ラファエル降臨
「貴様! 俺のフィーを離せ!!」
「きゃあっ!」
エルファンス兄様の怒号が廊下に響き渡った直後――
なんと、私はラファエルに横抱きにされて宙を舞っていた。
視界の端に、タッ、と床を蹴るお兄様の姿がかすめる。
ラファエルは髪と衣を広げて空中を舞い、閃くように次々と位置を変え、その軌跡を辿るようにお兄様の姿が現れては消えてゆく。
二人の動きが速すぎてぜんぜん目が追いつかなかった。
あやうく目が回りかけたところで、空中を飛びすさりながらラファエルが、さっと手を突き出す。
一瞬後、私が作るのとは比べ物にならない分厚い光の障壁が形勢され、周囲をぐるりと囲まれた。
ところが――次の瞬間、バシッ――と、叩きつけるような音が響き、光の膜に亀裂が走る。
お兄様が衝撃波を放ったらしい。
「フィーを返せ!」
今にも砕け散りそうな光の障壁を挟み、空中で二人は睨み合った。
――と、急にラファエルは喉をのけぞらせ「ははっ」と高笑いする。
「まさかこの私とまともに渡り合えるとはな。面白い。
銀色の悪魔。名前通り、人外の魔力じゃないか。
容姿も魔力も父親譲りとみえる」
「――!?」
父親譲り?
ラファエルは一体何を言っているの?
驚いたようにエルファンス兄様が動きを止めた隙に、ラファエルの手が弧を描き、再び分厚い光の壁を作り出す。
対するお兄様は床に降り立つと、伸ばした手を青白く発光させていった。
あれはたしかゲームで見たことのある、炎と風を混ぜて爆風を起こす攻撃のモーション!
まずい、あれを放ったら、光の壁だけではなく、この廊下も吹き飛ぶかも。
はっとした私は、そもそもこの状況を産んだ原因がラファエルの誤解であることを思いだし、必死に訴える。
「私はレメディアじゃない!? 人違いだから、お願いっ、離してっ!?」
「ベルファンドの笛を下げているのに?
……また乗り手に選ばれたんじゃないのか?」
ラファエルは舐めるような視線を私を送りながら、謎に満ちた言葉を吐く。
そして白く冷たい指で私の頬に触れ、すーっと輪郭をなぞってゆく。
「ひゃっ……?」
瞬間、ぞくっと寒気が起こる。
「おかしい……印が無い……」
――と、間近にあるラファエルの七色の瞳を見返していると、突然、瞳孔から闇が染みだすように黒い色素が広がり始める。
「恋プリ」をやりこんでいた私には、それが闇ラファエルが出現する前段階だと分かった。
闇の人格が表出するのに合わせて光の障壁が消えてゆき、エルファンス兄様が慌てて自分の右手を左手で押さえる。
防護壁がなければ私に攻撃が当たってしまうからだ。
すかさずその無防備状態を狙って、ラファエルが右手を高くかかげる。
これはゲーム中で私を何度も八つ裂きにした、全身の肉を瞬時に切り裂く、闇の刃を放つ時のモーションだ。
大切なお兄様をそんなものの餌食にするわけにはいかないっ!
「駄目ーーーーーっ!! 」
とっさに絶叫しながらラファエル腕にしがみつく。
すると腰を掴んでいた彼の左手が解け、右腕にぶら下がる格好になってから、私はそのまま滑り落ちていく。
「きゃーーーっ!」
「フィー!」
床に叩きつけられる痛みに備えて目を瞑ったとき、誰かに身体を抱きとめられる感覚があった。
開いた瞳にエルファンス兄様の顔が映る。
「お兄様っ!」
嬉しくて、思わず抱きつきたくなったけど、今はそんなことをしている場合じゃない。
さっと身構えて宙を見上げると、ラファエルは宙に浮いた状態で鼻白んだような表情をして静止していた。
瞳は元の七色に戻り、片側で一つに結わえられた緑がかった長髪が、まとめられたカーテンのようにしゅるんと揺れている。
そこでなんとラファエルは、ここまでやりあっておきながら有りえない台詞を吐く。
「――どうやら人違いのようだな……」
「人違いだと!?」
「魂の色があまりにも似ていたから、しょうがない」
「ふざけるな!!」
怒鳴りつけたエルファンス兄様の全身から、その時、青白い怒りのオーラがゆらめき立ち――ビリビリと空気を振動させる魔力のプレッシャーが起こる。
