蛙と皇子様
「クリストファー……殿下……!」
呼び捨てにしかけてから、一応殿下とつける。
久しぶりに会ったクリストファーは当然だが物凄く大人になっていた。
そこでハタと自分の情けない格好を思い出し、カーッと顔が熱くなってくる。
倒れている格好もそうだけど着ているドレスが若草色なので、今の私はまさに「蛙」という表現がドハマりしている。
「ほらっ」
腹ばいのまま涙目でいると、クリストファーがスッと手を差し出してきた。
応えるように手を出すと、がしっと手首を掴まれ、一気に引き起こされる。
「ちょうどいいところで出会った。
お前には言ってやりたい事が山ほどあったんだ」
って、なんだかそう言うクリストファーの目がとっても怖いっ!
しかし山ほどって。
しばらく会ってないのに何だろう?
今更過去の恨み言でもないだろうし。
疑問に思いつつも促されるままに二人で並んで庭園を歩き出す。
クリストファーは漆黒の髪を揺らし、憂いに満ちた青灰色の瞳を向けて話しだす。
「フィー、お前、2年前アーウィンが神殿迎えに行ったのに袖にしたんだって?
しかも叔父上といちゃいちゃしていたそうじゃないか。
神職に仕える叔父上までをも垂らしこむとは誠に恐れ入ったというか、本当に根っからの男好きだな。
しかも雷に打たれてからこっち脳みそがかなり残念な感じになっているとみえる」
相変わらず綺麗な顔でなんという矢継ぎ早の毒舌!
しかもすごーく耳に痛い!
クリストファーはさらにその美しい口から愚痴っぽい文句を重ねる。
「本当に俺にはアーウィンの趣味の悪さが理解出来ない。
たしかにお前はその年頃では帝国一の美貌なんだろうが、皇太子なんだから他国の美しい姫を娶る選択肢もあるだろうに……」
あれ、ひょっとしてクリストファーって……。
話の流れに、ハッと、気がつく。
「アーウィンと私が結婚することにクリストファーは反対なの?」
期待を込めて見つめ、返事を待っていると、クリストファーは同意するように大きく頷く。
「当たり前だろう。中身が残念だという事を差し引いても、お前がアーウィンと結婚するなんて最悪だ」
ここに来てようやく私は心強い味方を得た気がする。
しかし、この口ぶりだと、頭の残念さ以外にもアーウィンと結婚して欲しくない理由があるような?
「それはなんで?」
「何で? って、お前本気で訊いているのか?
――はぁ……お前って女は、想像以上に頭の中がおめでたいんだな」
「だからどういう意味?」
「エルが……最近魔導省にいる間、一人で地下に引きこもって何かを作っている」
「お兄様が?」
全然話が見えてこない。
「俺はアーウィンに何度も言ったんだ。
エルを追い詰めるなって。お前という問題が出来る前は、あの二人は兄弟のように仲が良かったんだ。
ところが今じゃお前を巡って、とんでもなく険悪なムードになっている」
「……そんなに?……」
「ああ、そうだ。フィー、エルが皇帝の引き立てで魔導省長官になるって知ってたか? 実力主義の父上は優秀な人材を重用するからな。
魔導省といったら、この国をふっとばせるぐらいの兵器を収容・管理している機関だ。
そこの最高責任者のエルが暴走したらどうなるか……想像するだに恐ろしい。
お前が知っているかは知らないが、強力な魔導兵器を扱うには本来それなりの数の魔導士が必要になる。
しかしだ、エルが天才といわれているゆえんだが、あいつは本来数百人がかりでやっとの兵器を一人で扱える。これの意味するところがお前にわかるか?
エルの一存で下手したら国がふっとびかねない」
そこまで?
「国の滅亡の危機を作ってまでお前が欲しいというんだから、アーウィンは相当頭がいかれている。そしてお前の存在は国家レベルで迷惑すぎる。
出来れば一生神殿へ引っ込んでいるべきだった。今からでも遅くないから帰ったらどうだ?」
なんだか聞いていると本当に大変そうなムードが漂ってきて、本気で神殿へ戻るべきなのかと、ズーンと落ち込んでくる。
「つまりクリストファーは、私がアーウィンと結婚したら、エルファンス兄様が帝国を吹っ飛ばすかもしれないと言ってるの?」
そんなこと有り得るんだろうか?
「飛躍し過ぎかもしれないが、最近のエルの何かに取り憑かれたような様子を見てると、悪い予感しかしない……」
考え過ぎだと思いたいけど、クリストファーの口調から、真面目に心配になってくる。
会話しているうちに物凄く暗い雰囲気になってしまった。
このまま仮定の話をしていても仕方がないと、私は気を取り直す。
せっかくクリストファーと会話する機会を得たことだし、もっと建設的な話をしよう!
「クリストファー、どうしたらアーウィンは婚約を解消してくれると思う?」
「今のところ難しいんじゃないか?」
って、即答っ!
