リナリーからの手紙
明るいうちだと目立つので、日が完全に落ちて暗くなってから、夜の闇に紛れてベルファンドで飛ぶことにした。
カークに案内され、いつも城から脱走する時に使っているという、王族のみが知る隠し通路を五人で歩いていく。
「部外者である俺達に、重要な脱走経路を教えてしまって大丈夫なのか?」
珍しくエルファンス兄様のほうからカークに話しかけた。
そういえば「恋プリ」でのお兄様は城攻め担当で、滅亡エンドで死ぬパターンの場合は、必ず帝国軍の指揮をしているのよね。
「言われてみるとそうだな!」
案の定、本人は何も考えてなかったらしい。
こんな調子ではカークの代でラディア王国が滅びそうな気がする……。
今回の帰国は秘密裏に行うため、身代り役としてエリーにベッドに伏せって貰い、コーデリア姫のお付き全員をラディア城に残していた。
キルアスは城にいる義務はないし、カークは脱走癖があるのでいなくても違和感ないそうだ。
ラディア城は王都グランスールを見下ろす高台に建ち、背後は崖になっている。
隠し通路は洞窟道へと繋がっていて、そこを出ると崖下の岩場だった。
口をつけて思い切り吹いてみると、ピューーッという気持ちの良い高音が鳴り響き、同時に瑪瑙色の笛が白く発光し始めた。
そうして輝く笛と漆黒の上空を眺めながら、ベルファンドを待つこと一時間弱。
派手な羽ばたき音とともに強風が降ってきたかと思うと、ドウッと地面を揺らす震動音が響いた。
「ベルファンド、来てくれたのね! ありがとう」
喜びと安堵の気持ちでお礼を言い、杖をかかげて姿を照らし出すと、鱗に覆われた巨体が現れ、コーデリア姫が「ひっ」と驚きの声をあげる。
≪勿論だ。私は約束をたがえたりしない≫
来てくれたことに心から感謝しつつも、思ったより早い到着にびっくりする。
渓谷からここまでわずか一時間足らずで来るということは、隣国ロイズにも数時間で着いてしまう計算になる。
「乗る前に振り落とされたら困るから、縄をかけさせて貰うわね」
≪構わない≫
すぐに衝撃から立ち直ったコーデリア姫は、魔力が高いのでドラゴンの声が聞こえるらしく、直接ベルファンドに話しかけながら作業を行う。
携帯していた袋から縄を取り出し、風魔法を使って、巨大な胴体に器用に回していく。
「……よし、これでいいわ。
それじゃあ、出来るだけ早く着きたいから、ロイズ城まで最速で飛んでくれる?」
≪分かった≫
ベルファンドは全員が背に乗り終わるのを待つと、コーデリア姫の願い通り、一気に上空へと駆け上がっていった。
「ぎゃああああああーーーーーーーっ」
コーデリア姫の絶叫が響き渡る中、最高速度で飛ぶベルファンドに背に乗る私達は、絶叫マシーンに乗っているような状態になる。
今夜は星ひとつ見えない曇り空の夜だったが、ベルファンドが雲より高い位置にあがると、頭上には降る様な星空が広がった。
手が届きそうなほど近い星を感動して見上げて「綺麗」と感嘆の声をあげていると、エルファンス兄様が背後から耳元でささやきかけた。
「フィーは本当に高いところが好きだな」
「うん……今度生まれ変わったら、飛べる生き物になれるといいなぁって思っているぐらい……ひゃっ!」
答えている途中で突然耳を甘噛みされ、悲鳴をあげる。
「飛べる生き物なんて駄目だ……フィー。
お前は次も人間に生まれ変わって、俺と出会って結ばれるんだ。
一度の人生だけでは、愛し合う時間が足りなすぎるだろう?」
「ご、ごめんなさい」
反射的に謝った瞬間、いきなりお兄様の腰に掴まれて、無理矢理に向きを変えられる。
「それと、ドラゴンに乗る時も横向きだ。キスができないだろう?」
このスピードで横向きに乗って、さらにキスするなんてとっても危ない気がするんだけど!
