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檻の中の自由

 絶対にエルファンス兄様の元へ帰る!!


 そう決意したものの、問題はその時期だった。


 たとえ今すぐお兄様の傍に戻ったとしても、いわゆるゲームシナリオの強制力が働いて、悪役令嬢として処刑されればずっと一緒にはいられない。

 それより数年間ここで我慢して、その間に逃げる算段をつけた方がいいんじゃないかな。


 実際問題として、現時点では逃げ出す方法がまるで思いつかないし……。


 私が現在いる最奥殿の構造は、外に出る扉のあるエントランス部分、広間と続き、この二つの部屋の間に扉がある。

 でも、その奥にあるセイレム様と私の生活スペースは、それぞれカーテンで仕切られただけの4つの続きの間だった。

 私のベッドが置いてあるのは最も奥の間だから、エントランスに行くには必ずセイレム様がいる部屋を経由しないといけない。


 しかも、セイレム様の人前に出ない主義のせいで、ここに移住してからの軟禁生活は以前より悪化していた。


 私は毎日基本的にこの建物に閉じ込められ、ごくたまに外に出られても人目のない場所限定。

 しかもその時は必ずセイレム様が影のように傍にぴったりとくっついている。


 今のところ逃げられる余地が見つからない。


 一度試しに書物庫へ行った際、狙い済まして走り出してみたことがある。

 ところが次の瞬間、後ろにいたはずのセイレム様がなぜか前方に立っていた。

 

