神と幽霊
検定試験が終わりました。
今月はハッチャケます!
目標は長編10話更新、短編2話投稿!
軋む扉をゆっくりと開けると初めに古い木と埃の匂いが鼻を通った。
中に目をやると埃に覆われた板張りの床に目が付き、店の中心にそびえ立つ堂々とした大木をそのまま使った柱がこの店の年季を語っている。
店の右側のカウンターになっており、カウンターテーブルも埃は被っているが破損は無い。
店内のほとんどのテーブルや椅子は撤去されており、いやに広く感じる。
窓は板で塞がれていたために薄暗いが天窓からの降り注ぐ光がこの店を何処か幻想的な雰囲気を醸し出していた。
「なんでかはわからないけど…すごいな」
「うん。なんか不思議な感じがする」
2人はその店の雰囲気に魅了されていた。
なにかはわからないが人を引き付ける《何か》がこの店にあった。
2人があちらこちらに目線を向けている間にリンは店の奥に足を向ける。
歩くとその足跡がまるで雪原の様にくっきりと埃の上に跡を残している。
キシッ、キシッと音を立てる床。
断続的な音が途端に止んだ。
「…ネコちゃん」
店の中心の柱の影からリンの呟く声が聞こえた。
その声を聞き、2人もそこに向かう。
「いたのか?」
問いかけるクロトスにリンはカウンターテーブルの一角を指差す。
点々と小さなネコの足跡の先にいたのは足から血を流す純白のネコ。
それはこちらをじっと見ていた。
そのネコは流れる血と同じ紅い目をしており、こちらを警戒しているのか微動だにしない。
一歩、リンが足を前に出すと威嚇のために唸りだした。
身を震わせ、己が心を強く、相手を拒絶する。
さらに一歩、リンは臆することなく、前に足を出す。
2人はリンにネコを任せ、見守っていた。
リンはネコの前まで身を近づけ、ジッと目を見つめる。
「…怖くない」
そっと、リンがネコに手を伸ばした。
ネコのすぐ手前まで手を伸ばし、そこで手を止めてじっとネコを見つめる。
「…怖くない」
ネコは何かを察したのか威嚇を徐々に治めていった。
そして、じっとリンの目をただ見つめる。
しばらくの間、1人と1匹が見詰め合っていた。
廃墟と化した薄暗い店のカウンターで見詰め合うネコと少女。
天窓から注がれる光に浮かぶ黒いメイドの少女と純白のネコ。
それはさながら1枚の絵画をような光景であった。
その永遠とも思える一瞬。
ネコは小さく鳴き、リンの伸ばした手の指を舐めた。
「…ありがとう。信じてくれて」
リンは白いネコを柔らかく抱き、微笑んだ。
黒いメイド服に黒髪、黒目のリンが白いネコを抱く姿は見守っていた2人の目を緩ませる。
「よかったね、リン」
「…うん」
ティニアの言葉に頬を赤く染め、きゅっと白いネコを大事そうにかかえるリン。
クロトスはリンの抱くネコに顔を近づけ、ジロジロと観察する。
「珍しいな。白くて赤目のネコなんて」
「病気なのかしら?」
そう言ってネコの頭を撫でるティニア。
ネコはその手を気持ちよさそうに受け入れていた。
どうやらリンの仲間である2人も受け入れてくれたようだ。
「…生まれつきだって。」
薄暗い部屋の中でボソッとささやくリン。
廃墟、少女、長い髪、囁くような声。
まるで幽霊だな。
そんな失礼な事をクロトスは心の中で思った。。
「何でわかるの?」
「…そう言ってるから」
ティニアの質問に先ほどと同じ抑揚のない口調で返すリン。
リンはそういうがここには3人以外は誰も姿が見えない。
しいて言えばネコのみ。
「えっと、誰が?」
ティニアの当然とも言える質問。
リンは片手に猫を持ちかえ、空いた手をスッと持ち上げる。
「…そこの人」
リンが指差した先には埃だらけの椅子が1脚だけポツンと置いてあるだけだった。
「誰もいないじゃないのよ」
唯の椅子である。
ティニアにはそうとしか見えなかった。
