思わぬ再会
「今日は外に出かける用事ができたので、一人で留守番しながら自習していて下さい」
神殿生活三年目。私が14歳になって二ヶ月ぐらい経ったある日。
朝食後、セイさんが唐突に告げてきた。
「えー」
私は反射的に不満の声をあげる。
二年の月日は馴れ合ってしまうほどに私達の距離感を縮めていた。
「すぐ帰ってくる?」
寂しさのあまり尋ねる私に、セイさんが優しく答える。
「なるべく早く帰ってきます」
「何時ぐらいに?」
「わかりませんけど、早く帰ってきます」
「早くってどれぐらい?」
「話が戻ってませんか」
「だって、セイさんがいないとつまらないんだもん。
それってセイさん以外の人が行くのは駄目な用事なの?」
ついわがままが口をつく。
それぐらいセイさんの不在が嫌だった。
「……大切な人から個人的に呼び出されたので……」
「大切な人って誰?」
訊きながらじわじわと浮かんてくる胸が焦げるような感覚。
セイさんに大切な人がいるという事実が凄く不愉快だ。
質問には答えず、セイさんは笑顔で唇を尖らせている私の頭を撫でてきた。
「……すみません。時間がないので、もう行きますね……お土産を買ってきますから」
「お土産なんかいらないから、早く帰ってきて」
「はい、はい、分かりました。
では行って来ます」
最後にそう挨拶して部屋から出ていく時のセイさんの顔が、やけに嬉しそうにほころんでいたのが私には口惜しかった。
パタン。
無情にも閉じられた扉を、置いていかれた飼い猫か犬のように、しょんぼりと見つめる。
(どれぐらい大切な人なの? 私よりも?)
この二年間、一日の大半を共に過ごすうちに、いつしかセイさんは私にとって「空気」のような、傍にいて当然の存在になっていた。
そう、あまりにも彼と一緒にい過ぎて、私は一人での時間の過ごし方を忘れてしまったのだ。
こんな風に誰かがいないだけで泣きたいぐらい寂しくなる心理状態はとてもあやうい。
ここに来たばかりの早く聖女になってエルファンス兄様と面会! と、はりきっていた頃の自分が懐かしいぐらい。
現在の私は精神的にセイさんに依存しきっていた。
それは聖女になるのをためらうほどに……。
だって聖女として独り立ちしたら、セイさんとは一緒にいられなくなるかもしれない……。
少なくとも教育係としての彼の役目は終わってしまう。
セイさんがいなくなる!
想像するだけでも胸にぽっかりと穴が空くような気がする。
それぐらい彼は今や私にとってはかけがいのない存在。
だから今も頭の中はセイさんの事でいっぱいだった。
おかげで自習にまったく身が入らない。
早々に勉強を諦めた私は教本を放り出し、ベッドにゴロっと横になって天井を見ながら思いを巡らせる。
セイさんの大切な人ってどんな人だろう。
男の人?
女の人?
なんて答えの出ない問いをぐるぐると考えていると、時間の経過がずいぶん遅く感じられる。
(セイさん早く帰ってきて……)
とにかくそれだけを願っていた――その時だった――
不意にコンコンと扉をノックする音が響く。
「フィーネ、いるか?」
直後、呼びかける声がして――私は返事をする前にベッドから跳ね起き、扉に突進していた。
「セイさん!」
「……!?」
しかし、勢いよく開け放った扉の向こういたのは、セイさんとは似ても似つかない人物。
輝く白金の髪と青灰色の瞳に象牙色の肌に、甘く整った顔立ち。
童話に出てくるような王子様然とした長身の少年だった。
「アーウィン…!?」
「やぁ……フィー。二年ぶりだな」
意外な訪問にびっくりする私の顔をアーウィンが面白そうに眺める。
あれから二年経過しているので今は16歳だろうか……。
かなり背が伸びて大人っぽくなっているとはいえ、目の前にいるのは間違いなく私の幼馴染。ガウス帝国皇太子、アーウィン・ジェラルド・ガウスだった。
「な、な、なんで、あなたが、こんなところにいるの……!?」
「おい、他の男の名前を呼んだかと思ったら、今度は、なんでいるの? と来たか。
二年ちょっとぶりに再会した割に、ずいぶん冷たい態度だな?」
いかにも心外そうにアーウィンが形の良い唇を歪める。
「だ、だって、ここは神殿だから……アーウィンがいるのが、不思議だから…驚いてもしょうがないでしょう?」
しどろもどろに弁解がましく言う私の横をすり抜け、勝手にズカズカとアーウィンは部屋へ入る。
そして窓際の椅子まで行くと、ドカっと、腰を落とした。
「うん」
アーウィンは長い脚を組み、肘掛部分に腕を乗せて頬づえをつくと、物憂げな顔で頷く。
「たしかにここにいるのは不思議だよな。実際フィーの元へ辿りつくまで、俺は二年もかかってしまった」
「二年!」
「そうだ、お前とたかが会うのに二年もかかってしまったんだ。かなり面白い話だろ?」
全然その面白さが私には伝わらず、唖然として立っていると――
「長い話になるから、とりあえずお前も座ったらどうだ? 叔父上はしばらく帰らないはずだから、ゆっくり会話する時間がある」
思わぬ単語が出てきて私は聞き返す。
「叔父上? アーウィンの叔父さん?」
「神殿にいる俺の叔父といったら一人だけだろう? フィー、お前、神殿で修行して逆に脳みそが退行したんじゃないか?
