キルアスとカーク
「パーティーメンバー? 寝言は寝てから言え」
エルファンス兄様は切れ長の瞳を細めて、怒りと毒を吐き出すように言った。
「寝言? それはどういう意味だ?」
カークが挑むような目で問う。
「お前のような死にたがりと一緒に行動するのはご免だという意味だ」
「死にたがりだと?」
エルファンス兄様の深い青の瞳には、見る者を竦み上がらせるほどの、激しい怒りの炎が燃えさかっていた。
「まさか、お前達の無謀な行動にフィーを巻き込み、命の危機に晒した事を忘れた訳じゃないだろうな?
俺が行くのがあと少しでも遅れていたら、フィーは生きて今この腕の中にいなかったかもしれない。
もしもそうなっていたら、原因であるお前らを決して許さず、瞬殺していたところだ!」
言いながら、お兄様の私を抱える腕に力がこもる。
瞬殺! ――本当にそうする能力がある人が言うととってもリアルな言葉。
「……確かにあの時はちょっと危なかったかもしれないけれど、死にたがりという言葉は撤回しろ!
俺は死ぬつもりなんてこれっぽっちも無かった!」
お兄様の鋭い眼光にも怯まず不満もあらわにカークが言い返す。
「自覚が無いならなおさら性質が悪い!
いいか、無謀な行動をするのはお前らの自由だが、二度とフィーを巻き込むな!
今後は一切、自殺志願者のようなお前らと、フィーを関わらせるつもりは無い」
エルファンス兄様は軽蔑しきったような眼差しをカークに向け、苛立だった声で断言する。
自覚の無い自殺志願者……というのは言い過ぎかもしれないけど、カークの無鉄砲さが命の危険を晒すレベルである事は明白よね。
時には兄様のように厳しい意見をはっきり言ってくれる人が彼には必要なのかも。
なおも不満そうに開きかけたカークの口をキルアスが手で抑えモゴモゴとした音になる。
「止せ、カーク。何もかもこの人の言う通りだ。
……昨日は無謀な行動をして、あなたの大切な人を巻き込んで、すみませんでした。
フィー、君にも謝るよ。ごめんね。俺がいながら……」
なんだか一番悪いカークが開き直っているのに、キルアスが必死に謝っているのは可愛そうに思えた。
それにエルファンス兄様は二人を責めるけれど、私が死にそうになった一番の原因は、断わりきれなかったこのヘタレな性格のせい。
反省して落ち込んでいると、エルファンス兄様が「話しは終わりだ」と言って私を抱き上げたまま食堂の奥へと歩き出した。
「あ……待って!」
キルアスがあわてて屈みこみ、机の下から杖を取り出し、差し出してくる。
「フィー、これを……昨日谷に忘れてた!」
「あっ!!」
キルアスの手にあったのはセイレム様から貰った私の大切な杖だった。
そういえば昨日地面に落としたままだったのだ。
しかも今まで忘れていたとか、我ながら最低すぎる!
セイレム様に心の中で詫びつつ涙目で「ありがとう」と受け取り、大切に腕に抱え込んだところで、お兄様が再び歩き始めた。
エルファンス兄様は二人の席から離れた奥のテーブルまで行くと、壊れ物のように優しく私を椅子の上に下ろしてくれた。
その後、四角い四人がけのテーブルなのにあえて隣の席に椅子を寄せて座ると、エルファンス兄様は感心するような声を上げた。
「物凄い杖だな」
純粋に褒めている訳で無い事は、杖を眺めるお兄様の不機嫌そうな顔が十二分に語っている。
「うん……セイレム様が貸してくれて……」
言い訳がましくしどろもどろに答える私。
「そんな物まで貢ぐとは、あの大神官は相当お前に入れ込んでいたようだな。
まあ、忌々しい杖だが、なかなか餞別としては気がきいている。
それだけばかでかい聖石を売れば一生遊んで暮らせるからな」
耳を疑う発言に反射的にガバッと顔を上げ、お兄様を瞳を見返す。
「ま、まさか、売る気なの?」
この杖の価値を知りながら、本気なの?
焦って問いかける私を、お兄様は無表情にじっと眺めたあと、
「冗談だ」
にやっと意地悪な笑顔を浮かべ、通りかかった店員を呼び止め注文を始めた。
安堵に私ははーっと息をつく。
なにせコミュ障の私には冗談と本気の判断つけるのが難しいのだ。
注文から数十分後に料理が届き、テーブルの上にはパンとスープに肉料理というメニューが並んでいた。
「ほら、フィー、たくさん食べて体力をつけるんだ」
言われなくても物凄くお腹が空いていた私は、パンを掴むと大きく千切った塊を口に入れて、いきなり喉が詰まりそうになる。
急いでスープで流し込もうしたが、熱過ぎて、きゃっと悲鳴をあげつつ、噴出する。
「よく噛まないから喉が詰まるんだ」
呆れたような声で言われ、お兄様に背中をとんとんと叩かれ、なんとか飲み下して窒息死をまぬがれる。
それから顎を掴まれ、濡れた口周りをハンカチで拭かれてしまう。
我ながら子供みたいで恥ずかしい。
それに比べてお兄様ってばいつもハンカチを持ち歩いるし、食事の食べ方もとても上品で綺麗。
手ぶらでパン粕をこぼしたり、スープを吐き出したりしている私と大違い。
急に貴族の令嬢として恥ずかしくなり、パンを小さく千切るように心がけて食べていると、
「フィー」
ふいに名前を横から呼ばれ、見ると枯葉色の踝丈の長衣を着て、弓矢を背負ったキルアスが近くに立っていた。
「最後に君に挨拶をしたくて……」
「キルアス……」
最後って事はお別れを言いに来たの?
