孤狼9
俺と宮内さんは、監視カメラの死角を通り女子寮へと向かう。
というか、これ見つかったら俺が退学になるんじゃないか?
でも、俺の空腹がこのまま男子寮へと戻る事を許しちゃくれない。
女子寮は西校舎を挟んで反対側にある。
俺は宮内さんに連れられるまま、周囲を伺いながら 忍び足で移動する。
女子寮の中に入ると、内装は男子寮とほぼ同じ感じだった。
しかし男子寮と違い、なにやら良い匂いがする。
誰かの香水?
今後、女子寮へ入ることなんて無いだろうから、中の様子を目に焼き付けとこ。
宮内さんの部屋がある2階への階段を足音をたてないように登り、宮内さんは静かに部屋のドアノブを回す。
宮内さんの部屋は明かりが点いてて、彼女が部屋に入ると中から声がした。
「あっ、久美。あんた大丈夫なの? 急に出て行ったりして…………」
知らない女子生徒の声。
宮内さんのルームメイトらしい。
ベッドから出てきた彼女は、宮内さんの後ろに居た俺と目があった。
「…………えっ、ちょ、久美。あんたこんな時間に、なに男連れ込んでんのっ? あんたそんな子じゃなかったでしょっ!?」
彼女は予想だにしなかった状況に困惑している。
(何か、嬉しい誤解された気がする)
「やだ、変な想像しないでよ……実はね…………」
宮内さんは慌ててルームメイトに現在の状況を説明する。
「ふうん…………そんな事があったんだ…………あんた犬神と仲良いもんね。まあ、事態はなんとか収拾ついたんでしょ? 良かったじゃん」
彼女はそう言って、俺の方に視線を移す。次に宮内さんと俺を交互に眺め、にんまり笑う。
「で、後ろに居る彼があんたの王子様ってワケね…………へえぇ、結構良い男じゃん。あたしの彼氏ほどじゃないけどさ。そんで、御礼に愛情込めた手料理をご馳走しようってことね。いいよ、そんかわり内緒にしといてあげるから私にも作ってよ。なんか小腹がすいちゃった」
この学生寮の設備はかなり整っていて、各部屋にシャワールームや冷蔵庫・簡単なキッチンが設置されている。その為料理が出来る学生は自炊もしているらしい。
おそらく俺達の部屋のキッチンは使われる事は無いだろうけど。
宮内さんは冷蔵庫から麺と野菜を取り出し、炒め始めた。どうやらメニューは焼きそばらしい。じきに香ばしいにおいが部屋に漂い始める。
「それにしても、犬神はこれから大変だろうねぇ。別にあたしはあの子と話したことも無いんだけども、さすがに可哀想だわ」
ルームメイトは誰に対してでも無く、独り言のように話し始める。
俺も犬神さんの今後が気になっていたので、さりげなく彼女に聞いてみる。
「あの…………さ。犬神さんのご両親は今どうしてるのか、何か知ってる?」
「うん? あたしは詳しく知らないよ。久美に聞けば?」
宮内さんの方を見ると、焼きそばが出来上がったようで皿に盛り付けていた。2人分の焼きそばをテーブルに置いて、宮内さんも座る。
「どうぞ、召し上がれ」
夢中に焼きそばを食べている俺達2人を、宮内さんは満足そうに眺めていた。
俺は1分かからず完食し、隣に居たルームメイトも2分程で完食した。残念な事におかわりは無さそうなので、手を合わせてご馳走様をする。
満腹になったルームメイトは、そのままベッドに入って眠り始めた。
お皿を水に漬けておいて宮内さんは再びテーブルに戻る。
「…………ところで、杉原君。さっき、刹那のご両親の事を聞いてたよね?」
さっきまで微笑んでいた宮内さんの顔が急に神妙なものとなったので、その質問が地雷だったのだと思い謝ることにした。
「あ、ゴメン。俺が詮索するような事じゃ無いかな?」
宮内さんはしばらくアゴに手を当てたまま何やら考え込んでいた。
