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アーウィンの来訪

「やあ、フィー、久しぶりだな。二年ぶりか?」


 玄関まで出迎えに行ったお母様に伴われ、アーウィンが部屋に入ってきた。

 白金の髪と青灰色の瞳に象牙色の肌の彼は、相変わらず絵に描いたような麗しさだった。

 さらに二年前に神殿で会った時より背が高くなり、大人びた雰囲気になっている。


「お久しぶりです……アーウィン…殿下」


「ずいぶんと帰りを待ちかねていたぞ、フィー……!

 2年ほど見ない間に、また恐ろしく綺麗になったな?」


 アーウィンは尊大さの滲む口調で言いながら、大股でベッドまで歩いて来る。

 と、いきなり私の髪束の先を指で摘んで、形のいい唇へとへ持っていった。


「あっ……」


「相変わらず怯えた表情だな。さすがの俺も、病み上がりのお前を取って食ったりはしない。安心しろ」


 その皮肉気な眼差しと物言いが、二年前の出来事を根に持っていると暗に告げている。


 私達のやり取りに不穏な空気を察したらしい、お母様が恐る恐る進言する。


「恐れながら、娘は病み上がりで弱っております。あまりご無体はなされませんよう、お願いいたします……」


「もちろんだとも。未来の妻に対し、最大限度優しくするつもりだ。

 それより久しぶりの再会で、積もる話が山ほどある。二人きりにして貰えないか?」


 退室を促されたお母様は不安そうな瞳で私達を一瞥し、深々としたお辞儀をしてから去って行った――その背を見送ったあと、再びアーウィンが私に向き直る。


「ふむ、本当に帰ってきたんだな。叔父上とは新婚夫婦みたいに仲睦まじく暮らしている様子だったから、あのまま神殿に永住するのかと思っていた。

 まさか女のことぐらいで父上の手を借りる訳には行かず、この上は自分が即位するまでお前に会えないかと思っていたところだ」


 嫌味ったらしく言うアーウィンの美しい顔を見上げ、私は今更ながら2年前のことを謝罪する。


「あの時は本当にごめんなさい! せっかく迎えに来てくれたのに……」


「ああ、まったくだ! 今でもあの時の悪夢を見るよ……フィー。

 だが、過去の恨み言これぐらいにして、二人の未来の話をしようじゃないか?

 出来るだけ早く会いたいという手紙を貰ってどんなに俺が嬉しかったことか」


「……アーウィン殿下!」


 私はそこでベッドから転がるように床に降り、アーウィンの足元に跪いた。

 アーウィンは眉をひそめる。


「いきなり何のまねだ?」


「……ここに来て頂いたのは他でもありません……あなたにお願いがあったからです」


「お願い?」


「どうか私との婚約を殿下から解消して下さい! お願いします。この通りです!」


 床に両手をついて頭を下げる私の頭上で、アーウィンの深い溜め息の音がする。 


「……そんなつまらぬことを言うために俺を呼んだのか?」


 不愉快げな問いにも怯まず、私はさらに額を床にこすりつけるようにして懇願する。


「お願いします……私にはもうあなたにすがるしか方法がないんです……!」


 その時、上から伸びてきた手に、がっ、と顎を掴み上げられる。

 強引に顔を上向きにされた私に見下ろすアーウィンの視線が突き刺さる。


「ふーん、そんなにエルが好きなのか?」


「……えっ?」


 思わぬ台詞に驚く。


「知っていたの?」


「ああ、ずーっと前からな」


 アーウィンは低く呟き、どこか遠くを見つめるような瞳で語り出した。


「幼い頃よりお前にとっての最愛の存在がエルであることは、あの誕生日の夜、エルを探し回っている姿を見るまでもなくとっくに知っていた。

 だからこそ母上に頼み、ミーシャとの婚約話を進めてもらったんだ。

 万が一、お前が神殿から帰ってきた時に間違いを起こさないようにな。

 ――と、言っても、それはあくまでも念のためで、俺はまさかエルもお前のことを好きだとは思っていなかった。

 少なくとも、ミーシャとの婚約をまぬがれる方便に、公爵位の継承権を返上するまではな――」


 アーウィンの口から出た予想以上の事実に私は驚愕する。

 まさかエルファンス兄様の婚約話を仕組んだのがアーウィンだったなんて。


「……じゃあ何もかも知っていて、私との婚約を?」


「そうだ。すべて知ったうえで、お前と俺の婚約を確定させた。

 俺は欲しい物があったら、誰にも、何にも、遠慮したりはしない主義なんだ」


「そんなっ! 私達の気持ちを分かっているなら、どうしてっ、酷いっ!」


 両思いだと知っていながら私達の仲を引き裂くなんてあんまりだ!

