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再会と長き別れ


 私は生きている!

 つまり全ては取り返しがつく!

 おまけにエルファンス兄様がもうすぐこの場所にやってくる!


 自分の置かれた状況を素早く三行でまとめると、私はいったんお兄様の元へ引き返した。


 エルファンス兄様はすでに帝都の城壁を飛び出し、田園地帯を走り抜けているところだった。


 月光に照らされた景色を銀髪とマントを靡かせ、まるで放たれた一本の矢のように馬で駆けていく。

 そんなエルファンス兄様の様子を見下ろしながら、私は焦って夜空でじたばたする。


「きゃーっ、この分だとあっという間に神殿へ着いちゃう!」


 ということは、いよいよ、セイレム様や私の身体とご対面!

 ど、どうしよう!

 物凄い緊張するんだけどっ!


 それにつけても謎なのは、私の身体が生きてるなら、なぜセイレム様はエルファンス兄様を神殿へ呼んだのだろう?

 その目的と「今後私をどうするつもりなのか」かをきちんと把握しないうちは、安心して肉体に戻れない!

 だって目覚めても状況がまったく変わってないどころか、今度こそ身も心もセイレム様の物にされてしまったら困るもの!

 それぐらいならいっそこのまま自由な魂状態で、エルファンス兄様と一緒にいられる方がいいに決まってる!


 もう二度と愛しいお兄様と離れたくないし、セイレム様に心を揺らされるのも嫌……!

 とにかくせっかく命がけの覚悟で守った純潔。

 エルファンス兄様以外に散らされるわけにはいかない!


 私は強い決意を胸に抱きつつ、いよいよ神殿近くの林の間を通り抜け、丘を駆け上がっていくエルファンス兄様に目を向ける。

 そうしてついにエルファンス兄様は、いつか二人で別れを惜しんだ神殿の門の前まで辿り着いた。

 到着するなり馬から飛び降り、門番に導かれるように神殿の門をくぐっていった。


 荘厳な白亜の神殿前では、知らせを受けたらしいエルノア様がすでに待っていた。


「聖女フィーネのお兄様ですね。私は聖女長のエルノアです。お待ちしておりました。こちらです」


 挨拶もそこそこに先導して歩き始めながら、エルノア様がは手短な状況の説明を始める。


「あなたの妹君の聖女フィーネはもう一週間以上寝たきりで、意識を取り戻しません。その間、ずっと大神官であるセイレム様が生気を与え続け、その身を生かしている状態です。

 とはいえ、さすがのセイレム様もそろそろ限界が近く、このまま目覚めなければ、早晩フィーネは死んでしまうでしょう」


 ええっ!? つ、つまり、早く身体に戻らないと、今度こそ私は本当に死んじゃうってこと!?

 衝撃の事実に私は空中でパニックになる。


「なぜ、そんなことに?」


 いきなり伝えられた深刻な状況に、エルファンス兄様の顔に動揺の色が広がる。


「さあ、たしかな理由は不明ですが……。

 一つ思い当たる事があるとすれば、私の口からあなたとミーシャ殿下の婚約成立を告げた際、フィーネが加呼吸をおこして倒れたことでしょうか」


「……俺の婚約?」


「それ以来、フィーネは酷く塞ぎこんでいたようでした。セイレム様は詳しい話をして下さりませんが、たぶん自らの意志で今、魂が肉体を離れている状態なのでしょう」


 事情を知ったエルファンス兄様の美しい顔が苦しげに歪む。


「……なんて……馬鹿なんだ……っ!」


 ううっ、馬鹿でごめんなさい!