心配になるほど察しが悪い」
どうやら辛辣さは健在のようだ。
私は少しむっとして答える。
「セイレム様の事? セイレム様が帰らないのと、私とアーウィンがゆっくり話せるのと、いったいどういう関係があるの?」
「……どうもこうも。お前にこんな軟禁生活を強いているのが、叔父上だと知らないのか?」
「ええ? そうなの?」
驚いたものの、言われてみればセイさんはセイレム様の指示で私の傍にいるんだっけ。
我ながらこの二年間の思考停止ぶりは酷いかも……。
「呑気なものだな……はぁっ! まあいい……」
盛大に嘆め息すると、アーウィンは椅子から飛び上がるように立ち、ツカツカとこちらに歩み寄ってきた。
と、近くに来たとたん、いきなり両手を差し出され、私はびくっと身構える。
「フィー、良く顔を見せろよ……」
言うやいなやアーウィンは私の顔を両手で挟み、ぐぃっと上向きにして間近から観察する。
「ずいぶん血色がいい……それに、幸せそうに見える」
「お、おかげ様で……」
「それに凄まじく綺麗になったな……」
凄まじくという表現が女性の容姿を褒めるのに相応しいかはともかく、とっても褒めていることだけは伝わった。
「ありがとう……あなたも凄く背が高くなって、それに……」
さらに格好良くなっている……!
続きの言葉は口に出さずに飲み込んだ。
そこでアーウィンは限界が来たように、発作的に叫ぶ。
「ああ……だめだ……我慢出来そうにない!」
「え?」
急に顔が迫ってきて、私は目を見開く。
逃げる間もなく――次の瞬間――強引にアーウィンの唇で唇をふさがれていた。
「フィー、こういう時は、目を瞑れよ」
「……!? 」
「まあ……いいか」
いったん、唇を離してから、再度アーウィンが重ねてくる。
「~~~~~~~~!?」
予想もしていなかった展開に激しいパニックに陥りながら、私は必死にアーウィンの胸を押しやろうとした。
すると相変わらず非力な私を憐れんでか、アーウィンの方から唇を離し、いったん身を引いてくれる。
「そんな固く唇を閉じるなよ……お前、こっちの方も11歳の頃より退行しているんじゃないか?」
「……アーウィン、なんでっ……!」
私は動揺に震えながら自分の唇を手で押さえる。
自然に瞳から涙が滲み出た。
「……なんで、と、訊きたいのはこちらの方だ。
少しは喜んでくれると思ったのに……再会の口づけをしてやってもその態度。
お前は本当に俺にしつこくつきまとっていた、あのフィーなのか?」
正直、あのフィーかときかれれば「違う」としか答えようがない。
二年経っても、いまだに私は過去の行いの報いを受けないといけないの?
「……私は……もうあの頃の……私とは違うの……」
震えて言いながら逃げるように後退すると、その分アーウィンが前進してくる。
「いやっ……」
ドン、とアーウィンが壁に両手をつき、間に挟まれた私は逃げ道をふさがれ、追い詰められた状態になる。
「なぜ俺から逃げようとしたうえにそんなに怯えた顔をするんだ?」
「はっ、話しがあるんじゃなかったの?……こんな事をしに来たの?」
「もちろん大事な話があるから来たんだ。わざわざ母上に頼み込んで叔父上を呼び出して貰い――ロザリーにも協力を仰ぎ――やっとここまで辿りついた。
ついでに人払いもしてもらったから、このあたりには今誰もいない。
完全にお前と俺の二人きりだよ……フィー」
私の耳元に唇を寄せ、アーウィンが甘くささやきかけてくる。
「セシリア様とロザリー様に?