 この神殿内ではほぼ万能の力を使えると言っていたし、闇雲に逃げようとしても通用しないみたい。

 逃げる時期についてもそうだけど、もっと緻密な計画を立てなくては……。


 だけどそれって私の一番苦手な分野かも……。



 そうして具体的な方策もなく、漫然と新生活を送るうちにいたずらに日数だけが過ぎていった。

 悲しいかな、私の流されやすい性格も手伝い、あんなに拒絶していたセイさん=セイレム様という現実にも、だんだんと慣れてきていた。

 あれ以来、セイレム様は私を刺激するようなことはいっさいしなかったし。


 それでも、やはり以前と決定的に違うのは、私に対する好意をセイレム様がはっきりと示すようになったこと――


「自分でできるから止めて下さい!」


 その日も朝から私はブラシを持ったセイレム様から逃げ回っていた。


「そんなことを言わずに、髪の手入れぐらいさせて下さい。

 ここではあなたのお世話をするのは私だけなんですから」


 本殿から長い通路を経ないと辿り着けない最奥殿には、食事を運ぶのと清掃以外いっさい人がやって来ない。

 セイレム様の言う通り、ここには私付きの女官もいない、基本的に二人きりの生活なのだ。


「わ、私は自分のことぐらい自分で出来ます!」


「その割には髪も身なりも手入れが行き届いていないようですが?」


「そ、それは……」


 痛いところをつかれて私はぐっと言葉に詰まる。


 手入れが行き届いていない理由――それは私が元々、身なりに気を使うという概念の薄い喪女だったから……。


 たしかにここに来てから髪をとくのも、身体を洗うのも、服装を整えるのも、我ながら適当になっていた。

 35年間で身についた習慣はなかなか変わらないみたい。

 この何もする事がないニートのような生活に、フォローする女官達が一人もいない現在、私は急速に自堕落な喪女時代の生態を取り戻し始めていた。


「認めるなら素直にそこに座って下さい」


 私はしぶしぶセイレム様の指示に従い、椅子にストンと腰を下す。


「今回、だけですよ……」


 断りを入れながら、これからは指摘されない程度には身だしなみに気をつかおう、と心から反省する。


 セイレム様はといえばさっそく後ろに立ち、私の髪束を掴んで丁寧な手つきでとかし始めた。


「ああ……綺麗な黒髪ですね……」


 そのうっとりとした口調と声に、私は背筋にぞくぞくっとしたもの感じる。


「セイレム様の方が綺麗な髪をしているじゃないですか」


「褒めてくれるんですか? 嬉しいですね」


「だって本当に綺麗だから」


 そう言ったのは本心からで、セイレム様の青銀の髪は私が今まで見た中で一番美しい。

 極上の絹糸のような光沢を放っていて、思わず手で触りたくなってしまう。


 そんな事を考えて私が油断していると、


「……可愛いうなじですね」


 突然、背後から身体の前側に腕を回され、首の後ろ側にちゅっと吸い付かれた――


 私は「きゃっ!」とその唇の感触に飛び上がる。


「や、や、やめてください!」


「ずっとこうしたかったんです……」


 セイレム様はそう言うと、そのまま愛しそうに私を少し抱きしめてから、すっと腕を離した。


「――すみません。我慢しようと心がけていても、つい目の前に愛しいあなたがいると、衝動が抑えられなくなってしまう……」


 表面だけはしおらしくセイレム様が謝罪する。


 彼がこういう人だとわかっていたのに、髪の手入れを許した私が馬鹿だったのだ。


「もういいです!」


 私は上気した顔をぷいっと背けると、セイレム様からなるべく離れた位置に移動して、得意の読書に逃げることにした。


 そう前世から一人で過ごす時の私の親友、本。


 大勢の中に一人でいても、本を読んでいれば孤独であることを忘れ、楽しい世界へ浸っていけるというぼっちの七つ道具の一つ!


「良ければ、新しい本を借りに後で書物庫へ行きましょうか?」

「大丈夫です。私本を読むのはそれほど早くないので、この分厚い一冊に、明日までかかりそうだから」


「そうですか……でも毎日本だけ読んでいる、という生活はいかがなものでしょうか?」


 暗に豚になるとでも言いたいのだろうか。


「誰のせいでこんな生活してると思っているんですか?」


 非難の気持ちをこめてキッとセイレム様を睨みつける。


「それについては悪いと思っているんです。それでもし良かったら、ここの屋上へ出てみますか?」


「屋上!」


「ええ最奥殿の上は物見の塔になっているので、本殿の屋上よりずっと高い位置から遠くまで見えます」


「い、行きたいです」


「では、行きましょうか」



 最奥殿の上にある塔の螺旋階段は延々と長く続いていた。

 上っている途中は肩でぜいぜい息していたのに、最上部に到達して景色を見下ろしたとたん、私は呼吸も忘れて感嘆の声をあげる。

 

「すごーい! 高い!」


 圧巻の風景、まさに空を飛んでいる鳥の気分だった。


 目がくらむほど地上が遠く、木や建物がごく小さく見え、人などまるで砂粒のようだ。


「まるで神様になったみたい」


「神ですか?

 しかし、あなたは本当に高いところが好きなんですね」


 我ながら馬鹿と煙はといったところかも。

 私は真下から遙か遠くの稜線へと視線を移した。


「あの山の向こうには何があるんでしょうか?」


 久しぶりに私の心は浮き立っていた。


「大草原ですよ……そこを抜けると隣の国です」


「そうなんですか。私、以前何かの本で読んだんです。この世界は広いのに、人が一生で移動する距離、行動半径はとても狭いって。大抵の人は驚くほど小さな円の中で生涯を終える、と」


「確かに私もそんな遠くへは行きませんね。基本的にこの神殿内から出ませんし」


「その時いつか物凄く遠くまで旅してみたい、って強く思ったんです。自分の生きた軌跡、行動の半径を思い切り遠くへ伸ばすために――

 この風景を見て、それを思い出しました」


 現実はその本を読んだ後も私は遠くになんて行かず、家と仕事場を往復するだけの狭い半径の中で生き続けていた。

 そして、そのままある日あっけなく死んでしまった。


「遠くへ……いいですね。いつか一緒に行きましょうか」


 セイレム様が目を細めてそう言った瞬間、思わず私は頷きそうになってしまった。

 ――その未来は私が彼を受け入れるという現実の先にしかなさそうなのに――


「考えてみると、この世界で私が今まで過ごしてきた場所もほんの狭い範囲ですもんね。

 いつかこの広い世界をあちこち見て回ってみたいです」


 そんな夢のある和やか(?)な会話をしていると、セイさんといた頃と何も変わらないように思える。


 実際、私がした別人だという判定は合っていたのだろうか?


