孤狼6
「なあ、霧島、今 犬神さんがどこにいるか分かる?」
「4階、廊下の南側やな…………ついでに補足すると、教師も2人そこに向かっとるな」
「まずいな。宮内さんの話だと、犬神さんを追い出したいって意見の方が多数派なんだろ。もしその先生に怪我でも負わせたら、格好の口実を与えることになるんじゃ…………」
「そうね、その先生達に見つかる前に、私達で刹那を止めた方が…………」
俺は宮内さんと一緒に、玄関を抜けて階段を駆け上がる。
「霧島、監視システムいじって先生2人を足止めすることって出来る?」
「いやいやいや。無茶言うなや、転校生君。そんなんバレたらワイが退学になるやん。2人に協力するとは言うたけど、ワイに出来るんは2人のサポートだけやで」
「…………そうか。ゴメン」
(しまった。相手の立場を考えて会話しないと…………難しいな…………)
「いや、ええけど…………それと、刹那ちゃん捕まえるんやったら闇雲に追いかけても無駄や。獣化した時の彼女は狼の本能に支配される上、常人離れした嗅覚を持っとるらしいから。近づいてもニオイで察知されて逃げられるで。実際、教師連中も10分間ずっといたちごっこを続けとる状態やしな」
「そうね、前回も刹那を捕まえた時は、先生達が人海戦術で追い込んでいくような形だったわ」
俺達2人でただ追い回しても意味が無いってことか。
じきに他の先生も集まってくるだろうし、それまでに何とかしないと…………
俺は、2階まで登った所で一旦足を止める。
宮内さんも走る速度を緩めて振り返る。
「ねぇ、宮内さん、犬神さんを追い込む場所としてはどこがいいかな?」
そう言われ、宮内さんは顎に手を当て考える。
「…………そうね…………体育館が良いと思うわ。あそこは、とても頑丈に作られているから、刹那が壁や窓を破って、外に出る心配が無いわ」
(え? 普通の壁とかだったらブチ破れるんですか?)
「そない言うても、都合良く体育館に逃げんこんだりはせんやろ」
「…………確かに。何か彼女をおびき寄せるようなものでもあれば…………」
「クシュンッ」
突如、作戦会議に可愛らしいクシャミが割り込む。
「…………ご、ごめんなさい……」
宮内さんは頬を赤らめて、うつむいている。
「少し、体冷やしたんじゃない? パジャマのまま走り回ったから。それにこの校舎、なんか冷たい風が吹いて…………」
そう言いつつ俺は自分の言葉に違和感を覚えた。
(風? 建物の中なのに?)
じっとしていると、わずかに空気の流れを感じる。どこかの窓でも開いてるのかな?
その時、ふと俺の頭にひとつの案が思い浮かんだ。
これはもしかしたら、犬神さんを捕まえる時に有効な要素になるかもしれない。
上手く行くとは限らないけど、悠長に作戦を練っていられる状況でもないしな。
「…………あのさ、2人共。ちょっと俺に考えがあるんだけど」
まずは、簡単に内容を話して同意を求める。
「そうか……それ試してみる価値あるよ、杉原君」
宮内さんは、納得顔で頷いている。
「へぇ…………成程な。やるやないか、杉原クン。この急場にたいしたもんや」
霧島は電話口で、感心しているみたいだ。
「それで、2人にも手伝って貰いたい事があるんだけど」
「……おぉ、仕切るねぇ」
「私は構わないよ。今、私は冷静な判断が出来ないと思うし、杉原君が指示を出してくれるのなら、私はそれに従います」
「ワイも構わへんよ。何かゲームみたいで面白くなってきたわ」
ゲームという霧島の言葉に、宮内さんが何かを言おうとしたようだが口をつぐんだ。
霧島は本当に思ったことがそのまま口に出てしまうタイプみたいだ。
気を取り直して、俺の考えた3人の役割を説明する。
「…………えっ、杉原君、本気なの!? 杉原君が刹那を捕まえるって」
