かっていても、決して手に入らない物を、エルファンス兄様の愛を、望むのは辛く苦しいことだった。


「……あの日も……お兄様は……冷たかった……。

 生まれ変わらないと無理だと……私の心に止めを刺して……去って行った。

 ……私、あの時、生まれ変わったら、結婚して貰う、なんて言って強がってみせたけど、本当は、とっても悲しかった……死んでしまいたいぐらい……」


 涙ながらの私の言葉に、エルファンス兄様は苦しそうに息を吐き、かすれた声で謝罪した。


「……そうだったのか……悲しい想いをさせて、すまなかった……」


「……だからね……天に瞬く稲光を見ながら、祈ったの……。

 どうか……雷を……私の上に落として下さいって……できるだけ……早く……死にたいからと……。

 自殺するような性格でも無いし、不可抗力の死でも訪れない限り……生を終えられないことを……知っていたから。

 ――たとえ、生まれ変わっても、お兄様が私を愛さないことも分かっていた――分かっていても、今すぐ死ねたらいいのにと、その時強く思ったの」


 ――そう、あの時、私が望んだものは「救い」ではなく、死だったのだ。


「だけど……勘違いしないでね……死にたいと言っても、決してお兄様に当てつける気持ちでは無かったのよ……。

 ……幾ら拒否されて、軽蔑され、嫌われても、お兄様のことだけは……恨んだりできなかった……。

 残酷な言葉を残して、去って行くその背中を見送っている時も……ただ愛しくて……。

 心は絶望に覆われ、目から涙が溢れ出て……こうして生きている限り、みっともなくお兄様を求め、絶望を繰り返すのだと、たまらない気持ちだった。


 ……変よね……毎日面白おかしく生きていた筈なのに……雷が落ちて死ぬと思った瞬間……とても嬉しかったなんて……。

 なぜだか分からないけど、いつも私の心の底にはべっとりと、悲しみが張りついていたの。

 いつ頃からか分からないけれど、心の奥深くには絶望が横たわっていて――それはお母様が私を恐怖の目で見るようになった時、あるいは、お兄様が、決して自分に振り返る事は無いと悟った時かしら……。

 だからやっと終わることが出来るんだって……雷に打たれながら私はほっとしたの……」


 ――そうあの時、願いは天に届き叶えられ、雷が落ちてきて、全ては終わった筈だった。


 エルファンス兄様はその告白に酷くショックを受けた様子で、私の身体をがばっと両腕で捕まえるようにきつく抱きしめ直し、身体を小刻みに震わさせた。


「フィー、お前をそこまで追い詰めていたなんて知らなかった……俺を許してくれ。

 あの頃の俺は、お前の気持ちを少しも考えず、酷い言葉ばかり言って、最低だった……。

 そのせいでお前が死んでいたかもしれないかと思うと……心底ぞっとする!

 お前が死ななくて……本当に良かった……!」


 動揺と安堵の想いをにじませた溜息をつくエルファンス兄様に、私は再び頭を振ってみせる。


「お兄様のせいじゃないわ――ラファエル王子から今日、魂が地獄の闇に染んでいたと聞いて、納得した――かつての私は愛しようも無い女だったもの――今思うと、何もかも全てが、どうしようも無い事だったの。

 なのに、不思議ね、そう分かった今だからこそ余計悲しい……!?

 ……知ってる……お兄様? 私雷に打たれなかったら、処刑されていたのよ……。

 お兄様は別の女性を選び……私は処刑人の前に座らされ、みなの見世物になって、首を切られて、死んでいくの……」


 悲しみのあまり、喉がわななき、涙の大きな塊が零れ落ちた。


「有りえない……たとえお前が雷に打たれなくても……俺はお前以外の女など選んだりしない……!」


 感情的な調子で強く否定するエルファンス兄様に対し、私も同じように返す。


「ところが選んだの……私は知ってるの……私が死んだ後、その人と幸せになるの……。

 何も無かったみたいに……私は命をかけてあなたを愛したのに……死んでも何事も無いようにお兄様は生きていくの……!」


 今ならどうしてゲームの中の私が、フィーネが最期は処刑されて死んでいったのかが分かる。

 逃れられない自身の心の地獄に悲鳴をあげ、辛い片思いを終わらせてたくて死ぬ事を望み、自ら破滅の道を選んでつき進んで行ったのだ。


「それこそ有りえない……俺は幼い頃からお前を愛していた!