ただ、一方のクロトスは驚愕とも言える声を上げた。
「リン、見えるのか!?」
「…昔からそうなの。クロにぃも見えるの?」
リンとクロトスに通じ合った何か。
ティニアは目を細める様に椅子を見るが何処をどう見ても椅子である。
何処にでもあるような木製の椅子。
埃を被ったそれは少々傷や染みもあるが特に変わったところは無い。
「何がなの?椅子しかないじゃない」
何か頭を抱える様に考え込んでいたクロトスはそのティニアの声に顔を向けた。
「お前は見えないんだな?」
「だ〜か〜ら〜っ!何がって!?」
確認するようなクロトスに少しいらだってきたティニア。
自分だけ解らない、仲間はずれの様な自分。
それに不快な思いを感じた。
それを感じたのかクロトスは…
「今見えるようにしてやる」
そう言った。
なぜかその言葉に慌てたのはリンであった。
それはまるで有り得ない事を見たような驚愕。
「…できるの?」
「秘密だぞ」
クロトスは椅子しかない場所に近づく。
そして、そこにいる《何か》に触れるような仕草を行う。
そしてイメージするのは薄い布のようなもの。
何かを包み込むようなそれはその《何か》の形を浮かび上がらせる。
そんなイメージを思い浮かべる。
「【万物創造 《具現》】」
椅子の周りが輝き、光が収まるとそこに一人の男性が座っていた。
50代ほどの男性でバーテンダーの服を着ていた。
ティニアには突然現れたように見えたが実際はクロトスたちが店に入った時からそこにいたのだ。
ただ、見えなかっただけ。
ただ、感知できなかっただけ。
そういう類の力が無いと見えない。
彼はこの世に存在しないはずの者だから。
「ゆ、ユウレィ…」
クロトスが力を使ってティニアにも見えるようにしたが彼女は怯えていた。
青白い体で向こう側が透けており、足も無い。
クロトスも見た目を生きていた時と同じにもできた。
しかし、それでは幽霊らしくないという拘りのためにわざわざ、この形で具現したのである。
その幽霊の彼は何かに気づいたかのように自分の両掌を見つめ、自分のお腹に目を移し、なぜか子供のようにはしゃぎ出した。
「《おおおおおおぉぉぉぉぉぉぉ〜〜〜〜〜〜〜っ!》」
そう叫びながら空気がもれ出した風船のように店中を飛び回る。
実にハイテンションな幽霊であった。
暫く飛び回っていた幽霊だが急に空中でなぜか煙を出しながらブレーキを掛け、3人の目の前にドリフトをしながら止まった。
「《すごいんですねぇ〜。見えるだけでもすごいのに他の人にも見えるようにするなんて。さぞ、名の知れた魔術士なのですね》」
その声は近くで聞こえているのに遠くで聞こえるような不思議な声であった。
「昔から器用なんでね。勉強以外はある程度できるんですよ」
「…十分すごい」
やれやれと溜息を吐くクロトスに驚愕するリン。
「《いや〜、長年この店で働いていましたが今までお会いした魔術師の中ではダントツの実力ですよ》」
「…尊敬する」
「いや〜、照れるな〜」
どのような存在であろうと褒められても悪い気はしないらしい。
2人の絶賛とも言える評価に本気で照れている。
呆気に取られていたティニアはようやく覚醒。
頭を振って立ち上がると
「なんであんた達は普通に幽霊と話してるのっ!?」
吠えた。
その声に振り替える2人は悩みだした。
「いや、なんでって言っても…」
「…なれてるので」
力が抜けたのか尻もちを付くティニア。
そこに幽霊はギュンッと弧を描くような軌道を凄まじいスピードで近寄ってきた。
そして、真白に輝く歯(生前)を輝かせて笑顔を向けてきた。
「《若い子が小さなことを気にしちゃいけませんよ》」
「十分大きいわよ!」
「大丈夫だって。害はないから(…大半はな)」
ボソッとクロトスが何かを呟いたようだがティニアの耳には入らなかったようだ。
「《私はどこにでもいる自縛霊ですよ》」
