次世代会議
ロイズ城へ到着した翌日の朝食は、コーデリア姫に誘われみんなで一緒に食べることになった。
私はガウス帝国に行けないことを話さなくてはいけないプレッシャーや、お兄様から聞いた戦争の話で、著しく食欲が減退していた。
緊張しながらフォークに豚の腸詰めを刺してじっと見つめていたところ、
「ねえ、昨夜の話をエルにしてくれた?」
ついに恐れていた質問を隣席のコーデリア姫から投げかけられ、ドキリとする。
「うん、したんだけど……」
目を泳がせて言い淀んでいると、
「コーデリア姫、悪いが、ガウス帝国に行く話なら、きっぱりと断わらせてもらう。
フィーが押しに弱い性格だと知っていて、無理な頼みをするのは止めてくれないか?」
反対側の隣の席から苦言を加えて、エルファンス兄様が返事の続きを引き受けてくれた。
「無理じゃないはずよ。足だってあるんだから」
むっとしたようなコーデリア姫に対して、エルファンス兄様は硬い表情で言い返す。
「そもそもリナリー姫は帝国の人間じゃないんだから、こちらに呼び寄せればいいだろう?
なぜフィーが出向くんだ? おかしな話だ」
「私も、リナリー姫は帝国にこれ以上長居しない方がいいと思う」
「……フィー、あなた一体どうしちゃったの?」
姫がいぶかそうな瞳を向けてくる。
「もう、ガウス帝国の記念式典も終わったことだし、自分の国に帰ってゆっくり静養すべきだ」
「わ、私もお兄様の言う通りだと思う」
重ねてお兄様の言葉に賛成する私の様子に、姫は何かを悟ったらしい。
「そう……つまり、一晩で逆に説得されちゃったわけなのね。
……分かったわ。リナリーには手紙であなたが生きていることを知らせることにするわ」
姫の台詞に反応して、エルファンス兄様の食事の手が止まり、鋭く問うた。
「その手紙はガウス帝国に送るのか?」
「……大丈夫。帝国の人間が読めない言語で書くから、調べられても絶対に解読できないわ」
暗号というか、昨日の手紙もたしか日本語で書いてあった。
「いずれにしても、リナリー姫の口から他の人間に伝わる恐れがあるから、帝国にいる間は、知らせないで欲しい」
「……でも、それだと、リナリーが……!?」
言いかけたコーデリア姫を刺すような瞳で見ながら、エルファンス兄様は低い声でゆっくりと言った。
「コーデリア姫、できれば、平和的にお願いしているうちに、聞いてほしいのだが?」
「……!?」
こんな脅しつけるような話し方をするお兄様は始めてだった。
コーデリア姫は大きく息を飲みから、強張った表情で重い溜め息をつく。
「分かったわ」
「その言葉を絶対に守って欲しい物だな」
「私は嘘は言わないわ」
二人の間に流れる険悪な空気を察知したキルアスが、向かい側の席からつとめて明るい声で訊いてきた。
「コーデリア姫、今日の予定はどうするんだ?」
「私は日中はお母様と色々話があるから、あなた達は自由にしていて。
フィー達はレーベの街でも見てきたら?」
コーデリア姫のお言葉に甘えて、私達は朝食を食べ終わったその足で王都見物に行くことにした。
借りた馬に二人乗りして跳ね橋を渡り、外に出てロイズ城を振り返ってみると、湖と山を背景に建つ美しい白亜の城だった。
城から伸びる一本道を辿って行き、途中にあった厩に馬を預け、王都レーベのメイン通りを歩いていく。
「わー、お花がいっぱい」
整備された石畳の道の端にはいたるところに花壇が並び、城から続く堀から流れをくむ大きな噴水があちこち有り、光を含んだ水を高く吹き上げている。
エルファンス兄様と手を繋いで散策しながら、こんな美しい街並もひとたび戦争が起これば破壊されてしまうのかもしれないと思い、胸が痛んでしまった。
口に出さなくとも表情を読んだらしいお兄様が、頭にキスして、優しい慰めの言葉をかけてくれた。
「そんな顔をするな。まだどうなるかなんて分からないんだから」
「……うん」
それ以上心配をかけたくなかったので、高い位置にあるエルファンス兄様の綺麗な顔を精一杯の作り笑顔で見上げる。