 雷に打たれた後も、お前が失うかもしれないと、耐え切れない思いで、横たわるお前を見つめ続けていた。

 東屋であの日、お前は言った。一緒にいたいと……。

 俺は眠っているお前の手を握りながら、グリフィスを失った時と同じような後悔に胸が引き裂かれそうだった。


 目覚めたらお前に優しい言葉をかけようと、これからはなるべく一緒にいる時間を作ろうとさえ思っていた。

 しかし俺は罰を受けたんだ……目覚めたお前に避けられるようになり、その後はひたすら心を取り戻したくて、必死だった――」


 前世の記憶を思い出した直後の怯えていた私に追いすがり、無理矢理キスしてきた時のお兄様の姿を思い出す。


「……でも雷に打たれなかったら、エルファンス兄様は決して私を求めたり、受け入れたりしなかったのよ。

 きっと、今もそう、お兄様が愛してくれるのは、自分に都合のいい私だけなんだわ……。

 アーウィンだって、セイレム様だってそうよ。誰も真実の私の事なんて受け入れてくれない……!」


 実際、雷に打たれて無ければ生まれ変わっても前世と同じように、私は誰にも愛されずに死んでいった筈だった。

 心の奥底に横たわっている悲しみや孤独にすら誰にも気づいて貰えないまま――その事を思うと、仕方が無い事だと分かっていても、とてもやるせなくて、たまらない気持ちになる。


 エルファンス兄様の腕が痛いほど私の身体を抱きしめ、悲痛な声で訴えかけてきた。


「……あの頃……俺は、怖かったんだ……!

 自分の心は容易に闇に染まる性質だと知っていたから、お前を受け入れれれば、どこまでも自分が暗黒面へと墜ちて行きそうで……懸命にお前を求める心と戦い、否定していた……。

 だけど、信じてくれ、フィー、幼い頃からずっと俺はお前を愛していた!

 たとえ闇に染まっていようとも、毒にまみれていても、どんなお前であっても俺は愛していたし、愛している!」


 お兄様の言葉を信じたいのに信じられなくて、言いたくないのに、言わずにはいられなかった。


「だって……私の魂が浄化されるまで、見向きもしなかったじゃない……。

 じゃあ私が元の毒のような私に戻ったらどうするの?」


「同じだ。変わらず、愛し続ける。

 お前となら、墜ちてもいい。どこまでも……地獄までもだ…!」


 エルファンス兄様が叫び、深い青の瞳を揺らし、想いを込めるように何度も強く唇を重ねてくる。


「……本当に?」


「……ああ、本当だ。神にだって悪魔にだって誓う」


 迷いないお兄様のその言葉と、気持ちの篭ったキス、抱きしめてくる腕の力強さに――私の悲しみの涙はいつしか嬉し涙になっていた。


 表情の変化に気がついたエルファンス兄様の口づけが、段々、熱く求めるような激しいものに変化していく。

 ついにその手が私の下着を脱がせ始めたのに気づき、最後に嫌味を言ってやりたくなった。


「以前は私が求めても拒否したくせにっ……」


「あの頃は俺もお前も子供だったんだ……」


 エルファンス兄様の顔いっぱいに甘やかな笑みが広がり―ー


 それから大人になった私達は、ベッドの上で、お互いの身体が熱く溶け合うような、甘く幸福な時間を過ごした――



 ――そうして夢中で愛を交わし、一息ついた頃には、すっかり朝方近くになっていた。


「私、ずっとお兄様とこうなることが夢だったの」


 腕枕され、愛の行為の余韻に浸りながら、私は腕を伸ばし、指先でエルファンス兄様の汗ばんだ銀髪に触れ、美しい顔の輪郭を辿り、引き締まった唇をなぞってみた。

 かつては触れる事すら拒否されていたのに、今では大抵の事が許されるのだ。そう思うと、嬉しくて、幸せだった。


「他にはどんな事が夢だった? 可能なものなら俺が全部叶えてやる」


 腕で私の頭を引き寄せ、温かい微笑を浮べながら、お兄様が間近から顔を覗き込んでくる。


 私は真剣に考え込む。

 生まれ変わる前からの一番の願望、愛されたいという願いは、こうして叶っているし、後は前世で経験出来なかった、女性としての幸福――人並な人生を送る事だろうか。


「結婚はもうしたから、あとは、お兄様の子供が欲しいかも」


 言ってみてから、無性に恥ずかしくなって、顔がかーっと一気に熱くなった。


「子供……そうか、子供が欲しいのか……」


 噛みしめるように呟き、難しい顔をするエルファンス兄様を見て、急に不安になる。


「お兄様は子供は嫌い? 欲しくないの?」


「いいや……子供に関しては欲しいとも欲しくないとも別に思わない……どちらでもいい……」


 溜息まじりに言って、ためらうように少し間を置いてから、お兄様は重く言葉を続けた。


「問題はそこじゃ無い。――実は、お前と再会して、最初に抱いた時から気がついていたんだが……。

 どうも、お前の身体には、妊娠しないように、術式がかけられているみたいなんだ」


 予想外の事実を告げられ、頭の中が真っ白になる。


「ええっ? 妊娠しない、術式?」


「……ああ、そうだ。――間違いなく犯人はあの大神官だろうな。

 つまり、今の状態だとお前は妊娠もしないし、当然、子供も産めないんだ――」




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