星の瞬き
翌朝、明るい朝の光の中で目を覚ますと、待ち構えていたように横から声をかけれらる。
「フィー、やっと起きたんだな……」
「……あ……お兄様……」
今朝は異様に全身がだるかった。
エルファンス兄様が身を起こし、上から心配そうに私の顔を覗き込んでくる。
「身体が辛くないか? ……大丈夫か?」
「うん、平気……」
本当は全然平気じゃなく、起き上がる力も残されてない。
ベッドに縛りつけられているように身体が重かった。
「フィー……昨夜はいつにも増して自分の欲望を抑えられなくて、すまなかった。
俺は日ごとますますお前の身体に溺れ、酷くなっていくようだ……」
そう言うお兄様の表情と声の暗さに、私は無性に元気づけたくなる。
「ううん……私の体力が無さ過ぎるだけなの!
お兄様が私を求めてくれることは凄く嬉しい」
これは本心からの発言で、肉体的には未熟すぎてまだ受け止めきれていないけど、精神的にはお兄様に求められることでとても満たされていた。
エルファンス兄様の深い青の瞳は愛しそうに細められ、口元には優しい笑みがこぼれる。
「フィーは優しいな……ドラゴンも言っていた、清らかで美しいと、俺がこうして欲望のはけ口にしてもお前は全然穢れない……」
なぜかセイレム様にも同じようなことを言われたけど、不思議でたまらない。
「私のどこが清らかなの?」
性格はうじうじしていて暗いし、誘惑に弱く流されやすく、実は嫉妬深くて、清らかさとはほど遠いと思うんだけど……。
「どこもかしこもだ……。
……とにかく、お前をこれ以上弱らせてしまっては困るから、今後は気をつける」
そう言ってエルファンス兄様の唇がちゅっと重なってきたのに合わせ、私は大切なことを思いだす。
そうだ話をしなくっちゃ――そう思い口を開きかけた時――コンコンと扉をノックする音が響き、朝食の準備が出来たことを知らされた。
とりあえず話は後回しにして、お兄様に手伝われながら身支度を終えた私は、横抱きにされて食堂へと向かう。
「あっ、おはよう二人とも」
食堂へ入ると同時にキルアスが声をかけてきて、自分の隣の席をお兄様に勧める。
二日酔いなのかぐったりしているカークは、隣をコーデリア姫、周りをぐるっとそのお付きの女官や護衛の男性に囲まれ逃げ場の無い状態。
皆に挨拶をしてから椅子へ降ろして貰った私は、テーブルの上に並ぶ大量の料理を見てげんなりする。
朝からこんなに食べれないし、パンとスープだけにしよう……。
「エル、今日は朝食を終えたらすぐ出発して、村二つ挟んだ距離にある、バルモア砦まで進みませんか?」
キルアスが地図を広げながら相談すると、エルファンス兄様は短く答える。
「任せる」
昨日の夕食の席から思っていたけれど、隣の席をキープしてずっと話しかけてくるあたり、キルアスってば相当お兄様が好きだよね。
カークがコーデリア姫とその取り巻きに囲まれているのもあるかもだけど、私だっているのに、基本的に視線がお兄様にしか注がれていない。
自分のほうが先に知り合って仲良くなったのにと、なんだか友達を取れらたような複雑な気分になってしまう。
(いいもん、私にはコーデリア姫という同性の仲間が出来たし、パジャマ・パーティーするんだもん)
いじけながらパンとスープを半分ぐらい口にしてスプーンを置くと、お兄様がぶとうの粒をつまんで私の口元へ運んできた。
「フィー、デザートでもいいから、もう少しお腹に入れろ」
「食欲ないの」
「駄目だ。もっと食べて体力をつけるんだ」
毎度、この会話には既視感があり過ぎる。
お兄様に顎を掴まれ、強引にぶどうを口に入れられていると、先に食事を終えたコーデリア姫が立って近づいてきた。
「これから一緒に旅する事だし、フィーとエルに私のお供を紹介するわね」
コーデリア姫は前置きしてから、順番に連れの人達を紹介し始める。
「まずは護衛の二人から紹介するわ。
わが国が誇る生え抜きの騎士クラウスと、宮廷魔術師の一番弟子のアーマノイドよ」
大柄で筋肉質な身体付きの金髪碧眼の青年騎士クラウスと、黒髪緑眼でスラリとした体系の少年の面影残るアーマノイドがそれぞれ会釈した。
「女官の三人は、右からエリー、姉妹のラーナとロミーで、私の世話だけではなく、全員、護衛もかねていて女だてらに武器を扱える手練揃いよ」
エリーは30絡みの茶髪で緑色の瞳のストレートヘアーで、女性にしてはややがっしりした体系。