内心でつっこみを入れつつも縄から手を離し、お兄様の胴体にしがみつきなおす。
お泊り会の時にコーデリア姫に言われた、エルファンス兄様に対してもっと自分の意志を主張すべきだというアドバイスは、なかなか実行できそうになかった。
「フィー、ほら、キスするんだ」
そんな調子だから勿論、キスを要求されても断われない。
揺れるドラゴンの背の上で、顔を上向きにして、必死にお兄様の唇に自分の唇を合わせていると、すぐに熱い舌が口の中に入ってきて、激しく舌を貪られてしまう。
一番前に座っているので、みんなから丸見えで恥ずかしくて死にそうだった。
「お前らこの速度でよくいちゃいちゃしていられるな!」
「新婚だからしょうがないんだよ」
コーデリア姫を挟んで後ろに座るカークとキルアスの会話が漏れ聞こえ、キスしながら涙目になる。
すでに新婚だからしょうがないと、謝礼は先払いという流れは、私達の中で定型化しているような気がする……。
「本当によくやるわね! 見ているだけで怖いわ!」
背後からコーデリア姫の悲鳴のような呆れ声も響いてきた。
「怖いなら、俺が後ろから抱いていてやろうか?」
「……!?」
「何なら、フィーみたいに俺の身体にしがみついてもいいんだぞ?」
あきらかに口説きかかっているカークに向かってコーデリア姫が盛大に叫ぶ。
「今更、そういうノリになっても遅いんだけど!」
風音が大きいのでいちいち大声を張りあげる必要があるせいか、みんな言葉少なくて沈黙が続いていたとき、唐突にベルファンドが私に話しかけてきた。
≪娘よ。先程お前に呼ばれた場所近くから、ルーウェリンの気配がした≫
ベルファンドにはルーウェリンの魂の気配が分かるらしい。
彼らが仲間だった事実を思い出して質問してみる。
「ベルファンドはルーウェリンと仲間だったんだよね?
彼が今転生してエストリアという国の王子ラファエルになっていることは知っている?」
≪転生後については何も知らないが、光と闇をあわせつ持つがゆえ、天の果てにも地の底にも行くことができず、地上の転生の輪に組み込まれたということだけは知っていた≫
「ラファエルは今ラディア城に来ていて、今日初めて会った時、私のことをレメディアと間違って呼んでいたの。
神の娘レメルディアーナのことだと思うんだけど、彼女の魂は私にそんなに似ているの?」
≪似ている以前の問題だ。肉体は同じだが、正しく言うとレメディアはレメルディアーナではない≫
肉体が同じなのに違う人物?
理解できずに問いかえそうとしたところで、コーデリア姫の大声が響いた。
「見て! もうロイズ城が見えてきたわ!」
「おおっ、もう早かよっ!」
「数時間しか飛んでいないのに……凄いね」
カークとキルアスの驚きの声が続き、私も地上を見下ろす。
いつの間にか高度が下がっていて、内部からの明かりに照らし出された湖に浮かぶ優美な城が遠くに見えてきた。
城の付近の人気のない場所で下ろしてもらうと、私達はベルファンドにいったん別れを告げ、ロイズ城を目指して急いで歩き始めた。
コーデリア姫の姿を認めた門兵が速やかに跳ね橋を下ろし、スムーズに入城がかなう。
「両親への挨拶は明日するとして、今日中に用事を済ませておきましょう」
出向かえの女官に両親への伝言を頼むと、先導するようにコーデリア姫が廊下を歩き始める。
ロイズ城はラディア城と同じように灰色の石造りで、内側の空気は冷んやりとしていた。
コーデリア姫は自室に到着すると、書き物机の上に置かれたトレーの上から手紙の束を取り、さっそく確認し始めた。
「リナリーから2通届いているわ。……今読みあげてみるわね」
「うん」
内容が気になってどきどきした。
「……その前に乙女の手紙だから、悪いけどフィー以外は隣の続きの間に下がっていてくれる?