いけない、ラファエルに攻撃する気なんだ――そう悟った私は焦ってお兄様の首に抱きつく。
「止めて、お兄様、この人はエストリアの王子なの!?」
「――なにっ!?」
驚愕の眼差しが私に向けられ、たちまち緊張した空気が緩んでいく。
そこへちょうどあわただしい複数の足音が鳴り響いてきた。
人が駆けつけてくる前にラファエルは空中から床に降り立った。
「ラファエル様!」
「フィー、エル!」
「ラファエル! なぜあなたがここにいるの!?」
口々に叫びながら廊下の角を曲がって現れたのは、ラファエルの側近らしい数名と、コーデリア姫とキルアスだった。
「なぜって、予定より早めに来て君を驚かそうと思ったんだよ、コーディー。
つい先ほど到着したので、さっそく君を探していたんだ。
済まし顔で答えたラファエルは、
「久しぶりに会えて嬉しいよ。麗しの従兄弟殿」
激しく動揺している様子のコーデリア姫に近づくと、少しかかんで手を取り、その甲に口づける。
「……!?」
瞬間、雷に打たれたように、ビクッ、と反応した彼女は、ばっと手を振り払い、私を見る。
「フィー、あなた何かされたの? 大丈夫?」
「……びっくりしただけで……何も……」
といっても膝はガクガクがして、腰が抜けているけど……。
「フィーというのだね。すまなかった。それとエル? 失礼した。
のちほど改めてお詫びと挨拶をしよう」
とりあえず簡単な謝罪をして、ラフェエルは長い髪と衣の裾を翻し、側近を連れて廊下の向こうへ消えて行った。
速やかなその去り際を一同、呆然と見送ってから――コーデリア姫がほうっと大きな溜息をつく。
「……強い魔力を感じて来てみれば……エルにフィー、一体、ラファエルと何があったの?」
エルファンス兄様はその問いかけには答えず、無言で私を横抱きにしてから歩き出す。
コーデリア姫とキルアスも後ろを着いてきた。
部屋へ戻って私をベッドに下ろすと、ようやくエルファンス兄様が口を開いた。
「いったいあいつは何者だ? エストリアの王子だというのは本当なのか?
いきなりフィーを捕まえ、魂とか変なことを言い出して、とても正気とは思えない。気でも触れているのか?」
質問するお兄様の顔はいまだに収まり切れない怒りに歪み、深い青の瞳は氷のように鋭く凍てついていた。
答えるコーデリア姫は、口調も表情も重かった。
「……性格は異常だってことは分かっているけど……気は触れてないはずよ」
彼女もラファエルとの再会には相当なショックを受けているはずだ。
「異常性格者だと? 悪いが、そんな危ない奴とは、今後一切関わりたくない。
昨夜、約束のもてなしも受けたことだし、もう城を出て行かせてもらう」
一度関わっただけのお兄様にも、ラファエルの恐ろしさは充分伝わったらしい。
コーデリア姫もコクンと頷く。
「私も、すぐにラディア城を出発しようと思うわ。荷造りが終わり次第、王妃に挨拶してここを出ましょう」
「俺も、一緒に出るよ!」
キルアスも姫の言葉に続けて言った。
二人が旅立ちの準備のために部屋から出て行くと、エルファンス兄様がベッドに座る私を怖い顔で見下ろしてくる。
「――さて、フィー……俺が何で怒っているか分かるな?」
「ごめんなさい……お兄様……」
しゅんとして俯く。
「全く! 毎回、お前は隙が多すぎる……!
どうして他の男に気安く抱かれたりするんだ……!?」
「……怖くて……身体が動かなくなって……」
「だから、俺の目の届かないところには行かせたくないんだ。
他の男に迫られても対処も出来ない癖に、なぜ勝手に一人で部屋を出た?
……いいか? もう二度と俺の腕の中から出るな! いや、金輪際出さない!
フィー、お前は爪先から髪の毛の一本まで全て俺のものだ。他の男に触らせるものか」
凄い剣幕で言いながら、抱きしめてきたお兄様の腕の力はきつく、苦しさのあまりうめき声が出てしまう。
「許して……っ、苦しい……っ!」
「あいつの腕の中にいるお前の姿を見た俺の苦しさはこんなものじゃなかった!」
「ひっ」
「お前は自分が誰のものなのか自覚が無さ過ぎる!