ラーナとロミーは高身長で細身、揃いの麦穂色の髪と青い瞳をしていて、20代半ばぐらいに見えた。
「コーデリア様が私達の中では一番強いんですよ。
細剣はもちろん、鞭を扱うのがとてもお上手なんです」
我がことのようにラーナが自慢する。
「そうなんだ……私なんて、剣を握ったことすらないわ」
武力ゼロの私が思わず尊敬の眼差しを向けると、コーデリアが嬉しい提案をしてくれる。
「来たるべき日にそなえて、幼い頃より鍛錬してきたの。
もし良かったらフィーにも教えてあげましょうか?」
「必要ない」
そこへすかさずエルファンス兄様が私の代わりに答える。
「俺もエルと同意見だ。馬も剣も扱えないぐらいのほうが女として可愛げがある!」
珍しくコーデリア姫を挑発するように言ったカークに、エリーが反論する。
「コーデリア姫は馬に乗れて剣もたくみですが、普段はとてもおしとやかな姫君ですわ」
昨日タックルをかましているのを見た私にはどうにもそうとは思えなかった。
コーデリア姫は嘲笑うように言う。
「あら、普段は粋がっている癖に、そういう弱弱しい女でなければ、乗りこなす自信がないの?
案外情けない男だったのねカーク。
これは夫選びを間違えたしら?」
「……なっ!」
カーク・クラフトはカッと顔を紅潮させ、燃えるような金色の瞳でコーデリア姫の顔を見返す。
攻略する予定の相手に喧嘩を売っていいのだろうか?
「キルアスはどう思う?」
コーデリア姫に話を振られたキルアスは、丁寧に地図を折りたたみつつ、
「俺は、どちらでも。馬とか剣とか関係無しに、人柄の良い女性が好きだ」
カークとの人格の差を見せ付けるような回答をした。
「私も同意見だわ。つまらない事を言わない人柄の良い男性が好きよ」
姫は「つまらない」という部分を特に強調して言うと、キルアスのターコイズブルーの瞳をうっとりしたように見つめる。
ひょっとしてもう乗り換えつつあるのだろうか。
「……だったら、キルアスと結婚すればいいじゃないか!」
苛立った声でカークが叫ぶ。
「そうね。あなたが挙式をあんまり先延ばしにするなら、他の男性に目を向けた方が良いのかもしれないわね」
コーデリア姫はそううそぶくと、男性陣に順繰りに視線を送っていった。
「……!?」
それを見て衝撃を受けたように固まったカークは、苦渋に満ちた表情を浮かべる。
「さ、そろそろ出発しないと、バルモアに着くのが深夜になってしまう!」
気まずい雰囲気を流すようにキルアスが発言し、お兄様も同意する。
「そうだな、早めに出よう」
コーデリア姫は馬車への同乗を誘ってきたけど、またしても私のかわりにお兄様が断り、昨日と同じように馬に二人乗りしての移動になる。
宿を出るとさっそく大事な話をする為に、お兄様にしか聞こえない小声で話しかける。
「お兄様……」
「なんだ?」
返事とともに温かい大きな手が上から私の手を握りこんでくる。
「あのね、昨夜言った話なんだけど……」
「そういえば話があるって言ってたな」
「私、実は昨夜お風呂に入った時、コーデリア姫と一緒だったの……」
「……みたいだな……姫のお付の女官達が風呂場の入り口を見張っていたから俺も察していた。
眼鏡を外した顔を見られたんだな?」
「うん、見られたけど、口外はしないと思うから大丈夫。
実は私コーデリア姫と友達になったの」
「そうなのか? あの王女大丈夫なのか?」
お兄様はいまだにコーデリア姫の正気を疑っているらしい。
「大丈夫、話してみるといい人だったの。それでね、約束しちゃって……」
「どんな約束だ?」
「ラディアを出た後も、一緒に行動する約束……」
「……」
「お兄様?」
「駄目だ。二人きりで旅行したい。断われ」
やっぱりそうくるよね……。
「お願い、お兄様、二人きりもいいけど、こうやってみんなで旅するのも凄く楽しいでしょう?」
「俺はお前と二人だけでいたいんだ。誰にも邪魔されたくない!」
「そんなこと言わないで、お兄様。せっかく出来た女友達なの」
必死に訴えながら身体を捻り、上目遣いにお兄様の切れ長の目を見上げる。
前世から友達のいなかった私にとって、コーデリア姫は同性で初めて仲良くなれそうな相手だった。
強い願いを込め、瞬きもしないでお兄様の顔を見つめていると、次第に涙が滲んでくる。
そんな私を見下ろし、エルファンス兄様は盛大溜め息をついた。
「――お前は、俺が惚れた弱みで自分の頼みを断われないと分かってて、言っているんだろう?