「そんなのいないわよ!」
首を傾げて自身を指さす幽霊。
その存在を否定するティニアの服の端を引っ張るリン。
それに気付いたティニアはリンに顔を向ける。
「…お城にも何人かいる」
「言わないで、リン!怖くなるから!」
クロトスは2人を無視し、幽霊に話を聞きだし始めた。
正直、早く他の物件も見に行きたいだけなのだが。
「あんたはこの店の店主だったのか?」
「《ええ…。ですが、去年に心臓をわずらってそのまま…》」
ヨヨヨッと涙を流しながら崩れ落ちる幽霊。
3人はこのハイテンションな幽霊に不快感と言えばいいのか、言うなれば『ウザい』と感じてしまう。
「ずっとこの店にいたのか?」
殴りたくなる感情を抑えて、クロトスがそう問うと霊はポケットからメモ帳のような物を取り出した。
それはマスターの霊と同じく透けているメモ帳で彼はそれをペラペラと捲りだす。
「《ん〜、たまに町に散歩に行きますがだいたいは家にいますね》」
その言葉に3人は疑問を持った。
3人は顔を見合わせるとクロトスが代表で質問した。
「自縛霊じゃないのか?」
「《自縛霊ですよ?》」
顎に人差し指を当てながら首を傾げる50代の男性。
正直、見苦しい。
「自縛霊っていうのは未練があって因縁のある場所に取り付く幽霊のことを言うんだぞ」
目を見開く様に驚く幽霊。
初めて知ったようだ。
「《そうなんですか?じゃあ、やめます》」
「どっちなのよ!?」
あっさりと己の存在を捨てる幽霊につっこむティニア。
幽霊に対する恐怖はもはや消えていた。
「《未練はあるんですが店に未練は無いんです。十分満喫しましたし》」
そう言って彼が笑顔を浮かべた。
充実感に満ちた笑顔、満ち足りた微笑み。
「…何が未練なの?」
リンの言葉にその笑顔に陰りが出た。
苦笑い。
その笑顔を向けた先には…
「《…貴方が抱いてるネコですよ》」
そう言って透けた指でリンが抱いているネコを指差す。
「…このネコちゃん?」
リンがネコの顔を覗き見るとジッと大人しく、リンに身を任せていたネコはリンの目を見つめ返した。
「どういうことだ?」
「《このネコは私の唯一の家族なんですよ。1人身の私にはこの子が私の心の支えでした》」
霊はリンの傍に近寄り、ネコに手を伸ばす。
生前もよく撫でていた頭。
それが今はどんなに優しく、強く撫でようとしても触れることもできない。
通り過ぎた己が手のひらをジッと苦笑しながら見つめ、再び、言葉を紡ぐ。
「《しかし、私が死んでからこの子は1人で生きていかなければならず、外で生きようにも変わった見た目から他のネコには苛められ、人間にも気味悪がられてしまって…》」
「…かわいそう」
リンがネコの頭を撫でるとどこか悲しそうに鳴くネコ。
悲しいのは生まれながらに異端、誰にも受け入れなかった事か唯一に受け入れてくれた彼に撫でられることが無くなった事か。
「このネコが心配で成仏できなかったのか?」
「《ええ。私に出来ることは…》」
何処からか流れるのは笛の音。
室内なのに何処からか風が吹き、彼の周りにはポツリ、ポツリと青白い鬼火が現れる。
「《この子に害をなす者の枕元に立つことしか…》」
「呪ったの!?」
恨み辛みを乗せた怨念に満ちた声。
それを聞いた事でいまさら恐ろしくなったのか音を立てて後ずさるティニア。
しかし、幽霊は大声でそれを否定する。
「《とんでもない!毎日枕元に立って朝までこの子の素晴らしさを教えてあげただけですよ。この子は私が店に入ると鳴いて挨拶してくれるやさしい子だとか、毎朝顔を舐めて起こしてくれる面倒見のいい子だとか、この子の美しさとかなどもう色々と!この白い毛並みの艶!肌触り!色!そして、この宝石のように美しく、炎のように赤い目!実にすばらしい!》」
白いネコについて熱く語る幽霊のバックにはゴウゴウと燃える炎が見える。