「それと……」
キルアスが問うような視線をエルファンス兄様に送る。
「エルだ……」
無視せず名乗るという事は、キルアス対してはお兄様はそんなに怒ってないのかも。
「エル……あなたにも最後にもう一度謝罪したくて……。
改めて、あなたの恋人を危険に晒した事を謝ります。
とてもじゃないが、一緒にパーティーを組んで欲しいなどと言えた義理では無かった。本当に申し訳有りませんでした。
それと、フィー、短い間だったけれど、君と知り合って一緒の時を過ごせて楽しかった」
「キルアス、私こそ! 相部屋にして貰えて助かったし、話が出来て楽しかった。ありがとう。
――ところで、これから草原へ帰るの?」
たった数日の付き合いなのに、優しい彼との別れが寂しくてつい訊いてしまう。
「いや……」
キルアスの表情が曇った。
「まさかまた谷に行くの?」
悪い予感がして尋ねると肯定の言葉が返ってきた。
「残念ながら、カークは一度言い出したら絶対に曲げない男なんだ。
実はもう一人で出発してしまっていて……急いで後を追わないといけないんだ」
「待って、キルアス……! 昨日死にかけたのを忘れたの? 数を減らしたとはいえワイバーンはまだ相当な数がいるし、危ないわ!」
カークはともかくキルアスには死んで欲しくなかったので、とっさに止めるように服の裾を掴んでしまう。
「ありがとう、心配してくれて……。フィー、君は優しい人だね。
エルに愛されている理由がなんとなく分かるよ。
だけど、危険なのは百も承知で、それでも行かないといけないんだ」
「どうして? どうしてそこまでして行かないといけないの?」
止めても行ったのはカークの勝手で、キルアスまで付き合う道理はない。
今度こそ死んでしまうかもしれないのに!
「どうして? そうだね……多分それはカークと俺が同じだからだ……。
父が言っていた。天は英雄を殺さないと……死んだ時点でその程度の器なのだと。
荒々しく雄雄しい勇猛な平原の王である父にとって俺は常に大人し過ぎる物足りない息子だった……。
逆にカークは父や弟達に似た熱い性格で、俺に足りないものを持っているが、その激し過ぎる気性のせいで、ラディア王家ではお荷物扱いされている。
つくづくお互いの境遇が逆だったら良かったのにと思うよ。
エルが言ったように、俺達は自分の生まれた場所の居心地が悪くて、無意識に死に場所を求めているのかもしれない。
あるいは自分はどんな場面でも死なないのだと、この世界に天に必要とされている存在なのだと、証明したいのかもしれない。
いずれにしても……あいつを放ってはおけない……!」
キルアスの言っていることの意味なんか私には半分も理解出来ない。
それでも彼の決意がゆるぎなく、止めても無駄なことは、悲しいほど伝わってしまう。
「……キルアス……」
かけるべき言葉がもう見つからない。
「もう行かないと……さようなら、フィー、君の幸せを祈ってるよ」
最後にそう言って去って行くキルアスの背中を見送りながら、私はもう悲しくて悲しくて、涙がこぼれて食事どころではなくなってしまう。
回復役も支援もなく、大軍のワイバーンに彼らが襲われたら、生きて戻って来られるとは到底思えない。
このままじゃキルアスが死んでしまう。
「お兄様……」
泣きながら懇願するような視線をお兄様に向けた。
「駄目だ」
内容を言う前にお兄様に却下される。
エルファンス兄様が行かないというなら私はどこにも行けない。
だけど、やっぱり、気になるし、放っておくのは辛い。
「お願い……キルアスは……本当にいい人……なの」
相部屋だけじゃない。
彼は行き先のない私に一緒に草原に来ないかと誘ってくれた。
他にも話しかけてくれたり、色々思いやってくれた。
――と、泣いているうちに涙ですっかりレンズが曇り、何も見えないので眼鏡を外しかけたとき、
「それは外すな」
それをエルファンス兄様の手がぐっと押し止めた。
「でも何も……見えないの……」
「……涙で眼鏡が曇るなら、泣き止めばいい……」
「泣き止むなんて……悲しくて……無理……」
「――だから、しょうがないから、食事を全部食べたら――谷につきあってやる」
「え?」
「他の人間がいる前で眼鏡を外されるぐらいなら、その方がマシだ」
「お兄様!」
「どうもお前の涙に俺は弱い」
やっぱりエルファンス兄様は優しい人だった!
