旅の仲間
やがて周囲を取り巻いていた光が収束して――気がつくと、私は見知らぬ夜の荒野に一人で佇んでいた。
どこまで遠くに飛ばされたかは不明だったけど、部屋着のままの格好なので吹く風が身に染みて寒い。
取りあえずセイレム様に渡された革袋をまさぐり、何か羽織れる物がないか探してみた。
さすがセイレム様が準備してくれた荷物だけあって、中には厚めの生地で織られたローブがきちんと入っていた。
それをさっそく頭からすぽっと被って着ると、髪の毛と頭をフードの中にしまう。
いきなり見知らぬ夜の野外に投げ出され、早くも泣きそうだった。
寄る辺なき我が身の不安と夜風の寒さに心が身体と一緒に震え出す。
必死に周囲を見回すと、遠くにぽうっと小さな灯りが見えるのに気がついた。
どうやら建物があるみたい。
心を奮い起こすように大きな荷物を背負い、杖をたずさえ、ジャリの多い荒野の地面を踏みしめ歩きだす。
しばらくかかって近づいてみると大きな宿屋兼酒場のようだった。
あれ? なんだか見覚えがあるかも。
首をひねりながら、前に立って外観を観察する。
室内から漏れる灯りから浮かび上がる緑色の壁と、大きな看板の独特のレタッチ文字。
やっぱりそうだ! ここは乙女ゲーム「恋と戦のプリンセス」に出てきた『ラウルの店』だ。
旅の中継地点にあるラウルの店は、ヒロインが攻略キャラ二人と出会う重要な場所でもある。
店は大草原の入り口にあたる荒野に建っていて、後ろに戻ればラディア王国の町がある。
草原地帯のダルマイ大平原は大陸の中央にあって、陸路ではここを経由するのが最短の国が複数ある。ガウス帝国もその一つ。
つまりいつだか物見の塔でセイレム様と見た、草原地帯を越える位置、隣国の端まで飛んで来たんだ。
とにかく今はひたすら心細くて、ひとまずどこかに身を落ち着かせて、ほっとしたい。
私は今夜の宿を求めるため『ラウルの店』と書かれた看板の下の木戸を開けて中に入ってみることにした。
店の内部は夜なのにたくさんのランプで明るく照らされ、ガヤガヤして騒がしい。
さっそくコミュ障で人見知りな私は入り口で怖気づいてしまう。
旅の拠点なだけあって人でごった返しているのはもちろんのこと、中にいる人達の人種も多様。
帝都と神殿での生活しか知らない私とは、まるで接点のないような、ならず者風の強面戦士や、髭の長い華美な衣装の商人。
どのカテゴリーに属するかも分からない異国の衣装を着た人達でいっぱいだった。
パッと見で分かるのそこで飲み食いしているのが、ほとんど男性であるという事実。
入って早々、お酒と男臭い空気に酔ってしまいそうになる。
私はより目深にフードをかぶってから、カウンターへと目を向けた。
宿屋の受付と飲食の注文を受けるカウンターが一緒になっていて、端の方に記帳する台帳が置かれている。
まずは空き部屋の有無をきいてみなくちゃ。
「あの……すいません……」
カウンターのそばまで歩いて行き、勇気を振り絞って呼びかける。
騒音のせいでなかなか気づいては貰えず、声をかけて三度目にしてようやくゲームで馴染みのある、店主のラウルが振り返って返事をした。
「はいはい、お客さん、泊まりかい? 食事かい?」
「部屋は空いてますか?」
「それがあいにく見ての通り、今日は繁盛していて全室塞がっている。
何だったら誰かに相部屋を頼んでみようか?」
ひーっ、この客層で相部屋なんて無理、怖い。
しかし野宿する訳にもいかないし。
と、早くも涙目になっていると、ちょうど目の前の階段を降りてくる人影があった。
「あっ……!?」
反射的にそちらに目を向けた瞬間、私は思わず驚きの声を上げてしまう。
流れるような亜麻色の髪にターコイズブルーの知的な瞳をした、鷹のような雰囲気の青年――なんと彼は「恋プリ」の攻略キャラの一人、大平原の王にして騎馬民族の長の息子、キルアス・バーンだった。