 アーウィンは鼻で笑う。


「なぁ、フィー、質問なんだが、そこで分かったと引き下がるような甘い人間が、皇帝なんぞになれると思うか?」


「……!?」


「そんな物分りの良さでは、帝国を継いだところで、あっという間に他国に領土を奪われるのが関の山だ」


 私は必死に主張した。


「こっ、これは国の問題とは全然違うわ……!」


「違わないさ! 物事の本質はどれも同じだ。

 俺が父上に叔父上からお前を取り戻すための助力を仰がなかったのも同じ理由だ。好きな女一つ父親を頼らないと取り戻せないという弱さを見せれば、たちまち軽んじられ、皇太子としての資質を疑われる。

 ――お前も知っての通り、俺達は双子で、あらゆる能力が拮抗している――いや正しく言うと違うな。実のところすべてに及んでクリストファーの方が優秀だ。

 俺達二人が生まれた当初、父上はより優秀な方を皇太子に立てようと考えていた。

 ところがクリストファーは俺に遠慮しているのか、自らその競争から降りた。だからと言ってこと更それを有り難がる気も起きないがな。

 俺自身、長子に生まれたからといって、自分が皇帝になんぞになりたいのかは疑問だったからな。

 そう、俺は実にたくさんの物を生まれながらにして持ちながら、一つとして、自分で望み、手に入れたものなどなかったのさ――ただし、これまでは――」


 そこでアーウィンは私の顎をさらにぐいっと持ち上げる。


「今の俺には、喉から手が出る程に、どんな手段を講じても欲しい物がある。

 そうだ何を、誰を犠牲にしても! 

 それが何かわかるかフィー?」


 燃えるような瞳で見下ろすアーウィンの気迫に飲まれ、私はぶるぶるとかぶりを振る。


「お前だ! お前だけが生まれて初めて俺が自ら望み、欲したものなんだ。

 ゆえにどんなに嫌がられようが、卑劣と言われ様が――俺はお前を必ず手に入れ、一生この手元に置くつもりだ。

 そして精いっぱい愛でてやろうじゃないか!

 だからそんな無駄なことは止すんだな!

 その頭をいかに床に擦り付けようと、俺がお前の頼みをきくことなど絶対にない!」


 揺ぎない意志を滲ませた眼差しと声だった。


 この局面に来てまた私は過去の自分の選択を後悔する。

 あの時やはり懺悔なんかするべきじゃなかった。

 アーウィンに嫌われたままでいれば良かったんだ!


 しかし、今は後悔している場合じゃない。


 諦められない「想い」の強さなら、アーウィンに負けない自信がある。

 無駄だと言われても、何度断られたって、死んだって引くわけにはいかない。


 間違いなくエルファンス兄様は、後から私のこの勝手な行動を知れば怒るだろう。


 けれど私は気がついてしまった。

 アーウィンとの婚約成立の事実を知っていながら私に話さなかったお兄様。

 公爵家を出てもついてくるかと尋ねたお兄様……。


(エルファンス兄様は、浚ってでも私と添い遂げる気なんだ)


 ただどこまでも地獄までも一緒だという誓いを実践するために。

 そう察したからこそ私はお兄様に何も言わず、アーウィンに頼むことにしたのだ。


 大切な人達を破滅させず、愛するエルファンス兄様と一緒になるには、もう目の前の人物にすがりつくしか方法がない。


「止めない! アーウィンが、私と、婚約を解消してくれると言うまで、何度でも頼むのを私は止めない!

 私はエルファンス兄様を愛しているの! 

 エルファンス兄様と一緒に生きられないなら、殺されたほうがマシだわ!

