空での誓い
「待ってくれ……フィーを一人で行かせるわけにはいかない」
ドラゴンの申し出に、エルファンス兄様は慌てたように私を抱きしめる。
≪ならば他の者も一緒に来ればいい≫
「……!?」
それって、全員を乗せて飛んでくれるという意味だよね!
――ドラゴンの背に乗って空を飛ぶ――
想像しただけでも思わず胸が踊ってしまう。
小さい頃からずっと、空を飛ぶのが私の夢だった。
「お兄様が許してくれるならぜひ乗りたいです!」
興奮しながら返事する。
「……おい、乗るって……今どういう話になっているんだ?」
状況が飲み込めず混乱しているカークを振り返り、私は説明した。
「ベルファンドの背に乗って空を飛ばないかって訊かれているの」
「おぉ、それはいいな!」
カークは少年のように瞳を輝かせ、キルアスも「凄く面白そうだね!」と乗り気な様子。
エルファンス兄様も溜め息まじりに「仕方がないな」と了承した。
ベルファンドは私達四人が背中に乗り込むのを待ってから、巨大な翼をはためかせ、渓谷の底から一気に上空へと浮上した。
たてがみにつかまり背の上で必死にバランスを取りつつ、強い浮遊感に悲鳴をあげる。
「きゃぁっ!」
あっとい間に雲の位置まで昇ると目が眩むほど地上が遠く、荒野はもちろんのこと近隣の村や町、大草原までもが一望出来た。
「すごーーーーーい!」
私は絶景に感嘆して叫ぶ。
「うおおおおーーーーーっ! なんだこれ、夢か!」
後ろの方でカークもはしゃいで大騒ぎしている。
風圧に涙を滲ませながら感激して地上を眺めていると、背後から私の身体を両腕で囲い込んでいるエルファンス兄様が耳打ちしてきた。
「良かったな。お前は高いところから、景色を見下ろすのが大好きなんだろう?」
「え?」
驚いて、びくっ、と肩を跳ね上げてしまう。
なぜなら、エルファンス兄様にはその話をした覚えがなかったから。
さらにお兄様は、私がしたことのない話題を続ける――
「それとお前は世界のあちこちを見てまわるのが夢だったそうじゃないか」
――これは、もう間違いなかった――
その話をした相手はたった一人なのだから。
確信したとたん、私の胸は、空を飛んでいる興奮とは別の意味でドキドキしてくる――
「それとお前は世界のあちこちを見てまわるのが夢だったそうじゃないか」
「……もしかして、セイレム様に聞いたの?」
おずおずと尋ると、まるでおしおきのように、かぷりと耳をエルファンス兄様に甘噛みされた。
「ひやっ!」
「――ああ、そうだ! 色んな話を聞かされたとも。
神殿では毎日、片時も離れず二人一緒で、お前について分からないことなど一つも無いという自慢話もな……。
聞かされた時の俺の気持ちが、お前に分かるか?
どんなに嫉妬で狂ったことか……!」
「……ごめんなさい……」
エルファンス兄様の気持ちを思うと申し訳なさ過ぎて死にたくなる。
背後から痛いほどきつく身体を抱きしめられ、きつく頬を重ねた状態でさらに訴えられた。
「今後は、お前のことを一番知っているのも、離れず傍にいるのもこの俺でありたい。
だからもう二度と、俺にしていないような心の深い話を他の男にはするな」
私だって同じ気持ち――他の人よりお兄様のことを知っていたいし、一番近くにいたい。
「うん、お兄様、約束する!」
迷わず答える私の耳元で、強い思い込めるようにお兄様が訴える。
「俺を誰よりも愛しているというなら、今ここで誓ってくれ、フィー。
身体だけではなく、心も、お前に最も近い位置にいさせてくれると……魂までも、生涯、共にあることを……」
「魂……?」
漠然とした表現に具体的にどうすればいいのか分からず、復唱して尋ねる。
「そうだ、フィー、この場で生涯俺と共にあると、結婚の誓いをして欲しい」
結婚っ……!?
