黒霧1
「この学園に送られた俺達は、社会の異分子だ なんて思ってたけど、体張って子供を救けるお前達を見て、この学園にいる俺達だって捨てたもんじゃ無いんだって思えたよ」
【4月 第2週】
異寄町へ越してきてから1週間目の朝。
冷えた空気が、部屋の低い場所に漂ってくる。
遠くでキジバトの鳴き声が聞こえ、俺は夢の中から半覚醒状態へと移行する。
この1週間は今までの人生の中で一番長い1週間だった。この先の人生でもこれ程波乱に満ちた時間を過ごす事はまず無いだろうな。
っていうか、そうでないと俺の精神が持たない。
しかし人間の適応力ってやつは便利なもので、どんな環境へと叩き込まれても次第に慣れて、それが日常へと変わってゆく。
さすがに1週間もすれば、どんな事が起きてもこれまでのように驚くことは無いはずだ。そう考えた俺は少し安心して、ベッドから身体を起こす。
窓を開けて陽の光を浴び、外の新鮮な空気を吸って目を覚ます。校庭には朝練の準備をする陸上部員の姿があった。
その中には中等部くらいの男子も居る。こんな朝早くから頑張ってるんだな。ずっと帰宅部だった俺だけど、この学園でなら何か部活をしてみても良いと思える。それなりに体は動かせる方だし、運動部にでも入ってみようか。
中等部の男子は軽く柔軟したあと、助走をつけて砂場の方へ跳んだ…………
!?
なんか20メートルくらい跳んだように見えたけど。
俺はまだ寝ぼけてるみたいだ。それか遠近感のせいで距離を見間違えたんだろう。
彼はその後、2人1組で本格的に柔軟体操を始めた。とりあえず見なかったことにした。
視線を上へと移し、景色を眺める。本日は晴天なり。
そのまましばらくぼんやりしていると、遠くの空、山の向こうに何か黒い影が見えた。
(なんだ、あれ?)
遠くて良く見えないけど、まるで蝙蝠の大群が飛んでいるようにも見える。
「…………おい、寒ィだろ。窓開けんな…………」
ルームメイトの鬼村 凶也が壁の方を向いて横になったままで、呟くように文句を言う。
「ああ、ゴメン」
そう言って、俺は窓を閉める。
「つか、朝早ぇなてめえ…………」
「ん、ああ。学校始まる前にちょっと行くとこがあって…………」
返答は無い。二度寝したようだ。
俺はなるべく音をたてないように身支度をすませ、寮を出る。
準備運動をする陸上部の邪魔にならないよう少し迂回して校庭を横断し、正門を抜けた。
目的地は1週間前、この町へ始めて来た時最初に訪れた雑貨屋だ。もっと早くにもう一度訪ねるつもりだったんだけど、忙しくて後回しにしてしまっていた。
そこの店主は俺の異質な運命に関して色々興味深い話をしてくれた。
あの時は詳しく話を聞く気にはなれなかったけども、今は違う。
この町での色々な経験を通して、俺自身の事をもっと知らなきゃいけないって感じてる。
店へ向かって緩い坂道を下ってゆくと、ちらほら登校する生徒とすれ違った。その中に一人見知った顔の生徒がいた。クラス委員長の宮内 久美さんだ。
普段は学生寮で生活している彼女だが、今日は実家から直接来たようだ。向こうもこちらに気づくと笑顔で返してくれた。
「おはよっ、杉原君。どこかへお出かけ?」
宮内さんは明るく元気に挨拶をしてくれる。
「おはよう。ちょっと用事があって、ね」
「そうなんだ…………良い天気だし、私もどこか行きたいなぁ」
見上げると、雲一つ無い突き抜けるような青空だ。ふと、さっきの事が気になって何気なく口に出してみた。
「そういえば、さっき向こうの空に黒い影のような物が見えたんだけど、あれ何だったんだろう…………」
「あ、杉原君も見たんだ? 私も今朝見かけて気になってたんだけど」
「蝙蝠かなんかの大群かな?」
「う~ん、違うかなぁ。私しばらく見てたんだけど、そのうち消えて無くなったから」
消えた? そういえば凶也に声を掛けられてその後は見てなかったな。
「じゃあ、杉原君。私先行くから、遅刻しないようにね」
「あ、うん。ありがと」
そう言うと、宮内さんは颯爽と坂道を登って行く。
宮内さんの後ろ姿を見送ってから、俺も店の方角へと向かう。
この辺りを見ていると、初めてこの町へ来た時を思い出す。何だかもう随分昔のことみたいだ。
この町に来て一週間、いろいろあったからなぁ…………
さしずめ、この町の住人として認められるかどうかの通過儀礼といったとこかな。
これで俺も晴れて、異質な住人の1人ってわけか。う~ん、なんか素直に喜べないというか……
俺は脇道から路地裏へと入り、あの雑貨屋を探す。この辺だったっけ?
それっぽい所を適当に歩き、薄れかかった記憶を頼りに見覚えのある路を探す。確か、あの古着屋の角を曲がった所だったはず。
目の前にある角を曲がると雑貨店があった。
築50年はゆうに過ぎているであろう木造の2階建てだ。店先では丁度、お姉さんが店を開けようとしている所だった。
「おはようございます」
彼女はシャッターを開けようとする手を止め、こちらを見る。俺と目が合っても表情を変えず、呟いた。
「ふーん、やっぱりキミはこの町に残ることになったか…………」
彼女は相変わらず、ラフな格好をしてる。
「丁度良い所に来たね。ちょっとそっち持って」
そう言ってシャッターの端を指差している。開けるのを手伝えという事らしい。2人でシャッターを開けると、次は何故か竹ボウキを渡された。店先の掃除をやれという事らしい。その後も、そのまま商品の陳列やらを手伝うハメになった。
店先の棚に言われた商品を並べるが、この店の商品は相変わらず変テコな物が多い。俺は手に持った「着せ替え狸人形」を隅へ置く。
何だ、これ? 購買層がまるで見えてこない。
渡された商品を一通り並べ終わった頃、お姉さんから声が掛かる。
「おつかれ、ちょっと奥の部屋で待ってて」
彼女はそう言い残すと、2階へと上がって行った。