質問の行方
アーウィンの訪問後。
精神的にも身体的に痛手を受けた私は、三日三晩、高熱を出して寝込んでしまった。
その三日間、エルファンス兄様は出勤前と帰宅後に必ず部屋に寄って、時間の許す限り私に付き添ってくれた。
と言っても室内には大抵お母様か侍女がいて、私自身も熱で意識が朦朧としている状態。
ほとんど会話は交わせなかったけれど、お兄様の顔を見ると嬉しくて無意識に微笑んでいたと思う。
熱が下がっても精神状態を反映して体調は最悪だった。
あれからエルファンス兄様も弱りきった私を問い詰めたり、責めることはなかった。
屋敷にいる時間はつねにベッドのそばの椅子に座り、私を見守りながら負担にならない程度に話しかけてくれた。
そしてたまに部屋に二人きりになると、いたわりながら私に触れてくる。
「フィー、早く元気になれ……」
「お兄様……」
スキンシップと言動でエルファンス兄様が愛情を伝えてくれたおかげか、じょじょに私は元気になっていった。
そうして解熱してから一週間後には、立って歩けるぐらいには回復していた。
ある日、お母様から私が昼間庭を軽く歩いた話を聞くと、エルファンス兄様がこっそり耳元で囁いてきた。
「今夜、俺の部屋に来い」
とたんに鼓動が高鳴ってしまった。
その日の夜の侍女やお母様が退出したあとの就寝時間。
私はベッドから起きだして廊下へと出ると、右に数えて三つ目の扉を開く。
室内に入ると今度は奥にある棚をスライドさせ、現れた隠し通路に入っていく。
幸いなことにアーウィンに首につけられた印はもう消えていた。
今夜は心置きなくお兄様といちゃつける!
久しぶりだったので向かっている段階で、すでに胸がどきどきして破裂しそうだった。
手探り状態で暗い通路をまっすぐ歩いて行くと、やがて半開きになっている出口の光が見えてくる。
「お、お兄様……」
室内に飛び出たとたん、いきなり両腕が伸びてきて、浚うように身体を抱きかかえられる。
「……!?」
そのまま移動しながら口づけられ、重なり合うように二人でベッドの上になだれこむ。
「……お兄様っ…」
唇が離れ、真上にある熱に浮かされたようなエルファンス兄様の顔を見上げた瞬間、初めて今回の訪問がいちゃいちゃぐらいでは済まされないことを悟る。
「フィー、ようやくお前を俺の物に出来る……!」
お兄様はそう言うと、今まで我慢していたものを発散させるように襲ってきた。
「待って……お兄様……ひやっ!」
いきなりのしかかられて脱がされながら私は確信した。
エルファンス兄様はやはり今夜、私の純潔を奪うつもりなんだと……!
――って、アーウィンとの婚約を回避できていない段階で、それはまずいんですけど!!
お父様に言ったら即ショック死レベル!
でっ、でも、こうなった男性を止めるにはいったいどうしたらいいんだろう!?
恋愛経験値ゼロの私にはまったくもって分からない!