いきなりのお兄様からのプロポーズに私は大きく息を飲む。
だけど返事なんて考えるまでもなかった。
感激に胸を詰まらせながら、力いっぱい同意する。
「……うん、お兄様……一生離れないと誓うわ……!」
想いの強さを伝えるために私は思い切って、飛行中にも関わらず後ろ向きに身を反転させる。
そしてエルファンス兄様の胴体に思い切りしがみついた。
するとすかさず強く抱き返され、私達はドラゴンの背で固く抱擁し合って誓いのキスをした。
「お前達、俺達の存在を忘れてないか?」
「しっ、カーク、空気を読めよ」
近くからカーク達の声がしたけれど、無視して長い口づけを交したあと――ふっとお兄様が口元に笑みを浮かべる。
「フィー、お前は神殿で修行をきちんとしていたんだな。先ほどは聖術を使いこなしていているのを見ていたく感心した。
お前を愛しみ育て、自分が弱体化することを承知でその杖を与えるほど、強い絆を結んできたあの大神官には大いに嫉妬するが、反面、感謝もしている。
今のお前があるのも、俺達がこうしていられるのも、全てあいつのおかげだからな」
信じられない!
エルファンス兄様がセイレム様への感謝の言葉を口にするなんて……!
「神殿を立ち去る際にも必ずやお前を見つけ、以降は一生涯、俺が傍で守るから安心するようにと断りを入れてきた。
これからは、かつて旅立ちの理由として口にした、死の運命からも何からも、お前を傷つけようとする全ての物から俺が命をかけて守ると誓う。だからもう二度と俺から離れようとするな。分かったな? フィー」
「……うん、分かったわ、お兄様!」
絶対にもう離れないという意志を伝え合うように再び固く抱きしめ合う。
感動で胸と目頭が熱くなって涙が溢れ出してきた。
そのまま温かい腕の中、幸せな気持ちで上空から景色を見下ろしていると――ふいにエルファンス兄様が後方へと視線を移した。
「キルアスといったか」
「はい」
突然、声をかけられたキルアスが驚いたように返す。
銀髪を靡かせながら、お兄様は風音に負けない音量の声で話しかける。
「頼むからフィーを泣かせないでくれ。お前が出て行った後、ずっと涙が止まらなかったんだ」
「……」
「フィーだけじゃない、お前を大切に思う者が他にもいるだろう?
――自分の生まれた場所の居心地が悪いという気持ちは俺にも良く分かる――
それでも命をかけるなら、天に運を問うなどという漠然としたものではなく、もっと価値のある、自分にとって大切なものを守る為にそうすべきだ」
幼い頃から実の母親に憎まれ、育ての父にも疎まれてきたお兄様の言葉には重みがあった。
「……そうですね……あなたの言う通りだ……エル。
泣かせてごめん、フィー……そして、ありがとう」
答えるキルアスの声は震えていた。
「大切なものか……確かにそうだな」
珍しく他人の話を聞いていたらしいカークも神妙な調子で呟いた。
≪さて、長く眠っていたせいか随分と体力が衰えているらしい。
今日はこの辺で巡回を切り上げ、渓谷へと休みに戻るが、その前に望みの場所までそなた達を送ろう≫
エルファンス兄様がドラゴンにラウルの店近くで降ろしてくれるように頼み、カークとキルアスは馬を残したままなので谷まで戻ると伝えた。
無事に地上へ降下すると、お兄様は私を抱いてベルファンドの背から飛び降りた。
着地後、二人で改めて巨体に向き直る。
「ありがとう、ベルファンド! 空を飛べてとても楽しかったわ」
――と、お礼を言ったタイミングで目の前に光り輝く小さな物体が出現する。
とっさに両手を出して受けとめてみるとそれは笛だった。
≪何かあったらいつでもその笛を鳴らし私を呼ぶがいい≫
貴重な贈り物を手にした私は感激してベルファンドを見上げる。
「大切にするわ!」
銀色のドラゴンは瞳を細めたあと、大きく羽を広げ、爆風をあげて地面から飛び立っていった。
――夢のような時間の終わりだった――
私達がラウルの店に戻ったのは夕方過ぎ。
今晩は休んで出発は翌日の朝にすることにした。
二階の宿泊室で荷物の準備だけ終え、再び一階部分へ降りると、エルファンス兄様はカウンターに立つラウルに話しかけた。
「馬が欲しいんだが、売っているか?」
てっきり旅の移動は空間転移装置を使うと思っていたので意外だった。
