愛の証明
――お兄様と肉体的に結ばれた――
私の告白を聞いて、お父様は目に見えてショックを受けたようだった。
眉間に皺を寄せてしばし宙空を睨んだあと、再び私の顔を見据え、重々しく口を開く。
「フィー、本当に嘘じゃないのか?
これは重大な問題なんだ」
重大?
深刻なお父様の表情に胸に不安が広がっていく。
「実はお前が神殿入りした直後、我が公爵家と皇帝家では、ある約束が取り交わされていた。
それはエルファンスも知ってのことだ」
「約束?」
「ああ、内容はお前が神殿から出た時点、つまり還俗した瞬間、アーウィン殿下との正式な婚約が成立するというものだ」
「アーウィンと」
やはりアーウィンの気持ちはいまだに変わっていなかったんだ。
ある程度は予想していても、はっきり事実をつきけられると動揺してしまう。
「神殿入りした時は、お前が清らかな身だったことは証明されている。
つまりお前の身が汚されたとしたなら、それは神殿から帰って来る道中か、屋敷へ戻ってからということになる。
そうするとエルファンスはお前とアーウィン殿下の婚約が正式に成立していたと知りながら、お前に手を出したことになる。
この意味がわかるか? フィー。
これは反逆罪に当たる」
反逆罪?
「その場合エルファンス兄様はどうなるの?」
「私が上に報告したとたん、投獄される事になる」
「そんな!?」
「それでもお前はエルファンスと結ばれたと言うのか?」
「私は……」
つい先刻までエルファンス兄様との愛の希望で膨らんでいた胸が、急速にしぼんでいく。
「正直、私は酷く後悔している。
いつだかお前がエルファンスと結婚したいと駄々をこねた時に、なぜそれを叶えてやらなかったのかと。
すまなかった、フィー。ずっとお前の片想いだと思っていたんだ。
まさかエルファンスまでもがお前のことを想っていたなんて、想像もしなかった……。
しかし、もうこうなってしまった以上はどうすることも出来ない。
すべては私のミスだ。愚かな私を許して欲しい。そしてお父さんの昔話を聞いて欲しい」
「……昔話……?」
動揺に胸を震わせながら問い返す。
「そうだ。かつて私もお前とエルファンスように、セシリア様と惹かれあっていた」
お父様の口から予想もしない事実が告げられた。
黒い髪と深い青の瞳――私の面差しとそっくりなお父様の顔を改めて眺める。
「交わし合う視線から、セシリア様も同じ気持だと伝わっていた。
だが当時から彼女は皇太子の筆頭婚約者候補。
お前も知っての通り、貴族の結婚は本人の意志など関係ない家同士で決める政略結婚が基本だ。気持ちを伝えたところで結婚できる可能性は薄かった」
そうでなくても皇家との縁談なら断れない。
「彼女もまた私と同じように考えていたのだろう。
お互いの気持ちを心に秘めたまま、セシリア様の皇太子との婚約が成立した。そうして彼女は私にとって決して手折ってはいけない花となった。
それでも私達は口実を見つけては会って一緒に時を過した。その頃の私の頭の中は、彼女を連れて逃げる妄想でいっぱいだった。他の男性のものになった彼女など絶対に見たくなかったからだ。
やがて、とうとうセシリア様の結婚式が近づいてきたある日。
意気地のない私より先にセシリア様が想いを口にした。私を一番愛している。他の男性の元へ嫁ぐのは辛いと――
その時どんなにか『私も愛している』と答えたかったことか――だけど私はそうしなかった。あなたは大切な従兄弟だと伝えるのみに止めた。
どうしてだか分かるかい、フィー?」
私はかぶりを振った。
「本当に彼女を愛していたからだ!
自分よりも彼女を愛していたからだ!
自分の個人的な感情よりも私は彼女の人生の幸福を優先させ、願ったのだ」
そこでお父様は高ぶった感情を収めるように溜め息をついた。
「私がセシリア様との駆け落ちを踏みとどまった理由はそれだけではない。
前例を知っていた――という部分も大きかった」
「前例?」
「ああ、先代の皇帝の婚約者とある伯爵家の次男が駆け落ちした事件があり、その顛末を親から聞いて知っていたからだ。
フィーネ、この二人はどうなったと思う?」
私は血の気が引く思いで、小刻みに震えながら聞き返した。
「どうなったの?」
「二人は逃げ切れなかった。そして男性側は首を刎ねられ広場に晒し首、女性側は監獄に一生幽閉されることになり、両家はお取り潰しとなった」
「……そんなっ!?」
「この国は専制君主の国だ。もっと言うなら独裁国家だ。
皇帝の権力は絶大でそれに逆らった者は見せしめのように処罰される。
特に今の皇帝は自分に逆らう者は徹底的に追い詰める方だ。
息子の婚約者に手を出した人間を決して放置はしない。
そしてお前達が駆け落ちしたところで絶対に逃げ切れない」
「……」
「フィーネ。お前はそれでもエルファンスと寝たというのか?