いや、鬼火が霊に呼応するかのように真っ赤に燃えあがっていた。
その光景に3人どころかネコすらも引く。
さらに言葉を続ける霊に3人は顔を寄せ合い、こそこそと会話を交わす。
「(ちょっと!幽霊ってもっと暗いものじゃないの?幽霊にしてはテンション高すぎるわよ?)」
「(たまにいるんだよ。開き直って、無駄に元気な幽霊らしからぬ幽霊が)」
「(…生前より元気なのもいる)」
そう言って肩を落とすクロトス、リン。
2人ともそう言った霊にいい思い出が無いようだ。
こそこそと会話中の3人を余所に霊はさらにヒートアップしていた。
「《そもそもネコというものは……あっ、すみません!この子のことになるとつい熱くなってしまいまして…。昔はそれでネココンマスターって言われてしまって…》」
彼はその言葉を皮切りにシュンッと体を小さくする。
比喩ではなく、本当にサイズが見る見るうちに半分以下になり、さらに小さくなっていく。
「…クロにぃ。ネココンって何?」
「たぶん、ネココンプレックスの略なんじゃないか?」
クロトスとリンの会話が耳に入ったティニアも会話に参加した。
「じゃあ、ファザコンやロリコンっていうのもその仲間なの?」
ガキンっと音を立てて石になるクロトス。
確認するがティニアはこの国の王女である。
王族、貴族、御姫様…、少なくとも日常会話に入る言葉ではない。
「…おい。一国の姫がなんでそんな言葉を知ってる?」
普通は周りがその手の情報は退ける筈の言葉。
では、なぜに同じ王族のクロトスが知っているのか。
言ってしまえば彼は『王でありながら不良』であるから。
王族は仕事を抜け出して賭博場には行かない。
大敗したからと言って一日中、酒を飲んだりしない。
後日、胴元のイカサマが発覚したからといって数日間行方不明になり、ある日、血まみれになりながらも笑顔で堂々と帰ってきたりはしない。
ともかく、ティニアは何でもないかのようにその理由を口にした。
「小さい頃にパパが教えてくれた。《ティニアは将来はファザコンになりなさい。パパはロリコンだからティニアはファザコンだな。小さいころから大人になった娘と一緒にお風呂に入ったり、一緒の布団で寝たりするのがパパの夢だったんだ!》って言ってママにボコボコにされてたわ」
…いいのか、これでこの国は?
そう思い、頭痛で頭を押さえるクロトス。
視界も滲みだしてきた時、くいっと袖を引っ張られた。
見るとリンがこちらに顔を向けていた。
「…クロにぃ。ファザコンって何?」
クロトスの頭にさらなる頭痛が襲った。
「…リン。世の中には知らない方がいいこともあるんだよ」
何とか崩れ落ちそうな自分の体に鞭を打って言葉を紡ぐ。
「…ロリコンも?」
「リンの場合はむしろそっちの方が知っちゃ駄目!」
クロトスの危機迫る剣幕に後ずさるリン。
「…………わかった」
かなりの間があったが了承の言葉を聞き、表情を緩めるクロトスを見て、ホッと胸を撫でるリンであった。
「《あの〜。それでお願いがあるのですが》」
恐る恐る幽霊は会話に入ってきた。
というか自分そっちのけで会話を進めされて寂しくなったようだ。
「…何?」
リンが聞きなおすと幽霊は身なりを正し、その場でスッと頭を下げた。
彼は深々と頭を下げた状態で今までとは打って変わって真剣な声色でクロトス達に懇願した。
「《このネコを飼ってくれる方をさがしてくれませんか?》」
彼はネコの身を案じていた。
ネコは彼にとって友。
いや、家族であった。
その身が異端のために、色が違うというただそれだけのために生きることすらままならぬ。
その身を念で縛られ、拘束された霊。
彼にとってその念、鎖は『家族の心配』だった。
「そうしたら安心できるのか?」
クロトスの言葉に顔を上げた彼の顔は真剣である。
必死に、祈る様に射抜く様にクロトスと目を合わせる。