もう、こうなったら――
私は奥の手を使うことにした。
一番簡単な防御魔法を発動させるため、精神統一をする。
激しく唇を落とされながらでなかなか集中出来なかったけど。
どうにか念仏のように詠唱呪文を唱え、光のオーラを出現させる。
エルファンス兄様と私の身体の間を薄い光の膜で遮ぎったのだ。
肌に直接触れることが出来なくなったことに気がついたお兄様は、ハッ、と息を飲んでから、呆れたように私の顔を見る。
「お前、俺をいったい誰だと思っているんだ?」
薄く笑ってお兄様が手をかざす。刹那、私の作った光の膜がパーンとはじけて四散する。
やっぱり無駄だよね……と、思いつつも、その隙にお兄様の下から這い出し、ベッドの端まで移動した。
「お願いっ……まだ私を抱くのは待って……運命を知ってるの! 雷に打たれた時に見たんだから!」
苦し紛れとも取れる私の発言に、お兄様がけげんな顔をする。
「運命?」
私はコックリと頷いた。
「もう一ヶ月弱したら、この国に小国の姫君が来て、きっとその人が私の救い主になるっていう!」
「それとお前が今俺の物にならないのと、どんな関係があるんだ?」
「お兄様だってわかっているんでしょう? 私とアーウィンの婚約が正式に成立しているってこと」
「……」
「もうお兄様と肉体的に結ばれても、事態は悪くなっても良くはならない!」
「だからどうだっていうんだ? 元々俺にはお前しかいない。お前が手に入るならそれでいい」
きっぱりと言い切るとエルファンス兄様は私の足首を掴み、力づくで引き寄せ始めた。
必死にベッドの端を掴んで私はそれに抵抗する。
「お願い! さ来月、12月頭に、和平条約を記念した式典とパーティーがあるでしょう? その時まで待って!」
「待って、待って、待って、お前はいつもそればかりだな?」
苛立った声とともに一気に足を引かれ、私は抵抗虚しくシーツの上を引きずられ、再びお兄様の身体の下に戻される。
「きゃーーーーっ!」
思わず悲鳴を上げて亀のように丸まっていると――不意に上から身を起こす気配があった。
「はぁっ」
次に深い溜め息音がして、顔を上げて見るとお兄様が、銀色の髪を掻きあげてベッドの上に座り込むところだった。
「俺だって、嫌がるお前を抱きたくない……」
「お兄様……?」
こういうこと昔もあったなぁ。
なんて懐かしく思いながら、私はそんなエルファンス兄様に胴体に抱きつき、甘えるように胸に顔を埋める。
「大好き」
「いいか、12月頭まで、それ以上はもう絶対に待たないからな! まったくっ!」
怒ったように言いながらも、私を見下ろす深い青の瞳は甘く優しいものだった。
その日から私とお兄様は必ず夜は逢引し、二人きりの時間を過ごすようになった。
最後の一線を超えないことは約束してくれたけど、身体が大人になった分、以前よりスキンシップの度合いが深まっていた。
しかも逢瀬を重ねるごとに、エルファンス兄様が私にする行為が過激になっていく。
ベッド上で毎晩もうとても口では言えないような恥ずかしいことを色々とされていた。
純潔は奪われていないけどほぼ同然に近いような――
一応、私、皇太子の婚約者なのに、いいのかな?
でも、そんな罪悪感以上に、エルファンス兄様の温もりと愛を全身で感じられることが幸せでたまらなかった。
こうして少なくとも12月頭までの一ヶ月間は、エルファンス兄様と甘い時間を過ごせる。
と、勝手に私は思い込んでいたんだけど、世の中はそんなに甘くはなかった――
それは公爵家に戻ってから二週間ほど経過した、夜の密会を始めて6日目の晩。
「フィーネ、今日まで待った。改めてあの日の答えを訊いてもいいか?」
夕食後、お父様が私の寝室にやって来て、人払いをしてから質問してきた。
最初はアーウィンに婚約解消をして貰うまで、返事を引き延ばして時間稼ぎをするつもりだった。
純潔を失った可能性がある状態なら、ことの発覚を恐れたお父様が限界まで結婚を引き伸ばしてくれると期待していたからだ。
しかしアーウィンが二ヶ月後に挙式すると明言した今、最早それには何の意味もない。
お父様を早く安心させてあげたいし、真実を告白するのに何ら迷いはなかった。
「……私達はまだ肉体的には結ばれておりません……」
「そうか……やはりか。安心したよ。フィー」
ほっとした表情でお父様は頷いた。
ところがその翌日、私は正直に言った事を心から後悔することになる。
エルファンス兄様が出勤して数時間経った正午近く、突然、屋敷が騒然とした。
お母様と居間にいた私が何事かと思って廊下へ出てみると、押し寄せる帝国軍の鎧をつけた騎士達の姿が見えた。
そうして戸惑っているうちに私は大勢に囲まれて連行され、表に停めてあった馬車へと押し込むように乗せられる。
助けを求めるように車窓に飛び付くと、沈んだ顔のお父様が近くに立っていた。
「……迎えが来る事を事前にお前に伝えなくて済まなかった……これでもギリギリまでは皇宮入りを延ばしたんだ……どうか分かって欲しい」
「私はどうなるの、お父様!?」
「挙式まで、皇宮で過ごす予定になっている」
「そんなっ!!」
つまり私が純潔と分かったからこそ、晴れて皇宮に引き渡せるというわけなんだっ!