しょうがない奴だな。
このお願いは高くつくぞ?」
苦々しげではあるものの了解を得て私は嬉しくなる。
「何を支払えばいいの? 私が支払えるものなら何でもお兄様にあげる」
「そうだな、俺が気が向いた時に、いつでも何でも要求に応じる、と約束するなら、お願いを聞いてやってもいい」
「い、いつでも」
「そうだ、昼間からでも、場所がどこでも、周りに人がいてもだ。
キスでもそれ以上でも俺がしたい時にさせるんだ。
二人っきりであれば当然気兼ねなく出来ていたであろう行為をな。
これは当然の埋め合わせだ」
時間帯はともかく、どこでも人前でもっていうのは難易度が高い気がするけど……ここは頷くしかない。
「……わ、分かったわ」
「では、まずはお願いのキスをするんだ。ほら、こっちを向け」
「え?」
エルファンス兄様に腰を掴まれて身体を回され、正面向きから横座りにさせられる。
「ほら、俺が考えを変えないうちに早くしろ」
せかしながらエルファンス兄様は、私の目の高さまで頭を下げてきた。
さっそく人前でキスをしろと要求しているのだ。
「……わ、分かった」
意を決した私は、エルファンス兄様の首に抱きつき、人目もはばからず唇を重ねていく。
端から見ていると、私は馬での移動中に、自分から男性にキスを要求する、はしたない女に映っている事だろう。
しかも今日はキルアス達だけじゃなく、クラウスさんも一緒に馬を並べて走っている。
あまりにも恥ずかし過ぎるっ!
「お前ら……移動中に何やってんの?」
馬を並走させるカークが呆れ声をあげ、それをキルアスがいつものようにいさめる。
「しっ、邪魔するなよ。新婚なんだから」
唇を離すと、エルファンス兄様は整った精悍な顔に満足そうな笑みを浮かべた。
「いい子だ……フィー……今日から馬での移動中はいつでもキス出来る様に横座りだ」
つまり移動中はずっとこの羞恥プレイが続くってこと……!?
この支払いはけっこう精神的にくるかもしれない。
街道を走っている間に正午になり、農村部で馬を停めて食事休憩することになった。
敷物の上に皆で座って、宿屋に用意して貰った昼食を頂く。
視界に広がる一面黄金色の麦畑では、多くの農民達が腰をかがめて刈り取り作業をしていた。
大きな子供達は親を手伝い、小さな子供達は走り回っている。
そんなのどかな光景をサファイア色の瞳で眺めつつ、輝く金色の巻き髪を風に揺らしながらコーデリア姫が呟く。
「この平和を守りたいものね」
水色のドレスを纏ったその優雅な座り姿は、男性なら誰もが魅了されそう美しさだった。
「そうですね、コーデリア姫」
少しまぶしそうに瞳を細め、キルアスも頷く。
「平和とか大げさだな。ありふれた景色じゃないか」
カークはチーズを乗せパンを頬張りながら捻くれた口をきいた。
「カーク、それは違うわ。何気ない風景や日常こそ平和や人の幸せがあるのよ。そしてそれは当たり前に与えられて続いていくものじゃない。守らないと脆くも崩れさっていくものなのよ」
コーデリア姫の言葉には重みがあった。
もしかしたら前世で色々苦労したのかもしれない。
その後のカークはむすっとして、食事中終始無言だった。
なぜ彼はいつも、コーデリア姫の前では態度が悪いのだろう?