「《はい。お願いします》」
スッとティニアに視線を移すクロトス。
「兵士やメイド達に聞くことはできるけど…」
そう言ってぶつぶつ言いながら指を一つずつ折っていく。
動物好きはもちろんの事、それにより仕事に支障のでないであろう人選。
「…姫様」
いくらか候補を絞っていたところに掛けられた呟くような声。
「何、リン?」
「…私が……飼ってもいいですか?」
ジッと言葉と共に眼で訴えている。
ティニアも最初にリンを候補には挙げていた。
リンとネコに出来た縁。
彼女のためにもそれが一番良い形にはなるであろう。
だが…
「あなたはお城に住み込みでしょう。…さすがに、お城ではさすがに飼えないわ」
そう言葉にするティニアとギュッと唇を噛み締めるリンは寂しそうにじっとネコを見つめる。
心なしかネコのほうも寂しそうな目をしていた。
見つめ合う3人を見て、クロトスは誰にも気づかれないように溜息を吐いた。
頭を軽く掻き、思案するかのように目を瞑る。
そして、しばしの沈黙の後に目を開くと彼は提案を口にする。
「取引しないか?」
目線がクロトスに集まった。
クロトスの目線の先にいたのは…
「《取引ですか?》」
霊である彼。
微かに頷くクロトスはピッとリンが抱くネコに指を指す。
「俺がこのネコを飼う」
その言葉に目を見開く霊。
眼には歓喜の色が浮かんでいた。
「《本当ですか!?》」
そういって興奮のために顔同士が接触するぐらいにクロトスに迫る霊。
あと数センチで色々とやばい状態になるという所でクロトスの右足が跳ね上がり、ピンポイントに霊の顎に直撃。
霊体の身を難無く蹴りあげ、その衝撃で吹き飛んだ霊は天井に直撃…というかの所で天井をすり抜けた。
そのまましばらく落ちてこなかったが心配は誰もしなかった。
遠くの方から《ひゃほほ〜〜いっ!》とか《ウキャキャキャキャッ!》とか実にうれしそうな奇声が聞こえていたからだ。
「…いいの?」
リンの不安や喜色が混じった瞳で問いかける姿に苦笑を浮かべるクロトス。
ポンとクロトスはリンの頭に手を置いた。
「俺じゃいやか?」
笑みを浮かべて優しく問いかけるクロトス。
そのクロトスの問いにリンが顔をブンブンと横に振る事で否定し、それがクロトスにまた苦笑を誘った。
「…うれしい。ありがとうクロにぃ」
涙を浮かべるリンにクロトスは頭の上に乗せていた手を除け、その場から一歩引く。
それに入れ替わる様に歩み寄ったティニアは屈んでリンに視線を合わせる。
そして、そっとリンの涙を自分の指で拭ってあげた。
「よかったね、リン」
「…はい、姫様」
微笑みを浮かべる2人を見ていたクロトスはいつの間にか隣にいた霊に目線を向けた。
霊もその視線に気づき、笑みを浮かべ、クロトスと向き合う。
「《それで私は何を差し出せばいいんです?取引ということは私は何か差し出さなければならないいでしょう?》」
「話が早いな」
「ちょっと!幽霊にまで何か要求するの!?」
ティニアにはクロトスが相手の弱みに付け込んで取引しているように見えるのだろう。
まるで先日のモンスターとの戦い時のように。
しかし、これはクロトスが己に戒めた制約であった。
彼が神力を使う時に自分で決めた条件。
彼の神力を多用すると世界が混乱する恐れがある。
それだけ彼の神力は世界に対する影響力が強い。
だから彼自身以外のために使う時は取引を持ちかける。
彼自身にも相手にも制限をかける。
自分が傷つく覚悟があっても叶えたい《何か》がある者にしかこの力を使わないと決めていた。
「《幽霊の身ですから差し出せる物なんてありませんよ?》」
全てを失った存在。
いや、己が存在すらも失ってしまった化け物。
残ったのは己が身を縛る鎖のみ。
しかし、彼にもまだ残っている物はあった。
「大丈夫。俺が欲しいのはあんたの《許可》だ」