「そこをどうにか足りない頭の私のかわりに知恵を貸してよ!」
「……自分で自分の頭が足りないのを認めるとか、お前のプライドもずいぶん地に落ちたもんだな。
雷に打たれる前は高飛車の代名詞みたいな女だったのに……」
心底呆れたようにクリストファーが呟く。
ううっ……。
心なしか以前より毒舌がパワーアップしている。
「まあいいか、その素直さに免じて一つだけアドバイスをやろう」
溜め息をつくとクリストファーは立ち止まり、改まったように私に向き直る。
「ありがとう、お願いします!」
「かつてアーウィンはお前を蛇蝎のごとく嫌っていた。
つまり、お前は昔のように振舞えばいいんじゃないか?」
「……昔の私?」
「そうだ。雷に打たれる前、俺たちにべたべたしていた頃の毒花のようだった頃のお前にだ」
毒花、かつてのフィーネのように……。
ううーん。
少し考え込んでから、ぼそっと呟く。
「……できる自信がない!」
弱気な私の肩に手を乗せ、励ますようにクリストファーが言った。
「……ためしに何かそれっぽく話してみろよ」
私は自分の中の内なる元フィーネを呼び覚ますように、言葉をつむぎだす。
「クリストファーあなたって本当に毒舌よね。
でもあなたのそういうところ、私、案外好きよ。
こんな感じの話し方してたっけ?」
クリストファーの演技指導が始まった。
「ちょっと毒が足りないがいい線いってるな。まあ本人だから当然か。
つけ加えるならそこで俺の首に手を回ししなだれかかるんだ」
「こう?」
言われるままに私はクリストファーの首に腕を回し、ぶら下がるように全体重を預けてしなだれかかった。
「そう、そんな感じだ」
うわ、顔が近い。
目の前にクリストファーの麗しい顔のドアップと、爽やかな息がかかってくる。
「何やってるんだ。お前達」
そこで不意に怒気を含んだ声がして、視線を巡らせると、数十メートル向こうから足速に歩いてくるアーウィンが見えた。
「何って、フィーに昔のように迫られていただけだよ。なあ?」
「そうよ。何怒ってるの? 幼馴染同士でじゃれあっていただけじゃない」
内なるフィーネ調で私はクリストファーに合わせて話す。
アーウィンは眉根を寄せてとても不愉快そうな顔をした。
「その話し方はやめろ。あとクリス、お前といえども、俺の許可なくこいつに触れることは許さない!」
「ふーん、ずいぶん、不安なのねぇ?」
やっぱり私って何でかんで言ってフィーネなんだな、台詞がスラスラ出てくる。
「何だと?」
「そんな余裕がないなんて、自分に自信がない証拠なんじゃないの?」
「……フィー……お前俺を怒らせるなよ?」
凄むように睨みつけられ、びくっとする私。
アーウィンは近寄るなり私の両肩をがっと掴み、クリストファーから引き剥がす。
そして自分の方へ向かせると、いきなり顔を寄せてきた。
「きゃっ」
唇同士が触れそうになるすんでで飛び上がり、私は自分の口を押さえる。
「……」
「ふん、いくら強がっても、キスごときに怯えるお前じゃな」
ほら見たかという顔でアーウィンはせせら笑うと、次にクリストファーを睨みつけ、苛立った口調で言う。
「とにかくもうこいつは俺のものだから馴れ馴れしくするな。
大体もうじゃれあうような年でもないだろ」
釘をさされたクリストファーは薄く笑って、両手を少し上げてヒラヒラしながら歩き出す。
「フィー、今回はこれぐらいにしておこう。
改めて今度、もっとじっくり手取り足取り丁寧に教えてやるよ」
演技指導をまだしてくれるらしい。
「クリストファー……ありがとう」
散々酷いことを言わわれたにもかかわらず、自然にお礼の言葉が口から出た。
「教えるって何をだ?」
アーウィンが怒りもあらわに私を問いただす。
「……秘密」
私は出来るだけ妖艶に、かつてのフィーネのような笑顔を作って答える。
「気に食わない!」
アーウィンは憤然と言うと、なんと、そのまま私を置いて、クリストファーを追うようにその場を去ってしまった。
結構この作戦は効いているかもしれない。
何だかクリストファーのアドバイスのおかげでイケそうな気がしてきた。
それにもうすぐリナリーも来るし!
アーウィンに嫌われるように頑張り、好感度を下げてから、一気にリナリーに心を奪って貰う!
なかなか良い作戦かもしれない!
でも、気になるのはエルファンス兄様の事だ。
クリストファーが言っていたことが真実なら、別の意味でお兄様の事ことが心配だ。
地下で何を作ってるの? まさか本当に国を吹っ飛ばしたりしないよね? エルファンス兄様……。
新たな不安で胸に広がり、私は皇宮の広大な庭にしばし一人で立ち尽くした……。