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セイレム様との邂逅

「見解の相違、たしかにそうかもしれませんね。

 でも……この場合、一番に優先されるべきは本人の意志ではないのでしょうか?」


 セイレム様はあたかも権利を主張するように、、空いている片手で私の頭を自分の胸へと引き寄せる。


「どうせあなたが二年かけて洗脳したんだろうが……!?

 だいたい今日はずいぶんと帰ってくるのが早かったじゃないか?

 ひょっとして母上の元へ行かなかったのか?」


「いいえ、きっちり行って挨拶して帰ってきましたよ」


 感情的なアーウィンとは逆に、あくまでもセイレム様の口調は冷静で淡々としていた。


「挨拶だけでもう充分というわけか?

 会うたびに母上を切なげに見つめいたあなたが、若い娘に乗り換えたということか?」


「そう単純な話ではないんですよ」


「じゃあ教えて下さいよ叔父上。一体どういう話なのか非常に興味がある」


 タイミングを見計らっているのか、二人は舌戦を繰り返すだけで、なかなかその場を動かない。


「人を心から愛した事がないあなたに言っても無駄なことでしょう――さらに言うとそんな剣など、ここでは何の意味も持たない!」


 声を荒げて、先に動いたのはセイレム様だった。

 手に握った杖を素早く振り下ろす――


 次の瞬間――反射的にアーウィンが振り上げた剣は、手中で白蛇に形を変えていた――


「……っ!?」


 悔しげに舌打ちして、アーウィンは地面に蛇を叩きつける。

 それを合図にしたように、セイレム様の背後からバラバラと大勢の神官達が飛び出してきた。


「皆さん、殿下を丁重に門の外まで送ってさしあげて下さい」


 指示を受けた神官達にあっという間に取り囲まれ、アーウィンは悔しそうに廊下を連行されて行く――


「くそっ!……待っていろよ、フィー、必ずまた迎えに来るからな……!」


「アーウィン……」


「叔父上、もしもフィーネの肉体を汚すような真似をしたら、俺は絶対にあなたを許さない!

 判明した時点で弾劾して、必ずその地位から引きずり下ろしてやる!」


 遠ざかるアーウィンの叫びが空しく廊下に反響する。

 セイレム様は見送りながら、


「……ずいぶんな態度ですね……顔はセシリア様にそっくりなのに……」


 ボソリと呟いた。


 そこで緊張の糸が切れた私の膝からガクッと力が抜けていく。


「大丈夫ですか? フィーネ」


 崩れかけた私の身体をさっと両腕で抱えたセイラム様が、心配そうな瞳で見下ろす。


「……が……」


「え?」


「……セイレム様が……セイさんだなんて……何かの……間違い……ですよね?」


 気が遠くなりそうなりながらも、すがるように問いかける。

 間違いだと、嘘だと、ただ言って欲しかった。


 しかしセイレム様の口から吐かれたのは、残酷な肯定の言葉。


「今まで騙すような事をしていて申し訳ありませんでした。私が、セイで、同時にセイレムです」


「違う!」


 私は絶叫した。


「セイさんは……セイさんは……」


 セイさんは空気のように傍にいて守ってくれる、一緒にいるだけで安心できる人……。


 肩口までの白い髪と灰色の瞳をして、人形みたいに整い過ぎた顔で――……。


 私はセイレム様の青銀の髪の一部を掴み、下から睨み上げた。


「セイさんは……こんな姿していない……。

 あなたはセイさんなんかじゃない!

 どこ……? いったい私のセイさんをどこに隠したの……?」


「フィーネ……」


 私はなおも取り乱して叫ぶ。


「セイさんを……セイさんを返して!!」


 きっとこれは悪夢で目を覚ましたら、またいつものセイさんに会えるんだよね?

 また一緒にいられるんだよね?


「セイさん……!」


 激しいショックに目が眩み、視界が暗転した――







 お土産を持って帰ってくるって言ってたよね?

 私の頭を優しく撫でて……。


「……セイさんの、嘘つき……」

 

 なぜ、帰ってきれくれないの?