己が意思、己が意思を音で他者に伝える声。
彼に残っている唯一と言っていい程の物だ。
「《何を許可すればいいんですか?》」
「俺がこのネコを飼う代わりにこの店を継ぐあんたの《許可》が欲しい」
それは誰もが思ってもいなかった契約であった。
「《えっ!?》」
呆然とし、固まった霊。
その眼は驚愕で目を大きく見開き、驚きの程が覗える。
「ちょっと!まさかここに住むの?」
ティニアが慌てるのも無理はなかろう。
廃墟同然のここに住むというのだ。
利点などあるはずがない。
「そうだが?」
それを何てことが無いかのように肯定するクロトスに詰め寄るティニア。
「今までにもっと綺麗で広い家もあったでしょう?なんだってこんな埃だらけの場所になんか…。」
ここよりも広い家、きれいな家、豪華な家。
此処以上の場所はクロトスにはあった。
「このネコにとってここが《家》だからだ」
「えっ?」
ただ、このネコには此処以上の場所は無いのだ。
それがクロトスが持ちかけた契約の理由だ。
「このネコだって主人が亡くなっているのにこうやって足を引きずりながらもこの店にやってきた。このネコにとってここが家なんだよ。だったら、ここで飼うほうがネコにとっても幸せだと思う。それに、この幽霊だって本当にこの店に未練が無いならここにいないだろ。だから、この店を俺が継いだら安心できるだろ?…俺も喫茶店って興味あるし」
照れ隠しのように一言付け足し、顔を赤くしてそっぽを向くクロトス。
袖が引かれ、顔を向けるとリンがひしっとクロトスの腕に抱きついていた。
肩が震え、顔は見えないが髪の間から見える小さな耳は赤く染まっていた。
「《あ、ありが…とう…ござぃます》」
一方、霊は感涙の涙を流していた。
今日初めてあった人がここまで理解してくれる。
自分のために、もう1人の家族のためにここまで考えてくれる。
肉体を失った筈の己の身にあるはずもない胸が血が滾る様に熱くなる。
「どうだ。条件には不満か?」
涙を拭い、地に頭を擦りつける様に懇願した。
「《ぜひ……ぜひお願いします!貴方ならこの子を任せられます!》」
その様子を慌てて止めようとしたクロトスはフッと何かに気づいたかのように周りを見渡す。
そして、ニヤッとまるで悪戯を思いついた子供のように笑みを浮かべると肩膝をつき、霊に手を差し伸べる。
「あんた。俺の手を握れ」
突然言われた言葉に霊は感激による混乱で特に意識もせずに言われた行動に従う。
「《こうですか?》」
幽霊がギュッとクロトスの手を握った。
先ほどの霊を蹴り上げたことも含めると、彼には霊と接触できる力があるようだ。
クロトスは霊の目をじっと見つめ、まるで暗示をかけるかのように一つ一つの言葉を霊に語る。
「目を瞑って、生前のこの店の光景を頭の中で思い浮かべろ。物の配置を特に」
「《…はい》」
スッと目を閉じ、念じるその姿は何処か神に祈る姿に似ていた。
「その色。その模様。その傷。その細部に至るまで鮮明に」
「《……はい》」
クロトスはティニア、リンにもそれぞれに目線を移した。
しかし、その眼は今まで見た事は無かった。
何か別の何かを見る様な。
まるで別人であった。
「お前らも目を瞑ってろ」
その声は無機質な空白な印象がした。
声を聞いた瞬間、背筋が冷たくなる怖さがあった。
「何をするの?」
恐る恐る聞いたティニアの声は震えていないだけ上等であった。
さすがに王族と言ったところか。
「契約の印だ」
それ以上は語る事がないという様に目線を逸らすクロトス。
「よくわからないけど目を瞑ればいいのね」
「…これでいい?」
全員が目を瞑ったことを確認してからクロトスは意識を集中する。
クロトスの頭に霊と握った手を通じて過去の店のイメージが流れ込む。
そして紡ぐは己にのみ許された、世界を従える命令の言葉。
「【万物創造 《回帰》】」