扉は開けたままで構わないから」
「分かった。俺は廊下を見張っている」
後ろに控えていたエルファンス兄様は頷くと、銀髪と黒衣を翻して廊下へと出ていった。
「エル、俺も一緒に行きます」
キルアスもその背についていく。
「じゃあ俺は疲れたから隣の部屋にあるベッドで横になってるな」
ずうずうしいカークのみ隣の寝室に移動する。
いずれの扉も開けたままだった。
コーデリア姫は手紙に目を落とし、私だけに聞こえる程度の声で、リナリーから来た手紙を日付順に読み上げだす。
「えーと……最初の部分は関係ない挨拶だから飛ばして……。
『ご存知の通り私は今回、アーウィン攻略、ただそれだけを望み、ガウス帝国にやって来ました。
帝国に到着すると、迷わずゲーム内の出会いイベントが起こる薔薇園へと向かいました。
しかしそこで恐るべき陰謀、もとい、悲劇が起こりました。
果たして、シナリオ通り彼はいましたが、一人ではなく、他の女性と一緒だったのです。
私がそこを通りかかった時、ちょうどアーウィン王子は木陰で黒髪の女性と口づけをしている真っ最中でした。
私は内心の激しい動揺を隠しながら、そ知らぬふりでその場を通り過ぎました』」
「……!?」
知らなかった。あの時リナリーに見られていたんだ……。
「『艶やかな黒髪ロングに透明感のあるまっ白な肌。顔が見えずとも相手の女は間違いなくフィーネ・マーリン・ジルドアでした。
私はその裏付けを取るために図書室へ向かいました。
そこにはゲームシナリオ通りクリストファーがいました。
できるだけ自然な態度で彼に話しかけ、アーウィンとフィーネの関係について探りを入れると、恐ろしい事実が判明しました。
なんということでしょう!
フィーネはゲームのシナリオに逆らって、クリストファーではなくアーウィンと婚約していたのです。
このことが指し示す事実はたった一つ。
私達がその可能性を考えていた通り、フィーネも同じ転生者だったのです。
つまり、アーウィンとの出会いイベントが起こる場所と時間を狙い、わざわざフィーネは私にラブシーンを見せつけ、強気に戦線布告をしてきたのです。
かくも恐ろしい恋敵を前に私は戦慄を覚えました。
初対面のクリストファーからは、それ以上の情報を引き出すこともできず、最悪の出だしとなった初日が終わりました。
なかなか厳しい戦いになりそうで暗憺とした思いです。
まずは情報収集をして今後の作戦を立てようと思っています。
また報告します』
……と、一通目はここまでね」
宣戦布告とか、思いきり勘違いされている……。
コーデリア姫の手が二通目の手紙の取り出して広げる。
「『コーディー。ああ、恐ろしいことが起きました。
この悲劇が起こったのは全ては遅きに失した私のせいなのです。
私は前回の手紙を書いて以来、日々情報収集をしながらフィーネの出方を慎重に伺っていました。
式典の後のパーティー時も踊る二人を眺めながらぐっと堪えたし、同じ転生者であることを気がつかれないように、極力シナリオから外れた行動を取らないように心がけていました。
今思えばそれがいけなかったのです。
私は毎日図書室通いをし、三日に一度のペースでそこに現れるクリストファーと、恋愛フラグが立たない程度に親密度を上げていきました。
彼は口が固く簡単には他人に心を許さなタイプでしたので、挨拶以外の会話が成り立たない日も多く、情報を引き出すのにはとてもとても苦労しました。
それで今日ようやく知ったのですが、二人の婚約はアーウィンが強く望んだもので、フィーネの希望ではなかったらしいのです。
彼女の性格についても大人しくかつ内向的であり「恋プリ」1の極悪キャラが、信じがたいことに、神殿で聖女修行をするほどの清純キャラに成り果てているとか。