 翌朝目覚めても次の朝目覚めても、セイさんは私の元へ戻ってこなかった。


 ――私の居室も本殿から最奥殿にある一室へと変更させられていた――


 セイさんはもういない……。

 私は今一人ぼっちなんだ……。


「丸二日も食べてないんです……そろそろ、何か口にしないと……」


 セイレム様がベッドに屈みこみ、私の頭にそっと手を伸ばしてきた。


「触らないで!!」


 瞬間、私はヒステリックに叫んで大仰に払いのける。


「フィーネ……」


 そして頭の上にふとんをかぶり、ぶつぶつと同じ言葉を繰り返す。


「……セイさんのところに帰りたい……セイさんに会いたい……」


 二日間ずっとそんな調子で、ベッドで泣き続ける私の様子に、セイレム様はすっかり困り果てていた。


「……だから私は……ここにいます。

 どうしたら分かってくれるんですか?」


 私はふとんから目元だけ出し、セイレム様を睨みつけた。


「セイさんは大神官なんかじゃない……!」


 言ったとたん無性に悲しくなり、再び目からボロボロと涙がこぼれ出す。


「そんなに泣いたら、目が溶けてしまいますよ」


「……セイさん……セイさん……」


 私はセイレム様を無視して泣きむせぶ。


「あなたが望むなら、ずっとセイの姿でいてもいいんですよ」


「止めて!!」


 私はその提案がどうしても許せなくて、怒りまかせに枕を投げつけた。

 セイレム様は避けずに、あえて攻撃を肩で受ける


「セイレム様に私の気持ちなんてわからない! 私にとってどんなにセイさんが大切な人だったか……どんなに……」


 どんなにどんなに……信じて、心を許していたことだろう。

 でも存在自体が幻ろしだったのだ。

 私の住んでいた楽園のような世界はもう崩壊し――二度と元には戻らない――


 信頼できる相手と穏やかに暮らす、何気ない日常があんなに幸せだったなんて……。

 失って初めて気がついた。


 私は再び号泣した。

 いくら泣いても泣きたりなかった。


 ひたすら泣き伏せる私を、セイレム様は傍でずっと見守っていた。


「どうやら長くセイの格好で居過ぎたみたいですね。ただわかって欲しいんです。

 決して、あなたを傷つけるつもりはなかったと……」


「じゃあ、どうして……あんな格好をして私を騙したの? 私に失望させるため?

 信頼させてから裏切るため?」


 セイさんを失った悲しみと同じぐらい、裏切られた怒りがこの胸を渦巻いている。

 こんなドロドロとした感情は生まれて初めてだった。

 何も持たない前世の私には、およそ知りえなかった喪失感と恨み――。


 セイレム様は深い溜め息をつくと、ゆっくりと語り始めた。


「……ありのままの私を見て欲しかった……と言えば矛盾を感じるでしょうね、姿を変えていたのに……。

 だけど私は、大神官としてではなく、単なる一人の男としてあなたに自分を見て欲しかった」


 そのいかにも悲しげな澄んだ瞳は、色は違えども、セイさんとまったく同じだった。

 私の胸に針を飲む込んだような痛みが走る。


 この二日間というもの、ひたすら自分の悲しみと怒りに浸ってきたものの、いくらこの状態を続けても辛いだけだった。

 もういっそ、許せるものならセイレム様を許したかった。

 そのためには、この状態に至った明確な理由を得て、心の整理をつけることが必要なのかもしれない。


「……どうして……そう、思ったの?……」


「……それは私が滅多に人前に出ない理由にも通じます……。

 私のこの姿や地位は、どうも見る者に、特別な効果を与えてしまうようなんです。

 多くの女性は私の見た目に心を奪われ、大神官という肩書きだけで崇拝してしまう。

 けれど私は容姿や地位で好かれても全然嬉しくなかった……。

 あなたにはそういう装飾を取り去った私を純粋に見て欲しかった。

 ただそれだけだったんです……」


 セイレム様の説明をぼんやり聞きながら、私は改めてその姿を眺める。


 腰まで伸びる艶やかな青銀の髪に、芸術品のような繊細な造りの顔立ち――

 光沢のある白いローブをまとう彼は、たしかに天上の者のように美しい。


 セイレム様の言うように、もしも最初からこの姿の彼と出会っていたら、勝手な幻想のフィルターをかけて見ていたかもしれない。


「さあ、水を飲んで……」


 やっと落ち着いた私の様子に、セイレム様はほっとしたような表情で、水差しからコップに水を汲んで差し出してきた。

 私は素直に受け取り一気に飲み干す。

 いつの間にか涙は止まっていた。


「他に質問があるなら、何でも聞いて下さい。正直に答えますから」


「なぜ、私を、選んだんですか?」


 そもそもの理由が知りたかった。

 なぜ面識もなく接点もない、私に近ずきたいと思ったのか。


「……それは、そのペンダントです」


「ペンダント?」


「その石は私の魂の一部を込めた聖石なのです。私の心の欠片をあなたに捧げたともいえます。

 その石と私はつねに繋がっており、目や耳として使用し、そこから力を出現させることもできる。

 あなたがいつか指摘したように、セシリア様が持っているペンダントも同じものです。

 ですから先日アーウィンがセシリア様に私を呼び出すように相談するところも……もっとさかのぼるなら、あなたが夕食の席で懺悔するところも、すべて私は見ていました。

 その時、海のように深く青いつぶらな瞳から、真珠のような涙をこぼす、あなたの健気でかつ儚げな美しすぎる姿に心奪われてしまった。それで、ぜひ手に入れたいと思ってしまったのです。託宣もそのための詭弁です」