「それでご家族の中でも特に彼女と親しかったあなたならば魂を呼び戻せるかもしれないという、セイレム様のお考えにより、本日お呼びした次第です。

 神殿側としましても、これまでの4年間、大聖女になるために日々励んできた彼女は、失うにはあまりにも惜しい存在です。

 しかしながら、すでにあらゆる手立てを施してみても、一向にフィーネの魂は戻りません。

 あなたに一縷の望みを託すしかない現状です」


 並んで話しながら二人は長い距離を進んでいき、最奥殿の大扉の前へ到達すると、


「私はここで下がります。このまままっすぐ進んだ突き当たりが聖女フィーネの居室です」


 最後にエルノア様はそう告げて去っていった。


 エルファンス兄様は大扉を開くと一気に私のいる奥の間へと進んでいった。

 迎え入れたセイレム様はいえば、ずっと私に生気を送り続けていたせいだろう、今にも消えそうな儚い風情を漂わせている。


「あなたを待っていました。エルノアからすでに説明を受けたと思いますが、現在のフィーネは一見ただ眠っているように見えて魂のない抜け殻状態です。

 その魂は今頃いずこをさ迷っているのか……とにかく、呼び戻すには……あなたの力が必要です」


 エルファンス兄様は深い青の瞳を見開き一瞬息を飲むと、ベッドに横たわる私に近づいていく。


「フィーネ……」


「あなたならきっと呼び戻せるでしょう……私では……私では駄目だった……」


 憔悴しきった様子でセイレム様は長い睫毛を震わせ、呟く。


「どうすれば……?」


 エルファンス兄様の問いかけにセイレム様が苦笑いを浮かべた。


「たぶん、口づけでもして名前を呼べば戻ってくるでしょう。

 もしもフィーネの魂を肉体に戻すことが出来たなら、どうぞそのまま連れ帰って下さい」


「連れ帰る?」


 セイレム様の意外な発言に、お兄様の横にいた私も驚いてしまう。


 つ、つまり肉体に戻れば、お兄様とともに神殿から出られるってこと?

 セイレム様は本気なの? 

 今までのいきさつを思えばにわかには信じられない!


 まさか罠とかじゃ無いよね?


「ええ、こうなる前に本人が強く神殿から出たいと望んでいましたから。相当あなたの元へ帰りたかったのでしょう」


 寂しそうに目を伏せながら、セイレム様は私の頬を優しく撫でると、


「それでは私は部屋を出ますので、どうぞフィーネを呼んであげて下さい」


 青銀の髪とローブの裾を翻し奥の間から去って行った。



 二人きりになると、エルファンス兄様はベッドの上に屈みこみ、しばし瞳を揺らして私の顔を凝視した。


「フィー、かわいそうに、こんなに痩せて……! 俺の事で、辛い思いをさせたのか?」


 震える声で問い、両腕を回して私の上半身を抱き上げる。


 それからエルファンス兄様は顔を寄せ、私の額に頬に目尻にと唇を落としていくと、最後に長く唇を重ね合わせた――


「フィー、俺が悪かった。離れてからずっと後悔していた。

 たとえお前がどんな未来を見たとしても、死からも何からでも俺が絶対に守ってみせると、なぜあの時言えなかったのかと。

 神殿になどお前を行かせるべきではなかった。この腕の中でずっと守り続けるべきだったのに、俺がお前を止めなかったからこんな事になってしまった。許してくれ、フィー!

 頼むから、これからは必ず俺が全ての物からお前を守ると誓うから戻って来てくれ……愛してるんだ!」


 切ない想いが伝わってくる告白だった。


「フィー、お願いだから死なないでくれ……お前が死んだら、俺はいったいどうしたらいい?

 俺にはお前しかいないのに……たった一人残されて……!

 もしもこの世に戻りたくないというのなら、頼むから俺も連れて行ってくれ……!

 いつか俺とならば地獄まででも落ちていいと言っていただろう?

 ……俺だってお前と一緒なら地獄でもどこへでも行く……離れたくない……傍にいたいんだ!」


 魂の底から絞り出すようなエルファンス兄様の懇願の叫びが、私の心を激しく揺さぶる。


 その『傍に居たい』という言葉は、雷に打たれる前のフィーネが伝えた想いと同じだった。

 離れていても私達の気持ちは一つだったんだ……!


 感激に胸を震わせつつエルファンス兄様を見つめていた私は、そこでハッとする。


 これ以上、長く悲しませてはいけない!