「大丈夫だよ、無策なわけじゃないから。それにこういうのはやっぱり男の役目だからさ」
「何か、刹那ちゃんを捕らえる方法があるっちゅうことか?」
「…………まぁね」
「…………そういうことなら、ワイも自分の分担に集中するから一旦電話は切るで?」
「……杉原君、絶対に無茶はしないでね…………」
「うん。それじゃあ、皆。 さっそく自分の分担に…………」
そう言おうとした時、俺の腹の虫が盛大に鳴った。
「……おいおい、リーダー君。しまらんやないか」
霧島に言われてしまった。頭を使ったせいで、余計に腹が減った。
「ふふ、刹那を無事守れたら、後でお夜食作ってあげるね、杉原君」
宮内さんが、俺を見て微笑む。
お夜食、なんと甘美な響きだろう。
一層やる気が出てきた。
そう言い残した宮内さんは、上階へと登っていく。
俺は一旦、霧島との連絡を絶ち、自分の役割を果たすべく1階東側の体育館へと直行する。
この学校の体育館は校舎から廊下でつながってて、外に出ずに体育館へと行ける。雨の日なんかは、便利だろうな。
俺は体育館へ到着すると、まず校舎側へと通じる両開きの体育館の扉を、犬神さんが侵入しやすいように大きく開け放つ。扉は分厚い鉄製で、彼女を閉じ込めた時これを破るのはさすがに無理だろう。
俺は体育館2階の観客席へと階段で上がり、校庭の照明の光が入らないように窓のカーテンを閉める。
さっき2人に作戦を話している時に宮内さんに聞いたことだけど、犬神さんの獣化現象は精神病なんかの類じゃ無く、いわゆる「霊障」と呼ばれるものらしい。
詳しくは聞けなかったけど、彼女にとり憑いているのは、極めて悪質な動物霊の集合体らしい。
嗅覚が異常に利いたり、常人離れした身体能力を持つようになったのはその影響だそうだ。
照明の光を遮ったのは、夜行性になっている彼女が体育館に入りやすくするため。
そして今度は裏庭へとつながる扉を開け放つ。かなり大きな扉で、風通しが良くなった。これがこの作戦の重要な鍵となる。
これでひとまず準備は整った。
後は、犬神さんがこの檻に入るのを待つだけだ。
俺は裏庭につながる扉のすぐ傍にある壇上への階段に身を隠しながら、ひたすら待つことにする。
でも、夜の体育館というのは不気味だ。
静寂に支配された館内には、何やら薄ら寒い空気が流れている。
…………………………………………何か、寂しい。
どれくらい経っただろう。
突如体育館入口に向かって、獣が地を駆るような足音が響く。
程無く、赤い影が勢い良く館内へと侵入する。
犬神さんだ!
昼間見た、赤いジャージを着用している。
しかし、昼間の姿とは明らかに違う。両手を地につけ、まるで犬のような四足歩行。そして、地面に顔を近づけニオイを嗅ぐような仕草をしている。
彼女は、いきなりこちらに顔を向ける。
俺は、身震いした。
彼女の顔つきが、野生の獣そのものだ。
そしてその両眼は、夜行性の獣の様に、体育館にわずかに漏れる月明かりに照らされ薄く光っている。
俺は、蛇に睨まれた蛙のようにその場から身動き一つ取れずに居た。
彼女を追うように、体育館へ向かってパタパタと足音が響く。
今度は白い影が館内へと侵入する。
宮内さんだ。なんとか間に合ってくれたようだ。
宮内さんの姿を確認してから、俺は外へと通じる扉を閉める。宮内さんも俺に倣って校舎へと通じる扉を閉めて鍵を掛ける。
犬神さんが逃げないようにする為と、先生が入って来れないようにする為だ。
少しして、扉の外から2人の教師が話し合う声が聞こえた。
「木嶋先生、彼女こっちの方へ来ませんでしたか?」
「私もそう思って追ってきたのですが、体育館の鍵閉まってますね。夜間、この扉施錠してましたっけ?」