なんでそこまでして私に?…」
会いに来たの?
疑問に思う私の顔を至近距離で見据え、アーウィンが命令口調で言う。
「フィー、神殿から出て、家へ帰るんだ。
こんな場所は全然、お前に相応しくない」
「帰る?」
「お前を迎えに来たんだ……分からないのか?」
青灰色の瞳が激情にかイラ立ちにか、大きく揺れ動く。
私を迎えに?
アーウィンが?
嘘っ……だってアーウィンは……。
「あなたは私が嫌いなんでしょう?」
ドキマギして尋ねた。
アーウィンはそれに答えず、代わりに遠い目で語り始める――
「12歳の誕生パーティーの日」
「え?」
「純白のドレスに身を包んだお前はどこまでも清らかで、あたかも奇跡の白薔薇のようだった。その輝くばかりの美しさは会場にいる誰よりも俺の瞳を引きつけ、釘づけにした。
その時、俺は初めて、それまで嫌っていたはずのお前が愛しく思えて愕然とした。同時に神殿へ去っていくことが非常に寂しくなった。
そしてその気持ちは時が経過するごとに消えさるどころか、ますます大きくなり、やがて俺の中で埋めがたい喪失感となった……。
……あれからいなくなったお前の代わりに、婚約者候補として色んな相手と引き会わされたが……。
どんな美貌の令嬢に会おうとも、あの日のお前の可憐な姿がチラついて霞ませてしまう……」
驚きに口を開けっぱなしの私の喉はカラカラになった。
「……つまり……私の見た目が綺麗だから……好きになった……?」
「そうだけど違う!」
「違うの?」
そこで肩を掴むアーウィンの手の力がこもり、痛いほどになる。
「あの時……頬を上気させたお前が、エルの名を呼びながら走ってきた……。
そのひたむきな顔を見たとたん、俺は……お前が探しているのが俺なら良かったのにと強く思った。
その瞬間、俺は自覚したんだ……自分の中に芽生えた……感情に……。
だからあの後、ここからお前を連れ戻すために――お前に会うために再三努力した。
ところが悔しいことに叔父上に強く阻まれ、今日の今日までそれが叶わなかった。
……この神殿で、叔父上は絶対的な権力を持っているからな……」
もしかしなくても私は今、アーウィンから愛の告白を受けている!?
しかも連れ戻しに来たなんて……!
とまどいながらも私の心臓は痛いほど早鐘をうち、全身が火照ってくる。
「――俺の話は以上だ。次はお前の話をしろよ」
アーウィンは一息つき、今度は私に話を促す。
「私の話?」
「セイって誰だ?」
訊かれたとたん私の鼓動はなぜか、ドクン、と大きく跳ね上がった。
「お前の男か?」
私は慌てて首を振る。
「違う……セイさんは……私の先生で……」
「先生? まるで愛しい恋人が帰ってきたかのような出迎えだったが?」
「そ……それは……」
「好きなのか? そいつの事?」
青灰色の瞳が探るように私の瞳を覗き込んでくる。
私がセイさんを好き?
「違う……」
私が好きなのは今でもエルファンス兄様だもの!
「本当だな」
「本当よ」
「なら、この神殿にお前の恋人はいないという事でいいか?」
「うん、いない」
私の返事にアーウィンは気が抜けたように大きな溜め息をついた。
「なら良かった。立場的に他の男の種を宿している可能性がある女とは婚約できないからな」
たっ、種って……私まだ14歳なんですけどっ!?
「さて、恋人がいないなら問題ない。一緒に帰ろう。
母上にはできるだけ長く引き止めるように頼んであるが、勘のいい叔父上のことだ。早めに切り上げて帰ってくる可能性がある。
続きは王宮かお前の屋敷に帰ってからゆっくり話すとしよう。
さあ行こう、フィー」
話を打ち切るとアーウィンは有無をいわさず、私の腕をひっ掴んで強引に歩き出した。
「待って……私行けない!」
「お前の気持ちはこの際無視する」
「そんな……!」
酷い!
どうにかして踏みとどまりたくてもアーウィンの力が強すぎて、ずるずると廊下を引きずられていく。
「一度使えばもうもう同じ手は通じない。わかるか? 今お前を連れて帰らないと、しばらく好機を失ってしまう。
二年間、もう充分神には祈っただろ?
お前はお前の本来いる場所。俺の婚約者になるという本来の運命に戻るんだ」
違う!