「…………本来私の口から話すべき事では無いんだろうけど、刹那を救ってくれた君には知っておいてもらった方が良いのかもしれないね。でも絶対に他言はしないでね。もし刹那の耳に入りでもしたら、あの子の治りかけた傷を再び抉るような事になるから」
宮内さんの口調からすると、犬神さんの過去にあったことはただごとでは無いようだ。
彼女は座り直し、語り始めた。
「あの子が動物霊に憑かれたのは、12歳の時。あの子の住んでいた村にはずっと昔、外には口外されない裏の習わしというものがあったそうなの。その習わしというのは、家族が亡くなった時、再びその魂が親族の赤ん坊に宿るようにと行う転生の儀式。その依代として、村の近くにいる狼を捕らえて生贄に捧げるという忌まわしい風習。その儀式の内容は詳しく知らないのだけど、相当に残酷な方法で狼を儀式に用いたそうよ。そして生贄となった狼を葬る狼塚と呼ばれる場所が村の中にあるんだって。長い年月をかけて何千という生贄を埋葬してきた狼塚には、おそらく成仏出来なかった狼の霊が無数に存在していたと思う。そして刹那は12歳の時、クラスメイトと一緒にその狼塚で肝試しをしたらしいわ。あの子は乗り気じゃなかったそうだけど、半ば強引にクラスメイト達に連れられて、大人達に行くなと言われていた狼塚に入ってしまった。そしてその翌日から刹那の様子が急変したそうよ。時折床の匂いをかぐような動きをしたり、知らない人間に対して唸り始めたり。事情を知ったあの子のご両親はいろんな病院を渡り歩いたんだけど、入院する度に刹那が暴れだしてどの病院も追い出されたそうよ。仕方なく自宅療養することになったんだけど、満月になると手がつけられない程暴れて、それはお父様の力でもどうにもならないような力だった」
「…………そ、それで両親から見放されたの?」
俺は思わず質問する。宮内さんは、黙って首を振る。
「刹那のご両親は、それでも決してあの子を見捨てなかった。刹那が暴走する度、体中に怪我を負ってなお自分達の命を賭ける覚悟で、一緒に暮らし続けたそうよ」
その惨状が脳裏に浮かび、俺は絶句する。
「…………そしてその強い覚悟が最悪の結果を招いてしまった」
宮内さんは俯くようにして、その言葉を口にする。
「1年前、刹那のお母様がどうしてもはずせない用事で家を空けた満月の夜。お父様と2人で家にいた刹那は、自分の両手・両足に何重にも巻きつけていた縄を引きちぎり、鍵をかけていた自分の部屋の扉を破って、下の階に居たお父様を………………」
宮内さんの悲痛な表情。それはその先の出来事を明確に物語っていた。
その事件の後、噂を聞いた異寄学園の現生徒会長が犬神さんを学園に招き、現在に至るそうだ。今日から4日後が犬神さんの父親の命日らしい。
お墓は隣の県にあり、犬神さんはお墓参りに行きたいと言っているんだけど、今の彼女が独りで遠出するのはちょっと色々問題がある。その日宮内さんは実家のお寺のお勤めがあり、一緒に行けないとの事で、暇してる俺が付き添うことになった。
俺は宮内さんに夜食の御礼を言ってから、他の女子生徒が起き出す前に男子寮に戻り、自分のベッドの上で今日の出来事を思い返していた。
まるで激流に飲まれたかのような嵐の1日だった。 俺の隣で素知らぬ顔をして寝ている凶也が、なんか腹立つ。
本当に大変な思いをしたけど、それでも俺はこの日生まれて初めて生きているという実感を得た気がした。
今後の学園生活を思い描きながら、俺はいつの間にか眠りについていた。
翌朝、1年4組の教室に入ると、犬神さんはテントの中には居なかった。
2時限目の授業中に俺と宮内さんは呼び出しを受けて、静刃先生の口から今回の事件に関しての顛末を聞いた。
まず犬神さんについてだけど、静刃先生のお陰でなんとか退学は免れたらしい。
犬神さんに下された処罰は「1週間の謹慎」。
犬神さんも今回の事件のことで大分ショックを受けているらしく、精神が落ち着くまでは休養した方が良いとの判断でもある。