感動で涙がよけい溢れて、眼鏡の中が大洪水になってしまった。
エルファンス兄様はそんな私を椅子から自分の膝の上に移動させると、いつかのように食事を食べさせ始めた。
意地でも人前では眼鏡を外させない気である事に驚きつつ、視界がきかない私は素直に口を開けて、お兄様に入れられるままにパンをかじりスープを飲み、肉を食べた。
「さて、食事も終わったし、そうと決まったら部屋に戻ろう」
「え? 谷に行くんじゃないの?」
「あいつらが谷へ着くのにはまだ時間がかかる……」
「あ」
そっか、私達は空間転移装置で移動するから、一瞬で着いてしまうんだ。
今移動するとかなり待たないといけなくなる。
「それに、お前のお願いをきいてやるんだからお礼を貰わないと」
「お礼?」
ぽかんとしてしまう。
「そうだ、しかも、先払い以外は認めない」
エルファンス兄様の言葉の意味が分かったのは、二階の部屋に移動した後だった。
眼鏡を外され視界がクリアになったとたん、寝台に押し倒され、天井を見つめるはめになったからだ。
それさえも、ローブを頭から引き抜かれて脱がされると、お兄様の顔によって塞がれて見えなくなる。
後はひたすらエルファンス兄様の容赦ない取立ての時間となった……。
「さて、そろそろ行くか」
数時間後、お兄様は汗で顔に張りついた銀髪を掻き上げながら身を起こすと、私に衣服を着せ始めた。
私といえば支払った謝礼が多すぎたのか、足腰どころか全身に力が入らず、介護状態でお兄様に支度をして貰うという情けない状態。
こんなんじゃ戦力にならないかも……。
不安を感じていると、二人分の身支度を終えたお兄様が横抱きにしようとしてきて、あわてて私は杖を掴んで握り締める。
たとえ今日の自分が使い物にならないとしても、これを託してくれたセイレム様の気持ちを思うと、二度と置いて行ったりは出来ない。
空間転移装置で谷へと移動すると、岩場の入り口に繋がれた馬が見え、二人がすでに到着済みである事が分かった。
私を横抱きにしたエルファンス兄様が二人を探して、谷底へと続く絶壁を削った細い道を降りていく。
「ねえ、お兄様、私頑張って歩くから下ろしてくれない?
これじゃあ戦えないでしょう?」
「駄目だ。足元が悪いから、今の状態のフィーを歩かせるのは危険過ぎる」
ひょっとして過保護というより私って信用されてないのかも?
確かに人一人抱えているとは思えない軽快な足取りと、足の長さの違いからして、自力よりずっと速そうだけど……。
しかしキルアスとカークはもうどの辺まで降りているのだろう?
耳をすませてもワイバーンの咆哮が聞こえてこないから、戦闘は始まってはいないようだった……。
疑問に思って暗い谷底を覗き込んでいたところで、お兄様がショートカットするように転移装置を使う。
何回か距離を飛んで、やっと視界にカークが持つ灯りが見えると、そこはもう深くて暗い谷底だった。
まさか、二人はここに来るまでワイバーンに気づかれなかったの?
疑問を抱きつつ、合流するために二人に声をかけようとしたとき、
「待て、フィー。多少ピンチになるまで様子を伺っていよう。
あいつはもう少し懲りたほうがいい」
開きかけた口をエルファンス兄様の大きな手で塞がれ、耳元でささやかれる。
こくこくと頷いて前方に顔を向けた私の瞳に、太陽の光が届かない真っ暗な谷底を、炎の魔力を流したカークの剣の明かりが映る。
「ねえ、お兄様さっきから気になっていたんだけど、変な音がしない」
再び歩き出したお兄様に耳打ちする。
谷底に降りてからずっと、繰り返し聞こえる地の底から轟いてくるような重低音が気になっていた。
「……お前にも聞こえるか? 俺の空耳だったらいいと思っていたんだがな」
――謎の音の正体は、カークが行き当たった巨大な岩のような物体を照らし始めた直後、判明する――
なぜなら炎の光に浮かび上がったものは岩ではなく、全身をびっしりと鱗で覆われた恐ろしく巨大なドラゴンだったからだ――
どうやら先刻から聞こえていた音は鼾のようで、背中が上下していることから寝ているみたい。
止せばいいのにカークはさらに確認するように照らし続け――とうとう明るい光に目を覚ましたドラゴンが、大きな瞼を開いたかと思うと、口から鋭い咆哮を発する。
すると、呼ばれたように岩肌に空いた無数の洞穴から、バラバラとワイバーン達が飛び出してきた――
昨日に引き続き、トラブルメーカーのカークが起こした危機的な状況に、恐怖に目を見張った私は、引きつった喉から「ひっ……!?」と声を漏らす。
――目の前に巨大ドラゴン、頭上からはワイバーンの群れ――
これってかなりやばい状況では!?