 そう思って改めて振り返ってみると、セイさんという存在を失った時の私の心境は、被害妄想に近かったかもしれない。

 たとえるなら『親鳥と温かい巣を失ったヒナ鳥』のような気持ち。


 思えば私はこの二年間ただぬくぬくと巣の中でセイさんの羽の中で守られ、安心し、甘えきっていた。

 それが突然その巣を叩き壊され、親鳥が偽物だと知って、裸で投げ出されたような気持ちになった。

 すべてを破壊したセイレム様に激しい憤りを感じた。


 しかしそれはもしかしたら不当だったのでは?

 元々彼は私の保護者でも家族でもないのだから。


 勝手に自分にとって都合のいい役目――幻想――をセイレム様に押しつけていただけなのでは?

 セイレム様の言うように彼は以前と変わらなく、ただ秘めていたものを表に出しただけなのかも。

 

 私だって心を許していても、セイさんにお兄様とのことを話さなかったし、全てをさらけ出してきたわけじゃない。


 そうエルファンス兄様のことを……。


 そこまで考えると、私の視線は自然に帝都へと向けられる。


 ――私がこんな風にセイレム様と二人でいる間、お兄様は一人なのだ。

 そう思うだけで胸にキリキリとした切ない痛みが走る。


 ――翼があれば今すぐこのまま飛んで行けるのに――


「何を……考えているのですか?」


 遠くエルファンス兄様の元へ意識を飛ばしていた私の耳に、とても冷えたセイレム様の声が響いてきた。


「エルファンス……彼のことを考えているのですか?」


 我に返って見上げたセイレム様の瞳は、冷たく燃えるようで、怖いほどの嫉妬の情が滲んでいた。


「セイレム様……」


 私は息を飲んで凍りつく。。

 よほど怯えた顔をしていたのか、セイレム様はすぐにハッとしたように、表情をゆるめて謝ってくる。


「――すみません……つい、嫉妬してしまいました……。

 駄目ですね……愛を育む時間は無限にあり、いつかあなたの心が必ず私のものになることは分かりきっているのに……。

 今この瞬間、あなたの心に別の男性が居るという事実が耐えがたい……」


 無限――そうだ、セイレム様はずっと私をここに閉じ込めて生活する気なんだ。


「私、何度も言っているように、セイレム様とは、ずっと一緒にいられません!」


「いられないもいるも、ここから出るのは不可能なのに?」


 不可能――たしかにそうかもしれない。

 この神殿では神のような力を振るうセイレム様を前に――逃げれらる可能姓は限りなく0に近いのかもしれない。


 それでも帰りを待っていてくれるエルファンス兄様のために、決して諦めるわけにはいかない。


「たとえ逃げられなくったって、セイレム様の物なんかにはなりません!」


 言えば言うほど、セイレム様の瞳は凍てつき、恐ろしい表情になっていく……。

 それでも分かって貰えるまで伝えるしかなかった。


「私の心はすでに、エルファンス兄様に捧げているんです!

 もう他の人にはあげられません!」


 私は勇気を振り絞って宣言した。


 穏やかだった場の空気はすっかり一変し、重苦しい沈黙が流れる。


 セイレム様は無言でしばしうつむいてから、気を取り直したように顔を上げ、


「知ってますか? 人の身体と心は密接に繋がっているんです」


 意味深な台詞を口にした。


「……? どういう意味ですか?」


 とまどって見上げたセイレム様の美しい顔には黒い微笑が浮かんでいた。


「そのままの意味です」


「そのまま?」


 胸の奥がざわざわする。


「女性は特にそうだと聞きます。身体の影響を心が受けやすい。

 つまりどちらから近ずいていっても結果は同じということです。

 今はあなたはまだ子供だからそういったことはしませんけど……そうですね……16歳になったら……夜も一緒に過ごすことにしましょう……」


「夜も……?」


 自分の耳を疑ってしまい、馬鹿みたいに口をポカンと開けてしまう。


「そうすればあなたも私のこと以外は考えられなくなります。完全にエルファンスのことなど忘れ去ってしまうでしょう……」


「そ……それって……」


 セイレム様が言わんとしていることを想像したとたん、顔がカーッと熱くなり、心臓がバクバクしてくる。


 ――私はあと半年で15歳になる――つまりセイレム様がしているのは、あと一年と半年後の話――


「そうです……16歳になったら、あなたは私と肉体的に繋がるんです……」



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