そして静刃先生に下された処罰は「3ヶ月間の減俸」だそうだ。
こんな処罰では軽いくらいだ、と静刃先生は悲しげに笑っていた。
学園長からは「今度同様の事件が起これば、有無を言わさず犬神さんには学園を去ってもらう」と宣告されたそうだ。
先生は昨日の晩に起きた事についても教えてくれた。
満月の夜になると静刃先生は犬神さんを地下の独房に連れてゆく事になっていて、昨日もいつも通り独房に犬神さんを入れてドアの鍵を閉めたんだけど、今までその部屋で犬神さんが何度か暴れていたせいでドアの鍵のシリンダーがおかしくなっていたらしい。
静刃先生はドアの鍵を回したので、鍵が閉まっていると思いその場を離れたが、実際には鍵は掛かっていなかった。
犬神さんが逃亡したとの報せを受け、静刃先生は急いで地下へと向かったけど、出会い頭に犬神さんに襲われて逃がしてしまったらしい。
静刃先生はちゃんと鍵が閉まっていることを確認しなかった事を心底後悔していた。
教室へと戻ると、クラスメイトから犬神さんの事を聞かれた。 クラスメート達は一部を除いて、犬神さんに対して同情的だった。
きっと皆同じような経験をしてきたのだろう。
犬神さんが退学を免れたことを知ってクラスメート達が喜んでくれた事が、俺はなんだか嬉しかった。
その日、後ろからの視線が無くなった教室で俺達は授業を受けた。
いつも真面目に授業を受けている宮内さんも、今日ばかりは心ここにあらずといった風だった。
それから4日後、犬神さんの父親の命日。
俺と犬神さんは隣の県へお墓参りに行った。
隣の県と言ってもこの町が県境にあるため、そんなに遠くは無い。
犬神さんは人ごみに入るのを極端に嫌う為、公共の機関は使えない。
俺達は自転車を借りて行くことにした。
俺は体力に自信がある方だし、犬神さんに至っては獣化の影響なのか常人を遥かに超える身体能力を持っている。
途中で休憩を挟みながら、3時間程で目的地へ到着した。
少し小高い場所にある霊園。
宮内さんからもらった墓花を手に、俺たちは階段を登って行く。
平日なので人はほとんどいなかったが、人とすれ違う時には犬神さんは俺の影に隠れていた。
後ろから小声で道案内され、犬神さんの父親のお墓に辿り着いた。
近くの水道から水を汲んでから、お墓に近づくと、そこには先客がいた。
それに気づいた犬神さんは俺の後ろに隠れる。そして覗き込むようにしてその人の姿を確認した犬神さんは、俺の背中で震えだす。
「せ、刹那っ!?」
その人はこちらを見て目を見開き、驚いた様子で声をあげる。
犬神さんは突然、泣き崩れた。
「…………お、お母さん…………」
犬神さんの目からとめどなく涙が溢れる。
犬神さんの母親は駆け寄って彼女を抱きしめた。
例の事件以来、犬神さんの症状が改善するまで家族とは会わないように学園からは言われていたそうだ。
犬神さんの状況は母親に伝えられてはいたけど、実に1年ぶりの再会だった。
母親と抱き合って泣きじゃくる彼女の姿が、学園で見せたことの無い偽らざる彼女の本当の姿だった気がする。
静寂に包まれた小高い丘の霊園の中で2人の泣き声だけが、いつまでも響いていた。
「孤狼」 完。
ここで第一話終了です。
ここまでお読み下さり、ありがとうございます。
この物語のテーマは「異質」。
彼女、犬神 刹那はこの物語を象徴するキャラクターです。
異質が故に疎外され、それでも懸命に生きていく。
僕が書きたかったのはそんなお話です。
この「ミステリア」の構成としては、1ヶ月分4話の話の後に各キャラクターの過去話を挟んでいこうと思っています。
刹那の話は大分後になると思いますが。
これからも続きを投稿していこうと思っているので、よろしければお付き合い下さい。