こうなると分かっていたらまだ白状なんてしなかったのにと、後悔しても時すでに遅く、私を乗せた馬車は無情にも走り出した――
窓から顔を出して見ると、遠ざかるジルドア邸と泣きながら走って追いかけてくるお母様の姿が見えた。
あっという間に屋敷と両親が遠ざかっていき、私はショック状態で呆然と馬車に揺られ続ける。
こんな風にいきなり家族に別れの挨拶もする暇もなく連れて行かれるなんて酷いと思った。
やがてしばらく走ったあと馬車は巨大な門をくぐり、広大な庭園の向こう側に黄金に輝く壮麗な宮殿が見えてきた。
メイン宮殿の他にも敷地内にはいくつもの建物や施設が建っており、芸術的に配置された木々や花々、巨大な噴水などが瞳に映る。
ようやく馬車が止まり、開かれた扉の向こうには、出迎えに来てくれたらしいセシリア様が立っていた。
「フィーネ、待っていましたよ」
私は神妙な気分で挨拶する。
「……セシリア様……今日からお世話になります」
さすがに皇妃である彼女に文句は言えない。
そう、文句を言うべき相手はアーウィンなのだ!
「移動で疲れたでしょう? まず部屋で寛ぐといいわ。
後でゆっくりお話しましょうね」
手を握って優しい言葉をかけてくれたあと、セシリア様は横にいた女性に私の案内を頼み、付き添いらしい女性達とその場を去っていく。
その淑女の鏡のような後ろ姿を見送りながら、私はふと考える。
エルファンス兄様と離れているの辛いけど、皇宮に居たほうが色々交渉しやすい面もある。
アーウィンへの説得はもちろんのこと、セシリア様やクリストファーなどにも相談出来るチャンスがあるのだ。
なにせ結婚発表まで時間がない。
リナリー頼りだけではなく、あらゆる努力をしておかなくては……。
どうにか心を奮い起こしつつ、私は案内役の侍女頭の女性の後ろをついていく。
「あの、アーウィン殿下にすぐに会えますか?」
希望を込めて訊いてみた。
とりあえずいきなり連れて来られた文句と、再度婚約解消の話をしたかった。
エルザと名乗った女性はその問いに対し、
「殿下が会いたい時は向こうからいらっしゃるでしょう」
とまるで答えにならない答えを言った。
つまりこちらから呼びつけるのは無理って事か。
まあ、当然かもしれないよね。皇太子様だもん。
「ちなみに、お庭を散歩したりしてもいいんでしょうか?」
せめて全回復していない体力を鍛えたい。
「それは構いません」
せっかくありがたい返事を貰えたので、部屋に着いた早々に公爵家から唯一着いてきた侍女に荷解きを頼み、一人テラスから庭へ出てみる事にした。
飛び出した皇宮庭園はあまりにも広すぎて、すでに庭という次元を越えていた。
うわーっ、迷子になる自信があるかも。
どこまでも続くような敷地を見渡しながら、セイレム様の作った小鳥のお墓ってどこなんだろう?
などど考えていると、
「何着いたばかりでうろうろしてるんだ?」
薔薇園の向こうから白金の髪をなびかせ、颯爽とアーウィンが歩いてくるのが見えた。
「アーウィン!」
「やあ、婚約者殿」
「今日、いきなり皇宮から迎えが来てびっくりしたんだけど!」
私はさっそく抗議に移る
「当前だろう? フィー、俺が結婚するまでの間、お前がエルと同じ屋根の下で暮らすのを認める程、寛大だとでも思っていたのか?」
「……うっ」
たしかに今までの行動を思い出すとそうとは思えない。
そこではっとして、こんな話より婚約解消の話をしなければと口を開きかけたとき――
「悪いが俺は今父上に呼ばれていてな、後でお前の部屋を訪ねてゆっくり可愛がってやるから、それまで待っていろ」
アーウィンとすれ違い、そのまま置いてかれてしまった。
「あ……待って」
慌てて振り返り、追いかけようと走り出した拍子に、
「きゃっ!」
木の根につまづきドベリと地面にうつ伏せに倒れ込む。
「痛っ……」
地面に両肘をついて顔を上げると、視界にいかにも高級そうなブーツが映った。
「いい格好だな? まるでヒキ蛙じゃないか?」
見上げると――漆黒の髪に青灰色の瞳と象牙色の肌、冷たい印象の美しく整った顔立ち―-そこに立っていたのはこの国の第二皇子、クリストファー・アリスト・ガウスだった。