正しい元の運命――ゲーム設定では、私はクリストファーの婚約者だもの。
だけどそんなのどっちでも同じだ。
ヒロインと恋敵の立場になってしまうのだから!
そう思った瞬間、群集の前で両手を縛られ地面に座らされ、罪人として首を斬り落とされる悲惨な未来が脳裏に浮かんできた。
その光景にぞっとして私は悲鳴をあげて叫ぶ。
「いやっ!!……私は……絶対に帰るわけにはいかないの!!……離して、離して……アーウィン!!」
「ずいぶんと聞き分けが悪い……」
舌打ちすると、アーウィンが抵抗する私の身体を素早く抱き上げる。
「行くぞ!」
そして長い脚でドアを蹴り上げ廊下へ出ると、私を荷物のように担いで一気に駆け出した。
「待って! 下ろして! お願い!」
じたばた暴れてもまるで逃げられそうになかった。
このままでは本当に神殿から連れ帰られ、無理矢理アーウィンと婚約させられてしまう!
死亡フラグを回避できないばかりか、お兄様との恋の終了フラグまで立ってしまうのだ。
それだけは絶対嫌っ!
誰か、お願い!
「セイさん!」
思わず助けを求めて名前を呼んだ刹那――身につけていた胸のペンダントが、まぶしい光を一斉に放つ――
「うっ……!?」
強烈な真白き光にしばし視力を奪われた。
アーウィンも同じみたいで、腕が緩んだその隙に、誰かが私を引っ張り出してくれた。
やがて視界を取り戻すと、私は別の誰かの腕の中にいた。
見上げた顔は、人形のように綺麗な私の保護者同然の人のもの。
「セイさん!!」
「――あなたはこの神聖な場所でいったい何をしていらっしゃるんですか?」
珍しくきつい口調のセイさんは、白髪を乱し、灰色の瞳に冷たい怒りを滲ませていた。
私と同時に視界を取り戻したらしいアーウィンが睨み返す。
「そういうお前は誰だ?」
「神官のセイと申します」
「セイ?……そうか……お前が…」
「……私、帰れないの……ごめんねアーウィン」
セイさんの身体にぎゅっとしがみついて私は訴える。
「……そういうわけですので諦めて帰って頂けますか?
皇太子ともあろうお方がこのような場所までしつこく女性を追いかけて来た挙句、嫌がる相手を無理やり連れ帰ろうだなんて、恥ずかしくないのですか?」
「恥ずかしい?」
皮肉げに問い返すと、アーウィンは急に喉をのけぞらせて笑いだした。
「ははっ……そういう事か……!」
「?」
おかしな言動に私はとまどう。
アーウィンはすっと笑いを収めると、射るような視線をセイさんに向ける。
「恥ずかしいのはどちらですか? 叔父上こそ、そんな姿で何をしているんですか?」
「え?」
発言の意味が一瞬理解できず、頭の中が真っ白になる。
「……はは……っ」
今度はセイさんが声を立てて笑う番だった。
「姿を変えたぐらいであなただと分からない俺だと思っていのか?」
「ええっ……? 叔父上って」
何を言っているのアーウィン……?
セイさんがアーウィンの叔父?
セイレム様だって言うの……?
「だって髪と瞳の色が……」
「そんな物、叔父上なら造作もなく変えられる」
「……あーあ……困った甥ですね」苦笑混じりに呟くと、セイさんは腕の中の私に謝罪する。「今まで騙していてすみません。フィー」
「え?」
驚いて見上げた灰色の瞳は瞬く間に水色へと変わってゆき、肩口までの長さだった髪も下へ下へと伸びていく。
そして腰に達する頃には艷やかな青銀の髪になっていた。
そう――その姿はまぎれもなく、この国の大神官セイレム・ラクス・ガウス様のものだった。
衝撃の光景に目の当たりにして私の頭はショートする。
こんなの嘘っ……!?
セイさんの正体がセイレム様だなんて……!!
混乱して固まる私をよそに、セイレム様は凛とした冷たい表情と声で言い放つ。
「この聖域からあなたは本気で、私の一番の宝を盗み出せると思っていたのですか?」
対するアーウィンも一歩も引かず、燃えるような瞳で言い返す。
「見解の相違って奴だな……俺に言わせれば盗んだのは叔父上の方だ!」
剣呑な空気が場を満たす中、セイレム様が片手を一振りする――と何もなかった空間から突如、大きな玉のついた杖が現れた。
合わせてアーウィンも腰から金鞘の剣を抜き――二人はそれぞれの武器を手にして対峙した――