次いでそのすぐ後ろにいるもう一人の人物の顔を見て、私はさらなる衝撃に打たれる。
今度は、赤い燃えるような髪に金色の瞳、獅子のような風貌のラディア王国の第一王子、カーク・クラフトの姿がそこにあったからだ。
そっか、「恋プリ」のシナリオが始まっているから……。
ヒロインが選べる「恋プリ」シナリオ開始後の選択肢の中に、ガウス帝国と同様、ラディア帝国や大平原に到るものがある。
この「ラウルの店」で二人と出会ってイベントをこなし、その際選んだ選択肢により、ゆくゆくはラディア帝国に行くかダルマイ平原に行くかが決まってしまうのだ。
そしてそこで出会う攻略キャラの二人がこのキルアス・バーンとカーク・クラフトなのである。
世継ぎの王子がこんな安宿に自由に泊まれるあたりがいかにもゲームだ。
ラディア王とダルマイ平原を統べるバーン一族との間には古くから盟約が結ばれている。現在のラディア王妃もバーン一族から嫁いだ女性だった。
つまりキルアスとカークの二人は従兄弟同士。
凄い! これで「恋プリ」の攻略キャラ7人に会っちゃったことになる。
密かに感動して見上げていると、降りてきたキルアスとバチッと目が合ってしまう。
「こんばんは、今到着した旅人かな?」
丁寧な口調で問いかけながら、彼は私の服装、特に杖のあたりを観察するように眺めてきた。
「丁度良かった。お客さん達の部屋、3人部屋だったよな。
この人と相部屋にして貰ってもいいかな?」
ラウルの提案にキルアスの背後にいたカークの機嫌が目に見えて悪くなる。
「悪いが、俺は知らない他人と同じ部屋は、落ち着かない性分なんだ!」
「でもまだ子供みたいだし、この辺には他に泊まれるところはない。
野宿させるのは可愛そうだよ。店主、相部屋で大丈夫だ」
キルアスの返事はカークと正反対の優しさに満ちたものだった。
「おい、キルアス、勝手に決めるなよ!
俺は絶対に相部屋などお断りだ!
おい少年、悪いけど、他を当たってくれ」
どうやら髪をローブの中に仕舞い込んでいるのと、身長体格のせいで少年だと思われているみたい。
「カーク、そんな事を言わずによく見てみなよ、この子の持っている杖。
ちょうど俺達が捜し求めていた人材――回復役だ。
君、聖術使いだよね? その杖を見る限り超一流クラスの」
キルアスによる突然の『超一流クラス』認定に私はぎょっとする。
セイレム様の杖のせいで物凄い勘違いをされている!
「ど、どちらかというと最底辺の聖術使いです……!」
ここは訂正しとかなくちゃ!
「謙遜しなくても良いよ。こんな見事な聖石のはまった杖は滅多にお目にかかれない。
こんな杖を持った君が超一流でないわけがない」
や、やっぱり、この杖って、大神官であるセイレム様の愛用していたものだけあって、見る人が見たら相当凄いものなんだ。
……と、いうか、この杖を私にくれて、果たしてセイレム様は大丈夫なんだろうか?
「えーと、この杖は師匠から一時的に借りているだけのもので、私はまだ見習なんです……」
しどろもどろに言い訳をする私。
「へー、その珠、聖石なのか? ふーん、聖術使えるなら、そうだな。
見習いでも何でもいないよりはマシだろう!
相部屋を認めてやってもいい。
坊主、お前、酒は飲めるか?」
「飲めません……」
「さっきからなんだか、女みたいな声だな……」
「きゃっ」
一気に階段を飛び降りてきたカークに肩を抱かれ、私は悲鳴を上げた。
「みたいじゃなくて……女性みたいだね……」
キルアスが意外そうに目を見張る。
「へー、女だったのか! それを早く言えよ!
女なら大歓迎だ!」
言いながら無遠慮に、カークが私のローブのフードを掴んで捲り上げてきた。
きゃーーーーっ!