 聖石は透明な石だから、この見る角度によって色を変える虹色の輝きが、セイレム様の魂の色なんだ。


「――アーウィンがくるのが分かっていたのに、あの日、なぜ出かけたの?」


 一つ答えを貰っても次々と新しい疑問が浮かんでくる。


 セイレム様の表情が暗く陰った。


「簡単な挨拶だけ済ませて戻ってくるつもりでした。私はセシリア様を無視できないのです。

 まさか聖女ロザリーまで加担しているとは思いませんでした」


 そこで、ふっと、私の口元に視線を注ぎ、


「見ていたといえば忘れていました……」


 思い出したように呟くと、セイレム様は無防備だった私の上に青銀の髪を降らせて来た。

 瞬間、ハッとして固まっている私の唇に、セイレム様の冷たい唇の感触がする。


「……!?」


 ちゅっと、水音を立てて唇が離れると同時に、セイレム様が身を起こす。


 まったく警戒していなかった私は、激しいショックを受けて口を押さえる。


 正直に言うとまだ頭の隅に、セイレム様がセイさんであることを受け入れれば、元の関係に戻れるかもしれないという希望があったのだ。


 けれど爆弾のように落とされたその口づけが、セイレム様がセイさんと同じ人であっても、まったく違う人物だという事実を教えてくれた。


「もう二度とあの不埒な皇子を大切なあなたに近づかせません。あなたに触れる権利があるのは、世界中で私一人だけだ」


 しっかり言い切ったセイレム様の声は、セイさんと同じ響きを持ちながら、果てしなく遠いものだった。


「――セイさんは、そんなこと言わないし、こんなことしないっ……!

 やっぱりセイレム様はセイさんじゃない!」


 拒絶の叫びをあげながら、再び胸が引き裂かれるようだった。


「そうですね……あなたの言う通り、もう今までの私ではいられない……」


 ぞっとするような低い声音と執着を浮かべた水色の瞳を見返し、私の背筋はゾクリとする。


「……私を、これからどうする気なんですか?」


「あなたは聖女フィーネになります」


 予想だにしていなかった答えだった。


「聖女に? 私はまだ術が使えないのに?」


「……ああ……それは私があなたの力が出現するのを抑えていたからです。

 最初に言った通り、あなたにはすぐに聖女になれる資質を持っていました」


「じゃあ私聖女になれるの?」


 震える声で問いながら、神殿に来たばかりの時に交わした会話を思い出す。

 聖女になれるということは、家族とも面会できる……?


 そう思ったとたん――

 『待ってる』

 エルファンス兄様の面影と温もりが蘇ってくる。

 銀色の髪に深い青の瞳をした、私の最愛の人。

 お兄様に会えるの?


 しかしそんな希望は直後、セイレム様によって無残に打ち砕かれる。


「残念ながらあれはあなたの力を封印し、聖女になる事がないことを知っていたからこそ言えた台詞です。

 初めから面会なんてさせる気はありませんでした。

 あなたに家族なんていらない。私だけいればいいと思っていましたから」


 しかし、はっきり否定されても諦められない私は、セイレム様のローブの裾を掴み、すがるように訴えた。


「……そんな……聖女になれたら、会えるって……言ったのに!!

 じゃあ、聖女にする気がないなら、なんであんなに厳しく指導したの?」


「好きな相手をいじめる喜び……というのは冗談で……ゆくゆく大聖女となったあなたと一生ここで暮らす予定でしたからね」


 私の心は冷や水をかけられたようになる。


「一生?」


 言葉の意味を確認するために発した声が、恐怖で裏返ってしまう。


「予定は少し繰り上がりましたが、今後はあなたを大聖女にするために私が直々に指導する、という名目で二人でここに篭もりましょう」


「それって……」


 蜘糸に囚われた蝶のように追い詰められた私の心境を、セイレム様が言葉で後押しした――


「そうです、あなたはこれから一生この最奥殿で私と暮らすのです」



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