するとお兄様の深い青の瞳が細められ、さっと唇が降りてきてちゅっと素早く重なってきた。
「今日のお前も可愛すぎる」
いまだに可愛いと言う言葉に慣れない私は、人前でキスしたこともあわせて二重の意味で恥ずかしくなり、舞い上がった状態で歩きだす。
この前買い物したばかりで特に欲しい物がなかったのもあり、どんどん道を進んで行くと、やがて大きな広場にさしかかった。
張り切って歩き過ぎたせいで足が疲れた私は、お兄様に断りを入れてから花壇のふちに腰かけて休むことにした。
「何か買ってくる」
広場の近くには出店や食料店が幾つか並んでおり、気をきかせたらしいエルファンス兄様は私に一声かけ、銀髪と黒衣を靡かせて店のほうへと歩いていく。
――と、背中を見送る視界を誰かが遮る。
「あれが今のお前の飼い主か」
突然話しかけられ、びくっと肩を跳ね上げる。
驚いて振り仰ぐと、柔らかな光をまとった神々しいまでに美しい青年が、緑がかった金髪を垂らし、神秘的な虹色に輝く瞳で私を見おろしていた。
「ら、ラファエルで、殿下!」
相変わらず心臓に悪い登場の仕方だった。
「やあ、レメディア」
「わ、私は、レメディアじゃ……!?」
反射的に否定する私の言葉を遮り、不敵な笑いを浮かべてラファエルが言う。
「名まえなどただの記号だ。
呼んでそれと分かればいいのだから、別にレメディアでもいいだろう」
そうかもしれない――と、思わず納得しかけてから、頭を横に振る。
その理屈でもあえて違う名前で呼ぶ理由にはならない。
しかし、それよりもっと気になることがあった。
「なぜ、ラディア城にいるあなたがこんなところに……!?」
ロイズにいることも不思議だが、コーデリア姫のところではなく私の前に姿を現したことも謎だった。
「どうにも君が気になってしまってね」
恐ろしいフラグを立てる返事に鼓動が早まり、全身から冷や汗が滲みだす。
「気になるって、どうして? 私、見ての通り、目だって小さいし、美人じゃないし!」
ラファエルはふーっとした溜め息を挟み、諭しつけるように言った。
「レメディア、皮一枚の美しさなどは虚しいものだ。
目が小さかろうと何だろうと、骨になればみな似たようなものだ」
ラファエルは真顔で究極的なことを言ってから、急に何かを察知したように数歩後ろに飛び退いた。
直後、空気が鳴り、目の前にエルファンス兄様の背中が現れた。
「なぜ貴様がここにいる?」
私を背後に庇いながら、エルファンス兄様は一国の王子に向かって貴様呼びで問いかけた。
ラファエルはどこか小馬鹿にするような薄笑いを浮かべて答えた。
「君達に置いてかれたのに気がついて、寂しさに耐え切れず追ってきたんだ。
しかし、君はつくづく攻撃的だな。この前のことは謝罪したし、フィーに対しても何もするつもりはない――今も普通の会話をしていただけだ」
「……フィーと話したい時は俺を通してからにしてくれ」
あくまでも警戒を崩さないエルファンス兄様の態度に、ラファエルはクスクス笑いをした。
「ずいぶん過保護なのだね?
……さて、ここでは私は邪魔者みたいだし、コーディーの顔でも見に行くとしようか。
また後で会おう、エルにフィー」
言い終えると同時に緑がかった金髪がしゅるんと揺れ、一瞬で姿が消失した。
相変わらず去り際が早い。
ぼんやり考えていると、エルファンス兄様が緊張した声で訊いてきた。
「フィー、あいつと一体何の話をしていたんだ?」
「えーと、呼び名とはただの記号で人間は骨になったらみんな一緒だって」
「……」
エルファンス兄様は一瞬絶句してから、
「フィー、あまり頭のおかしな人間を相手にするな。
それ以前に、俺以外の男と二人きりで話すことは厳禁だ」
長い脚を折って並んで花壇に座り、私の肩を抱いて子供に言い聞かせるようにした。
「うん」と、素直に頷き、渡された飲み物でさっそく緊張して乾いた喉を潤す。
「しかし、ラディアからここまであいつは転移術で来たのか?