……と、私の顔を見たとたん、カークとキルアス、もっと言うならラウルの顔も微妙な表情になる。
「……お前、どこに目を置き忘れてきたんだ?」
言われている意味が分からずに、首を傾げる。
「そんな失礼な言い方するなよ」
「そうそう、ちょっと目が通常のサイズの三分の一ぐらいの大きさだからって、気にする事はないよお嬢ちゃん」
ラウルも慰めの言葉をかけてくる。
あっ、眼鏡!!
その時、私ははじめてセイレム様がかけてくれた眼鏡の効果を知る。
今の話を総合すると、レンズごしに見える私の目は思い切り小さいらしい。
「あー、可愛い子とパーティー組めるかと思って期待したのに……ガッカリ過ぎる!」
カークが嘆きの声を上げる。
ごめんなさい。本来なら恋プリのヒロインと出会うところに私が来ちゃって……。
「だから、カーク、お前は失礼な事ばかり言うな!
本当にごめんね。
改めて自己紹介するよ。
俺はキルアス・バーンで、後ろにいる馬鹿がカーク・クラフト。
君の名前は?」
「フィーです」
本名を名乗っても身バレはしないとは思うけど、一応短縮して伝える。
「フィーか、よろしくね。
この馬鹿の失言のお詫びに、何かおごるよ。
取りあえず部屋に荷物を置きに行こうか?」
カークはともかく、キルアスは感じが良くて信頼が置けそうだし、ぜひ相部屋をお願いしたい。
「…は、はい! お願いします」
私はキルアスに伴われいったん二階に荷物を置きに行き、再び階下へ戻った。
カークが先に席を取って待っていて、私達が来るのを見計らいバーンと机を叩く。
「よし、じゃあさっそく打ち合わせと行こうぜ!」
はて?
打ち合わせとは一体何の打ち合わせだろうか?
ひょっとしなくてもあれかしら……?
びくつきながら私は席に座る。
「恋プリ」のシナリオ通りなら、昼間のうちにこの酒場に現れたリナリーを、昼食中のカークが目ざとく見つけ口説きにかかるのである。
それをキルアスがいさめ、なんやかんやの流れがあって三人は打ち解け、リナリーの護衛2人を加えた5人パーティーで魔物討伐へ行く。
もしかしたらカークの中では、私はもうパーティーメンバーの一員に入っているのだろうか。
確認したいけど激しく聞くのが怖い。
もしもそのつもりなら、余裕で地雷ヒーラーになる自信がある。
ネトゲを少しかじった事があるから分かるんだけど、パーティーでの回復役が地雷だと全滅不可避なんだよね。
本来なら白魔法を得意とするリナリーの役目だった回復役をこの私が努めるなんて、無理! 絶対無理!
大体修行だけで実戦の経験皆無だし、お断りしなくちゃ!
そんな私の気持ちをよそに、カークは運ばれてきたお酒を手に取り、
「よーし、無事にヒーラーも見つかったし、まずは乾杯しようぜ!」
高く杯を掲げて勝手に音頭を取り出す。
ややや、やっぱり、いつの間にか私もパーティー・メンバーの一員に入れられている。
このままだと、大変な事になってしまう。
「大丈夫、君の分はミルクにしておいたから」
私に飲み物を渡しながらキルアスが言った。
先刻、お酒が飲めないと言った私の言葉を覚えていてくれらしい。
そんな彼の優しさが、故郷を離れて孤独になったばかりの私に心にジーンと染みる。
でもこれとそれとは別問題!
「じゃあ、正義と平和のために、旅人の安全を脅かすワイバーン討伐のパーティーへの、新メンバー加入を祝って、乾パーイ!」
って、だから入ってないから! メンバーに入っていません!
はっきり言いたいけど、言ったとたんにカークがマジギレしそうで怖い。
我ながら小心者過ぎる。
けど、こういうことは早めに断っておいた方がいいよね。
「わ……私……明日、ラディア王国の町方面へ出発しようかと……」
「却下!」
すかさずカークが叫ぶ。
早っ!
