表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
割らないタマゴ  作者: 那結多こゆり
3/4

 窓から入ってくる風が、とても気持ち良い、小学校最後の夏。初夏。


「どうしたんだ?」

「その、つ、つきあっている人、いるの?」


 久住くんは、一瞬、驚いた顔をしたあとで、やさしく微笑んだ。ポロシャツの三つあるボタンを外し、肌が見えた。


 かっこいい。


 返事を待つわたしは、久住くんの顔や体を見ながら、熱でもあるかのように顔を真っ赤にしていた。


「え? いないよ」

「ほ、ほんとっ」


 自分がロケットになって、このまま彼と飛んで行きたい心境だった。

 しかし、久住くんは待って、とわたしに手のひらを見せる。


「あの、ね、元村さん」

「久住くん。つきあっている人いないなら……」

「とっても、うれしい。ぼくはまだ、好きと言う感情はわからなくて。ただ、いつも一緒にいたいなって思う人はいる。だから、ごめん」

「え、それって、彼女にしたい人がいるってこと?」

「だから、自分ではわかんないんだ」


 そう言ったっきり、久住くんは口を開けようとはしなかった。


 どうして?


「なにやってんのよ、多恵子」


 くるくると軽くパーマのかかっている髪を耳にかけながら、美園ちゃんは教室に入って来る。


「えっ、そのね。わたし、久住くんのことが、えっと、す、好きで。前に、言ったよね。好きな子がいるって」


 彼女は一年生のときから同じクラスで、とても仲良かった。キツイけど、頼りがいのある美園ちゃんは、クラスの人気者。わたしが、恋の相談をしたときには、がんばって、と応援してくれた。


 それなのに……。


「やめてよ」


 ふだんよりも、キツイ言いかただった。


「え?」

「あたしと康之の邪魔しないで」

「だ、だって、久住くんはつきあっている子、いないって」

「ばかね。それはあんたに対する、親切よ」

「やめなよ、美園」

「この子、言わなきゃ知らずに、あたしたちの邪魔してくるわ」

「元村さんは、そんな子じゃないと思うよ」


 いつもと違う、美園ちゃんを見た気がした。

 ドキンドキン。

 心臓が音を立てている。


「とにかく、あたしはいやなの。いーい。多恵子。あたしと康之はつきあってんの。あんたの入る隙間なんて、これっぽっちもないってこと、わかるわよね」

「え? く、久住くんたちつきあっているの? さっきの言葉はうそなの?」

「ごめんね、元村さん。つきあっている人はいない。でも……ぼくは美園ちゃんといつも一緒にいたいと思っているんだ」

「ったく、だから、それがつきあっているってことなのよ。……多恵子、あたし、あんたのこと見そこなった。人の彼氏を奪おうとしたんでしょ」

「つきあってんのしらなかったもの。奪おうなんて、思ってないのに」

「そうだよ、美園。そんないい方、悪いよ」

「そうかな。でもあたし、ムカついちゃうもん! あんたなんか、泥棒だ!」


 み、美園……ちゃん……っ。


「美園!」

「ひ、ひどいよ。それって、ひどいっ」


 わからないまま、わたしは教室を飛び出していた。うわばきのままで、外に出た。


 キキーッ!


 耳が痛くなる音がしてから、わたしは真っ白い靄を見た。

 ……気がづくと、固いベットの上に寝ていた。わたしは、校門を出たあと、右から来た車にはねられてしまったのだ。

 幸い、ケガもたいしたことなくて、三週間の入院で済んだ。


 久住くんと美園ちゃんは、自分たちの責任だと言って、ずっとお見舞いに来てくれた。

 だけど、ふたりに会いたくはなかった。

 ずっと、ずっと拒絶した。

 この苦しくて、辛い想いは、だれが見舞いに来ても、癒すことなんてできない。


 だれか、助けて!

 こんな記憶、いらないっ。

 捨てたい!


(ほんとに、それでいいの)

 心の中で、だれかがわたしに問う。


 いいよっ。あんな悲しい記憶は、なくなってしまえばいい!


(ほんとに、ほんとに?)

 もう一度、聞かれる。


 あたりまえだよ。一番の友達だと思っていた美園ちゃんに、泥棒呼ばわりされるし、久住くんにはふられるし。いいよ。この気持ち、わたしの中から出て行ってほしいわ!


 涙がたくさん出た。

 隣で、お母さんが慰めてくれていた。

 もう、美園ちゃんの顔は見たくない。

 そう思うと同時に、わたしはお母さんに言っていた。


「わたし、私立行く。清純に」

「だって、美園ちゃんと一緒のとこにするって、言ってたじゃない」

「いいの。もう決めた」


 お母さんは困った顔をしていたけれど、わかったわ、と承諾した。

 退院後、わたしは勉強した。

 悲しい記憶を忘れるためにも。


(ほんとにいいのね)

 ときどき聞こえる、もう一人のわたしの声。


 うん。


 その度に、わたしは頷いていた。

 寒いときでも半そでを着て、「暑がりなんだ」と、ウインクして笑ったあの久住くんの笑顔が忘れられない。

 でも、もう忘れてしまいたい。


 小学校の卒業式をあしたに控えた休日。


(じゃあ、記憶消してあげる)

 そう聞こえたと同時に、眩しくて目を閉じた。


 なにも、聞こえず。

 なにも、見えず。


 時間は、数分とも、数時間とも、言えるような感じがする。

 ……。


(もし、記憶を取り戻したかったら、このタマゴを割って)

 わたしがわたしに声をかけた。


 記憶を取り戻す?

 そんなこと、必要じゃないよ。

 だって、今、とっても気持ちいいもん。

 すっきりしたって、感じだよ。

 ……。


 そうだった。あの日からわたしは、すべてを忘れていたんだ。

 久住くんは美園ちゃんと同じ中学だと思っていたのに、まさか隣のクラスにいたなんて。でも、うれしいな。


 ポケットに手を入れると、あったはずのタマゴは消えている。

 割らないようにしていたのに、どうして?


 ザザザザッ


 葉っぱだけになった木々が、風に揺さぶられて音を立てる。

 わたしは、思い出の中から、現実に引き戻された。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