孤狼2
「はい、私語やめて下さい。古文の授業始めますよ」
次の授業の先生が入ってきたようだ。
教卓の方を見ると、紫色の服が目に付いた。
さっき職員室前で会った、くノ一の先生だ。
先生は少し驚いた顔でこちらを見ていた。
「杉原君? 君、このクラスを選んだの…………?
…………あ、このクラスを選んでくれて嬉しいわ。改めまして、異寄学園高等部1年4組担任の鬼村 静刃です。これから1年間、よろしくね」
…………今の間は、何だろう。
俺は、どうやら選択を誤ってしまったようだ。
そんな気がする。
「え~と、杉原君は教科書持ってないよね? 隣の宮内さん、見せてあげてくれる?」
「はい、分かりました」
右横を向くと、宮内と呼ばれた女生徒が机を寄せてきた。
髪は栗色で少しウェーブがかかっている。
この学校は皆私服を着ているけど、彼女は制服を着てスカートも膝下10センチくらいの見るからに優等生風の印象だった。
「どうぞ」
「……あ、ごめん。ありがと」
そんな俺の受け答えを見て、くすくす笑っている。か、可愛い過ぎる。
こんな子が俺に笑顔を見せてくれるなんて、信じられない。
ホントにこのクラスどうなってんだ?
あ、夢か、これ?
「貴方、普通の人ね。どうしてこのクラスに来ることになったんだろう。運命というのは時々、意地悪だわ」
まるで、小説の登場人物のような語り口調だ。でも、可愛い。
「じゃあ、今日は8ページから。昨日だした課題、皆やってきた?」
静刃先生が授業を始める。
授業内容は至って普通だった。
俺は授業内容よりもクラスメイトの方が気になってしまい、静刃先生には申し訳ないんだけど授業時間中、周りの人間を観察していた。
左横の霧島は自分のノートPCのキーボードを恐ろしい速さでキータッチしていた。ディスプレイを見ると、真っ黒の画面にコマンドが並んでいる。CUIで操作しているようだ。時折PCに話しかけているように見えるが、きっと気のせいだろう。
斜め前に居る凶也は机にうつ伏せになり、人目も憚らず堂々と熟睡している。周りも気にしてないようなので、いつもこうなんだろう。
ふと視線を感じて後ろを見ると、教室後ろのテントの入り口が少し開いて、隙間から刹那さんが俺の方をじぃっと見ていた。
俺と目が合うと、彼女は驚いてテントの入り口を閉めて中に篭る。今更だけど、彼女はあそこで何しているんだ?
右横をみると、宮内さんが黒板に書かれた文字を見て熱心にノートを取っている。このクラスで真面目に授業を受けているのは彼女だけのような気がする。
なんだか静刃先生が可哀想になってきたので、俺も黒板を見て授業を受けることにした。
そうこうしているうちに、何事も無く4時限目が終了する。
「あ~、腹減った。飯、飯っと」
4時限目終了のチャイムを目覚まし時計の代わりに使い、凶也が起き上がって背伸びをしている。
霧島は授業が終了したことにも気付かず、とり憑かれたかのようにキータッチを続けている。
右横の宮内さんは、机を元の位置に戻している。
「杉原君は、お昼どうするの?」
不意に彼女が声を掛けてきた。
(ガタッッ)
あまりにも予想外過ぎて、膝を机にぶつけてしまった。
……痛い……
彼女は不思議そうに俺を見ている。
ど、どうしよう、そういえば俺今パンを買う金も無いんだった。
「あ~、うん。俺、昼飯はあんまし、食べないんだよね」
我ながら少し苦しい言い訳をしてみた。そう言うと、彼女は俺の顔を覗き込む。
「杉原君? もしかして、お金持って無い?」
「……え? なんで……?」
「いいよ、隠さなくて。この学園そういう人 結構多いんだ。お弁当、多めに作ってあるから3人で食べよう?」
彼女の背後に後光が射して見える。彼女はこの地上に舞い降りた天使だったようだ。
「大変だな、委員長様は。狼女だけじゃなく、転入生にも餌やりしなきゃなんねーのか」
こっちを見ていた凶也という名の反逆者は、大天使様に向かって畏れ多くも暴言を吐きやがった。
すると、教室に怒声が響く。
「凶也っ!! 宮内さんに謝りなさいっ!!」
教室内が静まり返る。
俺は一瞬、誰の声か分からず辺りを見回す。
それが静刃先生の声だと気付くのに少し時間が掛かった。
「げっ、まだ居たのか」
凶也が呟く。そして気まずそうに、頭をかいている。
「……今のナシな」
そう言って、凶也は教室を出て行った。
ちょっと驚いたけども、このクラスを担任するくらいだからああいう厳しさも当然必要なんだろうな。
静刃先生に対する印象が少し変わった。
宮内さんは鞄から大きい弁当箱を出して、教室の後ろへ向かい俺を手招きしている。
そして彼女はテントを軽く揺すり、声を掛ける。
「刹那。お昼にしよう」
もしかして、凶也の言っていた狼女っていうのは刹那さんの事なのか?