――今、思い知らせてやる!」
宣言すると、エルファンス兄様は私をベッドへ押し倒し、激情をぶつけるように貪るキスと愛撫を始めた。
全部自分のせいだと思った私は、ひたすら泣いて許しを乞うのみだった。
嵐のような行為が終ると、エルファンス兄様は私の頭を胸に抱き寄せ、優しく髪を撫でながら謝罪してきた。
「すまなかった……」
「……うっ……っ」
私はといえば涙と嗚咽が止まらない。
とりわけエルファンス兄様を危機に遭わせたことが一番悲しかった。
なぜあの時ラファエルから逃げられなかったのだろうかと、情けなくて仕方がない。
よくよく考えてみればラファエルは本物の死神ではなく、執着対象以外には無害な存在なのに……。
突然現れたせいですっかり気が動転してしまった。
「泣かないでくれ……フィー、俺が悪かった。
怖い目にあったお前に対し……慰めるどころか追い討ちをかけて……俺は最低だ……。
自分でも呆れるぐらい嫉妬深く……お前のことになるとつい正気を失ってしまう……。
許してくれ、フィー……」
「ううん、私が馬鹿だったの……いつも迷惑をかけてごめんなさい……。
もうお兄様の腕から出ないって約束する……」
「ああ……そうしてくれ……フィー……。
……おかしくなるぐらい……愛しているんだ……」
そうしてしばらくエルファンス兄様の胸の温もりに包まれているうちに、次第に恐怖や悲しみが癒えていった。
やがて、心が落ち着くにしたがって、物を考える余裕が出てきた。
正直言うと、今回、短いながらもお兄様とラファエルの戦いを目にした私は驚いていた。
コーデリア姫は先日、ラファエルに対抗できるのはお兄様とセイレム様だけって言っていたけど、私はそうは思っていなかったからだ。
それはラファエルがこのゲームの攻略キャラで最強である理由――そのキャラクター設定ゆえだった。
「恋プリ」のラファエル・ルートで知りえた情報によると、彼はかつてミルズ神に仕え『暁の光の御使い』と呼ばれていた七色の羽を持つルーウェリンが闇墜ち後に転生した姿。
つまり他のキャラとはまるっきり次元がことなる存在なのだ。
FDの予告イラストでベルファンドの背にリナリーと彼が一緒に乗っていた理由も、かつては神の眷属同士だったからだと思われる。
たしかにエルファンス兄様は強い魔力を持っているけど所詮はただの人間。
神の眷属の魂を宿したラファエルは、本来、人が太刀打ちできるような相手ではない。
にもかかわらず、先ほどのエルファンス兄様は、ラファエルの動きに完璧についていけてたし、魔導武器を使わないさっと放った攻撃で光の壁を砕きかけていた……。
しかもラファエルは気になることを言っていた。
『銀色の悪魔。名前通り、人外の魔力じゃないか。
容姿も魔力も父親譲りとみえる』
「――!?」
あきらかにエルファンス兄様の正体を分かったうえで、私の知らない情報まで知っているような口ぶりだった。
今まで考えてみたこともなかったけど……。
エルファンス兄様の出生の秘密――なぜ生まれつき魔力が強く、母親がそれを忌み嫌ったのか――を、初めてラファエルの言葉によって意識させられる。
残念ながらその謎の答えは「恋プリ」ゲーム本編には出てこないし、デリケートな問題過ぎてお兄様には直接訊けないけど……。
予想としては、飛行イベントと同じように、ファン・ディスクに入っているサイド・ストーリーのエピソード。
もしくは恋プリほどの名作なら、私の死後に続編が出ていてもおかしくないから、その中で明らかになる設定かもしれない
どちらかというと私の勘では、後者である可能性が高いような気がした。
残念ながら前世で発売前に亡くなった私にはその内容を知りようもないんだけど……。
他にも気になることをラファエルは言っていた。
笛のこと、そして魂の色が似ているという言葉。
あるいは彼の神秘的な瞳は物の形だけではなく、内側の魂まで見通すことができるのかもしれない。
そこで思い出すのは、数日前にドラゴンが言った「神の娘を強く思い起こさせる」という台詞。
魂の色、神の娘、レメディア……などなど。
ラファエルと、ドラゴン、両方の口から出た符号と、「恋プリ」のラファエルの設定を結びつけて考えると、たどり着く答えは、たった一つ。
私の魂はひょっとしたら似てるのかもしれない。
ミルズ神話に出てくる、前世のラファエルが闇落ちした理由で。
彼がかつて愛した、神の娘レメルディアーナに!
だとしたら、いくら眼鏡をかけても無駄ってことになってしまう。
だって容姿ではなく、魂レベルでラファエルに執着されているんだもの……。
恐ろしいっ。
こうしてはいられない!
エルファンス兄様が言うように一刻も早く彼から遠ざからなくちゃ!?
私はお兄様の顔を見つめ、腕を掴んで急かすように言った。
「お兄様、早く荷作りして城を出ましょう」
「ああ、そうだな……」
エルファンス兄様はちゅっと唇を重ねたあと、自分が起き上がるついでに私を抱き起こした。
元々持ち者が少ないので荷造りはあっという間に終わり、出立の挨拶のために王妃に会いに行く段になる。
コーデリア姫に声をかけようと部屋へ寄ったところ、ノックしても返事はなく、扉を開けると中は無人だった。
先に向かっているのかと思い廊下を歩いていく途中、前方から焦った様子で駆けてくるカーク・クラフトとラーナとロミーに出会う。
「エル! フィー! コーデリアとエリーを見なかったか?」
いきなり質問してくるあたり、相当カークは慌てているみたい。
「ううん、私達も捜しているところだったんだけど、いつからいないの?」
「それが、ラファエルに呼ばれて部屋を出て行ったまま、ずっと戻らないらしいんだ」
「ええっ?」
不吉な名前と状況に、たちまち私の胸に悪い予感と大きな不安が広がっていった。