ルーウェリンの生まれ変わりとは、全く、恐ろしい存在だな……」
エルファンス兄様の言うように、距離と時間を考えれば、ラファエルはここまで転移術で来たとしか思えなかった。
皇宮から神殿への往復だけで限界だったセイレム様を思うと、王国間を簡単に飛んでくるラファエルの魔力は計り知れない。
思いだしてみると「恋プリ」のゲームでもつねに神出鬼没で、狙われるとどこにいても120%殺されたのは、ストーキングしていたのではなく転移術を使っていたんだ。
つまり一回殺意を抱かれたらほぼ終わりだと気がつき、ぞっとしつつも、お兄様が買ってきた焼き菓子を頬張ると、幸せな甘い味が口の中にいっぱい広がった。
「おいしい!」
「良かったな」
「お兄様も食べる?」
「甘い物は苦手だ――俺が好んで口にする甘い物はお前の唇だけだ」
そう言うとさっそくエルファンス兄様は私の顎に指を絡め、顔を下ろして唇を重ね、味見するようなねっとりした口づけをしてきた。
「……んっ……」
人目のある場所で濃厚なキスをされ、恥ずかしさに全身が硬直してしまう。
しばらくして吐息とともに唇が離れ、目の前の綺麗な顔が切ない表情を浮かべる。
「フィー、お前の唇は……味わうごとに甘みを増していくようだ。
……これ以上キスをしていると……街中でお前を押し倒してしまいたくなる」
ドギマギするような甘い言葉と熱い口づけの余韻にのぼせていると、お兄様が私を抱き起こしながら立ち上がった。
「疲れたみたいだし、そろそろ城へ戻ろうか」
「うん」
私もラファエルがやってきたので城にいるコーデリア姫のことが心配だった。
ロイズ城へ戻った私達をコーデリア姫は王妃と並んで出迎えてくれた。
「お帰りなさい。早かったわね」
「初めまして、エルにフィー、娘からあなた達の話は聞きました。
素晴らしい魔法の使い手だそうですね。これからも娘をよく助けてあげてくださいね」
なかなか優しそうなお母様だった。
「勿体ないお言葉です」
王妃に向かってエルファンス兄様がお辞儀をしながら短く挨拶した。
私も凝縮して深く腰を落とす。
「あなた達が留守のうちに、驚くべきことにラファエルが現れて、たった今カークとキルアスと一緒に城の中庭で談笑していたのよ。
お母様、今夜は料理やお酒でみんなをもてなしたいんだけど良いかしら?」
「ええ、勿論よ。若い人同士気兼ねなくやってちょうだい。
私は別に会食の予定が入っているので同席できないけど」
「急に帰ってきてごめんなさい」
「いいのよ、コーディー。
ラディア王妃には私からも突然に帰った非礼を詫びる手紙を書いておくわ。
それでは、出かける準備があるので、もい行くわね」
王妃を見送ってから、コーデリア姫が私達に向き直る。
「ちょっとロイズに寄るつもりが、ラファエルがこちらに移動してきたものだから、ラディア城へ帰る必要がなくなっちゃったのよね。
エストリアにはロイズから行ったほうが近いし、私も手紙を書いて、逆にエリー達をこっちに呼び寄せることにするわ。
お父様は留守で、弟も遊学中でいないから、今夜はお母様が言うように私達だけでゆっくり羽を伸ばしましょうね」
コーデリア姫の台詞を聞きながら、ラディアの王都グランスールを一度も見学しないまま去ったことを少し残念に思った。
かくして、夕方の早い時間から食堂の一つに豪華な宴席がもうけられた。
「よーし、どんどん、料理と酒を持ってきてくれ!」
自分の城でも無いのに、カークが張り切って仕切り出す。
このノリ、懐かしいを通りこして、かなりウザイかもしれない。
「フィー、お前もたまには飲めよ!」
銀杯に葡萄ジュースを入れて貰っている私へと、酒瓶を持ったカークが近づいてきた。
気安く肩に触れてこようとするその手をエルファンス兄様が素早く払いのける。
「人の女に勝手に触れようとするな」
「どんだけガードが固いんだよ!」
カークと対照的に斜め前の席に座るラファエルは、優美な微笑を口の端に浮かべ、静かに周りの様子を眺めていた。
「フィー……他の男を見るな」
こっそり視線を向けていると、エルファンス兄様の不機嫌な声が耳元で響いてきた。
「よーし、みんなに飲み物が回ったところで、乾杯としようぜ!
