黒霧3
外に出た俺の気分は晴れやかだった。
まるでこの澄み切った青空のように。
ここへ来て良かった。俺は始業時間が迫っていることも忘れて、軽い足取りで学校へと続く坂道を登っていた。
1年4組の教室へ入ると、いつもより少し生徒数が多く20人位が出席していた。
校門の所で校舎の時計を見て遅刻寸前な事に気付いた俺は、走って校舎に滑り込んだ。息を切らせながら席に着くと、隣の席から声をかけられた。
「遅刻ギリギリだったね、杉原君」
そう言って、宮内さんが微笑っている。
「うん、ちょっとあせって走ってきた…………それにしても今日は少し出席率が良いね?」
俺は教室を見回しながら、尋ねる。
「阿古田先生の授業があるからじゃないかな。あの先生の授業面白いもんね」
そうか、1時限目は阿古田先生の授業か。
阿古田先生は日本史の担当だけど、もう一つ兼任している教科がある。
俺はこの学園へ来て初めて聞いた教科なんだけど、郷土史という教科だ。
地元の町、この異寄町に関して学ぶ授業がこの学園には週に1時間ある。
この町は地理・歴史・風土・習慣あらゆる点で他の町とは大きく異なり、この町でのみ発生する特異現象なんかも存在する。その為それらの知識を持ち合わせていないと、命に関わる場合すら有り得ることを俺はこの1週間で身をもって知った。
1時限目のチャイムが鳴り、程なく阿古田先生が教室のドアを開けて入って来た。
ごましお頭で、口をへの字に曲げた昔気質の50代の男の先生だ。何かの職人のようにも見える。
先生は教壇へと立ちあいさつをする。
「あ~、諸君お早う。これから郷土史の講義を始める。皆、心して聞くように」
先生の古風なしゃべりは、教室の空気を引き締めるような感じがする。
先週は初めての郷土史の授業があったけど、その時間は先生が郷土史の授業の重要性をまるまる1時間使って説明していたので、実質今回が郷土史の初回授業となる。
この授業では皆真剣で、居眠りするような生徒はいない(斜め前の席の凶也を除いて)。
特に俺を含めた外来の生徒はこの町に関してほとんど何も知らないので、授業内容を聞き逃すわけにはいかない。
誰だって、わけの分からない謎の現象で死にたくは無いし。
俺は郷土史の教科書の1ページ目を開く。そこには異寄町の地図が載せてあった。
阿古田先生が授業を始める。
今回の郷土史の授業は異寄町の地理に関してだった。
異寄町には1丁目から7丁目までの区画があるらしく、この学園は1丁目に位置しているそうだ。しかし教科書に載っている地図をいくら見ても、1丁目から4丁目までしか描かれていない。それについての先生の説明はこのようなものだった。
1丁目から7丁目までの区画は、場所の異質度により決められているらしい。1丁目は比較的異質度の低い場所で、7丁目が最も異質度が高い場所だそうだ。
先生が以前他の先生達と4丁目に行った時には、見たことも無い生物が道を歩いていたとか、空から光る石が降ってきたとか、およそこの世とは思えない空間だったそうだ。
先生の話を聞いていると、5丁目以降の区画は魔界のような領域に思える。
教科書の地図に4丁目までしか載っていないのは、5丁目以降の区画に入り測量できる人間がいないからという理由だ。
7丁目に至ってはもはや本当に存在するかどうかも不確からしい。
この町を取り仕切る自治会の中でも、5丁目以降に入るのを許されている人間は少数だけ。
俺がネット上で知ったこの町の数々の奇妙な噂は、大部分が5丁目以降の話だったことをこの時知った。
俺のような人間は特に近づかない方が良さそうだ。
その後もこの町に関する興味深い話が続き、1時限目の授業はあっという間に終わった。
阿古田先生が教室を出て休み時間になっても、皆ノートを見返したり郷土史の教科書を読んでいた。
俺も郷土史の内容が気になって他の先生には申し訳無いんだけども、2時限目から4時限目の授業の間もこっそりと郷土史の教科書を読みふけっていた。
チャイムが鳴り、時計を見ると4時限目の授業が終わっていた。
何のアクシデントも起こらずに昼休憩を迎えるのはこの教室では珍しい。俺の腹が空腹を訴えていたので学食へ向かうことにした。
俺がこの学園に転校した最初の1週間は、宮内さんが何度か昼食に誘ってくれたが、2回目以降は丁重にお断りしてきた。
もちろん、宮内さんの作る絶品料理は喉から手が出るほど食べたいけど、毎日犬神さんと俺の分の弁当を作ってもらうのはやっぱり心苦しい。
彼女は「2人分作るのも3人分作るのも同じだから気にしないで」と言ってくれてはいたが、気にするなと言う方が無理な話だ。
そういうわけで、俺は異寄学園学生食堂へと向かう。
学食棟は校舎とは独立した建物になっていて、東校舎一階の南側渡り廊下から入ることが出来る。
学食棟の周りには様々な植物が植えられ、窓からの日射しを遮っている。今では俺にとって、この場所が学園で一番落ち着く場所だ。
俺は学食棟の扉を開けて中を見渡す。中は学園の食堂とは到底思えない程に広い。
この学園では親の援助無しに通っている生徒が多く、自分で昼食を用意できず学食を利用する生徒が相当数いるらしい。
俺自身、学食がこれほどに重宝する施設だということをここに来て初めて知った。
俺のように朝昼晩すべて学食で済ませる生徒も多いようだ。
この学園において学食は命をつなぐ施設だと言っても決して言い過ぎじゃない。
利用頻度が高いためか学食のメニューはやたらと種類が多い。
これ程多いと、目移りしてしまい逆に困ってしまう程だ。
和洋中はもちろんの事、ファーストフード店やクレープ屋まで有る。
安い・美味い・早いと三拍子そろったこの学食には学園以外からも利用者が来るようで、近くの工事現場の作業員とかを何度か目にした。
俺は入口近くにある券売機で、350円を入れて「豚肉の生姜焼き定食」の食券を購入する。
72円しか入って無かった俺の財布に、野口さんと樋口さんという強力な味方が加わっている。財布の中のお金を見て、俺は5日前の出来事を回想した。
俺の財布の中にお金があるのには理由がある。