 早く、早く身体に戻らなくちゃ。


 意を決した私は自分の肉体めがけて飛び込んでいく。


 ――次の瞬間、視界いっぱいに広がったのはお兄様の綺麗な顔のどアップ――

 まさに今エルファンス兄様に深く口づけされているまっ最中だった。


「あっ……」


「フィー?」


 瞼を開いた私に気がつき、エルファンス兄様が顔を離し、大きく息を飲む。


「やっと……起きたのか!」


 その声も、深い青の瞳も湿っていた。


「……うん」


「会いたかった!」


 万感の想いを込めるようにエルファンス兄様は私を強く強く抱きしめた。


「どんなに……心配したか……」


「ごめんなさい……お兄様……」


 と、涙ぐむ私に再びエルファンス兄様が長い口づけをする。

 私も必死にそれに応える。

 そうやってお互いの存在を確認しあっていると、視界の端にいつの間にか室内に戻って私達を見つめているセイレム様の姿が映る。

 とたん――私は飛び上がり、後ろめたさで死にそうになる。


「セ……セイレム様」


「やっと戻ってきたのですね、フィー。待っていましたよ」


「私……っ」


 言葉に詰まる私の肩をエルファンス兄様が強く抱き寄せて宣言する。


「約束通りフィーは連れて帰らせて貰う」


「ふふ、やはり帰さないと言ったらどうしますか?」


「……力づくでも連れて帰るまでだ……」


 不敵な笑みを浮かべるセイレム様に、険しい眼光を向けるエルファンス兄様。

 二人の間に飛び散る火花が見えるようだった。

 私は人生で初めて経験する修羅場的な空気に身の縮む思いがする。



「ふふ」


 そこで急に脱力したようにセイレム様が乾いた笑声を上げた。


「冗談ですよ。残念ながら今の私にはそのような余力は残されていません。

 さあ、どうか抱き合うなら、公爵家に戻ってからにして下さい」


 力が残されていないのは私にずっと生気を与え続けたせいだ。

 そう思った瞬間、胸が罪悪感で満たされて苦しくなる。


 この4年間というもの、セイレム様には散々お世話になってきた。

 それなのにこのままあっさりとエルファンス兄様と立ち去るなんて真似は私には出来ない――!


「お願い、お兄様、先に行って待ってて……。

 最後にセイレム様と二人きりで話したいの」


 お願いすると、エルファンス兄様は一瞬躊躇したように眉根を寄せたあと、


「……わかった」


 苦々しく呟き、マントを広げて出口の方へと向かっていった。


 その背を見送ったあと、私はそろそろとベッドから床に降り、おぼつかない足取りでセイレム様に近づいていく。


「セイレム様……私」


「失敗しました」


「え?」


「あなたを4年間も育てるんじゃなかった。

 私は一人の女性としてあなたを愛すると同時に、父親が娘を思うような感情が芽生えてしまった……。

 そうでなければ魂が入ってないただの器のままであっても、決してあなたを手放したりはしなかったでしょう」


「セイレム様」


「ふふ、そんな顔をしないで下さい。私はあなたの笑顔が大好きなんですから。

 実際これまで生きてきた中で、魂の入っていないあなたの器を見つめ続けた、この一週間ほど虚しい時間はありませんでしたからね。

 さようならは言いません、フィー。

 私はいつまでもここで永遠にあなたを想い続けて待っていますから。そのことだけは忘れないで下さい。

 そして困ったことがあればいつでも私を呼んで下さい。

 すぐにあなたの元へ飛んでいってみせますから」


 深い愛情の伝わるセイレム様の言葉を聞きながら、私の胸の内にこの4年間の様々な思い出が去来する――

 二人で神殿の中庭を歩いたり、屋上や物見の塔に上り、一緒に見た景色。

 たくさん交わした会話と、厳しい修行。

 降るような星の下、自覚したセイレム様への想い。

 激しい愛の告白をされ、強く応えたいと願いながらも、エルファンス兄様への愛ゆえに死を選んだ夜――


 まるで生身を引き裂かれるような辛い別れだった――


「ごめんなさい……私……セイレム様に、たくさん、酷いことを……」


 言いかける私の唇にセイレム様の指先がそっと触れる。


「なぜ謝るのです? ずっとあなたを閉じ込めて、酷いことをしていたのは私なのに……。

 謝罪すべきは私の方です」


 セイレム様はそう言うけど、他の人にとってはどうであれ私にとって酷いことではなかった。

 前世の私は大好きな人に、ずっと閉じ込められて愛されるのが夢だったのだから。

 ――セイレム様には言えないけどね。


「恨んでなんかいません」


 一言言って、別れを惜しむようにセイレム様に抱きつき、その胸に顔を埋める。


「さあ、エルファンスの元へ歩いていけるように、もう少しだけ生気を分けてあげましょう」


「私、一生忘れません……! セイレム様と過ごしたこの四年間のこと。どんなに幸せを貰ったか……それなのに何も返せなくてごめんなさい。言葉に尽くせないぐらい感謝しています。 今までありがとうございました!」


 大量の涙で視界がかすんでセイレム様の顔が見えなくなる。

 そんな私の頭を優しく撫でてから、両肩を掴んで身を離し、優しく諭しつけるようにセイレム様が言う。


「さあ、フィー。私の気が変わらないうちにもう行きなさい」


 コクコクと頷き、最後に大好きな青銀の髪と水色の瞳を少し見つめてから、私はセイレム様に背を向け、出口へ向かって走って行った。

 別れの辛さが涙となって溢れて止まらなかった。



 エルファンス兄様はエントランスの大扉にもたれ、腕組みしながら私を待っていた。


「ずいぶん時間がかかったな。

 そんなに別れ難い相手なのか?」


 あきらかに怒りを含んだその低い声音に、私はビクンとして立ち止まる。

 恐る恐る、エルファンス兄様の顔を見てみると、深い青の瞳は凍てつくようだった。


 うわっ。

 物凄く怒ってる!


「……そっそれは……っ」


 説明に困り、言い淀みつつ、まるで浮気がバレたような恐怖と混乱が頭を支配していた――。


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