「おいおい、フィー、断わるのは認めないからな? 俺達には回復役が必要なんだ! それなのにこの酒場は戦士系ばかりで、滅多に聖術使いどころか、魔法使い自体にお目にかかれない!」
慣れなれしい態度の上に、意味不明の逆ギレまでされてしまう。
「実は、もう三日もここに逗留しているんだよ」
キルアスがカークの発言に補足する。
「俺達が求めているのは魔法を使える人材だ。キルアスは弓、俺は剣、これに聖術使いのお前を加え、あとは黒魔導士でも加われば完璧だ!」
本来の恋プリのシナリオでは、リナリー・コットと彼女の護衛をかねた宰相の息子――軍師にして幻術使いのサイラスと、大将軍の息子で天才剣士であるディランとの5人パーティーで旅立つんだよね。
ところが今リナリーはガウス帝国に滞在している。
ゆえに当然彼女もその護衛も来ない。
パーティーメンバーの数自体が減っている上に、ヒーラーが私で魔物討伐とか無理ゲー過ぎる。
あまりの恐ろしさに血の気が引いてぷるぷるしていると、キルアスがその様子に気がついていたわりの声をかけてきた。
「フィー、君が不安に思うのも無理はない。
俺だって正直、こんな単純バカが引率するパーティーのメンバーなんかには、死んでも加わりたくない。
だが、叔母にこいつの面倒を頼まれている以上、全く人のいうことを聞かない火の玉のようなこいつに、着いて行くしかないのが現状なんだ」
全然行くしかないとは思えない。
「――と、いうのも、この荒野にここ最近、近くの谷を根城にするワイバーンが頻繁に飛来して、旅人を襲っているらしいんだ。
その噂を聞いて、この通り、カークの奴がどうしても討伐しに行くと言ってきかないんだ。
それで俺がせめて他のメンバーを募ってからにしようと、どうにか説得して、まさに探していたところさ。
特に回復役がいるかいないかは死活問題でね――どうか俺を助けると思ってつきあってはくれないだろうか? もちろんお礼はたっぷり弾ませて貰うから」
いくらお金を積まれても丁寧に頼まれても、お断りなものはお断りである。
――それにしてもカークのお酒を飲むピッチが早すぎる。
あっという間に三杯目とか。
「俺はさー、親父に言ったんだよー、国民や旅人の安全を守るのも立派な王家の勤めであると!
ところが親父が言うには、いつ戦争が起こるかわからない状態だから、そんな辺境に兵を割いている場合ではないって言うんだよ!」
って、親父って、ラディス王のことだよね? 偉く砕けた言葉使いしているけど、この人本当に王子様なんだろうか。
しかも凄く大声で話すから、近くの席の人達がうるさそうに見ている。
は、恥ずかしいっ。
「だから俺様が立ち上がったんだ!」
叫ぶと同時に勢い良く立ち上がる、カーク。
周りの席から「うるさいぞ」と罵声が飛んで来てもカークは気にせず、手に持ったジョッキの酒をこぼしながら上から浴びるように一気飲みする。
こ、これは……!
私が言うのもなんだけど、キルアスの言う通り、カークの頭はかなりヤバイ感じだ!
ゲームプレイ時は熱く漢らしい性格のカークが結構好きだったんだけど、今はひたすら関わりたくないと感じてしまう。
ある意味私も成長したのかしら。
しかし、リーダーはこんなだし、人数も足りないし、私が地雷ヒーラーである事を抜きにしても、このパーティーに加わるのは危険過ぎる。
ゲームでは失敗してもやり直せるが、私の命は一つだけ。死んだらおしまいなのだから……。
エルファンス兄様に再会するまで絶対に死にたくないし、どうにか断らなくちゃ!
そう思って改めて様子を伺ってみると、向かいの席のすでにカークは出来上がっていて、とてもじゃないが話にならなさそう。
「いくら払えば来てくれるかな?」
キルアスはキルアスで相変わらず、私の説得に入っている。
どうしよう。
なんだか断わりきれる気がしない!
出だしから波乱の予感がする不安な旅の幕開けだった――