今夜は各国の代表が勢ぞろいしたことだし、朝まで存分に語り明かそう!」
カークが大声を杯を掲げて立ち上がり、勝手に宴の始まりを宣言した。
「ところで、ラファエル、お前のところにガウス帝国の皇女との縁談話が来てるってのは本当か?」
開始早々に、カークがラファエルにつっこんだ質問をした。
「――ああ、ガウス帝国より先日書状とミーシャ殿下の絵姿が届いてね。白金の髪に青灰色の瞳をしたとても美しい姫君だった。
現在、返事は保留してあるが、私が断われば、カーク王子、君の元へ縁談が舞いこんでくるかもしれないな」
「ああ……そうだったのよ!」
コーデリア姫がラファエルの言葉を聞き、突如、叫んで頭を抱える。
「コーデリアどうした? 俺がミーシャ殿下と婚約するのは面白くないのか?」
「そういうことじゃないけど困るの! できたら、二人とも、ガウス帝国からの縁談は受けないで欲しいわ!」
「それについてはお前との縁談も含め、俺の意志うんぬんで決まらない部分が大きいからな」
カークが他人事みたいに言う。
「少なくとも私は断る方向で考えている。
これでも結婚は愛し合った者同士でするべきだと思っているのでね」
ラファエルは微笑しながら、チラッと私の方へと視線を送る。
エルファンス兄様もそれに気がつき、凍りつくような鋭い目で彼を睨みつけた。
「ラファエルは意外とロマンチストなのね」
「逆に君は女性の割に夢がないね」
「一国の王女として当然のことよ」
「政略結婚で国同士の絆を強めるというが、四カ国同盟など無意味ではないのか?
和平条約にしたところで、どうせ帝国の戦争準備期間につかの間結んでいるだけだろう」
「無意味だなんて、エストリアが滅んでもいいの? ラファエル」
「王国とはいつか滅びるものだ」
「ずいぶん達観しているのね! あなたは自分の国の民が大切ではないの?」
「本当に国民のことを思うなら、無血で帝国の傘下に入るべきかもしれないな。
戦争が起こっても無駄な血が流れるだけだ」
「ラファエル、お前には王子としての誇りはないのか!」
カークは三杯目のお酒を煽りつつ、髪を振り乱し吼えるように叫んだ。
相変わらず飲むピッチが早い。
「誇りか……人生とは儚きもの。今生王子であったとしても来世はバッタかもしれないではないか。
どちらにしろ、いまだ国を継いでいない以上、私が判断することではない」
バッタとか! ラファエルは言うことがいちいち悟りきっている。
「ところで君達はエストリアへ行く時も、ベルファンドの背に乗って移動するのか? もしそうなら今度は置いて行かないで欲しいな」
ふと、思い出したようにラファエルが嫌味っぽく言う。
ベルファンドと同じように、昨夜ラファエルもかつての仲間の気配に気がついたのかも。
「そうね。面倒くさいし、エストリアにもドラゴンに乗って移動しましょうか。
そうそう、ベルファンドといえば、あの笛、私にもくれないかしら?」
少しお酒で飲んで頬を赤く染めたコーデリア姫が言うと、アルコールが入っても顔色一つ変わらないラファエルが静かに答える。
「残念だけどコーディー、あの笛は清らかな魂の乙女しか吹けない」
「私の魂が清らかではないと言うの?」
「いいや、君の魂は充分清らかだが、フィーの魂は特別なのだ。
本来、浄化された魂でもない限り、このように澄んでいないのだから」
「浄化?」
「この地上は封印されしミルズ神の意志が支配する世界。
神が封印された場所は天の果て、あるいは天国と呼ばれる場所だ。
そこから漏れだして降りてくる神のご意志は時に雷として人の上に降り、地獄の闇に染まりし魂を浄化する」
雷? 魂を浄化?
身に覚えがあり過ぎる私の耳に、ラファエルの言葉は衝撃的に響いた――