とにもかくにも恋のライバルでないのなら転生者同士協力しあえるはずだし、もしもアーウィンの攻略に失敗した際も、セイレム攻略に向けて神殿に渡りをつけて貰えるかもしれない。
そう判断した私は、これは一刻も早くお近づきにならなくてはと、その事実を知った夕方には、サイラスを連れて彼女の住む離宮を訪ねていました。
ところが、まず侍女が出てきて彼女にお伺いを立てるため引っ込み、私達が玄関で待たされていたとき、建物の中から甲高い悲鳴が聞こえてきました。
あわててサイラスと一緒にその場へ駆けつけてみると、侍女が部屋の入り口で腰を抜かしていて、フィーネはベッドに身を横たえて、胸にナイフが突き刺さった状態ですでに亡くなっていました。
傍らに遺書が置かれていたので自殺のようでした。
まるで小船に乗って流れてゆくシャーロット姫のごとく、長い髪を広げて眠るように死んでいるその姿は、たとえようもなく美しくかつ悲壮的でした。
その後は当然ながら大騒ぎになり、色んな人間がやってきて、私もサイラスや侍女と一緒に散々事情を訊かれました。
現場にはフィーネの義理の兄であるエルファンスも現れました。
中でもとりわけアーウィンの取り乱しようは酷かったです。
自分のせいでフィーネが死んだのだと、遺体にすがりついて泣き叫び、血まみれにながら、許しを乞い続けていたのです。
葬式の時もそんな調子で、アーウィンは見ているだけでも辛くなるような、このうえなく痛ましい様子でした。
正直なところ私のほうも、このショックからはしばらく立ち直れそうにありません。
彼女の死んだ姿はまるで未来の自分を見ているようでした。
もっと早く彼女に接近すれば良かった。
一生もののトラウマです。
アーウィンの傷心につけこもうにも、私自体が弱り過ぎていて無理です。
ただ、ただ今は、ディランに会いたくてたまらないです。
本来ゲームの筋書き通りなら私は、サイラスと一緒にディランもガウス帝国に連れてくるはずでした。
だけどどうしても嫌だったのです。アーウィンを攻略するために向かう帝国に、ディランだけは連れて来ることができなかったのです。
もしこの場にいたら泣いて彼にすがりついていたでしょう。
このままではアーウィンの攻略もままならない。
彼のルートに乗らないと来月から戦争シナリオが始まるかもしれない。
なのに全く行動する気力が起こらないのです。
なぜこんなにも心の弱い私が、このゲームのヒロイン役なのか。
コーディーあなたの強さが羨ましい。
こんな恐ろしい世界大嫌いです。
フィーネが可愛そうでたまらない。
ああ、ディランに会いたい』」
「……」
「……」
私とコーデリア姫は無言で少しの間、互いの顔を見つめあった。
「どうやらリナリーはあなたの死体を発見したらしいわね」
「うん、悪いことしちゃった……。ところでシャーロット姫って?」
「テニスンの詩に出てくる死の呪いを受けた悲劇のお姫様の名前よ。
遺体が小船に乗って川を下るくだりがあるの。
ベッドを船に見立てたリナリー流の表現じゃないの」
「そうなんだ……」
「しっかし相当参っているみたいねー」
「最後、ディランに会いたいって……」
リナリーは彼のことが好きなんだ。
弱っている時に大好きな人に会いたくなる気持ちは良く分かる。
彼女の気持ちを想像して辛くなり、つい涙ぐんでしまう。
「そうね……この様子だとリナリーには助けが必要みたいね……」
「うん」
コーデリア姫は眉根に皺を寄せて、深く考え込むようにしてから、口を開く。
「ねえ、フィー、あなたちょっとリナリーのところに行って来てくれない?」
「……えっ?」
コーデリア姫はもう一度強めの口調で言い直した。
「あなたが生きていることをリナリーに教えて、立ち直らせて来て欲しいの」