「勿論だよ、お客さん。宿から食事、酒、道具まで、何でも揃っているラウルの店には、当然ながら馬も売っている」
「では、一番良い馬を購入しよう」
交渉を終えたエルファンス兄様は、奥のテーブル席につき、早めの夕食を注文する。
またしても向かいじゃなく椅子を寄せて私の隣に座り、間近から愛し気な眼差しを送ってくる。
いまだに飛行体験およびプロポーズの興奮冷めやらぬ私は、全身が熱を帯びた状態で、食事をしている間もぼうっとしていた。
「良かった! まだ二人がいて」
入り口からキルアスの声がしたのは食事を食べ終わる頃だった。
二人は店に入ってくるなりこちらへ近づいてきて、カークは許可も与えていないのに勝手に同じテーブルの席にどかっと座り込んだ。
「今日は、助かった! ありがとうな!」
「二人が来なかったら確実に死んでいた」
「おまけにドラゴンの背に乗って飛ぶなんていう最高の体験が出来た! 他人に話しても到底信じて貰えないだろうな!」
興奮したようにキルアスと交互に話したあと、カークが改まったように質問してくる。
「さて、と、これからどうするんだ、お前達?」
「そうだ、フィー、行く宛がないって言っていたよね? 約束通り草原に来る?」
キルアスも同じテーブルについて、期待を込めた眼差しを向けてくる。
エルファンス兄様は無表情に答える。
「生憎だが、これから俺達は新婚旅行に行く予定だ。ラディア王国内を通ったあと、世界のあちこちを回ろうと思う」
初耳だった。
「では、草原には来ないんだね……残念だな」
寂しそうに言うキルアスを元気づけるべく、私は約束した。
「旅を終えて国に帰る時には必ず草原を通るから、その時は必ず挨拶に寄らせて貰うわ」
「そうか! それまで楽しみに待っているよ」
「さて、そういう訳だから、お前達とはこれでお別れだ。
今日は疲れたのでもう寝よう……フィー」
「うん、エル兄様」
正直、もう少しキルアスと話していたい気持ちもあったけど、食事を食べ終わったし、腕を掴むエルファンス兄様の力の強さから、もう行くしかなさそうだった。
「ちょっと待ったーーー!!」
そこでカーク・クラフトが、お得意のオーバーアクションでテーブルを叩いて立ち上がる。
「ラディア王国通るなら、王城へ寄っていけよ!
お礼がしたいんだ! もてなしぐらいさせてくれ!」
「断わる!」
エルファンス兄様は即答した。
「お礼を断わるって、どういうことだよ!」
炎のような髪を逆立てるようにカークが叫ぶ。
「お前のような疫病神とこれ以上関わるのはごめんだ」
エルファンス兄様の言うように、カークのおかげで色々災難に遭わされた。
でも、最後はおかげでドラゴンの背に乗って空を飛べたし、今となってはすべて許せる気がする。
「俺からもお願いする、エル。
もう少しあなたと話がしたいんだ!
二人が王都の城に寄ってくれるなら俺も同行する」
キルアスも懇願してくる。
私も彼とはまだ離れがたい思いがあった。
生まれて初めて出来た異性の友達のように感じていたから。
「ねえ、エル兄様、ここまで言ってくれているんだから寄ってみない?
特に目的地もないし、ラディア王国を経由していくなら、通り道でしょう?」
「お願いします!」
重ねて言いながらキルアスが頭を下げた。
「……ねぇ、エル兄様、駄目?」
私もせいいっぱいの上目づかいで見上げる。
エルファンス兄様は深い溜息をつき、
「……ったく……しょうがないな」
銀色の髪をかきあげながら苦笑した。
私は嬉しくなってお兄様に抱きついた。
「フィー、お前って凄かったんだな」
様子を眺めていたカークが感心する。
「え?」
「恋人が天才魔導師で、かつ、お前に夢中で何でも言うことを聞いてくれる。そのうえ自分自身も結構な聖術使い。おまけにドラゴンと会話して仲良くなるし。
本気でうちの国で召し抱えたいぐらいだ」
カークの言葉に、褒められ慣れてない私は物凄く照れてしまう。
その時、横から強い殺気を感じられた。
「人の女を口説くな!」
「口説いてない! っていうか、俺は面食いだって言ってるだろ!」
キレるエルファンス兄様にカークがムキになって言い返し、キルアスと私が笑い合う。
――かくして、私達は四人でラディア王国の王都グランスールへ向けて旅立つことに決定した――