 婚約をどうしても解消してくれないというなら――」


 私は思い切ってアーウィンの腰にある剣に飛びつき、素早く鞘から引き抜き、掲げてみせる。


「お願い、どうかこの剣で私を殺して!」


 そして涙に濡れた顔を上げ、私は自分の心臓を指差す。


「さあ、この剣を私の胸に突き刺して!」


「ふざけるなっ!!」


「ふざけてなんかない! さあ、選んで、私を殺すか、婚約を解消するか!」


「どちらもしない! お前こそ諦めろ。好きな相手と一緒になるなんてそんなわがままで贅沢なことが、誰にでも許されると思ってるのか?」 


 怒鳴りつけながらアーウィンは力ずくで私から剣を奪い取り、叩きつけるように床に投げつけた。


「――!?」


 それから私の両手首を強い力で掴んで床に押し倒し、激情で歪んだ顔で見下ろす。


「他の男に渡すぐらいなら、いっそこの手でお前を壊した方がましだ!」


 宣言するように叫び、アーウィンは噛みつくように口づけしてくる。


「……やっ……!!」


 悲鳴をあげてて身をよじる私にアーウィンは容赦なく、乱暴に夜着の襟元が開かれた。

 せっかくお母様に着せてもらった服が、引きちぎられるように脱がされてられていく。


「フィー……お前は俺のものだ! 誰にも渡さない!」


 興奮した熱い息を吐きながら私の首筋に唇を落としたアーウィンが自分の印を刻みつける。


「アーウィン、やめてっ!」


 頭や腕を掴んで引きはがそうとしても、全力で肩を押しても、非力な私では無理だった。

 強い力、硬い腕、まるで大人と子供みたい。


 それでもなんとか逃れようと、激しくバタつかせていた脚の間にアーウィンの膝が入ってくる。

 両脚を無理やり開かれ、


「いやーーっ!!」


 思わず甲高い悲鳴を上げて叫んだ――その瞬間、お母様が転がるように部屋に飛び込んできた。


「……お願いします、殿下……娘をもうお許し下さい」


 お母様は私達へ駆け寄ると、バッ、と床に落ちた剣を拾い、アーウィンに差し出しながら、涙ながらに訴える。


「私をこの剣で斬り捨てて頂いても結構です。

 後生ですのでこれ以上は……この子が死んでしまいます!」


「お母様!」


「……」


 アーウィンはハッと我に返った表情になり、私から身を離すと、受け取った剣を鞘に収めて立ち上がった。


「……ついやり過ぎてしまったようだ……」


 興奮を収めるように大きく呼吸をつくと、アーウィンは床に転がる、踏みつけられた花のような私を見下ろす。


「だが、覚えておけ、フィー。お前がすでに俺の物であるということを。

 頭から爪先まで、髪の毛の一本にいたるまですべて――だから他の男には決して触れさせるな。

 いいか? お前が回復しだい速やかに皇宮に連れていく。

 12月に行われる式典で各国からの来賓を招くから、その場でお前との婚約を発表し、翌月には挙式をあげよう」


「そんなっ……待って、アーウィン!」


 なおもすがりつこうとする私を振り切り、言いたいことを言い終えたアーウィンは、来た時と同じように大股で部屋を出て行った。


 お母様が私を膝に抱き上げ、困惑した様子で問う。


「フィーネ……あなたと皇太子殿下との間はどうなっているの?

 なぜ殿下はあなたにあのような?」


「お母様ごめんなさい。

 私は、エルファンス兄様を愛しているの……だから、アーウィンに殿下に、婚約を解消し欲しいと頼んだんだけど……」


「それは私も以前から知っているけど、エルファンスの方があなたを受け入れないでしょう……?」


「ううん、かつてはそうだったかもしれないけど今は違う……私達は愛し合っているの……」


「まぁっ……なんてことなの……!」


「私の頼み方が足りなかったのかも……諦めないわ……この方法しか、この方法しかないんだから……」


 よろよろと起きかけた私は、直後がくっとお母様の腕の中に倒れこむ。




 その日の夜、帰宅したお父様はアーウィンが訪問したことをすでに知っていた。


「今日皇宮でセシリア様に会ったら、フィー、お前の見舞いにアーウィン殿下が公爵家を訪問中というじゃないか!

 いったいどういうことだ?」


「ルーベンス様、悪いのは私です! フィーネの身体の状態を知っていて、殿下に手紙を届ける手配をしたのですから」


「いいえ、私がお母様に無理やり頼み込んだんです!」


 庇い合う私達にたいし、お父様はまずはお母様を厳しく叱りつけてから、私に反省するように言い放った。

 そしてしばらく見舞い客を呼ぶことを禁じた。

 遅れて帰宅したエルファンス兄様は、扉の外からその様子を眺めていたらしい。

 お父様が部屋から退出すると、入れ替わるようにやって来て、怒りに燃えた目で私に迫ってきた。


「なぜ、アーウィン殿下を呼んだことを俺に黙っていた?」


 エルファンス兄様はお母様が横にいるにもかかわらず、私の両肩を掴み上げ、凄い剣幕で詰問してきた。

 私は首元を隠し、うつむいて泣くことしか出来ない。

 隠しごとをしたのだからお兄様の怒りは当然だ。

 それでもこの口からはとても言えなかった。

 お兄様以外の男性に――アーウィンの温情にすがろうとしているなどということは――さらに機会があるごとに、何度でもその足元に身を投げ出し、婚約解消のお願いするつもりであることを……。


 何も言えない私は、アーウィンにつけられた痕を見られたくなくて、早くお兄様の視線から逃れたい一心だった。


「エルファンス、フィーネは今弱っているんです。

 それぐらいにしてあげて下さい!」


 お母様が私の身体にかぶさるように、割って入る。


「……」


 エルファンス兄様は私の肩から手を離し、暗い瞳で私の顔を凝視したあと、踵を返して去った行った。


 お母様も布団を整え、慰めるように私の頭を撫でてから、


「フィーネ、今夜はもう休んだ方がいいわ」


 優しく言って去って行く。


 残された私はただエルファンス兄様を怒らせたことが悲しくて、涙が止まらなかった。

 このうえ2ヶ月後に挙式だと知ったら、お兄様はどうするだろうか?

 それまでの短い期間で私はアーウィンを説得出来るのだろうか?


 先を思って不安に胸を掻きむしられながら、考えたのはリナリーのことだ。

 あと一ヵ月ちょっとで、親善大使としてリナリーがこの国へやってくる。

 彼女が現れてアーウィンが惹かれれば、この流れが変わるかもしれない。


 ――そう、かつては死神と恐れていた「恋プリ」のヒロインが、今の私にとっては一番の希望となっていた。

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