神とアルバイト
「ありがとうございました〜!」
最後のお客が去る時のドアのベルが鳴る音が店内に響く。
闘技大会終了後の店の客足は上々だった。
試合終了時の観客の反応を見ると失敗だったかと思ったがクロトスのネコ姿を忘れられないのか多くの女性客がたびたび来店した。
お客は店内の落ち着いた雰囲気に魅了され、出てきた料理に舌鼓を打つ。
噂が噂を呼ぶにつれて大会終了後のこの1週間でこの町の名物になった。
クロトスは疲れた体に鞭を打って未だに店内にいる客ではない常連の相手をする。
「やっぱり女性客が多いわね。」
ケーキを食べているこの国の王女。
「ネコの中身がバーテンダーのおにいちゃんだって知ったら皆驚いてましたね♪」
イチゴミルクを飲む白い服のメイド。
「…当然。」
ミルクたっぷりのコーヒーのすする黒いメイド。
「…お前ら、いい加減に帰れ。」
「店の手伝いをしてあげたのにその言い方はないんじゃないの?」
「お前はしてないだろう!」
ティニアは苺ショートケーキを食べ終わり、モンブランに取り掛かる。
ちなみに、このケーキで14皿目である。
外は夕焼けを過ぎた暗闇。
この国の王女がお忍びでこの喫茶店に来ていることは城の皆が知っているが遅くまでいると心配するだろう。
王女を毎日のようにこの喫茶店に行く事を許している王様と王妃も寛大というかなんというか…。
この1週間はリンとエルには喫茶店のウェイトレスをしてもらっている。
王女専属のメイドだけあって、てきぱきと仕事をこなす。
おかげでクロトスは料理に集中することができ、店の味を落とす事も無かった。
「あんたもすっかり喫茶店のマスターね。」
「そりゃあどうも。それと、いいかげんにしないと太るぞ?」
クロトスが指をさした先にはティニアの16皿目になるアップルパイがある。
最後のひとかけらを口にしようとした時にティニアの動きがピタッと止まる。
その後、視線を漂わせていたティニアは冷や汗を浮かべる。
「えっと…甘い物は別腹だから太らないのよ。」
「どういう理屈なんだ?」
「…乙女の神秘という乙女の体のブラックボックスよ♪」
訳のわからないごまかしをするティニアは最後の1口を口にする。
「んっ〜♪本当においしいわね♪」
至福の表情を浮かべるティニアに太りやすくなる呪いをかけてやろうかと考えるクロトス。
「…でも、最近は料理目的の男性のお客様も増えましたね。」
リンの言うとおりに最初は女性客が多かったが料理の噂が広まりだし、徐々にではあるが男性客が増えだしていた。
「おかげで大忙しですね。」
エルはイチゴミルクを飲みながら言う。
特に今日は休日ということもあり、多くのお客が来たためにウエイター2人は大忙しであった。
本当はティニアも手伝うつもりであったのだがリンの説得により却下された。
そもそも、王女を手伝わすなどメイドの2人が許すわけもなかった。
「おにいちゃん。私達も毎日は手伝えないからバイトを雇った方がいいんじゃない?」
「…賛成。クロにぃだけじゃ大変。」
実際にベテランのメイドの2人が手伝ってギリギリなのである。
エルの提案にリンが賛成したことも当然である。
「バイトか…。中途半端や興味半分だと困るしなぁ。」
「半端な人だと逆に邪魔になるんじゃないの?」
クロトスとティニアは難色を示す。
確かに提案には賛成だが今の業務をこなせる人物はそうはいない。
しかも、王女がたびたび来るので口が堅く、信用のできる者となると…。
「お城の人を派遣…は無理ね。」
「無理ですね。」
「…大会期間中は皆忙しいです。」
大会運営に城の人は朝早くから夜遅くまで仕事をしている。
メイド2人は王女の専属であるために王様と王妃の許可を得て、ここにいる。
3人には心当たりはいない。
クロトスにもいるはずがない。
この世界に来たばかりのクロトスには知り合い自体少ない。
数少ない友人も目の前の3人ぐらいである。
…【この世界】には……。
「でも、帰れないしなぁ〜。」
手助けを呼ぼうにもクロトスはこの世界から出る方法がわからない。
色々試したが出る事は出来なかった。
クロトスはコップを磨きながらアレコレと考えるが良いアイディアは出てこない。
「国外から派遣してもらう?」
「姫様、信用の出来る者で仕事の出来る者となると…。」
「…難しいですね。」
3人がアレコレと考えてくれるがクロトスが窓の外を見ると完全に日が暮れていた。
「今日はこれでお開きだ。あまり遅いとお城の皆が心配するだろう?」
「そうね。じゃあ、今日はこれで。」
ティニアはテーブルにお金を置くと3人はドアへと向かう。
「おにいちゃん。私達もできるだけ手伝いには来るけどアルバイトの事は考えた方がいいよ。」
「…お城の人にも声をかけとく。」
「ありがとうな。リン、エル。」
クロトスはリンとエルの頭を撫でる。
リンは顔を真っ赤に俯き、エルは照れくさそうに笑いながらうれしそうに撫でられる。
「私にはお礼は言わないんだ…。」
ティニアはリンとエルの様子見て微笑ましく、やや嫉妬を含みながらクロトスに言う。
ティニアの言葉に苦笑しながらクロトスはティニアの頭を優しく撫でる。
「ティニアちゃんもいい子でしたねぇ〜♪」
真っ赤になったティニアはクロトスの足を踏もうとするがクロトスがすかさず足を引いたために空振りに終わった。
「リン、エル!帰るわよ!!」
怒るというよりもすねたティニアを見たメイド2人は苦笑しながらクロトスに手を振りながら店を出た。
クロトスは店の戸締りをして明日の準備をする。
準備を終えたクロトスは自分用にコーヒーを入れてカウンターで一息つく。
足元にはウルがクロトスに甘えている。
クロトスは足元からウルをカウンターに乗せる。
「ウル。アルバイトを雇おうかなって思うんだ。けど、色々と難しいんだよね。」
ウルは尻尾をフリフリと揺らしながらクロトスの言葉に耳を傾ける。
「俺はこっちに来たばかりだから知り合い自体少ないからなぁ。」
クロトスはコーヒーをすすりながらため息を吐く。
「神界から応援を呼べればいいんだけど…あっちの世界に行けないからなぁ…。」
クロトスはカウンターに突っ伏す。
ウルは励ますようにクロトスの指先を舐める。
クロトスがウルを撫でると気持ちよさそうに喉を鳴らす。
「なんとか応援を呼べたらなぁ〜…。」
クロトスは何度か魔法や力で元の世界に戻ろうとはしたが世界同士の境界線ではじき返される。
何度やっても出る事はできなかった。
………【出る】事はできなかった…?
「……ウル。もしかしたら、何とかできるかもしれないぞ!」
ウルは小首を傾げるがクロトスは店の中心にある柱に駆け寄り、柱を3回蹴る。
そして、なにやら普通の人では発音すら難しい呪文のようなものを唱える。
すると、柱を中心に直径2mほど穴が床に空いた。
その穴は底が見えず、深い闇が続いている。
「ウル。ちょっとだけお留守番を頼むよ!」
そう言って穴に飛び込むクロトス。
店にはウルの了承を伝えるかのような泣き声が響いた。