「いや、いつも空いていたと思いますが、でも獣化している彼女が鍵を掛けることは無いでしょうし、また上に向かったんですかね?」
宮内さんは固唾をのんで、外の様子を伺っている。
じきに先生達が2階への階段を上っていく足音が聞こえた。
宮内さんは上手く立ち回ってくれたようだ。
ここまでは、思った以上に上手くいっている。
俺達は、犬神さんを体育館に閉じ込めることに成功した。
話に聞いた通り彼女が狼の本能に支配されるというのは本当らしい。
俺の思惑通り、彼女は風上へと移動した。
学校に限らず建造物というのは設計段階で、建物内の空気の流れを考慮して造られる。この校舎内にも空気の流れが存在し、犬神さんが上階にいたのは多分校舎の下階から上階へと空気が流れ、4階が風上になっていたからだ。
狼は獲物に気づかれないように、常に風上へと移動する習性を持つ。ならば今度は体育館を風上にすればいい。
宮内さんと霧島にはその為に動いてもらった。無駄な空気の流れをつくらないよう、霧島にはいくつかの防火扉を閉めてもらった。
教師に気づかれないように、監視カメラで2人の動きをみながら防火扉を操作する離れ業は彼にしか出来ないだろう。
宮内さんも教師に見つからないように、監視システムで操作できない教室の扉や窓などを閉めてもらい、極力空気の流れを乱さないようにした。そして、外へと通じるこの扉を開け放つことで、体育館を風上にすることが出来たようだ。
宮内さんにはその作業を終えてから校舎側の体育館の扉の傍で待機してもらい、犬神さんが体育館へ侵入してから扉を閉めてもらう役をしてもらった。
犬神さんに近接する為危険はあったが、やはり獣化しても宮内さんのニオイは覚えていたようだ。
だけど、問題はここからだ。俺が彼女を捕らえて地下室へと連れ戻すという最難関が待ち構えている。
もちろんこのまま体育館の中に閉じ込めておけば、これ以上被害は出ないはず。でも、それだと犬神さんが地下室から脱走したまま連れ戻すことも出来なかった静刃先生の管理が問われることになる。
それに、もう一度脱走したら彼女を退学にさせるという意見に力を持たせてしまう。それじゃあ彼女を本当に救けることにはならないよな。
もちろん力づくで彼女を押さえ込むなんて芸当は俺には無理。犬神さんを捕まえるなんて大見得を切ったは良いけど、俺に残された手段は1つしか無い。
昼間、宮内さんの異能を抑えたあの方法。あの時の精神を分離させた感覚はまだ残っている。それさえ出来たなら、きっと何とかなるはずだ。
犬神さんは体育館の真ん中で座り込み、虚空を見つめている。
獣化した状態で、彼女に意識はあるのかな? だとしたら、今一体何を考えてるんだろう。
そんな犬神さんを心配そうな顔で見つめながら、刺激しないようにソロソロと宮内さんが俺の方へ歩いてくる。
「…………杉原君。さっき刹那を捕まえる方法があるって言ってたけど、一体何をするつもりなの? 私に手伝える事があるなら何でもするけど…………」
宮内さんは、俺に耳打ちするようにひそひそ話す。宮内さんの吐息が俺の耳をくすぐる。
「う~んと、何て説明すれば良いか…………簡単に言えば、俺の精神を使って彼女の精神を捕らえようと思うんだ。実は昼間宮内さんを止めることが出来たのもこの方法なんだよ」
「…………そ、そうなんだ…………??」
宮内さんは瞳をパチクリさせている。俺の話を理解出来ないようだ。無理も無いか。話している俺自身が十分に理解出来ていないんだから。
でもゆっくり説明している時間は無い。俺は片膝を立てて楽な姿勢で、壁に寄りかかったまま座る。
宮内さんは、そんな俺の一挙手一投足を真剣な眼差しで見つめる。
口で説明するよりも、実際にやった方が早いだろう。