朝と同様にお兄様に口に食べ物をつっこまれながら、私はふと疑問に思った。
昼食を終え再出発した馬上で、揺られているうちに私は眠気におぼえる。
しかしうたた寝しかけるたびに、エルファンス兄様に声をかけられ、キスを要求されてしまう。
何度も何度もお兄様に口づけしたけど、キルアスやクラウスはもちろん、カークでさえ最早コメントして来なかった。
バルモア砦に到着したのは、日がすっかり落ちて暗くなった頃。
詰めていた兵士達に出迎えられ、内部へと通された私達は、遅い夕食後、それぞれの部屋へと案内される。
私とエルファンス兄様も案内役の兵士に先導され、長い階段を上った先の石造りの部屋へと通された。
子供の頃から高い所が大好きな私は、部屋に入るなり窓辺へと向かう。
木戸を押し開くと高い視界から、星空の下に鬱蒼とした森と草原が広がってる景色が見えた。
思わず見上げた降るような満天の星に、懐かしくも愛しい人の面影が映り、胸が切なく痛む――
「フィー」
ぼんやり眺めていると、いつの間にか隣に並んでいたエルファンス兄様に肩を抱き寄せられた。
「お兄様……」
「外を見ているのか?」
「うん、見て、星が綺麗」
「ああ……そうだな……綺麗だな」
思いを込めるようにそう呟いたお兄様は、しかし星空なんか見ていなかった。
あの日のセイレム様のように、やはり私の瞳を覗き込んでいたのだ。
愛情が滲むその瞳を見返したとたん、胸が熱くなって震え、目頭が熱くなる。
そんな私を見下ろし、エルファンス兄様が不思議そうに問う。
「なぜ泣いている?」
私は泣き笑いで答える。
「幸せ過ぎて……お兄様とこうしていられるのが……」
「そうか……そうだな……幸せだな」
さらに肩を抱く手に力を込めながらエルファンス兄様も深く頷く。
私は昼間のコーデリア姫の言葉を思い出しながら、この幸せな時間を守りたいと心から思った。
二人で身を寄せ、しばらく無言で夜空を眺めたあと、おもむろにエルファンス兄様が移動を促す。
「身体が冷えてきた……ベッドへ入ろう」
「うん」
横になると、夜風に当たって冷えた私の身体を温めるように、エルファンス兄様の身体が重なってきた。
「フィー……愛している……」
「……うん……」
自然に唇を重ね合い、今夜もお兄様に抱かれるんだ、と思うと、鼓動が苦しいぐらい高鳴ってきた。
「そんなに身を硬くするな……今夜はできるだけ優しくするから……」
そう言われても、まだ慣れなくて緊張してしまう私は目をぎゅっと瞑り、石像のように硬直してしまう。
本来はもっとすべきことがあるんだろうけど、経験不足の私は今夜もただ横になって、お兄様に身を任せることしかできなかった。
といっても、馬での長時間移動はとてもきつく、すでに体力も気力も限界で、どっちみち動けそうにないけど。
そんな不甲斐ない私をエルファン兄様は言葉通り、まるで壊れ物のように優しく扱ってくれたのに――
体力のない私は愛の行為が始まってすぐに、全身と脳みそと麻痺したようになって、意識が飛んでしまった……。
翌日も一行は順調に街道を進んで行き、夜半にレードという町の宿屋へ到着した。
その晩もエルファンス兄様は私の身体を気づかうように抱いてくれたのに――疲労困憊の私は前日と同じようにいくらも意識が持たなかった……。
そうして一晩明け、いつものようにお兄様の温かい胸の中で目覚めると、ついにラディア城へ到着する日だった――