お招きにあずかり、俺もテントの前に行く。
しかしテントの中の刹那さんは出てこない。
「大丈夫だよ。杉原君は刹那を傷つけたりはしないわ」
宮内さんは、穏やかな口調で話す。
少ししてから、テントの入り口がゆっくり開く。
刹那さんはそっと隙間から顔を出し、クラスの大半が学食に向かったのを確認しているようだ。
そして今度は俺の顔をじっと見つめる。
この時、初めて俺は彼女の全体像を見た。
身体は小柄で、顔を見るととても幼い感じがする。
髪はショートで、後ろ髪が外側に跳ねている。
服装は体育用の赤いジャージ。
胸辺りに「犬神」という名前が刺繍してある。
テントの中は、ランプや、小さな棚、本、飲み物なんかがある。信じられないけど、彼女本当にこの中で生活しているみたいだ。
「今日は、刹那の好きな豆腐ハンバーグ作って来たよ」
犬神さんは、瞳を潤ませ涙を浮かべている。
「……いつも……ありがと……久美……」
「何言ってるのよ、友達でしょう私達」
改めて犬神さんと対面すると、彼女からは俺と同種の異質さを感じる。
自分以外からこの感じを受けるのは生まれて初めての経験だった。
想像ではあるんだけど、彼女も俺と同じような異質な存在で常に疎外され続けて来たんだろうな。
この現状を見るに、きっと親からも見離され、親戚をたらい回しにされ、ようやく行き着いた先がこの学園なんだ。
そして犬神 刹那は生まれて始めて宮内 久美という心許せる存在を得た。
俺にはそんな彼女の生い立ちがありありと見え、つられて泣きそうになってしまった。
そういえば今まで俺は誰の傍に居ても、何か相容れない壁のようなものを感じてきたのに、彼女達からはそれを全く感じない。
犬神さんはなんとなく俺と同類なんだというのは分かるけど、宮内さんはそんな感じはしないんだよな。
彼女にも何かがあんのかな?
「杉原君も、遠慮しなくていいんだよ? 私、料理にはちょっと自信あるんだから」
宮内さんは、俺の方を向いて話掛ける。
というか、何時の間にかとんでもないシチュエーションの中に身を置いてないか、俺?
女子2人と昼食なんて、俺みたいな人間でなくても有り得ないだろ。
きっと今までの15年間分の不幸の対価として、神様が俺にくれた奇跡の時間なんだな。
これで、一生分の運を使い切ったとしても悔いはない。
ありがたく受け取るとしよう。
俺は最初に目についた、だし巻き卵を口に入れる。
…………本当に美味しい。絶妙な味のバランスと、料理に込められた彼女の優しさを舌で感じ、俺の頬に一筋の涙が流れる。
「えっ!? どうしたの、杉原君」
それを見て、彼女が驚く。
「あ、いや、マジで、美味くて、つい」
彼女以上に俺自身が驚き、慌てて涙を拭う。
料理を食べて涙するとか、料理漫画じゃないんだから恥ずかし過ぎる。
犬神さんの事で涙腺が緩んでいる所へ、この絶品料理の波状攻撃で涙腺が決壊してしまった。
そんな俺を見ていた犬神さんが微笑ったように見えた。
2人分の料理を3人で食べたので、すぐに無くなってしまった。
俺はできるだけ遠慮して食べたつもりだったけど、2日ぶりの食事がこの絶品料理だったのでつい食べすぎてしまった気がする。
「何かごめん、遠慮無く食べちゃって……」
「美味しく食べてくれたんなら、作った甲斐があるよ。それに、大勢で食べたほうが美味しいしね」
犬神さんもこくこくと頷いている。
こんなにも心と空腹が満たされた食事は初めてだった。
俺は2人にお礼を言って、自分の席へと戻る。
宮内さんも俺の右横に座り、犬神さんはテントの中へと戻っていった。
俺は自分の席で至福の時間の余韻にしばらく酔いしれていた。
昼食に出ていたクラスメート達も、続々と戻って来る。
席に座った彼等の会話を聞くに、どうやらこの学園の学食は相当に好評のようだ。
お金が入ったら、最初に食堂へ行ってみよう。何時になるか分からないけど。
始業時間ギリギリ、一番最後に凶也が教室に戻って来た。
満腹になったみたいだし、また自分の席で寝始めるんだろうな。
と、思って見てたけど、凶也は自分の席には座らず、教室の後ろへと向かい、犬神さんの居るテントの前で立ち止まった。
「……おい、狼女」
どうやら犬神さんに話があるようだ。
宮内さんはその様子を心配そうに見ている。
「そういえば、今日は満月だけどよ。お前、夜は地下へ行くんだよな?」
満月? 夜? 地下? 何の話をしているんだ?
「…………う、うん……静刃、先生……に付き添って……もらって……」
「そうか。それなら、今夜は安眠できるな」
テントがもぞもぞする。
少し間を置き、犬神さんが控えめに声を出す。
「でも……も、もし……何か、あっても……凶也君が…………いるから、止めてくれる、よね?」
不安そうで消え入りそうな声。
しかし、その言葉を聞いた凶也の態度が急変する。
「ふざけんなっっっ!!!」
凶也は犬神さんの居るテントを荒々しく蹴る。
「俺っちが何度、お前に殺されかけてると思ってんだ。糞がっ!!」
「ご、ごめんなさいっ。ごめんなさいっ。ごめんなさいっ」
犬神さんの泣きそうな声が聞こえる。
中は見えないけど、彼女はテントの中で小さく蹲っているみたいだ。
「てめぇみたいな化物はな、この町ですら受け入れられねんだよっ!! とっとと、どこかで野垂れ死ねよ、犬っコロがっ!!!」
このセリフで俺の中の何かがブチ切れた。
「お前っ、もう黙れ!!」
気がついたら、俺は凶也の胸倉を掴んでいた。
凶也は鬼の形相で俺を睨む。
「あぁん? 何してんだ、お前? いい度胸だな転校生」
しかし、俺も怒りが収まらない。まるで腕が勝手に動いているみたいに凶也に殴りかかる。
その、瞬間、教室の空気が、一変した。
まるで、急に異次元空間に落とされたような感覚。
…………何が、起こったんだ?
俺は、混乱する。
凶也も呆気にとられている。
誰かが叫ぶ。
「やばいっ!! 皆、目を閉じろっ!!」
は? 何だって?
「宮内さんの邪霊部屋が発現してるっ!!」