お前はエルファンスを破滅させたとしても、その愛を貫くと言うのか?
そして一緒に地獄に落ちるというのか?
残念ながら、すでにお前が純潔を失っていた場合はもう取り返しがつかない。
公爵家は取り潰され、エルファンスは首を刎ねられ、お前は良くても幽閉だろう。
だけどもしも違うなら、もしもお前が自分自身よりもエルファンスを愛しているなら。
お前は自分の愛を証明するためにエルファンスを拒否し、アーウィン殿下との結婚を受け入れるべきではないのか?」
お父様の実感の篭った重すぎる言葉が私の心を深くえぐる。
愛の証明?
私に自分よりお兄様を愛していることを証明しろと?
エルファンス兄様を破滅させ一緒に地獄へ行くのか、幸せを祈り身を引くのか、選択しろとお父様は迫っている?
「……わ、私は――」
「分かっている。お前にも考える時間が必要だろう。私も今すぐ答えを出せとは言わない。
――実を言うとエルファンスとミーシャ様との婚約話も、セシリア様とクリストファー様の温情でいまだ保留状態になっている。
それもその婚約話がセシリア様の意向によるものだったから。これが皇帝が決定した婚約ならば、いかなる逃げ道も通じず、重い処罰なしにはまぬがれなかった。
だが、幸いにも今回は違った。お前が純潔なら、爵位の継承権も何もかも、エルファンスはすべてを取り戻せる。
正直なところ私はエルファンスと結ばれたというお前の話は嘘だと確信している。
私はエルファンスを養子に迎えて以来、実の息子として接してきたつもりだ。
だからこそ断言できる。エルファンスは決して衰弱したお前を抱くような卑劣な人間ではないと。
フィー、お前も今一度頭を冷やしてよく考えて欲しい。
そうして先ほどの問いに、また改めて答えて欲しい」
最後にそう告げると、お父様は静かに室内を出て行き、一人残された私は涙が止まらなかった。
ずっとお兄様と一緒にいたいと、そう願っただけなのに。
それは許されないことなの?
私はいったいどうしたらいいの?
記憶を思い出す前の私の愛は、相手をも自分の地獄に巻き込むようなものだった。
ならば今の私の愛は?
エルファンス兄様を一緒に地獄に落としても貫くような種類のものなの?
ううん、そんなことは絶対にない。
私はお兄様を不幸になんかしたくない。
私の愛の種類は、前世の記憶を思い出すことで変わってしまった――
今の私は地獄に行くなら、たった一人、自分だけで落ちることを望む。
そうは思う一方、この恋を、簡単に諦めることなんてできない。
どうにかしてお兄様と二人で幸せになりたい。
そのためにはどうしたらいいのかと、泣きながら必死に考える。
追い詰められたこの状況をひっくり返し、エルファンス兄様が罪に問われないように、家族に迷惑をかけず、アーウィンとの婚約を解消するには……。
――しかしいくら頭を絞っても、希望の道筋、そこへ到る解答が出てこなかった。
「ああ……どうしたら?」
すでにアーウィンと正式に婚約が成立していて、恋を貫けば、エルファンス兄様は破滅するどころか命を失う可能性が高い――!?
私達が結ばれることがそんなに罪深いことだというの?
雷に打たれて人格が変わっても、結局、私の――フィーネの恋は叶えられない?
私とエルファンス兄様は、絶対に結ばれない運命の星の下に生まれついているの?
私は夜じゅう思考を巡らし、苦悩のあまり幾度もベッドの上でのたうちまわった。
――と、その拍子に床に転がり落ちた瞬間――閃きがあった――
エルファンス兄様が公爵位の継承権を放棄することで、間接的にミーシャ様との婚約話を断った事実を思い出したのだ。
そうだ! なぜすぐに思いつかなかったんだろう。
単純に相手から婚約を断わって貰えばいいんだ!
「……私からはこの婚約話を無効にできなくても、アーウィンなら!
アーウィン側からなら、断わることができる!」
なんとかアーウィンから婚約を破棄して貰おう!
そしてお父様にお兄様との結婚を認めて貰い、二人で幸せになるのだ。
涙をぬぐって固く決意を浮かべ、私はやっと辿りついた一本の希望の糸口にすがった。
いくら愛を証明するためでも、自分勝手だと分かっていても、エルファンス兄様以外との未来なんていらない!
もちろんアーウィンがまだ私に好意を寄せているなら、簡単には頷かないだろう。
それでももうこの手段しか残されていない。
何が何でも聞き届けて貰うしかないのだ!
エルファンス兄様とずっと一緒にいるためなら、私は何だってできるし、してみせる!
一度自から死んだ身の私にはもう怖いものなんかない。
どんなにみっともなくたって、なりふり構わずアーウィンに頼み込もう!
そうして私は今生こそ幸せになるのだ。
最愛の人と――!