4-最終話-
教室では、まだわたしの話題が尽きることなく語られ、よけい足が震えた。
廊下の掲示板を杖に、体を支える。
「……ってさ、久住。やめとけって」
「そんなことないよ。ぼくの責任もあるから。彼女、放っておけない」
ううん、久住くんは責任なんてないよ。
(知らない間にタマゴが割れたのはね)
わたしの声が聞こえる。
と同時に、足音が聞こえた。
どっ、どうしよう。まだ、歩けない。
(記憶を失っても)
ぎゅっ、とわたしは自分の体を抱いた。
足音は、教室から出てきた二人組だった。
「げっ。も、元村……さん」
小学校のときに、ずっと同じクラスだった、佐野くんが、わたしの顔を見た瞬間、一歩後ずさりする。続いた久住くんは、驚きもせず、二コリと微笑んだ。
(久住くんを好きになったという証拠)
「あれ? 元村さん。あっ、もしかして、断りに来たとか、かな?」
笑った顔を保ったまま、久住くんはわたしに近づいてくる。
「ち、ちがうの。あのね、わたし、思い出したの。それでね、あの」
一瞬、凍ったように動かなくなる。
「あ、邪魔かな、おれ。じゃ、退散するよ」
あははは、と笑いながら、佐野くんは走り去った。
「き、記憶戻ったって、ほんと?」
久住くんの声が、すこし裏返った。
(あのタマゴを割ることができるのは)
「うん。だから、わかるよ。久住くんがわたしとつきあえないこと」
「い、いや、それは……」
「? あっ、でもいきなり好きはマズイよ。勘違いしちゃうもん」
「も、元村さん。だから、ちょっと待ってって」
久住くんは、あわててわたしを止めた。
「ぼく、小学校のときは好きって気持ちわかんなかったんだ。美園に、いつも一緒にいたいっていう気持ちは好きと同じよ、そう言われて、納得していた。でも、彼女と一緒にいるだけで楽しかったけど、なにかが違った。……あれから、元村さん……君のことが頭から離れなくなった」
「……美園ちゃんと、わかれたの?」
「結果的にはね。お互い、好きな人できたんだ。好きってさ、ずーっと、一緒にいたいな、この人の笑顔をずっと見ていたい、守ってあげたい……そう思えることじゃないかな、そう思った。ぼくはね、元村さんと、そういうふうになりたい」
なんだか、とても幸せな気分になった。
「わたし、記憶がなくて、久住くんのこと知らなくても……」
言葉を切って、わたしは深呼吸する。
「久住くんに、また恋をしちゃった」
(恋する心だけ……)
「……ありがとう。元村さん。それって、つきあってもらえるって思っていいの?」
ゆっくりと、わたしはうなづいた。
「よかった。いまいち、恋愛感情がわからなかったとはいえ、あのとき君を悲しませたのは事実だから、正直言って、許してもらえると思ってなかった」
何を言えばいいのかわからなくて、ただ、久住くんを見つめていた。
「元村さん……これからは、多恵子って呼んでもいいかな?」
「え? あ、う、うん。いいよ、久住くん」
「ぼくのことは、康之って呼んでもらえない?」
「ほえ? ど、努力してみるよ」
なんだか、心の中がぽかぽかしてくる。
「これからは、一緒に帰ろう。今日は、その……美園が会いたいって言ってきたんだけど、いいかな?」
「うん」
また放課後ね、と言って、久住くんはわたしから離れた。
苦しくても、つらくても、悲しい記憶は、わたしだけのもの。捨てたいなんて、言ってごめんね。
放課後。校門に、見なれた少女がいた。
「今までごめんね。美園ちゃんっ」
わたしは、美園ちゃんに抱きついた。離れて見ると、彼女の大きな瞳から一粒の涙があふれ出ている。
「思い出したんだね。よかった」
「あっ」
間髪を入れず、わたしは叫ぶ。
「どうしたのよ」
「多恵子?」
ふたりの不思議な顔色が、わたしを見た。
「今、美園ちゃんに抱きついたのって、わたしにレズの気があるわけじゃないからね」
「はぁ?」
ふたりの声が重なった。
「だから、わたしはレズじゃないって……」
「あたりまえだろ」
「そうよ。ったく、あんたって、記憶戻っても、そのボケは直らなかったのね」
「えー。わたし、ボケてないよ」
もう知らない、と美園ちゃんはどんどんと先に行ってしまう。彼女の瞳には、笑顔が戻っていた。
「ボケてるって言うか、ズレてると言うか」
「久住くんまでー」
「あっごめん。それより、早く行こうぜ」
「う、うん」
「多恵子……ほらっ」
そう言って、久住くんは右手をさし出した。
すごく勇気がいたけれど、わたしは思いきって、手を握る。
久住くんの手のひらは、思ったより暖かくて、大きかった。
「あ、ありがとう。……や、康之」
一瞬、驚いた表情になったけど、すぐに康之は笑顔になった。
ふたりで手をつないだまま、美園ちゃんの背中を追いかける。
康之とこの先ずっと、このまま手をつないでいけたらいいな。
彼の温もりを感じながら、わたしはそう思っていた。